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なぜ個性を重視しないのか

 昔も今も教育現場において、どうも個性と言うものが軽視されている感じがしてならないと思うんだよ。教育者の役割は子供を伸ばすことにあるのに、それすらしないと言うのはどうもおかしくてならない。

 これには日本社会全体の問題でもあると思うんだ。平均的かつ同じ考えや価値観ばかり持った人間ばかり増えて枠からはみ出した人間を一方的になじるのって、どうもおかしい。周りと考えや価値観が違うのは一種の個性だと見なしてもいいはずなんだけど。

 これまで日本の教育現場では、個性を否定して競争を煽り、黙って親や教師などから与えられた任務だけを遂行しているマニュアル通りにしか動かない平均的な人間ばかり作ってきたことを間違いだって思ってないのかとすら言いたくもなります。結果としてこれが自分の意見や主義主張を出さずにただ周りに迎合することを厭わない「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」的な価値観を正当化する社会になってしまったのは、教育の責任があまりにも大きいよね。自分の個性を殺して周りにただついて行くだけでは、まともであるわけがない。だから立派なリーダーが育たない。

 こう日本の教育現場が個性を否定する教育を施すのは、どうも日本人が変に集団主義に固執してることにあるんだよね。前述した「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」的な考えでただ周りについて行くきらいがある体質もまたそうだと思うんだ。よく欧米人から「日本人は常に集団でしか行動できない」「自分ですすんで行動できない」って指摘されるのも無理はない。
 だから誰かが右を向いたら右。的な風潮だって出来るし、コメンテーターが同じことしか言わないし、ただ周りに迎合しているだけな風潮になってよけいおかしくなったんじゃないかって思うんだ。言うなれば、これが個性を軽視した教育のなれの果てだ。いじめや体罰、ブラック企業の問題だってその弊害が生み出したツケである。人間平等と言いながら個性を否定するのは思いっきり矛盾も甚だしいし、排外主義につながってもおかしくない。

 人間はそれぞれ考えや価値観が違うのは当然のこと、人にとって百人百様の答えが出て当たり前なのに、みんな同じ考えや価値観しか持たない人間ばかりじゃつまんない社会になっていずれ堕落するのがオチだ。
 元プロ野球監督・野村克也氏は持論で「固定概念は罪」と掲げてるが、異分子や異端児であろうがハナッから拒絶するのではなく、相手を理解尊重して接することが指導者として相応しいと言うことだけど、これはイチローを引き合いに出してのことだろうね。イチローがオリックス入団当時の土井監督がイチローの代名詞である振り子打法を一方的に否定し、起用しなかったが土井の後任である仰木彬がイチローの才能や個性を見出して起用し、その後の活躍は言うまでもないが、固定概念に囚われていてはダメなのだ。これは学校教育の現場にも当てはまる。いつまでも固定概念に固執してはイノベーションもあったもんじゃないし、進歩すら見られない。なおかつ自分たちと考えや価値観が異なる人間をつかまえてその人を一方的に否定して拒絶しようとする姿勢こそ、多様性を知らない愚かなことではないだろうか。

 個性を理解して尊重し接することが教育現場に必要であって、型にはめて個性を殺すような教育ではかえってエゴイズムを助長するだけでもあります。個性を否定する教育はいじめや差別、偏見を助長するだけでしかないと言うのを、今まで知識偏重で生きてきた教育者は骨の髄まで理解すべきではないでしょうか!?

 さらにもう一つ「子供の気持ちを思い描かない親や教育者に明日はない!」です。個性を尊重して伸ばすことがこれからの教育現場に必要です。

theme : これでいいのか日本人
genre : 心と身体

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