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あさま山荘事件の「終わり」

今から50年前の今日1972年2月28日は、日本の現代史における大事件の一つ「あさま山荘事件」が終わった日だけど、日本中が固唾を飲んで見守ったこの事件は当時を知る世代に強い印象を与えているのは事実だが、この事件は連合赤軍なる新左翼勢力が起こしたもので、いわばサヨクによる凶悪事件と見ていいです。

1970年代に日本社会において暗躍した新左翼勢力、そんな中で共産主義者同盟赤軍派京浜安保共闘革命左派(日本共産党【革命左派】神奈川県委員会)の2組織が結託して出来た連合赤軍、連合赤軍は「総括」なるリンチ行為をするなど過激で常軌を逸脱した言動を繰り返すなど、相当ヤバイ集団でした。自分以外は敵とみなし、暴力に訴えることも厭わない共産主義的思想、やっぱ危険思想だ。この思想は山岳ベース事件やあさま山荘事件を起こす要因になったのは間違いない。

1972年2月19日、長野県軽井沢町にある浅間山荘に連合赤軍のメンバー5人が侵入し、管理人の妻を人質にとって立てこもり、警視庁機動隊や長野県警機動隊と激しい攻防を繰り広げたのだった。
この時期の軽井沢は当然寒く、極限状態において警察と犯人の攻防は予断を許さない状況だったことは間違いないけど、籠城する側にとって都合のいい地形だったこともそうだし、赤軍側が頻繁に発砲してくるのに対して警察は銃を全く使わなかったことも事件が長期化し犠牲者まで出る始末と言える。

膠着状態で迎えた2月28日、警視庁機動隊は防弾改造したクレーン車に釣った鉄球を使って山荘を攻撃すると(後年この事件が取り上げられる際このシーンがよく使われる)、そこから山荘に突撃するけど、こでもひと悶着あってなかなか作戦はうまく行かず、また赤軍側の反撃で負傷する機動隊員も増える始末。
だがそれでも機動隊は赤軍メンバーが立てこもる部屋に突入、立てこもっていた赤軍メンバーを全員逮捕・拘束、人質も無事に救出、ここにあさま山荘事件は終わりを告げたのだった。

事件後連合赤軍による総括行為が世間に大々的に報じられ、世間に多大な衝撃を与えたことで連合赤軍は崩壊(闘争していた他のメンバーも全員逮捕された)、またこの事件を起こしたメンバーは裁判にかけられ全員極刑となったけど(うち1人は死刑判決)、国外に逃げたあるメンバーは今も国際指名手配されており、そのメンバーが逮捕されるまでこの事件は終わらないと主張する声まで出ている始末。この事件がサヨクの凋落になってほしかったが・・・?

サヨクが起こした事件の中で最も社会的影響や衝撃が強かったあさま山荘事件、ハッキリ言ってサヨクほどロクでもない考えはないし、こんな過激で暴力的な思想を持つ組織は破壊活動防止法の調査対象にするか非合法化しその関係者を当局の監視対象にして厳しく取り締まらねばいけない。
日本中に衝撃をもたらしたあさま山荘事件、この事件は後世に伝えるべきものでもあります。そしてサヨクというかサヨク思想の愚かさを説くにもうってつけの題材でもある。いくら思想の自由ったって、こんな危険で過激な思想を認めてはいけない。

theme : サヨク・在日・プロ市民
genre : 政治・経済

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