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日本サッカー史上最も忘れられない日

 今やワールドカップ常連国になりつつある日本、今では信じられないがかつては弱く、ワールドカップは遠い存在でしかなかったが、90年代に入ってから着実にレベルアップして、折しも93年のJリーグ発足によるプロ化で代表も評価されたのでした。強化の途上にあるこの時、実はワールドカップ初出場が見えた瞬間がありました!! しかし結末は僅かな差で初出場を逃すと言う苦いと言うより、経験不足などを露呈する課題まで残る結果とも取れます。そしてそれは日本サッカー史上における歴史的な1ページとして記憶に残ってます。そんなわけで今から20年前の今日1993年10月28日は、アメリカワールドカップアジア最終予選、日本対イラクがカタール・ドーハで行われた日です(ドーハの悲劇)。

 1993年、日本サッカーはJリーグ発足の影響もあり、日本代表もまた前年のダイナスティカップ制覇に伴い注目を集めていたのでした。
 そして同年にはアメリカワールドカップアジア最終予選がカタールの首都・ドーハで行われ(なぜドーハだったかと言うと、当時湾岸戦争の後遺症が未だ残っていた為、ホーム&アウェー方式が難しいことから中立地であるドーハが選ばれた)、サウジアラビア・韓国・北朝鮮・イラン・イラクと2つの出場枠をかけて戦ったのでした。
 当時の主力として三浦知良・ラモス瑠偉・中山雅史・柱谷哲二・井原正巳・北澤豪などがいたが、今考えたらば懐かしく感じます。監督はハンス・オフトと言うことも。

 初戦のサウジ戦はサウジの強固なディフェンスを崩せずスコアレスドロー、続くイラン戦は1-2でまさかの黒星を喫して後のない状況にいきなり追い込まれますが、次の北朝鮮戦は3-0で完勝し、続く相手はこれまで苦杯を喫していた韓国でしたが、三浦知良が挙げたゴールをそのまま守りきって1-0で勝利すると言う劇的な結末となり、この時点で首位に立っていることから、ワールドカップ初出場が現実味を帯びてきたのでした。
 ただこの時、韓国に勝ったことで一部の選手は浮かれていたが、当時キャプテンとして牽引していた柱谷哲二は「まだ終わってないんだ!」と強く一喝したのだった。同じくラモスも「お前ら、韓国に勝つ為に来たのかよ!」と一喝し「アメリカはまだ遠い」と危機感を示したのでした。

 そして今から20年前の今日1993年10月28日、アル・アリスタジアムで行われた日本対イラク戦、日本は勝てば初出場が決まるが、負ければ予選敗退、引き分けだとサウジ及び韓国の結果次第と言う条件の中、運命のホイッスルが鳴りました。
 
 日本は4-3-3の攻撃的布陣をしいて挑み、前半5分に三浦のゴールであっさり先制し、幸先のいいスタートを切り、その後イラクの猛攻をしのいで1-0のまま前半を終えたのだったが・・・。
 後半に入るとイラクが主導権を握るようになり、後半10分にイラクのアーメド・ラディに同点ゴールを決められ、その後もまたイラクの運動量に手こずるようになったのです。おそらくイラクも本大会出場をかけて必死になっていたと言えます(その背景には当時イラクのスポーツ界を支配していたウダイ・フセインから「負けて帰ってきたら鞭打ち刑だ」と脅されていた、また湾岸戦争の敵国であるイラクをアメリカワールドカップに出場させたくない為か、この最終予選ではイラクに不利なジャッジが頻繁にあった)
 同点のまま迎えた後半23分、ラモスのスルーパスにうまく反応した中山が鮮やかにゴールを奪い、2-1と勝ち越したのだった、が! ここに来て明らかに日本は運動量が低下してきたのでした・・・。イラクに圧倒的に攻められ、ディフェンスラインが後退する状況が続いたのだった・・・。この時ラモス以下ピッチの選手たちはベンチに対し「北澤!」と叫んでいたのだった、それは中盤のカンフル剤的な北澤を投入すればイラクの攻撃をしのげると思ったものの、オフト監督の取った判断は武田修宏と福田正博のアタッカー陣を投入したのだった・・・。
 時間は進んで2-1のまま後半ロスタイム、直前にイラクがコーナーキックを得た為、ここをしのげば100パーセントアメリカ行きが見えたのだったが・・・。ラクのキッカーはセンタリングでなくショートコーナーを放ち、これに日本側の対応が遅れ、そこからセンタリングを放ち、そこにいたオムラム・サルマンがヘディングで合わせ、緩やかな放物線上を描いてゴールへと吸い込まれたのだった・・・。2-2の同点、この瞬間日本代表の殆どの選手は愕然としてその場にしゃがみこんでしまい、ラモスは「神様・・・!」とつぶやいたのだった・・・。そして試合終了、その場にしゃがみこんでしまった選手は意気消沈した表情で、ある者は号泣するなどあまりにも残酷な結末と言うか現実に立たされた一幕と言えます、天国から一転して地獄へ、まさにそれが当てはまります。
 さらにサウジはイランに4-3で、韓国が北朝鮮に3-0で勝った為、日本は得失点差で3位となって敗退の憂き目となったのです・・・。

 この試合を中継したテレビ東京は視聴率48パーセントと言う同局最高を記録し、またNHK-BS1も放送し、深夜にも関わらず高視聴率を稼いたが、いかにサッカー日本代表に対する期待が高かったことの現れと言えます。この頃からサッカーに対する興味・関心の増加が始まったこともあるが。

 失意のまま帰国した日本代表だったが、空港で「感動をありがとう」と大喝采を浴び、予選敗退にも関わらずこれほどまでの対応には、選手たちはおろか同行記者の中には呆気に取られた感じもします。ラモス曰く「結果を出せなかったから石を投げつけられて当然」との覚悟もあった。当時同じ境遇だったフランスは国内世論から厳しいバッシングにあっていたことを引き合いに出したこともある。

 その後日本代表はこの悔しさを胸に成長し、1998年のフランス大会予選では3位決定プレーオフで勝利し初出場を決めるなど(ジョホールバルの歓喜)、そこから日本はアジアの強豪へと突き進むことになるが、このドーハの悲劇は日本代表に対し「試練」と呼ぶべきものを突きつけた試合であることは間違いない。
 そしてそこから20年後、同じくアジア最終予選でイラクとドーハで相まみえた日本、1-0で勝利しその悲劇を払拭するものとなったのだから、もはやドーハの悲劇ではなくなったのだが・・・。

theme : サッカー日本代表
genre : スポーツ

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