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これで~いいのだ~♪

「天才バカボン」「おそ松くん」「もーれつア太郎」などのギャグ漫画を輩出した漫画家・赤塚不二夫、今から10年前の今日2008年8月2日に亡くなりましたが、没後も作品及び赤塚本人の影響力が衰えてないというから、改めて日本の漫画史におけるレジェンドと呼ぶべきものです。

1935年に満州に生まれ、終戦後一家(憲兵だった父親はソ連軍によって拘束されてシベリアに抑留された)で奈良県に引き揚げる(中学生になった時には父方の親戚がいる新潟県に移住した)と漫画に出会い漫画家を志すようになったのだった。家庭の経済的な事情から高校進学を諦め、地元の看板屋に就職し、そこでは映画看板も手がけたことから映画にも触れるようになり、時同じくして漫画を投稿するようにもなった。

18歳の時に上京、上京前から知り合っていた石ノ森章太郎を追う形でトキワ荘に入荘、ただ当時は貸本漫画家であり原稿料を前借りするなど経済的に困窮し一度は転職を考えたものの、トキワ荘のリーダー的存在だった寺田ヒロオの勧めもあり、漫画家を継続したのだった。

1962年に「少年サンデー」にて「おそ松くん」を「りぼん」にて「ひみつのアッコちゃん」を連載するとこれがヒットして一躍人気漫画家となり、1964年に「おそ松くん」で小学館漫画賞を受賞すると翌1965年には「フジオ・プロ」なる事務所を設立し、1967年に「少年マガジン」にて「天才バカボン」を「少年サンデー」にて「もーれつア太郎」を連載して天才ギャグ漫画家として一躍世間からその名を轟かせ、さらに「バカボン」「おそ松くん」はアニメ化されたこともあり、その影響は高く、1974年にはギャグ漫画家としての実績が評されて「赤塚賞」(「少年ジャンプ」におけるギャグ漫画の登竜門)が作られたのでした。

同時期に漫画家として多忙を極める日が続きますが、この時期に福岡から上京してきたタモリと出会い、タモリの才能を見出して自宅に居候させたりもした。
1970年代後半に入ると連載していた作品が相次いで終了、時同じくしてコメディー映画「下落合焼とりムービー」を製作し、マニアックな人気を博したのだった。

この頃から酒量が増え始め、またかつての人気作がリメイク化されたもののそれらが終わったことに伴い飲酒量が増え、アルコール依存症となり入退院を繰り返す日々が続いたのだった。1993年にこれまでの人生を綴った自叙伝「これでいいのだ」を出版。
1997年に食道がんを患い手術を受けるも、医師からストップを掛けられたのに酒と煙草は止めようとせず、退院後のインタビューで水割りを片手に持つなど、どこ吹く風でした。

その後も健康面での不安が目立ち、2002年に脳内出血を発症すると以降創作活動は休止状態となり、以降植物状態が続き、2008年8月2日、肺炎の為都内の病院でその生涯を閉じたのでした・・・。
一時代を築いた漫画家の訃報にマスコミは大々的に取り上げたが、いかに赤塚不二夫という人物がすごいかを物語る。

死去から5日後に行われた告別式には漫画家仲間を中心に参列し、弔辞でタモリが「私もあなたの数多くの作品の一つです」と読み上げたシーンは今も記憶に残っている。出棺の際にはアニメ版(第一期)の主題歌が流れた。

昭和と平成にまたがってギャグを提供し当時の子供達を喝采させた赤塚不二夫、今もなおその名と作品が色褪せることはありません。即ち「これでいいのだ」

theme : 漫画家
genre : アニメ・コミック

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