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「ムガベ時代のほうがマシだった」?

 独裁者と呼ばれた前任者が去って良くなるかと思いきや、そんなのはまやかしでしかなかったんでしょうか?
 こういう事実はアフリカ諸国において❝ありがち❞になりそうなんだが。

引用

「ムガベ独裁の方がましだった」経済が破綻するジンバブエ

 アフリカ南部ジンバブエで37年にわたり実権を握り続けたムガベ元大統領が失脚して2年あまり。長期独裁政権が崩壊した直後の期待は消え、南米ベネズエラに次いで深刻なハイパーインフレに見舞われている。「ムガベ時代の方がましだった……」。日々の食事もままならない国民からはそんな声が漏れる。【ヨハネスブルク特派員・小泉大士】

 ◇消え去った独裁政権崩壊の喜び

 1月下旬、ジンバブエの首都ハラレ。ガソリンスタンドの周辺をぐるりと取り囲むように、数百台の車が長い行列を作っていた。

 午前3時から並んでいるというタクシー運転手、パトリック・ジャカツさん(38)は「7時間以上待っても順番が回ってこない。給油するには車中泊しないといけない」と話した。

 割り込んできた車ともめていたシェパード・クボルノさん(32)は「(日々の生活は)タフどころか、ベリー、ベリータフだ」。仕事を休んで車列に加わった会社員ペトロネラ・グワイさん(43)も「いつまでこんな状況が続くのか」とうんざりした様子。燃料不足は慢性化し、列は延びる一方だ。

 ハラレ郊外のチトゥングウィザに車を走らせると、人々が地下水をくみあげる井戸の前にいくつものバケツを並べていた。住民のスチュワート・シヌライさん(42)は「ずっと前から蛇口をひねっても水が出ない」。NGOが掘った井戸は、電動と手押しポンプの2種類があったが、電動式は停電が頻発するのでほとんど使い物にならない。

 アグネス・アイザックさん(61)は「1日18時間も停電するなんて。この国はどうかしている」と話す。日中はずっと停電。ろうそくの明かりで夕食を取るのが当たり前になった。午後10時ごろになってようやく電気が付くが、翌朝起きるとすでに消えている。

 2017年11月に軍のクーデターでムガベ政権が崩壊したとき、歓喜した人々は街に飛び出し、新生ジンバブエの誕生を祝った。だが、庶民の暮らしは良くなるどころか、ひどくなる一方だ。食事の回数を減らし、学費を払えず子供を学校に通わせることもできない家庭が増えている。

 アイザックさんは「私たちは利用された。彼らは望み通りに政権を奪取したら、国民のことなど忘れてしまった」と憤った。

 ◇医療崩壊、銃で撃たれても手術を受けられず

 医療制度も機能していない。「この国では病気になっても治療を受けられず、見殺しにされるだけ」。ハラレにある同国最大規模の医療機関パリレニャトワ病院の駐車場で、イノス・マテマイさん(54)が疲れ切った表情で語った。

 医師は賃金の引き上げを求めて昨年9月からストライキを続けていた。腎不全の夫(58)が通院しても専門医は不在。人工透析の機器も壊れて動かなかった。深夜に容体が急変。病院に駆け込んだが、「待合室でストレッチャーに寝かされたまま息絶えた」という。

 ルシア・ヌゴニャマさん(49)も途方に暮れていた。次男(25)は昨年のクリスマスに発砲事件に巻き込まれ、1発が腰に命中した。だが病院には医師がおらず、1カ月たっても銃弾は体に残ったままだ。応急処置で命は助かったが、その後は点滴を受けるだけしかできず、痛み止めの薬すらもらえなかった。看護師から私立病院へ行くよう勧められたが、「手術に5000米ドル以上かかり、とても払えない」。

 公的医療機関では薬だけでなく、包帯、注射器、手袋なども不足している。ある看護師(39)は地域の診療所を訪れた高齢の患者に「ここには薬がない。薬局で買って服用するように」と薬のリストを渡した。しかし患者にその余裕はなく、「自宅に帰って死ぬ準備をするよと言われた」とショックを受けていた。

 ◇ハイパーインフレでパン代は20倍に

 ムガベ氏が辞任したとき、この国はユーフォリア(根拠のない幸福感)に包まれた。今は見る影もない。

 後継となったムナンガグワ大統領は当初、政治的自由を拡大する姿勢を見せた。だが、18年7月の大統領選挙で不正が疑われると、治安部隊はデモ隊に実弾を発砲し、少なくとも6人が死亡。昨年1月の燃料費高騰に対する抗議行動が発生したときも野党支持者を大量逮捕し、見せしめの誘拐やレイプが相次いだとされる。

