自民党最大最悪の「内紛」

小泉政権以降も派閥争いで内紛が絶えない自民党、まるでかつての阪神タイガースを見ているようですが、中でもこの内紛は自民党の存続に関わる大事件として有名で、自民党の歴史においても欠かすことの出来ないものとして有名です。その名は四十日抗争、選挙から新たな内閣が出来るまでに要した期間は40日だったことに由来します。
そんなわけで今から37年前の今日1979年10月18日は、自民党内で四十日抗争が勃発した日です。

1979年10月7日に行われた第35回衆議院選で、248議席しか獲得できなかった自民党は当時総裁で総理でもあった大平正芳の責任論が噴出してきたが、当の大平総理は田中角栄の助言もあって総裁及び総理の座を続投したものの、福田派(福田赳夫元総理率いる清和会)・中曽根派(中曽根康弘氏率いる政策科学研究所)・三木派(三木武夫氏率いる番町政策研究所)・中川グループ(中川一郎氏率いる日本革新同友会)がこれに反発、辞任要求を出すと言う顛末となったが、大平総理と田中派が連立政権をを仄めかせば、福田派などは自民離党・新党結成も厭わない姿勢を見せるなど自民党内は完全にギスギスした雰囲気となっていたのだった。まァ選挙で負けたも同然の結果だったのに責任をとって辞めようとしない大平総理のやり方に他の派閥にすれば面白くもないのは当然であるが。

首相候補を絞れない状況となり国会を開会出来ない事態となったが、憲法の規定で開会の期限が迫るも開会当日にも首班指名投票できない状況となり、混沌化しつつあったのだった。

大平総理と福田派などの溝は埋まるどころか深くなり、首相候補と責任問題も有耶無耶なまま緊迫化した中で両院議員総会が行われたのだが、そこで何と福田派議員らが党本部のロビーに椅子などでバリケードを設置すると言う学生運動さながらの抗戦姿勢に転じたのだった!!
過激な手段で総会を阻止しようとしたことでアタフタした大平総理、そこで出てきたのが当時無派閥だったハマコーこと浜田幸一氏、党の備品でバリケードを作ったことへの反発からか、バリケードを何と浜田一人で破壊すると「いいか! 断っとくけどな! かわいい子供たちのために自民党があるんだぞ! お前らの為だけに自民党はあるんじゃねェぞ!」とまくし立てたのだった!

なお後年浜田がタレント活動した際このシーンが流れ、バリケードに使われた椅子や机を破壊して大暴れと何回も報じられているが、実際は片付けており、暴れていると言う表現はマスコミによる過剰表現である。

その後も大平派と福田派などの対立は続き、11月6日に首班指名選挙が行われたが大平と福田の両名が出てくるという異常事態にまでなる始末、第2次大平内閣の船出は党内に禍根を残したまま始まり、翌年にハプニング解散なる顛末となったのでした。

ハマコー大暴れシーンばかりが目に行きがちな自民党四十日抗争、1ヶ月以上も続いた内紛は正直国民無視の下らない政争にしか見えず、また強い派閥意識から来た内紛であるものの、当時の自民党は今以上に派閥意識が強いもんだから、こう言う揉め事が“よくある”ことだったんじゃ? 派閥意識やしがらみがこう言う問題に発展する、内紛が頻繁に起こる組織は組織としての体がなってない、かつての阪神やサッカーのカメルーン代表に当てはまる話だ。もう一つ、この内紛を今の自民党が教訓にしているとは思えないけどね。その後も内紛が頻繁に起こったのを見ると。

theme : 歴史
genre : 政治・経済

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