原発事故の恐怖を全世界に与えた「チェルノブイリ」
東日本大震災がもたらした福島第一原発事故、原発の半径約20キロ圏内が「警戒区域」に指定されたり、INES(国際原子力事象評価尺度)において放射性物質漏れの危険度が最悪の「レベル7」になるなど、予断を許さない状況となっていますが、これはかつて全世界に衝撃を与えたあのチェルノブイリ原発事故を髣髴させる深刻度で、なお更です。今から25年前の今日1986年4月26日は、そのチェルノブイリ原発事故が起こった日です。この日から全世界で原発事故の恐怖がもたらす不安を知るきっかけとなったのは言うまでもない。
ウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナとベラルーシの国境付近で、首都キエフからわずか北にあるプリビャチにあり、1971年に着工され、1977年に1号炉が完成すると徐々に号炉を増やし、またプリビャチやチェルノブイリはこの原発で働く作業員とその家族の為に作られ、当時のソ連が「機密都市」として厳しい警備を敷くなど、ごく身近な人間にしか知られていなかったのです。この時点では。
事故につながるような欠陥が見当たらない。と言うが、耐熱性の材料が入らず可燃性の材料を用いて突貫工事した為、これが後の悲劇へと大きくつながることをソ連はこの時点で全く知らなかったのです・・・。稼動前の試運転も点検すらせず運転した為、可燃性の材料を使ったことは事故前に明かされませんでした。当時ソ連は秘密主義だった為、欠陥を隠していたのか、それとも当時は東西冷戦下、ソ連はアメリカを追い越そうと原子力エネルギーを多く確保しようとして安全性を疎かにしたのか、考えればそうかも知れない・・・。
安全性を無視しエネルギー確保に走ったツケが回ったのか、今から25年前の今日1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所4号炉で爆発事故が起こったのでした。炉内の出力分布が過剰に膨張し、不安定な状態だったにも関わらず運転を停止しなかったことで、4号炉は後にメルトダウンを起こし、そこから漏れた放射性物質はウクライナや白ロシア(現在のベラルーシ)、ロシアの一部を汚染し、周辺住民が多く避難を余儀なくされたのです。また4号炉は経費削減の為に部分的な封じ込めだけで建設され、その為か蒸気爆発に伴い1次圧力容器を破壊し、放射性汚染物質が大気に漏れて、急速に流れ込んだ酸素と原子炉燃料の高温度が合わさったことが、放射性物質拡散と広範囲での汚染につながり、周辺住民に大量の健康被害をもたらしたのです。
さらに当時の地方行政当局の対応のまずさもまた、パニックに拍車をかけたし、ソ連政府は事態解決の為に多くの作業員をチェルノブイリに動員させたが、危険性を把握している者が皆無に近く、効果的な保護具を用意できない。という不備まで起こしたのでした。
当然作業に当たった作業員はほとんどが即座に入院し、31人死亡、28人が急性放射線障害にかかるなど後遺症を残したのです。また放射性物質漏れはチェルノブイリ周辺だけでなくヨーロッパの大半を直撃し、ヨーロッパでは周辺地域の家畜に放射性物質が蓄積されて、結果肉や乳製品などに影響が出て、日本国内もヨーロッパ産のスパゲティの販売量が激減したり「ヨード卵が放射性傷害に効く」と言うあらぬデマが流れてヨード卵の価格が高騰したりと、日本でも少なからず余波を受けたのでした。これは日本人に原発事故の恐怖を与えたものであるが、後に福島第一原発事故で改めて直撃すると言う現実となった・・・。
かつてない原発事故の恐怖に全世界は恐怖し、全世界で「チェルノブイリ」に対する知名度が高まって、原子力発電の在り方を問う論争にまで発展したのでした。またソ連が事故後の情報を全く国民に知らせず、対応を後手後手に回ったことも事故を拡大させたのでした。これを受けミハイル・ゴルバチョフ書記長はグラスノスチ(情報公開)の徹底を呼びかけたのでした。当事者の処罰を恐れより現場に近い人間が事実を隠蔽する秘密体質の決定的な問題点も浮き彫りとなったが。
ソ連の対応の遅れや情報伝達の不備、最悪のレベルとなるなど全世界に多大な衝撃を受けたチェルノブイリ原発事故、現在は原発は停止され、周辺は封鎖されるなどプリビャチはゴーストタウンと化したのでした。
現代史において悲劇と呼ぶべき「チェルノブイリ」あれから25年、今度は福島第一原発で同じような悲劇が起こりつつありますが、民主党政権の対応が当時のソ連のような後手後手な姿勢もまた、福島を第2のチェルノブイリにしてしまうのか。と非常に重く見ています。チェルノブイリのような悲劇はもう見たくない。これが切実な願いです。
