スポーツは政治の“代理戦争”か?
第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の、決勝戦で今大会5度目の日韓戦に勝利し見事連覇を果たした侍ジャパン、日本では歓喜につつまれたものの、一方の韓国では「ダーティー・サムライ」「運が良い日本 たった4カ国に勝って優勝」と言う相変わらずの日本批判があったものの、一方で「100年に一度の名勝負」「わが国の選手よりも年俸が数十倍・数百倍に達する大リーガーにスポーツの価値が何なのかを教えた真のチャンピオンだ」という称賛もあり、少しは「大人の対応」が出来た感じがしたものの、やはり本心は相変わらずとしか言えないだろう。
今大会5回も日韓戦があり、その度に韓国のマスメディアは「日本、またやってやる」「イチローを集中攻撃しろ」と言う過激なPRで、日本にやたら敵対心をむき出しにした記事で世論をあおり、スポーツを半ば政治に利用しているとしか思えません。
知っての通り、日本と韓国では竹島問題、歴史認識問題、従軍慰安婦問題といった問題が日韓関係に影を落とし、韓国国内ではその都度反日デモや露骨な反日思想でナショナリズムをあおり、スポーツにも飛び火させているのだ。日本人からすれば「いい加減にしろ」「スポーツに政治や歴史を持ち込んで何になる」と言うでしょうね。政治や歴史と文化・スポーツは別なのだから。それでも過去の歴史や現在の問題から出る韓国の日本に対する対抗心、敵対心の激しさゆえに、日韓戦は野球やサッカーだけでなく、全てのスポーツにおいて政治や歴史の“代理戦争”としか言えません。
スポーツは政治の代理戦争というケースは日本と韓国だけに留まらず、アメリカとキューバ(1959年のキューバ革命以降アメリカはキューバと断交、以来対立を続けている)やイギリスとアルゼンチン(1982年に起きたフォークランド紛争により、イギリス・アルゼンチン双方国交を断絶するもその後回復、しかし未だに日韓の竹島問題同様お互いの領有権を巡ってイギリス・アルゼンチン共に対立を続けている)などがそうだが、政治ほど両国のナショナリズムをあおりやすいものはなく、特にスポーツほど感情的になるものもないだろう。
イングランドとアルゼンチンほど、サッカーの対決でこれほど注目を集めるものもないだろうと思います。前述のフォークランド紛争もそうだが、4年後の1986年に開催されたメキシコ・ワールドカップでの準々決勝アルゼンチン対イングランドでの試合で、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナの「5人抜きゴール」とあの「神の手」ゴールでアルゼンチンはイングランドに勝利し、その際アルゼンチン国内では歓喜と熱狂に包まれたのは記憶に新しいところであり、また1998年のフランス・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦で再度戦った際には、イングランドのデビッド・ベッカムがアルゼンチンのディエゴ・シメオネに報復行為を働き退場、という因縁も生まれるなど、イングランドとアルゼンチンほど因縁には事欠かないカードもないだろう。またこの大会ではグループリーグF組でイランがアメリカに2-1で勝利し、その際にイラン国内では歓喜と熱狂に包まれた(1979年のイラン革命、テヘランのアメリカ大使館占拠事件以降アメリカはイランと断交し以降対立を続けている)ように、政治・歴史的背景がからむとその代理戦争と言わんばかりに感情的になってしまうのだ。
去年の北京オリンピックでの聖火リレーでは、中国のチベット弾圧に抗議する世論が重なって全世界で聖火リレーへの妨害行為が頻発した事件も記憶に新しく、オリンピックで言えば1980年のモスクワオリンピックでは前年にソ連(当時)がアフガニスタンに軍事侵攻したことで、これに抗議する形でアメリカ、西ドイツ(当時)、日本などがボイコットしたことで、次のロサンゼルスオリンピックではモスクワの“報復”としてソ連や東ドイツ(当時)など東側諸国がボイコットと、政治的背景がからんできて、半ばスポーツが政治の“代理戦争”という認識が出てしまうのだ。現にこれの最大の被害者は選手たちではあるが・・・。