 新政権の成果として喧伝していた海外からの大型投資も実態は伴わず、すぐに化けの皮がはがれた。極端な現金不足は一向に解消されず、ムガベ政権末期に米ドルと等価名目で発行した代用紙幣の交換比率はなし崩し的に下落した。

 19年6月に、過去のハイパーインフレで廃止した自国通貨ジンバブエドルを復活させたが価値は下がる一方で、輸入に頼る生活必需品の価格は高騰。世界食糧計画(WFP)によれば、パン代は半年前の20倍に値上がりした。政府が発表を中止したので正確な数字は不明だが、19年12月の物価上昇率は前年比で550%に達したと推計される。

 自国通貨で支払われるようになった月給も、米ドルと1対1で交換できるという建前が崩れて大幅に目減りした。ストを起こした医師らは「1年前まで約1400ドルだった月給が、今は(米ドルに換算すると)80ドルだ」と訴えた。影響は保健や医療、教育などの公共サービスにも及び、市民の生活は立ちゆかなくなっている。

 ◇「肉は体に悪い、イモを食べろ」に反発

 経済破綻に追い打ちをかけたのが、過去40年で最悪と言われる干ばつによる農作物の不作だ。WFPは4月からの収穫期を前に、人口の半数近くを占める770万人が食料不足に直面すると警鐘を鳴らす。

 ジンバブエ人の主食はメイズと言われる白いトウモロコシ。これを粉にしてゆでて食べる。19年のメイズの収穫量は前年の半分程度だった。今年も天候不順が続いており、回復は期待できないという。

 ハラレから約130キロ離れた西マショナランド州のデンヤ村で、アーサー・チドウィさん(83)に出会った。地方にはチドウィさんのように、メイズや落花生、カボチャ、サツマイモなどを育て、自給自足の生活をしている人が多い。

 自宅裏の畑を案内してもらうと、膝下くらいまで伸びたメイズがまばらに植わっていた。「平年ならこの高さまで育っている」。そう言って、胸の辺りに手を当てた。雨期に入ってもほとんど雨が降らず苗が枯れてしまったため、種まきからやり直したという。

 「昨年も不作だったので、蓄えはない。いまは1日1回の食事がやっと」。NGOの食料援助でしのいできたが、今月はまだ届かないと不安そうだっだ。

 バイダ・コケダさん(56)も、肉は高くて買えず、自然に実るフルーツで食いつないでいる。「ED(ムナンガグワ大統領の愛称)は『肉は体に悪い。肉が買えないなら、代わりにイモを食べろ』なんて平気で言う」と不満を口にした。

 そしてこうつぶやいた。「これならムガベ時代の方が良かった」

 午後7時過ぎ。ハラレの中心部に戻ると、暗闇に立つ人影が目に付いた。経済危機で売春をする女性が増えているのだという。

 ポシャさん(25)は離婚した夫との間に生まれた10歳の長男がいるほか、義理の妹弟4人の面倒も見ている。「多くの女性が家族に『レストランで働いている』とうそをついている。私もそう」。1日の稼ぎは10~15米ドル程度。失業者があふれるこの国で仕事に就くのは容易でなく、ほかに家族を養う当てがない。

 3歳の娘がいるシングルマザーのスレンダさん(20)も生活に行き詰まり、1週間ほど前から路上に立つ。「中には子供が生まれたばかりという人もいる。ミルク代やおむつ代を稼ぐためには仕方がない」

 ◇思い込みだった「独裁者さえいなくなれば」

 日本では08年に2億%を超えたハイパーインフレの印象が強いジンバブエだが、ずっと貧困にあえいでいたわけではない。1990年代前半まではインフラ水準が高く、「アフリカの穀物庫」と呼ばれるほどの農業生産を誇った。

 それが白人農地の強制収用をはじめとした数々の失政によって、経済は崩壊へと突き進んだ。不満を抑え込むため、政府は野党やメディアを弾圧。一時は100兆ジンバブエドルという超高額紙幣が発行され、諸外国から笑いものにされても国民は耐え続けた。

 迷走は80年の独立から37年間にわたって君臨した「独裁者」の退場とともに終わり、ジンバブエは明るい未来へ歩み始める――。少なからぬ人々がそう期待し、クーデターを起こした軍を支持した。

 ジンバブエ大のエルドレッド・マスヌングレ教授は「当時、国民は高齢のため正常な判断ができなくなったムガベ氏が問題の元凶と受け止め、ムガベ氏さえ追い出せば苦しみから解放されると思っていた。それは現実とかけ離れた思い込みだった」と振り返る。

 その実態は体制転換ではなく、権力争いが引き起こした指導者の交代に過ぎなかった。「ムガベ氏が去っても、ムガベイズム(ムガベ氏が築いた統治体制)は引き継がれた」。現職のムナンガグワ大統領は元々、ムガベ氏の「右腕」と言われた人物。組織的な腐敗や強権支配は残った。

