「MOTTAINAI」
最後まで環境保護・民主化の為に尽力したと言えます。
彼女の人生はまさに環境保護と女性の地位向上に捧げたと言えます。
ケニアの農村で生まれ、勉学に励んでアメリカの大学に留学して学士号・修士号を取るなど順風でしたが、母国ケニアの都市開発と同時に環境破壊が進んでいく現状を見て、このままではいけないと植樹活動を始め、農村部の女性に対し植樹を通じて社会進出を進める運動「グリーンベルト」運動を起こし、環境保護・アフリカにおける女性の地位向上・民主化を訴え、当時のダニエル・モイ政権と対立し何度も投獄されますが、それでも彼女はへこたれなかったのです。女性の地位が高いとは言えないアフリカ諸国のこと、マータイさんはアフリカ全体を背負って活動したんでしょうね。
その後モイ政権が終焉を向かえ、2002年に国会議員に当選すると副環境相となり、環境保護と地位向上にさらに尽力したことで2004年にアフリカ人女性初のノーベル平和賞を受賞、翌2005年に日本を訪問した際出合った「もったいない」と言う言葉に感銘し、資源を友好的に使うことを訴え「私たちが呼吸する空気、飲み水、食べ物すべて、自然からの預かり物です。これこそがMOTTAINAI精神の最も大切な価値なのです」といい言葉を残したのです。
マータイさんが考える「緑のMOTTAINAIプロジェクト」、それは母国ケニアはもとより東アフリカ全土に緑と川を復活させるプロジェクトで、何年かかるか分からないが、一人ひとりの力で達成してほしい。と植林活動を継続してほしい。と訴えたようです。
アフリカでは焼畑農業と干ばつによる環境破壊が深刻な為、マータイさんとしては「このままではアフリカから緑が消えてしまい、環境破壊と温暖化が進んでしまう」と危惧してか「干ばつはマン・メード・ディザスター(人災)。政治家のリーダーシップが問われているのです」と政治家の意識改革が必要だとも訴えたみたいです。干ばつはまた飢餓も招きますし・・・。
マータイさんの「MOTTAINAI」精神はまた、資源を湯水のごとく使う先進国や、中国・インドなどと言った新興国の人間に対する“戒め”の言葉でもあるかも知れませんね。この言葉を日本で覚え感銘し、日本に対して好印象を持ってくれたマータイさんには感服します。
彼女の精神を引き継ぎ、地道に植林活動を続けることもまた環境保護、これこそがホントの環境保護運動と言っていいかもしれません。マータイさんのご冥福をお祈りいたします。
ケニアの元副環境相で、環境保護・女性の地位向上・民主化を訴え、アフリカ人女性で初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさん、そのマータイさんが25日に首都ナイロビの病院で卵巣がんで死去したみたいです・・・。突然の訃報に国内外からは驚きを隠せないみたいです。引用
評伝:ワンガリ・マータイさん死去 優しさと気配りの人 植林活動「末永く続けたい」
突然の訃報だった。今月2日、ナイロビで彼女にインタビューしたばかりだった。手術直後の昨年11月、ニューヨークでお会いした時と比べ、やせてはいたが、肌つやがよく少し元気になった印象だった。東アフリカの干ばつに話が及ぶと、拳を振り上げながら「干ばつはマン・メード・ディザスター(人災)。政治家のリーダーシップが問われているのです」といつもの力強さが戻っていた。
来年の訪日を打診したら、人さし指と中指をクロスさせながら「体力が十分回復すれば、すぐにでも行きたい」と少女のようにほほ笑んだ。ほっとしたが、その後オフレコで「甘いものも塩気があるものも、味がしないのよ。横になりたいと思う一方で、うんと忙しく働いていたいとも思うの」と苦しい胸の内を明かしてくれた。だが、彼女なら病気にも必ず打ち勝ってくれると信じていた。
自伝の「アンバウド」(へこたれない)どおりの人生だった。強権的なモイ前政権に弾圧され、何度も逮捕・投獄されながら女性を中心とした環境保護活動と民主化運動で政権を倒し、民主化をもたらした。前夫が離婚する際「あまりにも高い教育を受けていてあまりにも強く、あまりにも成功し、あまりにも頑固でコントロールできなかった」と理由を挙げたのは有名な話だ。
