下村文科相、辞めても解決にはなりません
新国立競技場といい、エンブレム問題といい、どうもワケありすぎる2020年の東京オリンピック、誰も責任を取らないまま時間が経ってますが今頃になってこのお方が・・・!!
安倍晋三総理に慰留されるも辞任を選んだ下村文科相、辞めてケジメをつけると言うタイミングが大いに外れてます。
説明責任をせずに辞任するのって、あまりにも無責任で世論をバカにしているとしか言い様がないし、自分の不手際のせいで問題をさらにややこしくしたことへの罪の意識はあるのだろうかとも言いたくなります。
責任を組織委員会などに丸投げする姿勢もまたしかりで、これが文部科学相なのかと思うし「教育的指導!」ってツッコミたくもなるよ。
「7月に計画が白紙撤回された時点で辞めるべきだった。今世紀最大級の国家プロジェクトに失敗した責任者が辞めないのはおかしい。モラルハザードだ」とスポーツ評論家の玉木正之氏は遅すぎる辞任を批判したけど、当たり前でしょう。国家の威信をかけたスポーツイベントのプロジェクトに失敗しておいてすぐに辞めなかったことは批判されて当然です。
どうも日本は問題が起こったりすると、責任者と言うべき人物が日和見的な見方を取って問題を丸投げしたり曖昧な態度で釈明する傾向があるけど、ケジメと言うのがないのかと言いたくなるし自分の保身を重視するあまりことを大事にしたくないって考え丸出しもいいところだよ。公よりも個を重視する弊害にも映る。
問題を起こしておいてその責任者がのほほんと居座ってちゃ他の者に示しがつかないですし、こんな厳しさが足りない環境ではいつまで経っても組織は変わりません。
「新国立競技場建設は日本の公的事業の構造的な問題を露呈した。責任があいまいな有識者会議が存在したり、第三セクターの予算などへの行政チェックが甘くなりがちな実態を示した」「大臣が辞めれば済むのでなく、構造的な病巣をえぐり出す好機とすべきだ」と厳しく指摘する声が上がってますが、公的事業の大問題を露呈したと言ってるんでしょう。いかに日本の公的事業が腐敗しているってことを。
責任者が辞めれば済む問題ではない、全くその通りで説明責任を果たすなど最低限の態度を示さないことには世論は納得しないし、下らない責任転嫁に終始するのは実に低レベルだってことです。まして責任の所在を曖昧にしたまま次に行くなんて考えは論外です。
遅すぎたケジメの辞任、これでは世論を余計怒らせるだけです。
下村文科相の辞任に続いて、次は森喜朗氏がケジメを取って辞めるべきだし、それに伴い国会議員も辞めたほうが今後の日本の為だ。今回の不手際の責任を取って辞任すべきは下村文科相だけじゃない、森喜朗もだ!!
新国立競技場問題の責任を取って25日、辞任を表明した下村博文文部科学相、2ヶ月前に計画が白紙になりながらも責任を取らずに文科相の座に居座り続けたことで反発を喰らいましたが、今頃になっての辞任表明はあまりにも「遅きに失する」です。引用
下村文科相辞意:説明責任どこへ 遅すぎた「けじめ」
下村博文文部科学相が25日、新国立競技場問題で、安倍晋三首相に辞任を申し出ていたことを明らかにした。硬い表情でやや顔を紅潮させながらの「遅すぎるけじめ表明」だった。首相から慰留され、給与を自主返納するというが、関係者からは「遅きに失した」「説明責任はどうなった」などと厳しい声が相次いだ。
日本陸上競技連盟の尾県(おがた・みつぎ)貢専務理事は、慰留されたとはいえ辞意を申し出たことについて、「これだけ大きく国民を巻き込む問題になった。下村氏は責任ある立場でありその判断はやむを得ない」と冷静に受け止めた。事業主体となる日本スポーツ振興センター(JSC)の体制強化に加えて、10月1日にスポーツ庁が発足する。「指揮系統を含めて組織間の連携をはっきりさせる必要がある」と指摘した。
