リトルロック・ナイン

バージニア州シャーロッツビルで起こった白人至上主義者と反人種差別団体とのトラブル、相も変わらず人種差別問題がつきまとうアメリカ、最近でも人種がらみの事件が横行するなど、かの公民権運動時代に逆戻りしたと憂う声もあるが、公民権運動においてこの事件をご存知だろうか?
それは当時差別が横行していた南部諸州の中で早く白人と黒人が共学出来たものの、黒人の入学を良しとしない白人学生や州兵によって物々しい雰囲気となり、合衆国政府や軍まで介入するという事態となったのは言うまでもないです。舞台は南部・アーカンソー州の州都・リトルロックで、この高校が舞台です。
そんなわけで今から60年前の今日1957年9月4日は、アメリカの公民権運動の一つ、リトルロック高校事件が起こった日です。

1954年に教育現場において人種隔離政策は違憲であるとのブラウン判決を受けたのをきっかけに、アメリカ全土で白人と黒人が同じ学校に通うという融合教育化が進みましたが、当時ジム・クロウ法に基づく人種差別政策を維持する南部諸州ではそれに反発して判決を認めなかったが、その中でアーカンソー州は1957年に州都・リトルロックにあるリトルロック・セントラル高校で融合教育化が認めたのだが、当時のオーバル・フォーバスアーカンソー州知事は州兵をけしかけて黒人の入学を阻止し、白人の市民からも「黒人なんて入学させるか」と反発、リトルロックの市長はこれを受けフォーバス知事に法律を守るよう訴えるもフォーバス知事は無視、当時のドワイト・アイゼンハワー大統領に軍を派遣するよう申請するというトンデモない行動に出たのです。
この騒動はアメリカ国内のみならず海外でも報じられ、これでは自由を謳うアメリカのイメージに関わるとリトルロックの市長の訴えを認めて合衆国軍を派遣、入学する黒人学生の身の安全に務めたのでした。

1957年9月4日、リトルロック・セントラル高校に入学予定の9人の黒人学生は軍に守られる形で登校したのだが、無事に入学が認められても白人学生による心ない嫌がらせと暴力により決して安全ではありませんでした。その後も白人による学校包囲など殺伐とした雰囲気となったのはいうまでもないが、そこまでして黒人の入学というか在学を認めようとしない白人の横暴はイカレてるを通り越してます。

選考の末に9人の入学が認められたことで、この9人は「リトルロック・ナイン」と呼ばれ、公民権運動を象徴する人物にもなったのです。

9人のうち1人は白人によるヘイトクライムに耐えかねて退学したものの、残る8人はめでたく卒業するということになったけど、れでもフォーバス知事は融合教育化に反対し続け、融合教育化を義務化されたリトルロック市内の3つの高校を突如として並行するなど、人種差別丸出しの姿勢を続けたのです。オーバル・フォーバスってこう見ると正直頭のおかしい人間ですね。白人以外人間じゃないという排他的な理屈、現代だったら人種差別主義者のレッテルを貼られて社会的に追放されてるでしょうね。当時のアメリカ、特に南部諸州ではこんな人間でも州知事になれたけど、今となってはあり得ない。

リトルロックの全部の学校で融合教育化が実施されたのは1972年になってからだが、この9人の残した足跡は公民権運動の始まりともいうべきことで、黒人の権利と尊厳、人種差別の愚かさを後世に伝える意味でも語り継がれる出来事とすべきです。

theme : 差別問題
genre : 政治・経済

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