日本と韓国やイギリスとアルゼンチン、アメリカとキューバだけでなく政治的・歴史的背景がからんで感情的なナショナリズムが起こりやすいカードは他にはこういうものがあると思います。
ドイツ対ポーランド(1939年ナチス・ドイツ、ポーランド侵攻・占領)
ドイツ対オランダ(1940年ナチス・ドイツ、オランダ侵攻・占領)
ドイツ対フランス(1940年ナチス・ドイツ、フランス侵攻・占領以外にもフランス・ドイツ両国共に歴史的因縁は他にもある)
アメリカ対イラク(湾岸戦争、その後の経済制裁、イラク戦争、その後の占領政策、アブグレイブ刑務所における米軍によるイラク人捕虜虐待事件)
アメリカ対パナマ(1989年アメリカがパナマに侵攻し、麻薬で私腹を肥やしていた独裁者マヌエル・ノリエガ将軍を逮捕、表向きは麻薬及び独裁政権壊滅だが、実際はパナマ運河の返還を巡る裏工作でありパナマに対し大規模な軍事介入を行い、またアメリカは露骨な情報統制をして、パナマ側の取材を行わず侵攻に賛同する白人富裕層の意見しか流さなかった)
ロシア対ポーランド(歴史上長きに渡るロシアのポーランドによる搾取と迫害、カチンの森事件《第2次大戦中にソ連軍がこの森でポーランドの将校を虐殺したことから》、その後のソ連主導による共産党支配)
ロシア対チェコ(スロバキア)《ソ連主導による共産党支配、1968年に起こった民主化運動『プラハの春』に対しワルシャワ条約機構を使って軍事介入》
ロシア対グルジア(2008年のグルジア紛争)
イギリス対インド(パキスタン・バングラディッシュ)《セポイの反乱、植民地支配、ローラット法、アムリットサルの虐殺》
イギリス対イギリス植民地だったアフリカ諸国(ガーナ、ナイジェリア、南アフリカ共和国など)《植民地支配》
フランス対フランス植民地だったアフリカ諸国(アルジェリア、モロッコ、セネガル、コートジボワールなど)《植民地支配》
セルビア対クロアチア(セルビア主導のユーゴスラビア併合、第2次大戦中のクロアチア人ファシスト組織『ウスタシャ』によるセルビア人迫害・虐殺、1991年のクロアチア独立戦争など)
セルビア対ボスニア・ヘルツェゴビナ(ボスニア内戦、セレブレニツァの虐殺)
セルビア対アルバニア(コソボ紛争、セルビア人によるアルバニア人迫害・虐殺)
などだと思いますね。私も政治とスポーツは別だと思うけど、政治的な背景や歴史などが絡むと、なかなかそうならないのが現実なのだろうか?
今大会5回も日韓戦があり、その度に韓国のマスメディアは「日本、またやってやる」「イチローを集中攻撃しろ」と言う過激なPRで、日本にやたら敵対心をむき出しにした記事で世論をあおり、スポーツを半ば政治に利用しているとしか思えません。
知っての通り、日本と韓国では竹島問題、歴史認識問題、従軍慰安婦問題といった問題が日韓関係に影を落とし、韓国国内ではその都度反日デモや露骨な反日思想でナショナリズムをあおり、スポーツにも飛び火させているのだ。日本人からすれば「いい加減にしろ」「スポーツに政治や歴史を持ち込んで何になる」と言うでしょうね。政治や歴史と文化・スポーツは別なのだから。それでも過去の歴史や現在の問題から出る韓国の日本に対する対抗心、敵対心の激しさゆえに、日韓戦は野球やサッカーだけでなく、全てのスポーツにおいて政治や歴史の“代理戦争”としか言えません。
スポーツは政治の代理戦争というケースは日本と韓国だけに留まらず、アメリカとキューバ(1959年のキューバ革命以降アメリカはキューバと断交、以来対立を続けている)やイギリスとアルゼンチン(1982年に起きたフォークランド紛争により、イギリス・アルゼンチン双方国交を断絶するもその後回復、しかし未だに日韓の竹島問題同様お互いの領有権を巡ってイギリス・アルゼンチン共に対立を続けている)などがそうだが、政治ほど両国のナショナリズムをあおりやすいものはなく、特にスポーツほど感情的になるものもないだろう。
