テルミドールの反動
親北朝鮮・反日路線を突き進む韓国のムン・ジェイン、歪んだナショナリズムに基づく姿勢丸出しもいいところですが、世界史において時の指導者が歪んだナショナリズムに基づく姿勢を取ったせいで国民から嫌われて、最終的に権力から引きずり降ろされた出来事は数あれど、これもまたしかりな出来事といえます。
それは1794年にフランスで起こったテルミドールの反動というもので、アンシャン・レジームを打倒して共和制を打ち立てたはいいのだが、革命を主導した側が革命に基づく理想を掲げて独裁的な政策に走ったことからそれに反発する国民によって起こった事件として有名です。
そんなわけで今から226年前の今日1794年7月27日は、フランスでテルミドールの反動が起こった日です。
フランス革命によって王政が倒れ、共和制となったフランス、しかし革命を主導したジロンド派とジャコバン派とで対立、ジャコバン派を率いるマクシミリアン・ロベスピエールがジロンド派を追放して権力を握ると、ロベスピエールは革命の理想を守る為に自らに盾突く者を弾圧・処刑するという恐怖政治に走ったのでした。
その余波は留まらず、革命を主導した味方であるジョルジュ・ダントンを処刑するなど暴走したのだった。味方をも処刑するというケース、中国や朝鮮的な考えでまともじゃないが日本に置き換えれば革マル派や連合赤軍的なものだわ。味方ですら自らを脅かす敵と見て抹殺することも厭わないなんて思考。
反対するものは容赦なく処刑、自らの理想だけしか考えず国民を顧みないロベスピエールのその姿勢は国民からソッポを向かれるわけだが、1794年フランス革命暦2年テルミドール(現在では7月27日)9日、国民公会に臨んだロベスピエールに対して「暴君を倒せ」という野次が飛び、ロベスピエール派は国家の敵と見なされて逮捕、ロベスピエールは刑務所行きとなるわけだが、刑務所をすぐさま出て革命の理想を守るべく市民に蜂起を呼びかけたけど、恐怖政治に嫌気がさしていた国民はロベスピエールの主張を無視、国民衛兵によって再逮捕されるという顛末となり、翌日1794年7月28日、ロベスピエール及びジャコバン派勢力はギロチンで処刑されたのだった。ロベスピエールにすれば革命の敵と見なした国民を処刑する為のおもちゃにしてきたギロチンで自らも処刑されるというのは皮肉でしかないが、旧体制を倒して普通選挙や法の下の平等・人権養護など現代の民主主義につながる姿勢を打ち出し、国民から人気を集めたもののいつしか自らの理想しか見えなくなって暴走して、最終的に権力から引きずり降ろされて悲惨な最後を遂げたロベスピエール、自らの理想だけしか考えずに暴走したせいで周囲から嫌われて孤立というのは暴走政治によくあるケースだが、左派系勢力が権力を握ると抑圧されたくらい社会へと成り下がるのはいつの時代も変わらない。
ロベスピエールの処刑後ジャコバン派は弱体化するわけだが、ジャコバン派の理想は後にマルクス・レーニン主義など共産主義思想につながるわけで、ロベスピエールは後年の評価が功罪著しいものとなったのです(フランス国内では恐怖政治を行った独裁者というネガティブな印象が強い)。
革命の英雄も自らの権力と理想に溺れて、独裁的な体制へと走って市民を抑圧するなどやりたい放題して市民に嫌われて権力の座から引きずり降ろされて寂しい末路を辿る。後年のエーリッヒ・ホーネッカー(旧東ドイツ)、ニコラエ・チャウシェスク(ルーマニア)、ロバート・ムガベ(ジンバブエ)にも当てはまることだが、歪んだナショナリズムを掲げて周りを見ない姿勢はいつしか孤立するということを覚えておきたい。
それは1794年にフランスで起こったテルミドールの反動というもので、アンシャン・レジームを打倒して共和制を打ち立てたはいいのだが、革命を主導した側が革命に基づく理想を掲げて独裁的な政策に走ったことからそれに反発する国民によって起こった事件として有名です。
そんなわけで今から226年前の今日1794年7月27日は、フランスでテルミドールの反動が起こった日です。
フランス革命によって王政が倒れ、共和制となったフランス、しかし革命を主導したジロンド派とジャコバン派とで対立、ジャコバン派を率いるマクシミリアン・ロベスピエールがジロンド派を追放して権力を握ると、ロベスピエールは革命の理想を守る為に自らに盾突く者を弾圧・処刑するという恐怖政治に走ったのでした。
その余波は留まらず、革命を主導した味方であるジョルジュ・ダントンを処刑するなど暴走したのだった。味方をも処刑するというケース、中国や朝鮮的な考えでまともじゃないが日本に置き換えれば革マル派や連合赤軍的なものだわ。味方ですら自らを脅かす敵と見て抹殺することも厭わないなんて思考。
反対するものは容赦なく処刑、自らの理想だけしか考えず国民を顧みないロベスピエールのその姿勢は国民からソッポを向かれるわけだが、1794年フランス革命暦2年テルミドール(現在では7月27日)9日、国民公会に臨んだロベスピエールに対して「暴君を倒せ」という野次が飛び、ロベスピエール派は国家の敵と見なされて逮捕、ロベスピエールは刑務所行きとなるわけだが、刑務所をすぐさま出て革命の理想を守るべく市民に蜂起を呼びかけたけど、恐怖政治に嫌気がさしていた国民はロベスピエールの主張を無視、国民衛兵によって再逮捕されるという顛末となり、翌日1794年7月28日、ロベスピエール及びジャコバン派勢力はギロチンで処刑されたのだった。ロベスピエールにすれば革命の敵と見なした国民を処刑する為のおもちゃにしてきたギロチンで自らも処刑されるというのは皮肉でしかないが、旧体制を倒して普通選挙や法の下の平等・人権養護など現代の民主主義につながる姿勢を打ち出し、国民から人気を集めたもののいつしか自らの理想しか見えなくなって暴走して、最終的に権力から引きずり降ろされて悲惨な最後を遂げたロベスピエール、自らの理想だけしか考えずに暴走したせいで周囲から嫌われて孤立というのは暴走政治によくあるケースだが、左派系勢力が権力を握ると抑圧されたくらい社会へと成り下がるのはいつの時代も変わらない。
ロベスピエールの処刑後ジャコバン派は弱体化するわけだが、ジャコバン派の理想は後にマルクス・レーニン主義など共産主義思想につながるわけで、ロベスピエールは後年の評価が功罪著しいものとなったのです(フランス国内では恐怖政治を行った独裁者というネガティブな印象が強い)。
革命の英雄も自らの権力と理想に溺れて、独裁的な体制へと走って市民を抑圧するなどやりたい放題して市民に嫌われて権力の座から引きずり降ろされて寂しい末路を辿る。後年のエーリッヒ・ホーネッカー(旧東ドイツ)、ニコラエ・チャウシェスク(ルーマニア)、ロバート・ムガベ(ジンバブエ)にも当てはまることだが、歪んだナショナリズムを掲げて周りを見ない姿勢はいつしか孤立するということを覚えておきたい。