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元阪急・アニマルが帰らぬ人に・・・!!

 この選手も「記録より記憶に残る選手」の一人でしたね・・・。

引用

元阪急アニマル投手急死 54歳、腎不全7カ月前から人工透析

 元阪急ブレーブスの投手で、引退後は「亜仁丸レスリー」の芸名でタレント活動もしたアニマル・レスリー=本名・ブラッド・レスリー=さんが27日(日本時間28日)、米カリフォルニア州マリナ・デル・レイの病院で腎不全のため死去した。54歳。同州出身。米芸能サイト「TMZ」が29日(同30日)に報じた。

 前妻のチホ・スビモノフさんが同サイトの取材に対し、レスリーさんの死亡を確認したと答えた。レスリーさんは腎臓疾患のため、7カ月前から人工透析を受け、自宅療養を続けていた。危篤との報告を受けたチホさんは、病院に駆けつけたが息を引き取ったあとだったという。

 1986年に来日。198センチの巨体がマウンド上で雄たけびを上げ、味方捕手を殴ってスキンシップを図る特異のパフォーマンスで人気を博した。86年は19セーブをあげたが翌年は5セーブで現役を引退。通算7勝5敗24セーブだった。

 その後「亜仁丸レスリー」としてタレントに転身し、TBS「風雲!たけし城」やCMに出演。帰国したあとも、「ミスター・ベースボール」(92年)、「リトル・ビッグ・フィールド」(94年)、「スペース・ジャム」(96年)、「バディ」(2000年)などの映画に出演した。

 アニマルのニックネームは、来日前からマウンド上で派手なガッツポーズをしていたことから付けられた。78年にドラフト1巡目で大リーグ、レッズに指名されて入団し、82年にメジャーデビュー。

 同年、101敗を喫したチームの中で、動物のように叫ぶパフォーマンスが話題となった。85年にミルウォーキー・ブルワーズに移籍。メジャー通算1勝3敗6Sだった。

 闘病生活前まで、レスリーさんは、サンフランシスコにあるジャイアンツの練習施設で少年野球の指導に当たっていたという。おとなしい選手の多い日本野球に衝撃を与えた外国人選手の1人だった。

 「『ZAKZAK』2013.04.30付記事」より
 マウンドでの派手な雄叫び、キャッチャーをどつくと言ったパフォーマンスで人気を博した元阪急のピッチャー、アニマル・レスリー、当時を知る世代にとって強烈な印象を与えたことは間違いないし、阪急退団後も日本に残ってたけし軍団の一員として活躍したのは記憶にも残るでしょう。
 そのアニマルが29日にアメリカ・カリフォルニア州の病院で腎不全により死去、数ヶ月前からこの病気を患っていたこと自体驚きです・・・。

 1986年に阪急に入団し、ストッパーとして19セーブを挙げただけでなく、前述のパフォーマンスで人気を博し、球団史上初の観客動員100万人突破にも貢献するなど、チームに多大な影響を与えたのは言うまでもないです。70年代に黄金期を迎えながら、人気がなかったと言う不幸があった阪急にとって人気向上に貢献したアニマルは願ってもない「客を呼べる選手」だったのでは?
 しかし翌年は成績不振に陥ってこの年限りで引退するものの、強烈なキャラクターを生かして芸能界に移籍し「風雲! たけし城」などのバラエティやCM(カップヌードルでの「Hungry!」と言うフレーズが有名)、映画などで活躍したのだから、当時を知る世代の記憶にも新しいです。

 多分当時の阪急において記録及び記憶に残るならブーマーだが、記憶と言う意味ではそれ以上にアニマルでしょう。おそらくブーマーと並んでチームの人気向上に貢献したことは評価するべきです。

 マウンド上で雄叫びをあげるパフォーマンスで人気を博したと言えば、ギャオスこと内藤尚行もだが、アニマルも忘れてはならないです。いずれも「記録よりも記憶に残る選手」としてプロ野球ファンの間でつとに有名ですから。
 それと、今の時代このような派手なパフォーマンスでファンをやんやさせるような選手っているんでしょうかね・・・。

 ご冥福をお祈りします。

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