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アントニオ猪木を語る上で欠かせないあの伝説の試合

 プロレスを引退して12年経っても、その人気は未だ衰えないアントニオ猪木、プロレスのみならず数々の伝説を残し、プロレスファンのみならず多くの人々を魅了するほどその人気は絶大で、人々の記憶に残っています。その中でも世界中から注目され、後に世界的人気を博すことなったあの試合を欠かすことは出来ないでしょう。そう、当時隆盛を誇っていたボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの異種格闘技戦です。そんなわけで今から34年前の今日1976年6月26日はアントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦が行われた日です。あれから30年以上経ち、それを知らない世代も多いですが(かく言う私もその一人、ただ猪木関連の本で見て知った)、伝説の試合と言えます。格闘技ファンのみならず多くのスポーツファンの記憶に残るくらい。

 1975年4月、当時ボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったモハメド・アリはパーティーの席上で「100万ドルの金を用意するから、誰か東洋の格闘家で俺に挑む奴はいないのか!? 相手は誰でもいいから構わない」と発言したのがきっかけだった。アリはかねてから「ボクシングこそ世界最強の格闘技」と公言しており、その話に乗ったのが当時新日本プロレスの顔だったアントニオ猪木だった。
 猪木に対してアリ側は当然返事を送らなかったが、マスコミは猪木がアリと闘う。と報道されたが、一方で猪木の言動を「売名行為」とも嘲笑する声もあった。

 当然世界にも報じられ、その噂を聞いて猪木に挑戦今日を叩きつけたのがミュンヘンオリンピック柔道金メダリスト、ウィリアム・ルスカで、猪木はルスカの挑戦を受け取るとこれに勝利し、アリとの試合に弾みをつけたが、一向にアリ側からは返事がなかった・・・。
 それでも紆余曲折を経て1976年3月25日、アリとの調印式にこぎつけ、この年の6月26日に日本武道館で行われることも決定した。猪木は紋付袴姿で記者会見に臨んだ(猪木曰く「日本人らしい正装で臨みたい」と言うことだったが)。
 この記者会見の際アリが一方的にまくし立て、猪木のアゴを見て「お前はペリカン野郎だ!」と言ったことは有名だが。猪木も負けじと「俺はね、右から左へとみんな抜けているから」と返すなど、記者会見は舌戦となった。
 それから数ヶ月後の6月18日、決戦が近いと言うことで記者会見が再び行われたが、相変わらずアリはビッグマウスで猪木を攻撃したのだった。猪木も負けじと応戦し乱闘寸前に陥るほど会見は荒れたものとなった。

 2日後の6月20日、後楽園ホールで両者の公開スパーリングが行われた。当然マスコミの数も多く、いかのこの試合が注目を集めているのかが伺える。アリのスパーリングが終わり、猪木の番となった。この時猪木はジャンプしてのハイキック(後に「延髄蹴り」と呼ばれる)を目にしたアリ側が騒々しくなり、アリは猪木側に注文を突きつけたのだった。猪木側は苦渋の選択でこのアリ側の要求を呑んだのだった。アリ側が提示したそのルールはプロレスターである猪木には酷なものである。
 立ったままのキック禁止、空手チョップ禁止、頭突き・喉への攻撃禁止、肘や膝での攻撃禁止など、エルボースマッシュや延髄蹴り、バックドロップやスープレックスなどのほとんどのプロレス技が禁じられると言う不利な状況に置かれたが、それでも猪木は試合をする為に呑んだのだった。

 紆余曲折ありながら試合にこぎつけた両者、そして今から34年前の今日6月26日、日本武道館でアントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦となりました。日本ではテレビ朝日がリアルタイムで放送し、世界各国で中継されるほどこの試合の注目度は高かったと言えます。
 試合開始のゴングが鳴り、猪木が取った戦法は何と!? スライディングしてアリの左足を蹴るという先方に出た。立ったままのキックは禁止だが足または足の甲を使う足払いは有効。というルールがあった為、これなら文句ないだろ? と言わんばかりにスライディングキックを連発したのだった(後にこれは「アリキック」と呼ばれた)。
 しかしラウンドが進むにつれ、寝そべりながらスライディングキックしかしてこない猪木に対しアリも苛立ちを感じ「猪木は臆病者!」「ワンパンチ!」と挑発し、ダンスを披露するのだった。中には罵声を浴びせる観衆もいたくらい。それでも猪木は寝転がってスライディングキックを続けアリの足を攻め、気が付けば最終15ラウンドに入っており、両者決め手を欠き結局15ラウンド決着付かず引き分け、最後は猪木、アリ両者とも検討を称えたのでした。しかし寝そべってのスライディングキックを連発した猪木の右足の甲は薄利骨折し、キックを打たれ続けられたアリの足もまた血栓症に陥ったのでした。猪木からすればアリを倒せなかった後悔だけが当時残ったのでした・・・。しかし、その後この試合の波紋は大きく出ることとなりました。

 試合翌日、新聞は一斉にこの試合を取り上げ「世紀の凡戦」「世界中に笑われた猪木・アリ」「スーパー茶番劇、何が世界最強対決」との見出しがスポーツ新聞のみならず一般紙に載り、思いっきり酷評されたのでした。試合前「世紀のスーパー・ファイト」と評されながら、低調な内容では批判も当然だろうか・・・(昨日の南アフリカワールドカップ1次リーグG組のブラジル対ポルトガルも何となく似ている)?
 当然世間はこの低調な試合振りでプロレスに対して酷評が続き、寝てばかりでまともな戦法を取らない猪木もなお更だった。その後アリがこの試合を振り返って「あの試合はお遊びだったんだよ」とコメントしたことも逆風に拍車をかけたのでした。死闘を演じながら「お遊び」を斬って捨てたアリに対し猪木が怒りを燃やすのも当然だろうか。
 しかし時が経つにつれ猪木はアリの偉大さを知るようになり、後にアリが結婚式に猪木を招待した際に「あの試合は、本当に怖い戦いだった」とコメントし、お互い冷静になったのでした。これにより猪木はアリに対するわだかまりが解け、親友になっている。

 アリと闘ったことで猪木の名は世界に広まり、その後パキスタンで行われた異種格闘技戦で勝利し「ペールワン」の称号を得るなど有名となり、異種格闘技戦はさらに隆盛を迎え、一種のブームとなるなど格闘技ファンはもとよりスポーツファンの強い関心を呼んだのは言うまでもない。

 その後もアリと猪木の交友は続き、猪木はアリから評伝映画「アリ・ザ・グレイテスト」のテーマ曲である「炎のファイター」をプレゼントされ、以後この曲は猪木のテーマとして現在に至るのでした。そして1998年に猪木がプロレスを引退した際も引退試合に出席し式辞を述べたのでした。

「世紀のスーパー・ファイト」と呼ばれながら、終わってみれば「世紀の凡戦」と批判されたものの、後々高い評価を得ることとなったアントニオ猪木対モハメド・アリ、しかし当時ルールを公表せず、世間に大きく浸透していなかったことで「世紀の凡戦」と批判されたが、時が経つにつれルールが明確となって評価はガラッと変わり、いつしか「世紀のスーパー・ファイト」と再び呼ばれるようになったのです。またこの試合のように、片方は寝そべり片方は立っていることを後に「猪木アリ状態」と呼ばれるようになったのでした。

 アントニオ猪木が演じた名勝負は数あれど、やはりこのモハメド・アリとの一戦は特に欠かせないと思います。あれから何十年経とうと格闘技ファンのみならずスポーツファンの記憶に残るでしょう。

theme : 格闘技
genre : スポーツ

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