fc2ブログ

北アイルランド問題を語る上で欠かせない

「血の日曜日事件」と言うと、まず出てくるのはロシア革命の発端となった1905年の出来事を想起するかも知れないが、これもまた現代史において有名かも知れません。このケースは歴史的は理由で起こったこともそうだし、宗教・領土的な問題も絡んで起こったことで、複雑な事件と言えますが、これは現在もイギリス・アイルランド両国にしこりを残す北アイルランド問題の複雑さを物語るものと言えます。そんなわけで今から41年前の今日1972年1月30日は、北アイルランドで「血の日曜日事件」が起こった日です。

 イギリスに長年支配下に置かれた隣国アイルランド、1922年にアイルランド自由国となって自治領となるも、東北部は北アイルランドと言うイギリスの一領土としてイギリスへの帰属を望んだものの、これにカトリック系のアイルランドが反発し内戦に発展すると言う事態となり、この内戦が現在も続く北アイルランド問題の発端の始まりであり、またアイルランドの政治に多大な影響をもたらしたのは言うまでもない。

 すったもんだの末にアイルランドは1949年に完全なる独立を果たすも(イギリス連邦を離脱し、完全共和制に移行した)北アイルランドのプロテスタント系住民はイギリスへの帰属を望んだ為か、これがカトリックとプロテスタントの対立の火に油を注ぐのであった。
 これを不服とした一部のカトリック市民はIRA暫定派(アイルランド共和軍暫定派)なる過激派組織を発足し、イギリス統治に真っ向から反対して爆弾テロなどを展開するのでした。

 とりわけベルファストに次ぐ北アイルランド第2の都市・ロンドンデリーは、その名がイギリス的だと見なしカトリック系住民から嫌悪の念を持たれたのです。

 アイルランドがイギリス連邦から離脱後もイギリスによるアイルランドに対する恨みつらみは消えず、とりわけ北アイルランドが絡めばなお更でしたから、市民レベルでも北アイルランドを実効支配するプロテスタント、いや反英感情が否応にも高まったのです。
 そんな市民感情に乗ってか、1970年代に入るとIRA暫定派は市民を扇動するポピュリズムへと走り、デモの禁止や裁判なしでの拘留を合法化するイギリスへの抑圧政策に反発し、1972年1月30日、ロンドンデリーで1万人規模の抗議デモを行ったのです。

 デモに参加した市民は「イギリスは北アイルランドから出ていけ!」「アイルランドの土地はアイルランド人のものだ!」とシュプレヒコールを掲げ、市の中心部にあるギルドホール広場へと行進すると、待ち構えたイギリス特殊部隊に対し投石など起こすと、特殊部隊は催涙弾などで応戦し、これにパニックとなった市民はボグサイド地区へと蜘蛛の子を散らすように逃げ回ったのだが・・・!!
 だが、イギリス特殊部隊はデモ参加者を容赦なく弾圧せよと命令が出ており、ボグサイド地区に侵攻すると何と!! 市民に向けて発砲したのです!!
 かつてのアムリットサル事件(イギリス植民地支配時代当時のインドにおいて、1919年にイギリス軍が植民地政策に抗議するインド市民を無差別に殺害した)を想起するような市民への無差別発砲かも知れないです。現代に言えば5年前にチベットで起こった大規模暴動かもしれない。

 これにより14人死亡、13人が負傷すると言う惨劇となり、これはアイルランドの現代史において重大事件の一つに数えられたのです。まして軍が非武装の一般市民に対して殺傷すると言うのは衝撃度が高いと言えます。

 事件後イギリスとアイルランドで主張と認識が食い違い、対立するまでに発展しましたが、近年になってイギリス政府が謝罪表明をしたものの、これは北アイルランド問題の根深さを物語るものと言えます。1998年にベルファスト合意でアイルランドが北アイルランドの自治権を放棄したものの、歴史的に長く続く領土・宗教問題であることに変わりはなく、今もなお続いていると言えますね、この問題は。

theme : 歴史
genre : 政治・経済

comment

管理者にだけメッセージを送る

No title

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
プロフィール

アジシオ次郎

Author:アジシオ次郎
FC2ブログへようこそ!

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード