まだまだ頑張れます!
中日ドラゴンズの山本昌が契約更改を行いました。
昭和59年にドラフト5位で中日に入団し、最初はなかなか芽が出なかったものの、入団5年目の昭和63年にアメリカのマイナーリーグに留学し、そこで頭角を現しシーズン中盤に帰国し先発に加わって活躍しリーグ優勝に貢献、同年の日本シリーズ第3戦で西武・工藤公康と投げあい負け投手になるも、将来の活躍を見込まれる結果となりました。その後の活躍は言うまでもないですし、また最多勝に3度も輝いてますから尚更でしょう。
40歳を過ぎてもここまで活躍できる投手というのはすごいと思いますねェ。
今年200勝を達成し(中日の投手で200勝は杉下茂以来、昭和生まれでは初)、衰えを感じさせない活躍を見せた山本昌、フロントから「45歳まで頑張ってくれ」と太鼓判を押されて来期へ意気込んでると思いますよ。引用
「45歳まで頑張ってくれ」山本昌が2年契約
中日の山本昌投手(43)が26日、名古屋市内の球団事務所で契約更改交渉を行い、2年契約でサインした。来季年俸は現状維持の1億5000万円プラス出来高払いで、2年目は変動制となる。
プロ25年目の今季はチームトップの11勝(7敗)をマーク。史上最年長の42歳11カ月で、24人目となる通算200勝を達成した。43歳での異例の複数年契約提示に最初は辞退しようとしたが、球団から「45歳まで頑張ってくれ」と押し切られたという。
山本昌は「この年でいいのかなという戸惑いもある」と複雑な表情を浮かべながらも「2年やる自信はある。来年も今季ぐらいの活躍ができるよう頑張りたい」と意欲をみなぎらせていた。(金額は推定)
[ 2008年12月26日 13:48 ]スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より
昭和59年にドラフト5位で中日に入団し、最初はなかなか芽が出なかったものの、入団5年目の昭和63年にアメリカのマイナーリーグに留学し、そこで頭角を現しシーズン中盤に帰国し先発に加わって活躍しリーグ優勝に貢献、同年の日本シリーズ第3戦で西武・工藤公康と投げあい負け投手になるも、将来の活躍を見込まれる結果となりました。その後の活躍は言うまでもないですし、また最多勝に3度も輝いてますから尚更でしょう。
40歳を過ぎてもここまで活躍できる投手というのはすごいと思いますねェ。