イングランドとアルゼンチンほど、サッカーの対決でこれほど注目を集めるものもないだろうと思います。前述のフォークランド紛争もそうだが、4年後の1986年に開催されたメキシコ・ワールドカップでの準々決勝アルゼンチン対イングランドでの試合で、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナの「5人抜きゴール」とあの「神の手」ゴールでアルゼンチンはイングランドに勝利し、その際アルゼンチン国内では歓喜と熱狂に包まれたのは記憶に新しいところであり、また1998年のフランス・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦で再度戦った際には、イングランドのデビッド・ベッカムがアルゼンチンのディエゴ・シメオネに報復行為を働き退場、という因縁も生まれるなど、イングランドとアルゼンチンほど因縁には事欠かないカードもないだろう。またこの大会ではグループリーグF組でイランがアメリカに2-1で勝利し、その際にイラン国内では歓喜と熱狂に包まれた(1979年のイラン革命、テヘランのアメリカ大使館占拠事件以降アメリカはイランと断交し以降対立を続けている)ように、政治・歴史的背景がからむとその代理戦争と言わんばかりに感情的になってしまうのだ。
去年の北京オリンピックでの聖火リレーでは、中国のチベット弾圧に抗議する世論が重なって全世界で聖火リレーへの妨害行為が頻発した事件も記憶に新しく、オリンピックで言えば1980年のモスクワオリンピックでは前年にソ連(当時)がアフガニスタンに軍事侵攻したことで、これに抗議する形でアメリカ、西ドイツ(当時)、日本などがボイコットしたことで、次のロサンゼルスオリンピックではモスクワの“報復”としてソ連や東ドイツ(当時)など東側諸国がボイコットと、政治的背景がからんできて、半ばスポーツが政治の“代理戦争”という認識が出てしまうのだ。現にこれの最大の被害者は選手たちではあるが・・・。
日本と韓国やイギリスとアルゼンチン、アメリカとキューバだけでなく政治的・歴史的背景がからんで感情的なナショナリズムが起こりやすいカードは他にはこういうものがあると思います。
ドイツ対ポーランド(1939年ナチス・ドイツ、ポーランド侵攻・占領)
ドイツ対オランダ(1940年ナチス・ドイツ、オランダ侵攻・占領)
ドイツ対フランス(1940年ナチス・ドイツ、フランス侵攻・占領以外にもフランス・ドイツ両国共に歴史的因縁は他にもある)
アメリカ対イラク(湾岸戦争、その後の経済制裁、イラク戦争、その後の占領政策、アブグレイブ刑務所における米軍によるイラク人捕虜虐待事件)
アメリカ対パナマ(1989年アメリカがパナマに侵攻し、麻薬で私腹を肥やしていた独裁者マヌエル・ノリエガ将軍を逮捕、表向きは麻薬及び独裁政権壊滅だが、実際はパナマ運河の返還を巡る裏工作でありパナマに対し大規模な軍事介入を行い、またアメリカは露骨な情報統制をして、パナマ側の取材を行わず侵攻に賛同する白人富裕層の意見しか流さなかった)
ロシア対ポーランド(歴史上長きに渡るロシアのポーランドによる搾取と迫害、カチンの森事件《第2次大戦中にソ連軍がこの森でポーランドの将校を虐殺したことから》、その後のソ連主導による共産党支配)
ロシア対チェコ(スロバキア)《ソ連主導による共産党支配、1968年に起こった民主化運動『プラハの春』に対しワルシャワ条約機構を使って軍事介入》
ロシア対グルジア(2008年のグルジア紛争)
イギリス対インド(パキスタン・バングラディッシュ)《セポイの反乱、植民地支配、ローラット法、アムリットサルの虐殺》
イギリス対イギリス植民地だったアフリカ諸国(ガーナ、ナイジェリア、南アフリカ共和国など)《植民地支配》
フランス対フランス植民地だったアフリカ諸国(アルジェリア、モロッコ、セネガル、コートジボワールなど)《植民地支配》
セルビア対クロアチア(セルビア主導のユーゴスラビア併合、第2次大戦中のクロアチア人ファシスト組織『ウスタシャ』によるセルビア人迫害・虐殺、1991年のクロアチア独立戦争など)
セルビア対ボスニア・ヘルツェゴビナ(ボスニア内戦、セレブレニツァの虐殺)
セルビア対アルバニア(コソボ紛争、セルビア人によるアルバニア人迫害・虐殺)
などだと思いますね。私も政治とスポーツは別だと思うけど、政治的な背景や歴史などが絡むと、なかなかそうならないのが現実なのだろうか?