イラン、イギリスに対するささやかな反抗

昨年欧米諸国との関係悪化が雪解けとなったイラン、これはイラン革命以降欧米が制裁を課し、イランもイランで反欧米を掲げたことを考えれば前進となるものだが、イラン革命以前にもイランでは欧米に対する反抗は少なからずありました。それは石油利権を巡る諍いによるもので、世界屈指の産油国の一つでもあるイランだけにその利権争いは避けられなかったのです。
そんなわけで今から65年前の今日1951年3月15日は、イランが国内にあるイギリス資本の石油会社を国有化宣言した日です(アバダン危機とも呼ばれてます)。

第2次大戦後イギリスの半ば保護下に置かれたイラン、なぜイギリスがイランを保護下に置いたのか? それはソ連との石油利権争いに勝利したことによりイランの石油利権を得たことによるものだが、イランは戦後情勢が安定せずそれもあってか石油利権をイギリスに奪われた感もしますが、そんな中1951年に首相に就任したモハンマド・モサデクは反植民地主義を掲げイギリスを追い出して石油利権を取り返そうと強調したのでした。
民族主義者でもあったモサデク、我々の石油がなぜ他国のものになり、我々はその恩恵を受けないのかと言う不条理さに反抗し、同年3月15日にイギリス資本の石油会社を国有化することを宣言したのでした。その前にイギリスは妥協案をモサデクに提案するもモサデクは「イギリスによるイラン支配を継続する目論見だ」として蹴ったのだった。

イギリスのみならず欧米系の資本を追い出し、国有化をエスカレートしたのだが、当然イギリスが黙っているわけがなくモサデクを権力から引きずり下ろそうとしたが、モサデクはソ連に接近して関係強化を目論んだのだった。イギリスに対する反抗としてモサデクはあらゆる手段を取ったのです。
イランの共産主義化に危機感を持った米英、そこでイラン産の石油を国際石油市場から締め出すと言う経済制裁に打って出て、これによりイランは経済危機へと陥りモサデクは窮地へと立たされたのでした。モサデクに止めに刺そうとアメリカはCIAをけしかけてモサデクと対立していたモハンマド・レザー・シャー王朝を利用してモサデクを失脚へと追い込み、逮捕へと至ったのです。

米英にしてみればイランを自分たちの傀儡にしようとしたが、それに反発するモサデクは「目の上のたんこぶ」でしかなく、自分たちに都合のいいシャー王朝を立てればいいとしてイランは親欧米のシャー王朝を中心とした国家体制となったのでした。アバダン危機は終わったものの石油利権の配分は米英などが牛耳ってイラン国民には恩恵を受けない不条理なものと再びなったのです。それでもシャー王朝が米英にとって都合のいい傀儡だった為、シャー王朝はモサデク政権で悪化した欧米との関係改善へと乗り出したのは言うまでもない。
当時は東西冷戦の最中で、アメリカを中心とした西側陣営は独立したてだったアジアやアフリカなどを自分たちの陣営に組み込もうとあらゆる手を使い、左派的な勢力が台頭すれば内政干渉して自分たちに都合のいい勢力を支援し独裁化することも厭わなかったが、当然イランもそうなったような気がする。

ただ、石油利権を巡る不条理さと親欧米的なシャー王朝への反発、それを支援する欧米に対するイラン国民の怒りは沸々と積もり、後年イラン革命へとつながることになるのです。

theme : 歴史雑学
genre : 学問・文化・芸術

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