 マスヌングレ氏は、庶民の生活苦は我慢の限界に近づいていると指摘。「乾いたまきにガソリンがまかれた状態に等しい。マッチを擦ればたちまち燃え広がる」。この国の先行きにきわめて悲観的な見方を示し、何度もため息をついた。

 ◇英雄墓地への埋葬を拒んだ元独裁者

 ムガベ元大統領は失脚から約2年後の19年9月、シンガポールの病院でひっそりと息を引き取った。反植民地闘争の英雄でありながら、あまりにも長く権力を握り続けて晩節を汚したムガベ氏だが、軍のクーデターは引退表明の直前に起きたという。

 ムガベ氏のおい、アルバート・ムガベ氏は「実際はクーデターが起きる前から辞める気でいた」と明かす。ムガベ氏は17年12月の与党大会で辞意を表明し、セケラマイ前国防相を後継に指名するつもりだった。同年5月に国連の防災会議に出席するためメキシコ・カンクンを訪れた際、同行した閣僚にこの計画を伝えていた。

 当時、後継者の有力候補とされていたのは、ムガベ氏の妻グレース氏と、副大統領だったムナンガグワ氏。与党内は双方を支持するグループが激しく対立し、分裂状態にあった。

 別のおいのリオ氏によれば、「ムガベ氏はグレース氏を後継者にするつもりはなかった」。グレース氏への禅譲では、ムナンガグワ氏を推す軍が納得しないことは理解しており、ムガベ氏と共に独立闘争を戦った経歴を持つセケラマイ氏が浮上した。

 だが、この計画は軍に察知されて巻き返しに遭い、最終的に17年11月のクーデターへとつながった。「クーデターは後継指名を阻止するための先制攻撃だった」(アルバート氏)

 一方、リオ氏は「こんなことになったのはグレース氏のせいだ」と言い切った。夫の威光を背景にわが物顔で振る舞い、権力欲をむき出しにしていたグレース氏。浪費癖で知られ、国民からも反発を買っていた。彼女が大統領になることは阻止しなければならない――。軍にクーデターを正当化する口実を与えてしまったという。

 失脚時に93歳だったムガベ氏。リオ氏らによれば、間もなく満足に食事を取れなくなり、急激に衰えていった。「なぜ生き続けなければいけないのか」などと漏らすこともあった。

 そんなムガベ氏に対し、家族は穏やかに余生を過ごせるよう気遣い、自身の思想や哲学をまとめるよう勧めた。しかるべき時に公表される予定だという。

 ムガベ氏はシンガポールへ向かう際、「私が死んでも、エマーソン(ムナンガグワ大統領)には葬儀を任せるな」と言い残した。長年の側近に裏切られた揚げ句、自らの死まで政治的に利用されることをかたくなに拒んだという。

 政府は遺体を独立闘争に参加した元兵士らが眠る英雄墓地に埋葬することを計画したが、グレース氏らが反対。ムガベ氏の意向をくんで、故郷のクタマ村に埋葬された。

 最終更新:2/22(土) 15:00 「毎日新聞」より
 37年もジンバブエのトップとして君臨してきたロバート・ムガベ前大統領が失脚して2年が経ったものの、後任のエマーソン・ムナンガグワ大統領による強権的な政権運営により、ムガベ時代で破綻した経済は相変わらずな上に、物不足とかつてのハイパーインフレに悩まされる現状ですが、ハッキリ言ってムガベ時代に逆戻り、いやさそれよりヒドい社会になってしまったようです。

 ムナンガグワ大統領は政権に就いた時政治の自由や民主化を訴えたものの、実際には権力に居座って自身に批判的な国民を容赦なく弾圧するなどムガベ時代と全く変わらない姿勢を見せたんだから、独裁政権が延長されたとしか思えない。日常生活では不自由ばかり、民主化を期待したのに独裁体制のまんま、経済は余計悪化する一方、これでは国民の不満ばかり募ってもうこんな国は嫌だと国外に移民する人が出てもおかしくない気がするのだが・・・!?

 権力の塊だったムガベを追い出してありがとうと軍に当初は感謝したものの、軍はその後一転して市民を治安維持よろしく抑圧するようになり「裏切られた」と憤る国民もいるように、独裁者が去ってもまた新たな独裁者が出てきて結局良くならなかったという顛末、結局3年前のクーデターってジンバブエに何をもたらしたのか? 今となっては正当性が問われると思うね。ムナンガグワの強肩政治のせいで経済援助を考えた欧米諸国からは「(ムナンガグワは)ムガベと同類だから信用するに値しないことが分かった」とまたソッポを向かれたんだから、ジンバブエ国内外から結局何も変わらないという印象だけが残ってんだよね。

theme : 国際政治
genre : 政治・経済

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