しかし、素顔のマータイさんはとても優しく気配りの行き届いた人だった。2005年1月、初来日を要請するため、初めてナイロビの事務所を訪れたとき、マータイさんは記者会見の席上なのに、地元記者団の質問をさえぎって「遠い日本からはるばるたいへんだったでしょ」と熱い紅茶をごちそうしてくれたのを昨日のことのように思い出す。
東日本大震災のときは、震災直後、マータイさんから日本の友人を心配する電話やメールが届いた。日本のことをいつも気にかけてくれていた。来日した際も、行く先々でできるだけ多くの人々と触れ合おうとして予定時間がいつもオーバーした。「日本はいつも私にインスパイア(ひらめきを与える)してくれる」というのが口癖。MOTTAINAI(もったいない)はマータイさんが人生をかけた環境保護活動と正にシンクロした言葉だった。
2日のインタビューでは、MOTTAINAIの意義について従来の3R(リデュース=発生抑制、リユース=再使用、リサイクル)とリスペクト(尊敬)に加え、グラティチュード(感謝)を強調した。「私たちが呼吸する空気、飲み水、食べ物すべて、自然からの預かり物です。これこそがMOTTAINAI精神の最も大切な価値なのです」と語っていた。病床にいて感じた素直な思いなのだろう。
毎日新聞社と伊藤忠商事、キャンペーン賛同企業がケニア山麓(さんろく)で展開している「緑のMOTTAINAIプロジェクト」は、アフリカ東部に緑と川を復活させる壮大な植林事業だ。マータイさんは「何年かかるかわからないが、皆さんの善意で築かれたパートナーシップを生かし、末永く続けていきたい」と抱負を語っていた。
木を植えて育てる運動は、何世代にもわたる長い長い営みだ。マータイさんへの感謝の心を忘れず、その遺志を受け継いでいくこと--これこそが、私たちの務めと信じ、これからも地道に取り組んでいきたい。【毎日新聞MOTTAINAIキャンペーン事務局長、七井辰男】
毎日新聞 2011年9月27日 東京朝刊
彼女の人生はまさに環境保護と女性の地位向上に捧げたと言えます。
ケニアの農村で生まれ、勉学に励んでアメリカの大学に留学して学士号・修士号を取るなど順風でしたが、母国ケニアの都市開発と同時に環境破壊が進んでいく現状を見て、このままではいけないと植樹活動を始め、農村部の女性に対し植樹を通じて社会進出を進める運動「グリーンベルト」運動を起こし、環境保護・アフリカにおける女性の地位向上・民主化を訴え、当時のダニエル・モイ政権と対立し何度も投獄されますが、それでも彼女はへこたれなかったのです。女性の地位が高いとは言えないアフリカ諸国のこと、マータイさんはアフリカ全体を背負って活動したんでしょうね。
その後モイ政権が終焉を向かえ、2002年に国会議員に当選すると副環境相となり、環境保護と地位向上にさらに尽力したことで2004年にアフリカ人女性初のノーベル平和賞を受賞、翌2005年に日本を訪問した際出合った「もったいない」と言う言葉に感銘し、資源を友好的に使うことを訴え「私たちが呼吸する空気、飲み水、食べ物すべて、自然からの預かり物です。これこそがMOTTAINAI精神の最も大切な価値なのです」といい言葉を残したのです。
マータイさんが考える「緑のMOTTAINAIプロジェクト」、それは母国ケニアはもとより東アフリカ全土に緑と川を復活させるプロジェクトで、何年かかるか分からないが、一人ひとりの力で達成してほしい。と植林活動を継続してほしい。と訴えたようです。
アフリカでは焼畑農業と干ばつによる環境破壊が深刻な為、マータイさんとしては「このままではアフリカから緑が消えてしまい、環境破壊と温暖化が進んでしまう」と危惧してか「干ばつはマン・メード・ディザスター(人災)。政治家のリーダーシップが問われているのです」と政治家の意識改革が必要だとも訴えたみたいです。干ばつはまた飢餓も招きますし・・・。
マータイさんの「MOTTAINAI」精神はまた、資源を湯水のごとく使う先進国や、中国・インドなどと言った新興国の人間に対する“戒め”の言葉でもあるかも知れませんね。この言葉を日本で覚え感銘し、日本に対して好印象を持ってくれたマータイさんには感服します。
彼女の精神を引き継ぎ、地道に植林活動を続けることもまた環境保護、これこそがホントの環境保護運動と言っていいかもしれません。マータイさんのご冥福をお祈りいたします。