「戦後政治の総決算」中曽根元総理逝く
昭和末期の総理大臣としておそらく後世にその名を残す代表格でしょう。
1982年から5年間第71代総理大臣として国内では国鉄・電電公社・専売公社の民営化、国外ではアメリカとの関係強化に努め、当時アメリカの大統領だったロナルド・レーガンとは「ロン・ヤス」と呼び合うまで親密な関係を築いたことで有名です。
強い理念と信念を持って政治に取り組んだからこそ、5年に渡る長期政権となったのは当然だし、総理退陣後も国会において存在感を示したのはおそらく中曽根氏を超える人はいないでしょう。
戦後政治の総決算と銘打って戦後の日本政治を大改革した中曽根氏、昭和末期に強い存在感を示した総理が令和となったこの頃に亡くなったってのも一時代の終わりを告げるようなものです。多くの名言も残したことも有名だが(「死んだふり解散」「政治的テロ」など)。
おそらく国葬になっておかしくないと思います。また一つ昭和の象徴がなくなりました。
昭和末期の日本において強いリーダーシップを発揮して国内外に高い影響力をもたらした中曽根康弘元総理が亡くなったと言うけど、101歳といいますから大往生と呼んでいいものです。引用
中曽根康弘元首相が死去、101歳…「戦後政治の総決算」
「戦後政治の総決算」を掲げ、強い指導力を発揮して内政、外交ともに今に続く大きな足跡を残した中曽根康弘(なかそね・やすひろ)氏が死去した。101歳だった。1982年から5年間の首相在任中、国鉄の分割・民営化をはじめとする行財政改革や、首脳同士の信頼関係を基にした日米関係の緊密化を成し遂げ、「中曽根政治」の一時代を築いた。
中曽根氏は1918年5月、群馬県高崎市生まれ。東大法学部を卒業後、41年に旧内務省に入省。47年4月の衆院選で旧群馬3区から立候補し、28歳の若さで初当選した。その後、連続20回の当選を重ねた。
59年の第2次岸改造内閣で科学技術庁長官に初入閣して以来、運輸相、防衛長官、通商産業相、行政管理庁長官などを歴任。三木内閣では自民党幹事長も務めた。82年11月、鈴木首相(当時)の退陣表明を受けた党総裁予備選で圧勝し、第71代首相に就任した。
党総裁の任期切れに伴い、87年11月に退陣するまで在任日数は1806日に及び、安倍、佐藤、吉田、小泉の各内閣に次いで戦後5番目の長期政権を築いた。97年には大勲位菊花大綬章を生前受章した。
自民党の中曽根弘文参院議員は長男。
最終更新:11/29(金) 13:52 「読売新聞」より
1982年から5年間第71代総理大臣として国内では国鉄・電電公社・専売公社の民営化、国外ではアメリカとの関係強化に努め、当時アメリカの大統領だったロナルド・レーガンとは「ロン・ヤス」と呼び合うまで親密な関係を築いたことで有名です。
強い理念と信念を持って政治に取り組んだからこそ、5年に渡る長期政権となったのは当然だし、総理退陣後も国会において存在感を示したのはおそらく中曽根氏を超える人はいないでしょう。
戦後政治の総決算と銘打って戦後の日本政治を大改革した中曽根氏、昭和末期に強い存在感を示した総理が令和となったこの頃に亡くなったってのも一時代の終わりを告げるようなものです。多くの名言も残したことも有名だが(「死んだふり解散」「政治的テロ」など)。
おそらく国葬になっておかしくないと思います。また一つ昭和の象徴がなくなりました。