山本昌もユニフォームを脱ぐ
和田一浩、小笠原道大、谷繁元信が今季限りで引退を表明してますが、この人もついに・・・!!
「きのうチームの今季本拠地最終戦でナゴヤドームに行き、若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、ボクが残ったらダメだと強く感じ、引退を決めました」と自身の公式ホームページにて引退の理由をこう綴りましたが、中日は既に和田・小笠原・谷繁と言ったベテラン陣が相次いで今季限りでの引退を表明しており、若返りが急務とされてるだけにこれ以上現役を続けてはいけないとの思いから、綺麗サッパリ引退したほうが今後のチームの為になると考えたんでしょう。
32年間で219勝、最多勝3回、プロ野球最年長でのノーヒットノーラン、かつNPBにおける最年長勝利を更新するなど数々の記録を作ってきた山本昌、20年やるだけでもすごいがそれを遥かに上回る32年も現役、脱帽も脱帽です。
おそらくこのような選手はもう表れないのだろうかとすら思いますね。
球界を長く牽引してきたサウスポーの1人・山本昌、彼もまた名投手の1人として刻まれるでしょう。
長年着用してきた背番号「34」はおそらく中日の永久欠番となるんでしょうか、お疲れ様でした。
あの山本昌が今季限りで引退表明、プロ野球界のレジェンドと呼ぶべき名投手にも何かこの日がやって来たって感じです・・・。引用
球界最年長の山本昌 今季限りでの引退発表「とってもすっきりしています」
プロ野球最年長の中日・山本昌投手(50)が25日、自身の公式ホームページで今季限りの引退を発表した。
「視界良好」としたタイトルで、「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました」とし「8月の登板で故障して以来、どうするべきか悩みに悩みましたが、きのうチームの今季本拠地最終戦でナゴヤドームに行き、若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、ボクが残ったらダメだと強く感じ、引退を決めました」と悩んだ末の引退を決意したことを報告した。
すでに25日、中日の白井オーナーには報告したという。
山本昌は、以前に落合博満GMから現役を続行するかどうかについて、一任されていることを明かしていたが「やるかやらないかを決めるのではなく、だれもやめろとは言わないので、自分で決断しなさいという意味だったのだと、今は理解しています」つづっている。
今季は、3月に教育リーグで右膝を故障したが、リハビリを経て6月中旬に実戦復帰。2軍戦7試合に登板し、防御率は2・36。8月9日に1軍で登板したが、投球中に左人さし指を痛めて1回0/3、22球で降板してしまった。
勝利を挙げればジェイミー・モイヤーが持つ49歳180日の大リーグ記録を超える「世界最年長勝利」の達成とあり「実現できなかったのは残念ですが、ボク自身は心を決めた今、とってもすっきりしています」としている。
また、「とにかく、ファンのみなさんのご声援がなければ一歩たりとも進めなかった32年間でした。感謝、という言葉しか、思いつきません。こんな幸せな野球人生は、生まれ変わっても二度と送れないでしょう」とファンに感謝していた。
「世界最年長勝利」は達成できなかったが、通算32年間のプロ野球生活で580試合に登板し219勝165敗を記録。3度の最多勝など5つのタイトルを記録、2006年9月16日の阪神戦では、41歳1カ月というプロ野球史上最年長ノーヒットノーランも達成した。
誰よりも長いプロ野球選手生活で、いくつもの記録を刻んできたレジェンド。記憶にも記録にも名を残して、自ら選手生活に終止符を打った。
[ 2015年9月26日 06:02 「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より
「きのうチームの今季本拠地最終戦でナゴヤドームに行き、若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、ボクが残ったらダメだと強く感じ、引退を決めました」と自身の公式ホームページにて引退の理由をこう綴りましたが、中日は既に和田・小笠原・谷繁と言ったベテラン陣が相次いで今季限りでの引退を表明しており、若返りが急務とされてるだけにこれ以上現役を続けてはいけないとの思いから、綺麗サッパリ引退したほうが今後のチームの為になると考えたんでしょう。
32年間で219勝、最多勝3回、プロ野球最年長でのノーヒットノーラン、かつNPBにおける最年長勝利を更新するなど数々の記録を作ってきた山本昌、20年やるだけでもすごいがそれを遥かに上回る32年も現役、脱帽も脱帽です。
おそらくこのような選手はもう表れないのだろうかとすら思いますね。
球界を長く牽引してきたサウスポーの1人・山本昌、彼もまた名投手の1人として刻まれるでしょう。
長年着用してきた背番号「34」はおそらく中日の永久欠番となるんでしょうか、お疲れ様でした。