異なる考えを認める“包容”が必要、賛成!!

「不謹慎狩り」に代表されるように、今や日本ではある発言や言動を巡って特定の人物や組織を一方的に非難する風潮が目立ちますが、なぜこのような風潮がまかり通るようになってしまったのだろうか・・・。

また異論や反論、少数派の意見などを許さないと言う風潮もネットを中心に横行してるけど、人の異なる考えにも耳を傾ける多様性を認めること。って意識が今の日本において薄過ぎるとしか思えないし、いわゆる「言論の自由」に思いっきり反するものではなかろうか。これでは民主主義国家とは呼べませんし、特定アジアやロシア、かつての旧東ドイツやフセイン政権時代のイラクと全く変わらない。
「大勢に異論を挟むことは許さない」って考えは社会が息苦しくなる上に閉塞するだけです。

なぜここまで日本は人の話や異なる意見を尊重すると言う民主主義の常識が薄らいだのか、私は思うに理由はこう言うところにあるんじゃないかと思うんだよね。
考えや価値観の多様性を知らない。
自分は正義だと一方的に思い込む(「善悪二元論」的な考え)。
自分なりの考えを持たずに周りに迎合する。
自分の意に沿わない者や意見などを排除しようとする(これまた「善悪二元論」的な考え)。

だが、これらをみて思うことはいかに日本人が単純思考だってことなんだよね。だからこう言う傾向が目立つんじゃないかと思う。考えが単純過ぎるから柔軟性もないってことだ。
変に自分は正しいと思い込んで自己中心的になったり、周りに迎合すればいいんだなんて「寄らば大樹の陰」的な考えで自分の考えを示そうとしないのって、融通が利かない「つまらない大人」もいいところでホントの大人と見なしていいものかと疑問を抱きたくなる。ましてものの多様性を理解しない視野の狭さもまたしかり。これだから日本は「子供の国」と指摘されるのも無理はない。

自分の考えを押し通すのは勝手だが、だからと言ってそれをいいコトに他者に自分の考えを押し付けたり他人や周囲の意見に耳を傾けようとせず一方的にって言うかヒステリックになって拒絶するような姿勢を取るのは、子供っぽいとしか言い様がないです。まして異論や反論に対してはそれが躊躇に出る感もあるが、結局は自分大好き、他者を理解尊重するって意識のない精神的に子供だってこともだし、柔軟性のない融通の利かない人間だって自ら曝け出すだけで自身にマイナスなだけです。
あまつさえ異論や反論されることを不服として攻撃的な対応をとっていい気になるのって、自分に楯突く奴は敵だと見なす考えに基づくが、行き過ぎた正義感にしか見えないし、排外主義や人種差別も厭わない考えがまかり通れば余計タチが悪い上に、自分より立場の弱い者をつかまえて攻撃的な言動に訴えたりするのもそうだが、結局自分の優位性を示したいが為の独善的な言動もいいところだ。
義憤も懲悪も、行き過ぎは毒となる。心乱れれば、行いもまた乱れる。

行き過ぎた反捕鯨論に当てはまるが、自分と考えや価値観が異なると言う理由でヒステリックになって騒いで非難していい気になる。それらは無知が招くものだが相手を知ろうとしない、理解もしないで自分の勝手な思い込みと偏見、感情だけで決めつけるのは価値観の多様性を知らない無知な人間だってことを曝け出すようなものだ。そこら辺はキチンと理解すべきだね。
自分の考えを持たず迎合する、これにはイエスマンになることを良しとする風潮がもたらした感がするし、日本人が変に集団主義を有難がる傾向がもたらした副作用にも映るんだよ。

多数派の意見ばかり尊重せず少数派の意見、異論や反論にも進んで耳を傾けて尊重する。これは本来人間社会の常識なのに日本においてその意識が低いんじゃないかと思いたくなるが、異論や反論を許さない社会は独裁国家と転で変わらないし、戦前戦中の教訓から学んでないって思われるだけです。ハッキリ言って考えが単純で子供っぽい人間ばかり増やした責任は誰にあるんだか? 欠陥だらけの戦後教育とアメリカの価値観をホイホイ受け入れたが為にこうなったとも指摘してますが、今まで人間教育を軽視した日本社会、そのツケはこう言う形で回ってきたって感じがします。お互いを理解尊重する、考えや価値観などの多様性を知る、周りに乗っからない、それらをキチンと理解することが日本社会に改めて求められます。

theme : これでいいのか日本人
genre : 心と身体

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