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南オセチアでドンパチ

この戦争も衝撃度の高いものだった、これはオリンピックが始まってすぐに勃発したもので「平和の祭典」の裏側ではこのようなキナ臭いことが起こっているという現実を痛感したし、オリンピックをやっている期間は戦争が止まると言われたのにそれを覆すものだったから、衝撃度が高いのも伺える。
この戦争の当事国はロシアグルジア(現ジョージア)、後者は大相撲の大関・栃ノ心の母国として有名だが、かつてはロシアと戦争してたって言うけど、グルジアの領土をロシアがぶん取ろうとしてそれを許すまじと主権を守る為に軍事介入したと言うのが理由です。
そんなわけで今から10年前の今日2008年8月7日は、ロシアとグルジアの間で南オセチア紛争が勃発した日です。

カスピ海と黒海の間にあるグルジアを含めたコーカサス地方、この地域は19世紀にロシア帝国に併合され、ロシア帝国が崩壊したのに伴い独立するもののソ連発足によりまた併合、ソ連崩壊に伴い再び独立するわけだが、この地域にはグルジア人のみならずアブハジア人、オセット人(オセチア人)が住んでおり、ソ連時代に存在した自治共和国において連邦制が敷かれてたことで明確な居住地域がなく、ソ連末期にグルジアが独立宣言をすると南オセチアもこれに乗って独立宣言するものの、自国の領土が奪われると懸念したグルジアは1991年に南オセチアに軍事介入して多数の死傷者を出す顛末となった。その後ソ連の後を継いだロシア連邦とグルジア・南オセチアの3者で平和維持軍が導入されたのだった。

しばらく南オセチアは大人しくなるが、2003年にグルジアで親米的な姿勢を取るミハイル・サアカシュビリが大統領に就任、軍事予算を増やしロシアに対抗したことで南オセチアは独立に関する住民投票を同時期に実施して賛成多数の結果となれば、南オセチア内のグルジア人も投票を行いグルジア残留を臨む意見多数となったことで両者の対立が蒸し返すのだった。

サアカシュビリ大統領はロシアを牽制する狙いでNATO(北大西洋条約機構)加盟を目論むが、自国の一部だった場所がアメリカに急接近することを懸念したロシアは脅威と煽った。2008年に入りロシアとグルジアの関係は互いに戦争準備をしていると非難合戦に発展するなど緊迫化が進み、そして同年8月7日、オセチア軍による軍事攻撃でグルジア兵2名が死亡したことを受けたが、サアカシュビリ大統領すぐさま停戦を発表したもののオセチア側はそれに応じる気配はなく、これに反発したグルジアは軍を南オセチアに派遣したことで軍事介入へと踏み切ったのだった。
ロシアとその支援を受ける南オセチア・アブハジアとグルジアの争いは決定的となり、グルジアと南オセチア・アブハジア付近では激戦地となったことで両軍兵士のみならず一般市民、外国人ジャーナリストも犠牲となるなど大規模なものにもなり、折しも同時期に北京オリンピックが開かれたこともあり、オリンピック開幕直後に軍事紛争という衝撃も全世界に与えたのです。

同年8月16日に戦争は集結するも、ロシアとグルジアの関係は国交断絶状態に発展(その後両国は断交、2012年に回復した)、ロシアは南オセチア及びアブハジア独立を認める決議案を出すというケースも出たり、グルジアは戦時状態を解除するものの南オセチア及びアブハジアは非常事態を継続するなど、お互い平行線でした。またサアカシュビリ大統領はロシアと軍事衝突を招いたことで国民の批判を受け、影響力低下をもたらしたことで2012年の大統領選挙で敗れ、ウクライナへと亡命するもその後ウクライナ政府により国外退去されるなど、散々なものとなった。戦争に敗れたことで一気に国民の支持を失う、かつてフォークランド紛争の際のレオポルド・ガルチェリ(当時のアルゼンチン大統領)と同じ顛末といえます。

オリンピックの最中に勃発した戦争、アメリカとロシアの関係は冷戦時代に逆戻りしたかのような状況、マスコミはこぞって「新冷戦」を煽るなど、この戦争がもたらした弊害は少なくないです。

theme : 軍事・安全保障・国防・戦争
genre : 政治・経済

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