民主党政権と東京電力に言いたいことは「福島を第2のチェルノブイリにするな!!」です。
ウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナとベラルーシの国境付近で、首都キエフからわずか北にあるプリビャチにあり、1971年に着工され、1977年に1号炉が完成すると徐々に号炉を増やし、またプリビャチやチェルノブイリはこの原発で働く作業員とその家族の為に作られ、当時のソ連が「機密都市」として厳しい警備を敷くなど、ごく身近な人間にしか知られていなかったのです。この時点では。
事故につながるような欠陥が見当たらない。と言うが、耐熱性の材料が入らず可燃性の材料を用いて突貫工事した為、これが後の悲劇へと大きくつながることをソ連はこの時点で全く知らなかったのです・・・。稼動前の試運転も点検すらせず運転した為、可燃性の材料を使ったことは事故前に明かされませんでした。当時ソ連は秘密主義だった為、欠陥を隠していたのか、それとも当時は東西冷戦下、ソ連はアメリカを追い越そうと原子力エネルギーを多く確保しようとして安全性を疎かにしたのか、考えればそうかも知れない・・・。
安全性を無視しエネルギー確保に走ったツケが回ったのか、今から25年前の今日1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所4号炉で爆発事故が起こったのでした。炉内の出力分布が過剰に膨張し、不安定な状態だったにも関わらず運転を停止しなかったことで、4号炉は後にメルトダウンを起こし、そこから漏れた放射性物質はウクライナや白ロシア(現在のベラルーシ)、ロシアの一部を汚染し、周辺住民が多く避難を余儀なくされたのです。また4号炉は経費削減の為に部分的な封じ込めだけで建設され、その為か蒸気爆発に伴い1次圧力容器を破壊し、放射性汚染物質が大気に漏れて、急速に流れ込んだ酸素と原子炉燃料の高温度が合わさったことが、放射性物質拡散と広範囲での汚染につながり、周辺住民に大量の健康被害をもたらしたのです。
さらに当時の地方行政当局の対応のまずさもまた、パニックに拍車をかけたし、ソ連政府は事態解決の為に多くの作業員をチェルノブイリに動員させたが、危険性を把握している者が皆無に近く、効果的な保護具を用意できない。という不備まで起こしたのでした。
当然作業に当たった作業員はほとんどが即座に入院し、31人死亡、28人が急性放射線障害にかかるなど後遺症を残したのです。また放射性物質漏れはチェルノブイリ周辺だけでなくヨーロッパの大半を直撃し、ヨーロッパでは周辺地域の家畜に放射性物質が蓄積されて、結果肉や乳製品などに影響が出て、日本国内もヨーロッパ産のスパゲティの販売量が激減したり「ヨード卵が放射性傷害に効く」と言うあらぬデマが流れてヨード卵の価格が高騰したりと、日本でも少なからず余波を受けたのでした。これは日本人に原発事故の恐怖を与えたものであるが、後に福島第一原発事故で改めて直撃すると言う現実となった・・・。
かつてない原発事故の恐怖に全世界は恐怖し、全世界で「チェルノブイリ」に対する知名度が高まって、原子力発電の在り方を問う論争にまで発展したのでした。またソ連が事故後の情報を全く国民に知らせず、対応を後手後手に回ったことも事故を拡大させたのでした。これを受けミハイル・ゴルバチョフ書記長はグラスノスチ(情報公開)の徹底を呼びかけたのでした。当事者の処罰を恐れより現場に近い人間が事実を隠蔽する秘密体質の決定的な問題点も浮き彫りとなったが。
ソ連の対応の遅れや情報伝達の不備、最悪のレベルとなるなど全世界に多大な衝撃を受けたチェルノブイリ原発事故、現在は原発は停止され、周辺は封鎖されるなどプリビャチはゴーストタウンと化したのでした。
現代史において悲劇と呼ぶべき「チェルノブイリ」あれから25年、今度は福島第一原発で同じような悲劇が起こりつつありますが、民主党政権の対応が当時のソ連のような後手後手な姿勢もまた、福島を第2のチェルノブイリにしてしまうのか。と非常に重く見ています。チェルノブイリのような悲劇はもう見たくない。これが切実な願いです。
民主党政権と東京電力に言いたいことは「福島を第2のチェルノブイリにするな!!」です。
theme : ほっとけない原発震災
genre : 政治・経済