円城寺 あれがボールか 秋の空
この出来事は日本シリーズの歴史において流れを変えたシーンであり、また昭和の日本シリーズにおける重大事件としてもつとに有名です。
それが起こったのは今から58年前の1961年に行われた日本シリーズ、巨人対南海ホークスの組み合わせとなったこの対決は、当時を知る世代にとって記憶に残るものと言えます。勝利を確信したウイニングショットだったのに球審が下した判定は残酷なものでした。
そんなわけで今から58年前の今日1961年10月29日は、巨人対南海の日本シリーズ第4戦が行われた日です。
1961年、巨人と南海の対戦となったこの年の日本シリーズ、南海はこの年エースとして活躍した外国人投手ジョー・スタンカや4番バッターとして頭角を現してきた野村克也を中心に他球団を圧倒して優勝、2年前と同じく巨人と日本シリーズで相まみえることとなったが、この年の日本シリーズで存在感を示したのはスタンカでした。
第1戦はスタンカが巨人打線を封じて完封勝ちを収めたが、第2、3戦は巨人が反撃して2連勝と巨人優位で迎えた第4戦、1961年10月29日に巨人の本拠地・後楽園球場で行われたこの試合は2回表に南海が杉山公平のホームランで先制すると、3回裏に先発の森中千香良が巨人打線の反撃にあい逆転されるという展開で試合はトントン進んで9回表に入るわけだが、その9回表に広瀬叔功が2ランホームランで逆転、南海にとって土壇場で逆転したことで勝利を確信したのだったが・・・!!
迎えた9回裏、南海は皆川睦雄から祓川正敏に交代したが、その祓川は先頭バッターにフォアボールを与えたことで鶴岡一人監督は祓川を諦めてスタンカを投入したのでした!!
第1戦で完封勝利を挙げているスタンカをリリーフとして投入したことで、南海にすれば勝ちを確信したはずだったのだが・・・!?
スタンカは迎えたバッターを2者連続で仕留めて2アウト、しかし続くバッター(藤尾茂)をファーストフライに打ち取ったものの・・・!? 何とファースト・寺田陽介がまさかの落球! これが影響したのか続くバッター・長嶋茂雄に三塁内野安打を許して2アウト満塁、一気に逆転負けのピンチを招くのでした・・・。考えてみれば、寺田が藤尾の凡フライを落球したことが最悪のシナリオの発端だったと思う・・・。
そして迎えたバッターは宮本敏雄、スタンカは宮本を2-1と追い込んで、4球目、野村はスタンカに対して外角低めのフォークを要求し、この球で決めるとスタンカが自身を持って投じた投球は計算通り外角低めへと決まり、宮本のバットは動かず、誰しもが見逃し三振ゲームセットと思い、野村はゲームセットを確信して飛び上がったその時だった!!
「ボール!」
球審・円城寺満が下した判定は無情にもボールの判定、南海にとっては残酷な、巨人にとっては命拾いしたかのような状況となったけど、当然南海ナインは納得が行かず、野村は「どこがボールなんや!」と怒り心頭、ベンチから選手全員が飛び出して円城寺を囲い込んで抗議、そしてスタンカは鬼の形相で円城寺に詰め寄って抗議するのだが、判定は変わらず・・・。今だったらリクエストの対象になってたんだろうか・・・?
南海の勝ちが確信したはずなのにまさかのボール判定、ただこれでスタンカは冷静さを欠いてしまったのか、その宮本にライト前タイムリーヒットを浴びて逆転サヨナラ負け、南海にとって後味の悪すぎる試合となった。
この時スタンカが取った行動は、野村のカバーに入ると見せかけて円城寺に体当りするという報復行為に及び、吹っ飛んだ円城寺は秋空を見上げたままセーフの判定を下すという一幕もあった。
試合後スタンカは「あの審判(円城寺)は目が悪いのか!? それとも巨人の味方か!?」と怒り心頭だったけど、鶴岡監督や野村などは「絶対ストライクや、あの審判おかしいんと違うか」って批判したかどうかは定かではないけど、この一球がこのシリーズの流れを大きく変えてしまうきっかけとなったのは言うまでもなかった・・・。
続く5戦目に先発したスタンカは腹の虫がおさまらないのか、宮本に頭部スレスレのビーンボールを投げると言う行為に及び、警察が導入されるくらいのピリピリムードとなってしまい、ただならぬ雰囲気となったけどスタンカはこの試合で完投勝利して望みをつなぐも、第6戦で延長戦までもつれ込む接戦となるも力尽きて南海は敗れたわけだが、この一球がもたらした影響、シリーズの流れを大いに変えることとなったけど、このシリーズで5試合投げて2勝を挙げたスタンカは敢闘賞に選ばれたのだった。
ただこの試合を見ていたある商社マンが「円城寺 あれかボールか 秋の空」としたためた一句を残し、後年引退してアメリカに帰国したスタンカに送ったけど、それが書かれた色紙は実業家に転身したスタンカのオフィスに大事に飾られている。そのスタンカは昨年10月に亡くなったが、阪神に在籍したジーン・バッキーと並んでオールドファンにとって記憶に残る名外国人投手としてその名を残しています。
南海にとって最悪といえるこのシリーズ第4戦、誤審とも呼ぶべきエピソードとして有名だけど、この舞台が後楽園ではなく南海の本拠地・大阪球場だったら相当な暴動に発展しておかしくないレベルかも知れません。
そして日本シリーズの歴史において一つのジャッジがこれほどまでに波紋を呼ぶこととなるのはこのシリーズの8年後にも繰り返されます。これも巨人が絡んでいるんだよなァ・・・!?
