道徳教育の存在意義

2018年度から正式教科となる「道徳」、これに伴い教育現場において道徳教育が強化されるみたいだが、学習指導要領において内容項目を満たすことを目的としていることは道徳教育と言うものをどう捉えているのだろうかと思うし、善悪の判断、客観性を磨く、自立、自由及び責任、個性の伸長、多様性を身につけると言ったことを阻害する検定意見だとすれば道徳教育とは名ばかりになりかねないし、道徳教育の存在感が不透明になって余計教科化した意味が分からなくなる。

道徳教育とは教科書の中身だけを教えるものではない。ましてやテストで競わせるようなものでもない。人間性を磨かせる目的であるのだ。
道徳や倫理と言った人間教育は、教師がただ教科書通りに教えて身につくわけではないのです。

今まで日本の学校教育は道徳や倫理と言った人間教育を軽視し、知識偏重・テスト及び偏差値重視の姿勢を続けてきたせいであらゆる社会問題の温床となってきたわけだが、格差や差別を助長するような内容で何が教育だ? と言いたくなるし、日本が一部から「子供の国」と揶揄される要因の一つに教育にあるんじゃないかと私はつくづく思っており、ただ勉強だけを教えてテストで競わせて受験戦争を煽った風潮の弊害以外の何物でもない。人よりも人よりも上に立とうと自分のことしか考えず周りを見ない、他者を理解尊重すると言う意識の低下は人間教育を軽視したせいだとも言いたくなります。
責任ある人間、思いやりのある人間を本来育てねばいけないはずの人間教育を軽視して良い社会など出来やしない。戦後の日本は変に金儲けしか考えてこなかったからこうなったんだと思うんだよね。変にアメリカばかり意識してアメリカ的な価値観をありがたがり続けたことも挙げられるが。大体アメリカは考えが子供っぽく自己中心的もいいところなんだけどね。

人間教育を軽視した戦後教育はイザ知らず、「ドラえもん」や「ちびまる子ちゃん」のような怠惰な漫画、知識偏重及びテスト・偏差値重視教育、拝金主義、過度のアメリカ礼賛が日本をダメにした要因だと私は指摘してますが、改めて人間教育を積極的にやらねば社会の腐敗と堕落に歯止めがかからない一方であり「ホントの大人」がいないガキばかり社会になる一方だ。

教育現場は言うに及ばず、大人社会においても道徳教育はすすんでやらねばいけないです。
正式教科としたことで教育現場における地位は高くなった道徳ではあるが、教える側には責任持って教えねばならない。教育とは教科書通りに教えるものとは限らない。だからこそ道徳教育のあり方を改めて考えねばいけないです。

theme : これでいいのか 日本の教育
genre : 政治・経済

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