人の痛みを知らない不幸

今月、横浜市で福島第一原発事故に伴い避難してきた中学1年の男子生徒が同級生からいじめを受け、かつ金銭を要求されたって事実が発覚したけど、神奈川県警から金銭トラブルについて情報提供があったにも関わらず学校側の対応はそれを知らなかったって言うから、情けないと言うか頭を抱えたくなるよね・・・。
この実態は一昨年のもので、なぜ今頃それが発覚したのかと言うのは学校が実態を隠蔽してたんじゃねェのかと思うし、いじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」とすら認定してなかったんだから、ヒドい話だ。

正直その男子生徒をいじめた側の少年はなんでこんなヒドいことに及んだのかって言いたくもなる。
平然といじめた原因としては周囲の大人が原発事故被災者に対する不当な偏見を抱き、それを子供が平気で鵜呑みにしたこともあると思うが、だったら大人の責任もいいところだ。大人の偏見が子供に悪影響を及ぼすってホントだね。子供は大人の考えを平気で鵜呑みにしやすいだけに。
それと今回の事態もそうだし、学校っていじめが起こるとなぜすぐに実態を把握しようとしないのだろうか? 後手に回って積極的に事実に向きあおうとしないその姿勢は典型的な無責任であり無神経でもある。表に出ればまずいことなのかと反論したくもなる。結局自分の保身が惜しいもんだから事実が公に出ることを嫌がるだろうけど、臭いものに蓋をしたところで責任能力の欠如を露呈するだけです。

ハッキリ言って、日本人はなぜここまで無神経なのかと憂いたくなる要因の一つとして、人の痛みを知る・共有すると言った意識が全くと言っていいほどないことにもあるんだよ。相手の痛みや苦しみを自分のことのように見ると言う考えがまるでなく、自分には関係ないと言う理屈がまかり通るわけだが、いつ自分がそういう状況と言うか事態に直面すると言うことも全く分かってないとしか言い様がない。
人の痛みや苦しみを知る・共有する・自分がその立場にあったらを考えねばいけない・人としての常識なのにそれが全く身についていないことは「極めて遺憾」じゃ済まされないレベルだよね。それを子供たちに進んで教えてこなかった大人はイザ知らず、教育現場や社会の責任も大きい。海外でテロが相次ぎ犠牲者も多く出ていることについてどう思うか聞かれても「何も思わない」「自分に関係ないからどうでもいい」なんて悠長かつ無責任な回答が返ってくることについては「自分がもしその場にいたらどうなんだ!?」「そうやって自分さえ良ければいいなんて考えがダメにしてるんだ!!」って怒りたくもなります。

自分がその場にいたらどう思うか、自分が相手に平気でしていることをされたらどう思うか、それをすすんで考えると言うことを教えてこなかった弊害が無責任で無神経な体質をまかり通らせている要因だけど、そんな堕落した考えが良しとされるような社会では余計堕落する一方でしかありません。
日本は一部から「大人がいない」「子供の国」と揶揄されてるけど、社会において無責任で無神経体質が平然とまかり通っている風潮もまたそれに拍車をかけているんじゃないかと思うんだよね。相手の立場になって考えるとか、自分がそう言う境遇に置かれたらどう思うか、自分がされたらどう思うか、相手の痛みや苦しみを理解する。そう言うことをすすんで考えることを家庭や教育現場、社会全体でやらねばいけません。自分さえ良ければそれでいいなんて考えではダメなのだ。戦後日本は金儲けしか考えてこなかったから、そのツケはまたこう言う形にだって現れていると指摘したくもなります。

theme : これでいいのか日本人
genre : 心と身体

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