ラッキーゾーンって知ってますか?

昭和の野球史に欠かすことの出来ないキーワードの一つ・ラッキーゾーン、ホームランを出やすくする為外野の内側に柵を施し、その柵からフェンスの間に空間を設けたもので、それにまつわるドラマは数多くあります。
本日5月26日はラッキーゾーンの日、今から70年前の今日1947年5月26日に阪神甲子園球場に設置されたことを記念して作られました。ラッキーゾーン=甲子園。と言うイメージは昭和の野球ファンなら大体持ってますからねェ・・・。

戦後甲子園球場は米軍によって接収され、1947年に解放されたけど当初甲子園は野球だけでなく陸上競技にも使うことが盛り込まれた為、両翼110メートル、左右・中間が128メートルと言うだだっ広かったことで、日本一柵越えホームランが出にくい球場として有名でした。甲子園を本拠地とする阪神タイガースはチーム本塁打が少ないのは外野が広すぎるせいだ、外野の両翼だけでなく左右・中間の付近に金網を設けてホームランを出やすくすれば観客が沸くと言う意見を取り入れ、1947年5月26日にラッキーゾーンが設けられたのです。

その後本家甲子園では形を変えながら存在し、またラッキーゾーン内にブルペンを設置するなどホームランを演出する目的だけではありませんでした。
1973年8月30日には当時の阪神のエース・江夏豊が中日相手に延長11回までノーヒットピッチングを続け、その裏自らのバットでホームランを放ち試合を決着づけたが、そのホームランはライト側ラッキーゾーンギリギリだったし、1984年のセンバツ高校野球ではワンバウンドした打球がレフト側ラッキーゾーンに飛び込み、それを審判がホームランと認定するハプニングもありました。
1988年5月28日の阪神対大洋戦では、当時西武から移籍したばかりの金森栄治が外野に飛んだ打球をキャッチしようとラッキーゾーンによじ登って取ろうとしたが、打球は無情にもスタンド入りしただけでなくよじ登った金森はラッキーゾーン内側に落ちてしまうと言う珍プレーまで出た。

甲子園だけでなく、西宮球場、藤井寺球場などでもラッキーゾーンが設置されたけど、ラッキーゾーンと言えば甲子園だけではないのです。
西宮球場に設置されたラッキーゾーンにまつわるエピソードと言えば、1981年9月16日に阪急ブレーブスの山森雅文がレフト側ラッキーゾーンに入るホームラン性の打球に対し金網部分を軽々と登ってキャッチし、これがアメリカの野球殿堂に載ると言うシーンが有名です。

しかしその後は選手の体力向上、バット及びボールの品質改良によりホームランが出やすくなり、柵越えしやすくなった風潮及び、オリンピックにおいて野球が競技種目として追加されたことで国際基準に準ずる広い球場の新設が求められるようになり、ラッキーゾーンなど必要ないと言う風潮が高まって、1991年末に甲子園で撤去されたのを皮切りに、全国の球場からラッキーゾーンは撤去されたのでした。
日本らしいホームランを演出してきたラッキーゾーンも、時代の流れには勝てなかったってことか。今も残っているのは鳥取県の倉吉市営野球場だけ。

いつしかラッキーゾーンは昭和の「遺産」として風化されつつあったが、2013年に宮城球場(現コボパーク宮城)がホームランが増やす為に外野スタンドがフィールド内に設置されたり、2015年には福岡ドームでホームランテラスなる外野スタンドがフィールド内に設置され、これに伴いフェンスの高さも引き下げられ、福岡ドーム=ホームランが出にくい。と言う印象が低下したのでした。どっちみちフェンスが高かろうがホークスはここでホームランを量産していたけど。
双方ともラッキーゾーンではないと主張しているが、昭和から見ている野球ファンにすればラッキーゾーンだと思っている。

theme : 野球全般
genre : スポーツ

comment

管理者にだけメッセージを送る

No title

ラッキーゾーンありましたね。当時に比べて、道具も体力も向上したということでしょうね。
その分、大味になったと思います。

Re: No title

ひろみ様

コメントありがとうございます。

当時と今では選手の身体能力も道具の質も異なるし、まして国際基準が求められるようになって広い球場が喜ばれるようになったことが影響してます。その分大味になった「飛ぶボール」の影響でホームランが出やすくなったこともあるでしょう。
プロフィール

アジシオ次郎

Author:アジシオ次郎
FC2ブログへようこそ!

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード