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あっさり総辞職した最初の非自民党政権

 戦後日本の政治において自民党以外が政権の座に就いたのはたったの3回だが、その最初が1993年8月に発足した細川護熙内閣、戦後初の非自民党政権ということで注目を集めたが、蓋を開ければ失敗続きであっさり終焉したことで有名です。
 そんなわけで今から26年前の今日1994年4月25日は、細川護熙内閣が総辞職した日です。

 1993年7月18日に実施された第40回衆議院議員選挙で、自民党は選挙前に党のゴタゴタがあり単独過半数を取れず、また社会等も議席数を伸ばせず、一方で新生党・新党さきがけ・日本新党といった新たな党が議席を伸ばし「新党ブーム」を起こしたことから、今後の政権をどうするかにおいて、新生党が公明党などと連立政権を組むと言えば、日本新党と新党さきがけは統一会派を作って自民とそれ以外の党と政治改革を実現する連立交渉を行い、日本新党の細川護熙を総理とすることで最終的に合意したが、なぜ細川氏に白羽の矢が立ったのか? それは旧熊本藩主家である細川家の出自であり、近衛文麿の孫ということもだし、また理念や政治手法でバラバラな党や会派をまとめるには政界再編と新党運動のリーダーとしての立場から適任となったのです。

 同年8月5日、細川内閣が誕生、1955年以来政権与党だった自民党が初めて野党に下り初めての非自民党政権が誕生し、国民はこのときは大きな期待を抱いたのだった。
 まず細川政権は中選挙区制を廃止して小選挙区制に、政党助成金制度を導入するなど政治改革に着手したものの(政治改革四法)、国民福祉税構想の失敗、この年日本が例年にない凶作もあり米不足になったことから輸入合意決定もあり一部勢力から反旗を翻されたり、北朝鮮有事を巡って親北朝鮮の社会党の存在がアメリカから疑問の目を向けられるなど政治の迷走もあり、国民は細川内閣にそっぽを向くことになる。
 
 追い打ちをかけることとなった佐川急便グループからの借入金問題発覚、この問題で自民党から追及されマスコミからも追及されると1994年4月8日に細川は辞意を表明、4月25日に内閣総辞職という内閣発足から1年足らずであっけなく細川内閣は崩壊したのだった。
 初めての非自民党政権ということで国民から期待されたものの政権を上手くまとめることが出来ず迷走して、支持率が低下して最終的にあっけなく内閣総辞職となった細川内閣、やはり新党ブームで持ち上げられた一方で政権運営能力があるか疑問視されたかどうかは不明だが、小沢一郎曰く「素人」と評されたように、国政政党として機能していない未熟さも露呈したと思うね。万年野党だった社会党からして国政政党としてのけじめすらなかったから、新たな党には荷が重すぎたとも思う。

 後年の民主党政権にも当てはまるしくじりだが、期待した分外れが大きかったと思います。民主党については万年野党だったせいもあり政権運営能力が皆無だったことや、党内の派閥をまとめきれない組織力のなさも影響しているが。

theme : ヘタレの売国奴支配の日本
genre : 政治・経済

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