それが起こったのは今から58年前の1961年に行われた日本シリーズ、巨人対南海ホークスの組み合わせとなったこの対決は、当時を知る世代にとって記憶に残るものと言えます。勝利を確信したウイニングショットだったのに球審が下した判定は残酷なものでした。
そんなわけで今から58年前の今日1961年10月29日は、巨人対南海の日本シリーズ第4戦が行われた日です。
1961年、巨人と南海の対戦となったこの年の日本シリーズ、南海はこの年エースとして活躍した外国人投手ジョー・スタンカや4番バッターとして頭角を現してきた野村克也を中心に他球団を圧倒して優勝、2年前と同じく巨人と日本シリーズで相まみえることとなったが、この年の日本シリーズで存在感を示したのはスタンカでした。
第1戦はスタンカが巨人打線を封じて完封勝ちを収めたが、第2、3戦は巨人が反撃して2連勝と巨人優位で迎えた第4戦、1961年10月29日に巨人の本拠地・後楽園球場で行われたこの試合は2回表に南海が杉山公平のホームランで先制すると、3回裏に先発の森中千香良が巨人打線の反撃にあい逆転されるという展開で試合はトントン進んで9回表に入るわけだが、その9回表に広瀬叔功が2ランホームランで逆転、南海にとって土壇場で逆転したことで勝利を確信したのだったが・・・!!
迎えた9回裏、南海は皆川睦雄から祓川正敏に交代したが、その祓川は先頭バッターにフォアボールを与えたことで鶴岡一人監督は祓川を諦めてスタンカを投入したのでした!!
第1戦で完封勝利を挙げているスタンカをリリーフとして投入したことで、南海にすれば勝ちを確信したはずだったのだが・・・!?
スタンカは迎えたバッターを2者連続で仕留めて2アウト、しかし続くバッター(藤尾茂)をファーストフライに打ち取ったものの・・・!? 何とファースト・寺田陽介がまさかの落球! これが影響したのか続くバッター・長嶋茂雄に三塁内野安打を許して2アウト満塁、一気に逆転負けのピンチを招くのでした・・・。考えてみれば、寺田が藤尾の凡フライを落球したことが最悪のシナリオの発端だったと思う・・・。
そして迎えたバッターは宮本敏雄、スタンカは宮本を2-1と追い込んで、4球目、野村はスタンカに対して外角低めのフォークを要求し、この球で決めるとスタンカが自身を持って投じた投球は計算通り外角低めへと決まり、宮本のバットは動かず、誰しもが見逃し三振ゲームセットと思い、野村はゲームセットを確信して飛び上がったその時だった!!
「ボール!」
球審・円城寺満が下した判定は無情にもボールの判定、南海にとっては残酷な、巨人にとっては命拾いしたかのような状況となったけど、当然南海ナインは納得が行かず、野村は「どこがボールなんや!」と怒り心頭、ベンチから選手全員が飛び出して円城寺を囲い込んで抗議、そしてスタンカは鬼の形相で円城寺に詰め寄って抗議するのだが、判定は変わらず・・・。今だったらリクエストの対象になってたんだろうか・・・?
南海の勝ちが確信したはずなのにまさかのボール判定、ただこれでスタンカは冷静さを欠いてしまったのか、その宮本にライト前タイムリーヒットを浴びて逆転サヨナラ負け、南海にとって後味の悪すぎる試合となった。
この時スタンカが取った行動は、野村のカバーに入ると見せかけて円城寺に体当りするという報復行為に及び、吹っ飛んだ円城寺は秋空を見上げたままセーフの判定を下すという一幕もあった。
試合後スタンカは「あの審判(円城寺)は目が悪いのか!? それとも巨人の味方か!?」と怒り心頭だったけど、鶴岡監督や野村などは「絶対ストライクや、あの審判おかしいんと違うか」って批判したかどうかは定かではないけど、この一球がこのシリーズの流れを大きく変えてしまうきっかけとなったのは言うまでもなかった・・・。
続く5戦目に先発したスタンカは腹の虫がおさまらないのか、宮本に頭部スレスレのビーンボールを投げると言う行為に及び、警察が導入されるくらいのピリピリムードとなってしまい、ただならぬ雰囲気となったけどスタンカはこの試合で完投勝利して望みをつなぐも、第6戦で延長戦までもつれ込む接戦となるも力尽きて南海は敗れたわけだが、この一球がもたらした影響、シリーズの流れを大いに変えることとなったけど、このシリーズで5試合投げて2勝を挙げたスタンカは敢闘賞に選ばれたのだった。
ただこの試合を見ていたある商社マンが「円城寺 あれかボールか 秋の空」としたためた一句を残し、後年引退してアメリカに帰国したスタンカに送ったけど、それが書かれた色紙は実業家に転身したスタンカのオフィスに大事に飾られている。そのスタンカは昨年10月に亡くなったが、阪神に在籍したジーン・バッキーと並んでオールドファンにとって記憶に残る名外国人投手としてその名を残しています。
南海にとって最悪といえるこのシリーズ第4戦、誤審とも呼ぶべきエピソードとして有名だけど、この舞台が後楽園ではなく南海の本拠地・大阪球場だったら相当な暴動に発展しておかしくないレベルかも知れません。
そして日本シリーズの歴史において一つのジャッジがこれほどまでに波紋を呼ぶこととなるのはこのシリーズの8年後にも繰り返されます。これも巨人が絡んでいるんだよなァ・・・!?