光市母子殺害事件の裁判で私が思ったこと
今月20日、やっとと言いますか山口県光市母子殺害事件の最終的な判決が下り、当時18歳だった大月孝行被告に対し、2審での差し戻し判決に基づいて大月被告側の上告を棄却する形で死刑判決が下りましたが、事件発生からおよそ13年も費やしたことについて、長すぎると言うし、一つの事件に蹴りをつけるのにこれほどの時間を費やしていいものかとすら思います。
まず事件当時18歳だったことで焦点に挙げられたのが「更生の可能性」「未成年でも死刑を適用していいものか」と言うもので、また死刑判決を下していいかはいわゆる「永山基準」に基づいて行うことがこれまでの常識だったことも複雑さを印象付けるものだった。永山基準のきっかけとなった永山則夫連続射殺事件では4人が犠牲となったが、この事件では2人が犠牲となった為、違いはあれどどちらも残虐な事件であることに変わりない。
永山基準に基づいて判決を決めるかも焦点となったが、この事件の裁判において最も私が憤ったのが大月被告の事件後の態度及びその弁護団(安田好弘氏など)の作り話だったと言える。
大月被告は少年事件では一審で無期懲役だなどと友人に手紙で語ったり、無期はほぼ決まり、7年で出てこれる。終始笑うのは悪がこの世だ。などと被害者感情の傷口に塩を塗り込むような悪辣な姿勢を取って世間の憤怒を呼んだが、絵に描いた鬼畜もいいところである。その後も「レイプ目的は甘えたかったから」「死後に官印したのは儀式のためだった」「ドラえもんが何とかしてくれる」などと意味不明の供述を法廷で述べたが、見ていて腹立たしいの一言しかなかった。
その意味不明な供述を作り出した弁護団、殺人ではなく傷害致死だから無期懲役だなどと死刑反対の姿勢を取ったり、裁判と言う場を死刑廃止のプロパガンダにしたことで、裁判をややこしくしたのだった。見ていて私は「あの弁護団はけしからん! 勝手な作り話で世間の同情を買おうとしたり、裁判を死刑廃止のプロパガンダ活動にしたりと自分たちの思うままにしようとしている!!」とつくづく思いましたよ。自分たちの主義主張を押し付けて正義は我にありなんて、お前らは韓国かシーシェパードか!? っての。
やりたい放題の弁護団に対し、当時弁護士だった橋下徹が2007年にテレビ番組にて懲戒請求すると言う事態にまで発展、これに対し弁護団も名誉棄損されたなどと広島地裁に損害賠償を起こすと言う騒動にもなったが、結局棄却されたが、ここまで事態を重くするほどこの事件が世間の関心が強いことの表れと言えようか。
紆余曲折を経て今月20日大月被告に死刑判決が下ったが、実に真っ当な判決が下るまで13年も要した。これは異例のことだと思います。麻原彰晃や宮崎勤でも9年かかったことも問題だが(宮崎に関しては死刑判決には9年、その執行には11年もかかった)、大月被告には13年と、これは他の国で考えられることだろうか・・・!?
この裁判で思ったことは、日本の司法制度の問題点が大いに露呈されたと言えますね、ハイ。
まず少年だからと言う理由で更生の可能性があると言うことが焦点だったこと、加害者の人権保護ばかり重視するあまり被害者感情が反映されなかったこと(本村洋さんの頑張りがあって犯罪被害者の地位向上にはつながったが)、被害者の数ばかりを見て、事件がどれだけ残虐だったのか、社会に与えた影響の大きさ、前科のあるなしを見ない、差し戻し審や控訴審ばかり行われたこと、被告の精神状態や弁護団の意見尊重もあってか、これらの問題点は、加害者の人権をどうするかばかりに重みを置いたことで凶悪犯罪から社会を守る。と言う意識を欠いていると思うのです。生い立ちが不幸だったから? 精神発達が遅れているから? そんなこと犯行の動機とは100パーセント言えない。
日本の裁判はあまりにも時間をかけ過ぎだと言う問題が、裁判員制度導入のきっかけになったのも忘れてはならないと思います。ダラダラやって決断がスムーズに出てこないから、国民の裁判に対する悪いイメージが出てしまったんじゃないのか? とつくづく思う。裁判だって国民の税金で成り立ってるし、時間をかけ過ぎてやることは税金のムダ遣いもいいところだよ。
「泥棒にも3分の利」とは言うけれど、酌量の余地もない凶悪犯罪を犯した人間は成人だろうが未成年だろうが厳罰を下すのが常識な社会になってほしいものだ。それと未成年者だからって名前と顔を隠すのは「人権」の意味を間違えてるんじゃねぇのかって言いたくなる。
