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仕事しない方の「ゆで」? いやさ目立つ方の「ゆで」

私の独断で「ドラえもん」よりも7000万倍面白いと見なす作品の一つ「キン肉マン」、その作者であるゆでたまご、シナリオ担当の嶋田隆司と作画担当の中井義則の2人からなるユニットでありますが、その中でもメディア露出度が高い方がシナリオ担当の嶋田で、インタビューなどのイベントではもっぱら嶋田が出ることで、一部から「仕事しない方のゆで」とも揶揄されてますが、どちらかと言えば「目立つ方」だと思います。
そんなわけで今から55年前の今日1960年10月28日は、仕事しない方、いやいや目立つ方のゆで、嶋田隆司が生まれた日です。

1960年10月28日、大阪市西淀川区で生を受けた嶋田隆司、子供の頃から漫画が好きな上にやんちゃな子供でしたが、小学4年の時に後のパートナーとなる中井義則が転校したことで半ば運命の出会いとなったのです。
クラスこそ違えど同じ団地に住んでいたことで通学バスで乗り合わせる内に知り合うようになり、5年生の時嶋田の家に中井が遊びに来た際、そこで嶋田が描いた「キン肉マン」と出会ったのでした。言うなれば「キン肉マン」は中井に出会う前から大学ノートに嶋田が描いたものだったのです。作画担当の中井ではなく嶋田が描いたものがその始まりだったとは・・・。
中学生の時、藤子不二雄Aの「まんが道」を読んだことで漫画の合作を意識するようになり、バトルアクションなど様々なジャンルを描くも嶋田・中井がお互いに大学ノートに描き合う形だったけど、2年生の時初めての合作となる「ラーメン屋のトンやん」が近鉄漫画賞にノミネートされ、そこから漫画家を目指すようになったのだった。

高校に進学しても漫画家への夢は抱き続け、そこから嶋田がシナリオを、中井が作画をと分担作業し始めたものの、お互い父親が死別したことから高校卒業すれば就職を余儀なくされる、高校卒業までに漫画家にならねばならないとの危機感から赤塚賞に「ゴングですよ」手塚賞に「マンモス」を投稿するも落選、ダメかと思いきや拾う神もありと言うことで集英社に見出されたのだから、それもあってか1978年「キン肉マン」で赤塚賞準入選を果たし「週刊少年ジャンプ」にて掲載、当初編集部からいい目で見られなかったけど当時「ジャンプ」で編集長を務めていた西村繁男氏に見出され、折しも低年齢層の読者を獲得しようとする考えと一致したことで連載が始まったのです。
ただこの時嶋田・中井共に就職が決まってたものの西村氏は大阪まで出向いてお互いの親を説得した上で「例え漫画家としてダメでも再就職の世話をする」として漫画家としての生活を保証すると言ったのでした。後年「そんなアテはない」と西村氏に言われたけど・・・。

「キン肉マン」は当初ギャグだったものの「超人オリンピック」を始めたのと同時にプロレス漫画へと路線を変更、また読者からのファンレターがきっかけで始まった「超人募集」もこの頃から始まったのでした。
その後の「アメリカ遠征編」はマニアック過ぎたのか人気が低迷、仕切り直しで再び「超人オリンピック」を始め人気を取り戻しました。嶋田曰く「万人ウケを狙うと上手く行かない」とその後の教訓にしている。
直感力もあるせいか「7人の悪魔超人編」ではキン肉マンのお目付け役であるアレキサンドリア・ミートを悪魔超人たちがバラバラにしてパーツを一つづつ取り戻すと言うものだが、嶋田の直感力から生まれたのだった。また「キン肉星王位争奪編」は「キン肉マンと瓜二つの超人がいっぱいいたら面白い」との直感力からである。
「王位争奪編」中には腰痛を訴えたせいで3ヶ月休載すると言うアクシデントもあった。この時キン肉マンからゼブラにキックした足が戻らなくなったことで「うらむぜ、ゆでたまごの嶋田のヤロー」とツッコまれた。

人気作となるも当時の「ジャンプ」は人気作がひしめく群雄割拠、まして読者アンケートの結果で左右される世界だけに「絶対に負けられない」との意気込みもあったのです。ライバル関係もあったから熱も入ったと言うことですか。
人気を博した上にテレビアニメ化もされ、それと並行して「闘将!! 拉麺男」を「フレッシュジャンプ」にて連載したのでした。これには宮下あきら氏が「激!! 極虎一家」のキャラクターの1人、枢斬暗屯子を主人公としたスピンオフ作品を描くと言う噂話が影響している(それはただの噂話だったが)。
「キン肉マン」の第1巻(ジャンプ・コミックス版)にて「やったぜーっ! とうとう念願かなって、キン肉マンが単行本になったぞーっ!! もうベストセラーまちがいなし! そうなれば本だけでなく、テレビ化・・い、いや映画化だって夢ではないし、町ではキン肉マンの人形やお菓子だって売りだされ子どもたちはそれを持ってキン肉マン音頭の大合唱。そして、ぼくたちはというと、連日のテレビ出演で大いそがし。あらあ・・夢だろうな・・やっぱしーっ!」との作者メッセージが書いてますが、それを見事に実現したのだった。何気なく書いたメッセージが現実のものとなったけど、このメッセージを実現しようとする努力の賜物と言っていいです。

1987年に「王位争奪編」の終了に伴い「キン肉マン」の連載が終了、その後「ゆうれい小僧がやってきた!」などを連載するも全く振るわず「ジャンプ」から離れて他誌に移るもこれまた振るわず、いつしか「あの人は今」的な位置に追いやられるも「キン肉マン」の作者であることを活用しプロレス界をはじめ多方面で交流をするようになったのです。

1997年「週刊プレイボーイ」にて「キン肉マン」の続編である「キン肉マンⅡ世」の読み切りを書いたことから翌年に連載が開始、過去の人気作の続編となるリバイバル漫画の火付け役となったのでした(「ドカベン プロ野球編」もだが)。後年「ジャンプ」系人気漫画の続編が次々と世に送り出されますが、そのきっかけを作ったのです。このヒットもあり再びゆでたまごは注目をあつめるようになり、特に嶋田に取材の以来などが殺到した。

2007年に結婚、その後も「キン肉マン」を中心としたメディア展開を継続し、ツイッターで情報を発信するなど近況報告にも全力を出す嶋田、いやさゆでたまごは今もキン肉マンの「火事場のクソ力」「友情パワー」よろしく精力的に活躍を続けてます。
「キン肉マン」は「ドラえもん」よりもためになる作品です!! これからも「キン肉マン」で頑張って下さい、ゆでたまご。

theme : 漫画家
genre : アニメ・コミック

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