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あの激突で人生が暗転した2人の選手

現在巨人の一軍打撃コーチを努めている吉村禎章、その吉村を語る上で欠かすことが出来ないものと言えばプレー中に別の選手と交錯して大ケガを負うというものだが、普通のケガじゃなく選手生命が危ぶまれるくらいのものな上に障害者認定を受けるほどのレベルだったというから、今考えてもプロ野球のプレーにおいて衝撃度が高かった事故といえます。
そんなわけで今から30年前の今日1988年7月6日は、吉村禎章がプレー中に激突して靭帯断裂という大事故に遭った日です。

吉村禎章、80年代の巨人において若手の和製大砲として頭角を現し、1988年シーズンも前半から活躍したのだった。
そして1988年7月6日、札幌円山球場で行われた中日戦、これは当時巨人が年に一回行っていたデーゲーム、北海道シリーズの最中でした。

この試合スタメン出場した吉村は3回裏に通算100号となるホームランを放ち記録を作ったが、8回表に中日・中尾孝義の放った打球が左中間に飛び、レフトを守っていた吉村が捕球体勢を取っていたその時!! この回からセンターの守備に入っていたこの年1軍に定着し俊足が売りだった栄村忠広と激突!! 吉村は左膝をモロに打ち、ケガしたことにより担架で北海道大学付属病院へと運ばれたのだった。試合は巨人が勝ったものの王貞治監督(当時)は「吉村のケガが心配だ」と表情を強張らせていた(一方の栄村は無傷だった)。
だがこの激突で吉村が負ったのは左膝の靭帯が4本中3本も断裂、神経まで損傷するというもので、前十字靭帯・内側側副靭帯・内側半月板損傷・腓骨神経麻痺という重傷といいますから、選手生命の危機にさらされたのです。

当時の日本の医療レベルでは当然手に負えるものではなく、アメリカに渡ってかつて村田兆治の肘を手術して復活させるきっかけを作ったフランク・ジョーブ博士の執刀を受けたのでした。この時ジョーブ博士は「野球選手でこれほどのケガは見たことがない」と言ったから、いかに吉村のケガが大きかったのかを物語ります。
吉村は手術とリハビリを重ねて翌1989年のシーズン終盤に見事にカムバックしたのだから、選手生命すら危ぶまれる大ケガを負いながら決死のリハビリと不屈の闘志で見事に復活したと言える。

劇的な復活を遂げた吉村とは逆に、吉村と激突した栄村はファンからの猛烈なバッシングに遭い(はた山ハッチ〈現・やくみつる〉からは映画「オーメン」に登場するダミアンと名付けられて、この激突事故と結びつけたネタにされる始末)、翌年からは一軍に呼ばれなくなり1991年にオリックス・ブルーウェーブに移籍するも1年で戦力外通告、吉村に大ケガを負わせた罪の意識から野球界というより公の場から姿を消したのだが、後年になってテレビなどの取材に応じるようになり「石橋貴明のスポーツ伝説・光と影」では自身に対するバッシング及び吉村をケガさせた自責の念に苛まれていた時に吉村から激励されたと告白している。

あの激突事故で野球人生が激変した吉村と栄村、吉村はあの事故で負ったケガを決死のリハビリを重ねて復活、あのケガがあったから成長できたと語ってるが、栄村に対して罪悪感を持たず前を向いてほしいとも訴えていた。

theme : プロ野球
genre : スポーツ

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