自分の身勝手で何の面識もない人間を殺し、事件後も被害者をバカにしたような態度、法廷での意味不明な供述、これほど世間をひっかき回してきた大月被告にはいずれ執行の日が来てほしいものだ。
まず事件当時18歳だったことで焦点に挙げられたのが「更生の可能性」「未成年でも死刑を適用していいものか」と言うもので、また死刑判決を下していいかはいわゆる「永山基準」に基づいて行うことがこれまでの常識だったことも複雑さを印象付けるものだった。永山基準のきっかけとなった永山則夫連続射殺事件では4人が犠牲となったが、この事件では2人が犠牲となった為、違いはあれどどちらも残虐な事件であることに変わりない。
永山基準に基づいて判決を決めるかも焦点となったが、この事件の裁判において最も私が憤ったのが大月被告の事件後の態度及びその弁護団(安田好弘氏など)の作り話だったと言える。
大月被告は少年事件では一審で無期懲役だなどと友人に手紙で語ったり、無期はほぼ決まり、7年で出てこれる。終始笑うのは悪がこの世だ。などと被害者感情の傷口に塩を塗り込むような悪辣な姿勢を取って世間の憤怒を呼んだが、絵に描いた鬼畜もいいところである。その後も「レイプ目的は甘えたかったから」「死後に官印したのは儀式のためだった」「ドラえもんが何とかしてくれる」などと意味不明の供述を法廷で述べたが、見ていて腹立たしいの一言しかなかった。
その意味不明な供述を作り出した弁護団、殺人ではなく傷害致死だから無期懲役だなどと死刑反対の姿勢を取ったり、裁判と言う場を死刑廃止のプロパガンダにしたことで、裁判をややこしくしたのだった。見ていて私は「あの弁護団はけしからん! 勝手な作り話で世間の同情を買おうとしたり、裁判を死刑廃止のプロパガンダ活動にしたりと自分たちの思うままにしようとしている!!」とつくづく思いましたよ。自分たちの主義主張を押し付けて正義は我にありなんて、お前らは韓国かシーシェパードか!? っての。
やりたい放題の弁護団に対し、当時弁護士だった橋下徹が2007年にテレビ番組にて懲戒請求すると言う事態にまで発展、これに対し弁護団も名誉棄損されたなどと広島地裁に損害賠償を起こすと言う騒動にもなったが、結局棄却されたが、ここまで事態を重くするほどこの事件が世間の関心が強いことの表れと言えようか。
紆余曲折を経て今月20日大月被告に死刑判決が下ったが、実に真っ当な判決が下るまで13年も要した。これは異例のことだと思います。麻原彰晃や宮崎勤でも9年かかったことも問題だが(宮崎に関しては死刑判決には9年、その執行には11年もかかった)、大月被告には13年と、これは他の国で考えられることだろうか・・・!?
この裁判で思ったことは、日本の司法制度の問題点が大いに露呈されたと言えますね、ハイ。
まず少年だからと言う理由で更生の可能性があると言うことが焦点だったこと、加害者の人権保護ばかり重視するあまり被害者感情が反映されなかったこと(本村洋さんの頑張りがあって犯罪被害者の地位向上にはつながったが)、被害者の数ばかりを見て、事件がどれだけ残虐だったのか、社会に与えた影響の大きさ、前科のあるなしを見ない、差し戻し審や控訴審ばかり行われたこと、被告の精神状態や弁護団の意見尊重もあってか、これらの問題点は、加害者の人権をどうするかばかりに重みを置いたことで凶悪犯罪から社会を守る。と言う意識を欠いていると思うのです。生い立ちが不幸だったから? 精神発達が遅れているから? そんなこと犯行の動機とは100パーセント言えない。
日本の裁判はあまりにも時間をかけ過ぎだと言う問題が、裁判員制度導入のきっかけになったのも忘れてはならないと思います。ダラダラやって決断がスムーズに出てこないから、国民の裁判に対する悪いイメージが出てしまったんじゃないのか? とつくづく思う。裁判だって国民の税金で成り立ってるし、時間をかけ過ぎてやることは税金のムダ遣いもいいところだよ。
「泥棒にも3分の利」とは言うけれど、酌量の余地もない凶悪犯罪を犯した人間は成人だろうが未成年だろうが厳罰を下すのが常識な社会になってほしいものだ。それと未成年者だからって名前と顔を隠すのは「人権」の意味を間違えてるんじゃねぇのかって言いたくなる。
自分の身勝手で何の面識もない人間を殺し、事件後も被害者をバカにしたような態度、法廷での意味不明な供述、これほど世間をひっかき回してきた大月被告にはいずれ執行の日が来てほしいものだ。