エジプトとイスラエルの「和解」
イスラエルが首都をエルサレムと認める姿勢をアメリカが表明したことで、再びキナ臭くなった中東、再び中東戦争の危機も迫る中、かつてイスラエルとアラブ諸国を和解させて紛争を終わらせようとしたアメリカ主導の条約を知ってるだろうか? その名はエジプト・イスラエル平和条約で、当時アラブの盟主だったエジプトをイスラエルと和解させることでアメリカはパレスチナ問題を円満に終わらせようと目論んだことで有名です。
そんなわけで今から39年前の今日1979年3月26日は、アメリカの仲介によりエジプト・イスラエル平和条約が締結した日です。
イスラエル建国以降4度の中東戦争に見舞われた中東、4度ともイスラエルが全て勝利してイスラエルは国際社会の反発を無視する形で領土を広げ、シリアのゴラン高原やアラビア半島とアフリカ大陸を結ぶシナイ半島を占拠するなど、チベットやウイグルを併合した中国さながらのことをやったのです。
当然自分たちの領土を奪われたアラブに取れば面白くもないが、これに伴いパレスチナ難民も増加したり、イスラエルを支援するアメリカへの反発も高まったのです。
そんな中エジプトのアンワール・サダト大統領はアメリカに接近し、何と不倶戴天の敵であるイスラエルをも訪問するなど緊張状態緩和へと動いたのでした。この動きにアメリカのジミー・カーター大統領はエジプトとイスラエルとの間で和平を結べばいいと考え、サダト大統領とイスラエルのメナヘム・ベギン首相を大統領山荘(キャンプ・デービッド)に招いて3者会談を行い、キャンプ・デービッド合意に至ったのです。
1979年3月26日、ワシントンでエジプト・イスラエル共に国家として承認する・中東戦争の休戦協定・1967年の第3次中東戦争においてイスラエルが占拠したシナイ半島からイスラエル軍及び入植者の撤退。などを盛り込んだ内容平和条約を結んだのでした。いわゆるエジプト・イスラエル平和条約です。
これによりエジプトはアラブ諸国で初めてイスラエルを認めたものの、パレスチナの自治を認めることは棚上げされたり、アラブの盟主であるエジプトがイスラエルを認めただけでなくイスラエルと和平及び国交を結んだことで、周辺国や同国のイスラム原理主義者などの反発を招き、またエジプト国内ではサダト大統領の権威主義的な姿勢や貧富の差の拡大に対する反発も広まって、サダト大統領は同条約締結から2年後の1981年に暗殺されるという憂き目に遭いました・・・。(これについてはこの記事を参照のこと→ 凶弾に倒れた「ファラオ」)
エジプト国内では反米・反イスラエル感情が強いが、エジプト政府は同条約を遵守・維持しており、アメリカとイスラエルの橋渡し的な役割を務めるなど、中東問題において重要な役割を担っているものの、今やサウジアラビアや近年影響力を増しているイランの影に隠れてる感じです。ただエルサレムをイスラエルの首都と見なすアメリカの姿勢に対してはエジプトもさすがに怒ったが、同条約を破棄しろと言う声はあまり出ません。
そんなわけで今から39年前の今日1979年3月26日は、アメリカの仲介によりエジプト・イスラエル平和条約が締結した日です。
イスラエル建国以降4度の中東戦争に見舞われた中東、4度ともイスラエルが全て勝利してイスラエルは国際社会の反発を無視する形で領土を広げ、シリアのゴラン高原やアラビア半島とアフリカ大陸を結ぶシナイ半島を占拠するなど、チベットやウイグルを併合した中国さながらのことをやったのです。
当然自分たちの領土を奪われたアラブに取れば面白くもないが、これに伴いパレスチナ難民も増加したり、イスラエルを支援するアメリカへの反発も高まったのです。
そんな中エジプトのアンワール・サダト大統領はアメリカに接近し、何と不倶戴天の敵であるイスラエルをも訪問するなど緊張状態緩和へと動いたのでした。この動きにアメリカのジミー・カーター大統領はエジプトとイスラエルとの間で和平を結べばいいと考え、サダト大統領とイスラエルのメナヘム・ベギン首相を大統領山荘(キャンプ・デービッド)に招いて3者会談を行い、キャンプ・デービッド合意に至ったのです。
1979年3月26日、ワシントンでエジプト・イスラエル共に国家として承認する・中東戦争の休戦協定・1967年の第3次中東戦争においてイスラエルが占拠したシナイ半島からイスラエル軍及び入植者の撤退。などを盛り込んだ内容平和条約を結んだのでした。いわゆるエジプト・イスラエル平和条約です。
これによりエジプトはアラブ諸国で初めてイスラエルを認めたものの、パレスチナの自治を認めることは棚上げされたり、アラブの盟主であるエジプトがイスラエルを認めただけでなくイスラエルと和平及び国交を結んだことで、周辺国や同国のイスラム原理主義者などの反発を招き、またエジプト国内ではサダト大統領の権威主義的な姿勢や貧富の差の拡大に対する反発も広まって、サダト大統領は同条約締結から2年後の1981年に暗殺されるという憂き目に遭いました・・・。(これについてはこの記事を参照のこと→ 凶弾に倒れた「ファラオ」)
エジプト国内では反米・反イスラエル感情が強いが、エジプト政府は同条約を遵守・維持しており、アメリカとイスラエルの橋渡し的な役割を務めるなど、中東問題において重要な役割を担っているものの、今やサウジアラビアや近年影響力を増しているイランの影に隠れてる感じです。ただエルサレムをイスラエルの首都と見なすアメリカの姿勢に対してはエジプトもさすがに怒ったが、同条約を破棄しろと言う声はあまり出ません。