平成最初のドラフト
令和最初のドラフトは結構盛り上がったけど、平成最初のドラフトも結構盛り上がったことは有名です。何しろこの年のドラフトはその後好成績を残した選手が結構指名されたことで「大豊作」とも呼ばれています。令和最初のドラフトもまた後年そうなるよう願いたいところです。
そんなわけで今から30年前の今日1989年11月26日は、1989年度プロ野球ドラフト会議が行われた日です。
今から30年前の今日1989年11月26日に行われた1989年度プロ野球ドラフト会議、平成最初ということで会場がこれまで行われていたホテルグランドパレスではなく、赤坂プリンスホテルで午後4時から開始となり、この年からTVモニターが導入されて各球団指名された選手がそのモニターに表示されるという画期的なものでもありました。
この年のドラフトの目玉は新日鉄堺のエースでアマチュアナンバーワン投手であった野茂英雄や上宮高校のスラッガー・元木大介などに注目が集まり、どこが指名するのかにも注目が集まりました。
野茂を指名したのは8球団(ロッテ・大洋・日本ハム・阪神・ダイエー・ヤクルト・オリックス・近鉄)、これは1979年の岡田彰布、1985年の清原和博のもつ6球団からの指名を上回るものでしたが、抽選の結果近鉄が引き当てたのです。
一方もう一人の注目の的、元木はドラフト前から「巨人以外だったら嫌だ」と巨人入りを熱望したものの、その巨人が指名したのは慶応大学の4番打者で6大学きってのスラッガー・大森剛で(大森も巨人入りを熱望していた)、巨人に袖にされたのか、元木は会見の場で涙を見せたけど直後にダイエーが野茂の外れ1位で元木を指名して会場をアッと言わせました(翌年にダイエーの監督に就任することとなった田淵幸一が、自身巨人入りを熱望しながらそれが叶わず阪神に指名された経緯を持ち出して果敢に指名したと言われているが、元木の意思は変わらずダイエーからの指名を拒否してハワイで浪人生活、翌年のドラフトで巨人に1位指名された)。
さて、野茂や元木に注目が集まったけど、他にも1位指名されたのは潮崎哲也(西武)、佐々岡真司(広島)、佐々木主浩(大洋)、小宮山悟(ロッテ)、2位以下においても古田敦也(ヤクルト2位)、岩本勉(日本ハム2位)、井上一樹(中日2位)、石井浩郎(近鉄3位)、大塚光二(西武3位)、橋本武広(ダイエー3位)、前田智徳(広島4位)、新庄剛志(阪神5位)。など後年好成績を残した選手を輩出したことで、平成最初のドラフトは大豊作だったといえます。
大豊作だった反面、こんな残念な話題もあった。
それはヤクルトに3位指名された立教大学の黒須陽一郎がドラフト直前に「野球を捨てきれない」と当時ヤクルトの編成部調査役(スカウト)だった片岡宏雄氏に頼み込み、来年からチームを率いることとなった野村克也を説得してまで指名したものの、黒須が一転して指名を拒否するというどんでん返し、これに片岡氏は「キャプテンがこんな人物じゃと立教大学野球部と縁を切ってOB会も辞めた」と抗議の意を示した。野球を取るか社会人を取るか態度が二転三転するような人物は指名しないほうがいいという教訓と言える。
さてこの年をドラフトを評価すると(私なりの偏見だが)。
成功、広島・近鉄。
普通、中日・ヤクルト・阪神・西武。
微妙、大洋・日本ハム・ロッテ。
失敗、巨人・オリックス・ダイエー。
でしょうか?
そんなわけで今から30年前の今日1989年11月26日は、1989年度プロ野球ドラフト会議が行われた日です。
今から30年前の今日1989年11月26日に行われた1989年度プロ野球ドラフト会議、平成最初ということで会場がこれまで行われていたホテルグランドパレスではなく、赤坂プリンスホテルで午後4時から開始となり、この年からTVモニターが導入されて各球団指名された選手がそのモニターに表示されるという画期的なものでもありました。
この年のドラフトの目玉は新日鉄堺のエースでアマチュアナンバーワン投手であった野茂英雄や上宮高校のスラッガー・元木大介などに注目が集まり、どこが指名するのかにも注目が集まりました。
野茂を指名したのは8球団(ロッテ・大洋・日本ハム・阪神・ダイエー・ヤクルト・オリックス・近鉄)、これは1979年の岡田彰布、1985年の清原和博のもつ6球団からの指名を上回るものでしたが、抽選の結果近鉄が引き当てたのです。
一方もう一人の注目の的、元木はドラフト前から「巨人以外だったら嫌だ」と巨人入りを熱望したものの、その巨人が指名したのは慶応大学の4番打者で6大学きってのスラッガー・大森剛で(大森も巨人入りを熱望していた)、巨人に袖にされたのか、元木は会見の場で涙を見せたけど直後にダイエーが野茂の外れ1位で元木を指名して会場をアッと言わせました(翌年にダイエーの監督に就任することとなった田淵幸一が、自身巨人入りを熱望しながらそれが叶わず阪神に指名された経緯を持ち出して果敢に指名したと言われているが、元木の意思は変わらずダイエーからの指名を拒否してハワイで浪人生活、翌年のドラフトで巨人に1位指名された)。
さて、野茂や元木に注目が集まったけど、他にも1位指名されたのは潮崎哲也(西武)、佐々岡真司(広島)、佐々木主浩(大洋)、小宮山悟(ロッテ)、2位以下においても古田敦也(ヤクルト2位)、岩本勉(日本ハム2位)、井上一樹(中日2位)、石井浩郎(近鉄3位)、大塚光二(西武3位)、橋本武広(ダイエー3位)、前田智徳(広島4位)、新庄剛志(阪神5位)。など後年好成績を残した選手を輩出したことで、平成最初のドラフトは大豊作だったといえます。
大豊作だった反面、こんな残念な話題もあった。
それはヤクルトに3位指名された立教大学の黒須陽一郎がドラフト直前に「野球を捨てきれない」と当時ヤクルトの編成部調査役(スカウト)だった片岡宏雄氏に頼み込み、来年からチームを率いることとなった野村克也を説得してまで指名したものの、黒須が一転して指名を拒否するというどんでん返し、これに片岡氏は「キャプテンがこんな人物じゃと立教大学野球部と縁を切ってOB会も辞めた」と抗議の意を示した。野球を取るか社会人を取るか態度が二転三転するような人物は指名しないほうがいいという教訓と言える。
さてこの年をドラフトを評価すると(私なりの偏見だが)。
成功、広島・近鉄。
普通、中日・ヤクルト・阪神・西武。
微妙、大洋・日本ハム・ロッテ。
失敗、巨人・オリックス・ダイエー。
でしょうか?