槙文彦氏ら建築家グループで計画見直しを訴えてきた大野秀敏・東大名誉教授は「新国立競技場建設は日本の公的事業の構造的な問題を露呈した。責任があいまいな有識者会議が存在したり、第三セクターの予算などへの行政チェックが甘くなりがちな実態を示した」と指摘。「大臣が辞めれば済むのでなく、構造的な病巣をえぐり出す好機とすべきだ」と述べた。
スポーツ評論家の玉木正之さんは「7月に計画が白紙撤回された時点で辞めるべきだった。今世紀最大級の国家プロジェクトに失敗した責任者が辞めないのはおかしい。モラルハザードだ」と話した。
組織論が専門の太田肇・同志社大教授は新国立競技場問題について「意思決定のプロセスや変化への対応が密室で行われたような印象を受け、集団的無責任体制という日本の組織の悪い面が表れている」と指摘。給与返納という責任の取り方については「自分に罰を与えたのだから許してくれという意味でしかなく、責任を取ったとはいえない。なぜ悪かったのか、どこに責任があったのかを国民の前に明らかにすべきだ」と注文する。
文科省のある幹部は「全然知らなかった」と驚きを隠せない様子。ただ、「記者会見が始まる時の大臣の表情を見て何かあるのかなと思った」と振り返った。別の幹部は「辞任といっても(10月予定の)内閣改造までの話だからねえ……」と淡々と受け止めた。
一連の問題では、JSCを所管するスポーツ・青少年局の前局長が定年まで1年半を残して既に退職し、事実上の更迭とみられている。
毎日新聞 2015年09月25日 11時44分
安倍晋三総理に慰留されるも辞任を選んだ下村文科相、辞めてケジメをつけると言うタイミングが大いに外れてます。
説明責任をせずに辞任するのって、あまりにも無責任で世論をバカにしているとしか言い様がないし、自分の不手際のせいで問題をさらにややこしくしたことへの罪の意識はあるのだろうかとも言いたくなります。
責任を組織委員会などに丸投げする姿勢もまたしかりで、これが文部科学相なのかと思うし「教育的指導!」ってツッコミたくもなるよ。
「7月に計画が白紙撤回された時点で辞めるべきだった。今世紀最大級の国家プロジェクトに失敗した責任者が辞めないのはおかしい。モラルハザードだ」とスポーツ評論家の玉木正之氏は遅すぎる辞任を批判したけど、当たり前でしょう。国家の威信をかけたスポーツイベントのプロジェクトに失敗しておいてすぐに辞めなかったことは批判されて当然です。
どうも日本は問題が起こったりすると、責任者と言うべき人物が日和見的な見方を取って問題を丸投げしたり曖昧な態度で釈明する傾向があるけど、ケジメと言うのがないのかと言いたくなるし自分の保身を重視するあまりことを大事にしたくないって考え丸出しもいいところだよ。公よりも個を重視する弊害にも映る。
問題を起こしておいてその責任者がのほほんと居座ってちゃ他の者に示しがつかないですし、こんな厳しさが足りない環境ではいつまで経っても組織は変わりません。
「新国立競技場建設は日本の公的事業の構造的な問題を露呈した。責任があいまいな有識者会議が存在したり、第三セクターの予算などへの行政チェックが甘くなりがちな実態を示した」「大臣が辞めれば済むのでなく、構造的な病巣をえぐり出す好機とすべきだ」と厳しく指摘する声が上がってますが、公的事業の大問題を露呈したと言ってるんでしょう。いかに日本の公的事業が腐敗しているってことを。
責任者が辞めれば済む問題ではない、全くその通りで説明責任を果たすなど最低限の態度を示さないことには世論は納得しないし、下らない責任転嫁に終始するのは実に低レベルだってことです。まして責任の所在を曖昧にしたまま次に行くなんて考えは論外です。
遅すぎたケジメの辞任、これでは世論を余計怒らせるだけです。
下村文科相の辞任に続いて、次は森喜朗氏がケジメを取って辞めるべきだし、それに伴い国会議員も辞めたほうが今後の日本の為だ。今回の不手際の責任を取って辞任すべきは下村文科相だけじゃない、森喜朗もだ!!