マリ共和国
西アフリカ最大の内陸国で、トンブクトゥ遺跡が有名なマリ共和国、歴史においてはマリ帝国、ソンガイ帝国といった国家が栄えたものの、19世紀にフランスの植民地となってフランス領スーダンの一つに組み込まれましたが、そのマリは今から63年前の今日1960年9月22日に独立国家になったけど、当初は同年6月に隣国・セネガルとともに連邦国家として独立したわけだが、同年8月にセネガルが連邦から離脱して単独国家として独立、セネガルとマリで価値観が対立して関係会ったをもたらしたことでセネガルが分離独立したことで、同年の9月22日にマリ共和国として独立国家したわけです。
当初連邦国家として一緒にやっていこうと言いながら、価値観の違いで対立して分離するというケース、以下に連邦国家の運営の難しさを裏付けるし、多民族集団であるアフリカにおいて異なる民族同士をまとめるのは容易じゃないってことだ。ましてやヨーロッパによる植民地政策のせいで民族バランスが歪になったことも原因に挙げられるが。
独立国家となったマリだが、初代大統領モディボ・ケイタは中国やソ連との関係を強化し、農村共同体を基盤とするアフリカ社会主義を掲げたものの、社会主義政策による国有化で生産が停滞、セネガルとの関係悪化による輸出ルートの寸断などで経済は悪化(ギニアやタンザニアもだが)、最終的にセネガルとは和解したもののケイタの独裁体制に対する国民の反発は収まらず1968年に軍部のクーデターによりケイタは失脚、しばらく軍事政権の時代となったのです。
1991年にアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ空挺部隊司令官によるクーデターによって、1968年のクーデター以来実権を握ってきたムサ・トラオーレ大統領を権力から引きずり降ろし、トゥーレはそのまま暫定政府をしいて民主化を進めると宣言、その翌年の大統領選挙でアルファ・ウマル・コナレが当選し、初めて民主的な選挙で選ばれたコナレは民主的な政権運営を行い、複数政党制や言論の自由を認めるなど独立以降独裁政権や言論弾圧による不満が溜まっていた国民を納得させたのでした。2002年にコナレが退陣しトゥーレが大統領に就任したけど、民主的な政権運営を維持するなど、西アフリカでも数少ない民主制になったのですが・・・!?
その一方で北部のトゥアレグ族が武装蜂起して、2012年に分離独立を目論もうと北部を掌握、軍内部から武器不足の不満が出て同年に軍事クーデターに発展してトゥーレは失脚、イスラム系反政府勢力が暗躍してトンブクトゥの聖墓が破壊されるという惨事に発展、このせいで北部はイスラム系武装組織「アンサル・ディーン」の支配下に置かれ、翌2013年に旧宗主国フランスが軍事侵攻、政府軍とともにイスラム系反政府勢力掃討に及んだのは言うまでもない。
その後はと言うと政府は安定せず、汚職や腐敗が目立ち経済も当然停滞して、2022年にはロシアの民間軍事会社「ワグネル」に暫定政権が接近して武装組織とドンパチを展開しているわけだが、これを受けフランスは軍事的な関係を打ち切り、駐留しているフランス軍を撤退するということになったが、マリ国内において反フランス感情が高まりその一方で親ロシア感情が高まったことを裏付けます。
独立したものの社会主義独裁政権→軍事政権→民政移管→民政失敗で再び軍事政権。と途上国にありがちなケースとなったマリ、こういうケースはアフリカにおいても多々あるのではないだろうか。
国家として迷走状態になったマリ、そのマリといえば京都精華大学で学長を務めたウスビ・サコ氏、トッテナム・ホットスパー(イングランド)やセビージャ(スペイン)などで活躍した元サッカー選手、フレデリック・カヌーテなどのイメージが強いです。
当初連邦国家として一緒にやっていこうと言いながら、価値観の違いで対立して分離するというケース、以下に連邦国家の運営の難しさを裏付けるし、多民族集団であるアフリカにおいて異なる民族同士をまとめるのは容易じゃないってことだ。ましてやヨーロッパによる植民地政策のせいで民族バランスが歪になったことも原因に挙げられるが。
独立国家となったマリだが、初代大統領モディボ・ケイタは中国やソ連との関係を強化し、農村共同体を基盤とするアフリカ社会主義を掲げたものの、社会主義政策による国有化で生産が停滞、セネガルとの関係悪化による輸出ルートの寸断などで経済は悪化(ギニアやタンザニアもだが)、最終的にセネガルとは和解したもののケイタの独裁体制に対する国民の反発は収まらず1968年に軍部のクーデターによりケイタは失脚、しばらく軍事政権の時代となったのです。
1991年にアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ空挺部隊司令官によるクーデターによって、1968年のクーデター以来実権を握ってきたムサ・トラオーレ大統領を権力から引きずり降ろし、トゥーレはそのまま暫定政府をしいて民主化を進めると宣言、その翌年の大統領選挙でアルファ・ウマル・コナレが当選し、初めて民主的な選挙で選ばれたコナレは民主的な政権運営を行い、複数政党制や言論の自由を認めるなど独立以降独裁政権や言論弾圧による不満が溜まっていた国民を納得させたのでした。2002年にコナレが退陣しトゥーレが大統領に就任したけど、民主的な政権運営を維持するなど、西アフリカでも数少ない民主制になったのですが・・・!?
その一方で北部のトゥアレグ族が武装蜂起して、2012年に分離独立を目論もうと北部を掌握、軍内部から武器不足の不満が出て同年に軍事クーデターに発展してトゥーレは失脚、イスラム系反政府勢力が暗躍してトンブクトゥの聖墓が破壊されるという惨事に発展、このせいで北部はイスラム系武装組織「アンサル・ディーン」の支配下に置かれ、翌2013年に旧宗主国フランスが軍事侵攻、政府軍とともにイスラム系反政府勢力掃討に及んだのは言うまでもない。
その後はと言うと政府は安定せず、汚職や腐敗が目立ち経済も当然停滞して、2022年にはロシアの民間軍事会社「ワグネル」に暫定政権が接近して武装組織とドンパチを展開しているわけだが、これを受けフランスは軍事的な関係を打ち切り、駐留しているフランス軍を撤退するということになったが、マリ国内において反フランス感情が高まりその一方で親ロシア感情が高まったことを裏付けます。
独立したものの社会主義独裁政権→軍事政権→民政移管→民政失敗で再び軍事政権。と途上国にありがちなケースとなったマリ、こういうケースはアフリカにおいても多々あるのではないだろうか。
国家として迷走状態になったマリ、そのマリといえば京都精華大学で学長を務めたウスビ・サコ氏、トッテナム・ホットスパー(イングランド)やセビージャ(スペイン)などで活躍した元サッカー選手、フレデリック・カヌーテなどのイメージが強いです。