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しつけまで知識偏重では何もならない

 学校教育もそうだけど、家庭でのしつけもまたどうも知識偏重になっているところがあるんだよね・・・。
 確かに子供を立派な人間に育てようと言う気持ちは分かる、けどただ勉強だけさせて偏差値を上げたところで、果たしてそれでいいのかとすら思うね。まァ目的は自分の子供が一流校に入って、一流企業に入れたいのが目論見だが、どうも親が勝手なシナリオを描いているとしか言えないです。

 そして子供は親に気に入られたい、いい子だと言うところをアピールする目的で良い点を取る為だけに勉強する。これが結果として「なぜ勉強するのか」と言う質問をすれば、必ず「親が喜ぶから」「親がテストの点数を気にしてるから」と言う回答が半分以上出てくるけど、親からの評価の為に勉強してるのかと言いたくなるし、どうも自分の為にやっているのかと言えば疑問を投げかけたくもなります。
 自分のステータスを上げる為でなく、周り特に親からの評価を上げる目的でやっている。子供は親の庇護なしでは生きていけないからか、親の欲望と言うか希望に応える為にそれをやらされているとも感じます。
「人間の欲望とは他者の欲望である」とフランスの精神分析家ジャック・ラカンはこう言ったが、他者の欲望まで背負ってまで生きねばならないものだと言うことを分析している。即ち子供は親の欲望を背負って生きる「宿命」にもあるのだろうか。

 しかし、その知識偏重のしつけがもたらす弊害の大きさは、計り知れないものであることを理解しているのだろうか。
 親の希望に応えて必死に勉強して、私立の進学校に入学したのはいいが、授業についていけずに精神的に追い詰められて鬱になって、いつしか不登校となって自分の部屋に引きこもってゲームやネットに熱中するようになった。その理由として父親が医師だから子供を何としてでも医者にさせようと、母親が子供に対し小学校に入学してすぐに勉強漬けの日々を送るようになったが、期待に応えて進学校に入ったのに、授業についていけずその鬱憤が爆発して、親に暴力などを振るうようになった。親が子供に対して過度な期待を背負わせた反動の大きさを物語るだろう。子供に過度な期待をかけさせ、体罰も厭わないしつけはいい子育てとは程遠いです。

 偏差値で人間の価値を決めるのは大間違いだと言うことはかねてから思うことだが、学校教育だけでなく家庭でのしつけもまた知識偏重で偏差値重視では差別や偏見を助長しているに過ぎないし、成績が上がれば優遇するが、ちょっとでも成績が下がると扱いが違う、勉強の出来不出来で人間の価値を決めつけるのは、差別や偏見を助長しているに過ぎないです。
 人生において大事なこと、人としての何たるかなどを教えずただ勉強だけさせて我が子の偏差値を上げ、いい学校に入っていい会社に入ればそれでいいなんて言うのは一種のエゴにしか映らないです。知識偏重の教育だけでは社会に出た時、何の価値もないのだ。

 日本社会は過剰に競争を煽ったせいで、過度の受験主義や偏差値重視の考えが有難がられるようになったけど、教育現場だけでなく家庭でもそれを有難がったせいで金属バット殺人事件や奈良の自宅放火殺人未遂事件のような痛ましい事件が起こったんじゃねェのかって言いたくなる。これについて「過度の偏差値重視主義が招いた」って批判した識者はいたんでしょうか?

 子供を立派な人間にする以上、知識偏重のしつけや教育ではいずれ社会で通用しないと言うことを親もまた理解すべきなんじゃないですかね!! 勉強も大事だが人間性や倫理はもっと大事だ!! 
 相変わらず「立派な人間=勉強が出来る人間」と言う偏った幻想を親が抱きがちなきらいがあるが、勉強が出来たって人間性が出来てなければ、それは立派な人間とはいえないのです。

theme : 偏差値教育の問題
genre : 学校・教育

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