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鶴竜がついに引退

休場続きで批判されてることも影響したんでしょうね。

引用

鶴竜が引退 35歳、5場所連続休場のまま…年寄「鶴竜」襲名し後進育成へ

 大相撲の第71代横綱で、技巧派として優勝6度を誇った鶴竜(35=本名マンガラジャラブ・アナンダ、モンゴル出身、陸奥部屋)が24日、現役を引退した。同日の日本相撲協会理事会で引退と年寄「鶴竜」の襲名が承認された。最高位は白鵬だけとなり、12年秋場所以来9年ぶりに一人横綱となる。白鵬、日馬富士らと一時代を築いたモンゴル4人目の横綱は、25日にオンラインで記者会見する予定。

 年6場所制となった1958年以降の横綱ではワーストの休場227日。ここ数年はケガに泣かされた鶴竜が引退を決断した。この日朝、横綱と話し合った師匠の陸奥親方(元大関・霧島)は「稽古はしていたが(春場所前に痛めた左脚の)ケガが治り切らなかった。思うように治らないでいた。気持ちは切れていなかったけど、体が駄目だった」と説明した。

 昨年7月場所の初日。遠藤戦で腰砕けで敗れ2日目から休場。その後2場所も全休し、昨年11月には横綱審議委員会から「引退勧告」に次ぐ重さの「注意」を決議されていた。今年初場所も全休し春場所前の9日の稽古では左太腿を痛め、11日に休場を発表した。それでも進退を懸ける5月の夏場所へ向け13日から上半身のトレーニングを再開。懸命に回復を目指したが、いまだに四股を踏めない状況で復帰に時間がかかると判断。「本人が辞めますと言ってきた。横綱審議委員会から言われたことも結構響いていると思います」と師匠は明かした。

 テレビ中継で大相撲の世界に憧れたが、モンゴルで行われた花籠部屋の選考会で落選。15歳だった01年4月23日に「もし、私を受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の気持ちに応えるべく、一生懸命頑張りたいと思います」と日本語で書かれた手紙を日本相撲協会、相撲雑誌社などに郵送。名古屋市にある相撲愛好会の紹介で井筒部屋に入門した。モンゴル相撲未経験で80キロの小柄な体。師匠は床山にさせる意向だったが、01年九州場所で初土俵を踏むと地道に力を付け出世した。

 もろ差しからの速攻など技巧派で活躍し、14年春場所後に横綱に昇進。6度の優勝を果たし、白鵬、日馬富士らと“モンゴル時代”を築いた。昨年12月には親方となる条件の日本国籍を取得。横綱は5年間、四股名のまま協会に残ることができるため、年寄名跡取得を目指しながら後進の指導に当たる。

 [ 2021年3月25日 05:30「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より
春場所の最中に引退を表明した横綱・鶴竜、昨年7月場所2日目からずっと休場続きで、そんな状態だから横綱審議委員会から注意勧告を受けたのは当然だけど、ケガに泣かされてその後も休場続きで今場所も全休を余儀なくされたわけで、もう相撲が出来なくなったと痛感して引退を選んだと思うね。
「本人が辞めますと言ってきた。横綱審議委員会から言われたことも結構響いていると思います」と師匠である陸奥親方はこうコメントしてるけど、師匠としては残念でしょう。

2014年夏場所から横綱となったけど、横綱在位中に優勝したのは5回(通算では6回)と物足りなさも感じるわけだが、相次ぐケガで休場続きの状況が続いたことから「横綱としての務めを果たしていないも同然」「まるで『スペランカー』」と私は評してます。

引退に伴い日本相撲協会から年寄「鶴竜」を襲名することが決まったけど、しこ名をそのまま年寄として引き継ぐのって一代年寄と変わらないです。一代年寄というのは相当な実績を残した大横綱レベルに与えられるものであって、鶴竜はそうじゃないと思う。

最近ではケガ続きでもう終わりだなと世間から言われながらも横綱の努めは果たしたいという意地だけはあったけど、「心」ではそうだったけど「体」はもう限界を迎えてたと思うと、もう相撲は出来ないと痛感したと思うね。
これ以上横綱の座に留まっても世間から叩かれる一方、だったらもうケジメを取る形で引退したほうがいい。と決断とした思えばそれでいいのだろうか。

theme : 大相撲
genre : スポーツ

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