アフリカの「模範国」
未だ貧困・飢餓・内戦・腐敗・汚職など多数の問題を抱えるアフリカ諸国、大国によるエゴに何度も苦しめられた歴史を持ちますが、近年アフリカ諸国は力をつけており、国によってはルワンダなどのように、経済発展著しい国になりつつある国があるのも今や事実、そんな中独立後汚職や腐敗などと言ったアフリカに“ありがち”な問題とは皆無の国があるのをご存知だろうか? それは南部アフリカにある内陸国・ボツワナです。安定した政情で経済も安定しており、アフリカの「模範生」と言うべき国です。今から45年前の今日1966年9月30日は、そのボツワナが独立した日です。
アフリカ南部にある内陸国・ボツワナ共和国、ここにはかつてサン族(コイサンマン)が住んでいたが、15世紀から19世紀にかけて進出したツワナ人がサン族を追いやってこの国における多数派民族となったものの、1830年にズールー人の侵攻を受け、さらに1835年に南アフリカに進出したオランダ系移民(アフリカーナー)がこの地に到達すると、各地で白人移民との諍いが絶えなくなり、ツワナ族の王はイギリスに助けを求めたのだったが・・・。
しかし、南部アフリカ進出を目論むイギリスは、当時南アフリカの実権を握っていたセシル・ローズによって、1885年に保護領ベチュアナランドと改称されたのでした。保護領とは名ばかりで植民地となってしまったのです。保護してやると言って実際は植民地としてこの地を乗っ取るつもりだったイギリス、ツワナ人の期待はもろくも崩れたと言えます。
1910年に南アフリカ連邦が出来ると、ベチュアナランドは南アフリカの一領土となりますが、イギリスによる植民地支配は変わらず、再三保護領の権利移譲を訴えるもイギリスは知らんふりをしたのです。それだけでなく、イギリスはベチュアナランドの植民地支配にはあまり関心がなかったと言いますから、イギリスの植民地政策がいかに冷淡なのかを物語りますね。
そんなボツワナに独立の気運を持ち込んだのが、ングワト人のセレツェ・カーマで、南アフリカやイギリスで教育を受け、イギリス人女性と結婚する際に当時、イギリスやアパルトヘイト政策を行っていた南アフリカなどから反発を受け、王位を破棄するよう握力をかけたものの、イギリスに対するングワト人の態度を硬化させる要因となったのです。1956年に王位を破棄したことで解決はしたが。
王位を破棄したことで帰国し、ングワト議会の副議長に就任、ベチュアナランド民主党(後にボツワナ民主党)を発足、各部族の首長による政治体制打破・憲法制定・白人入植者追放を掲げていたこの党を変革させ、大勢の支持を集めたのでした。南アフリカに併合させることを危惧した民衆の支持を集め、ここから独立に向けて急行するのでした。
今から45年前の今日1966年9月30日、ベチュアナランドはボツワナ共和国としてイギリスから独立したのでした。国名の由来はツワナ人の国と言うことでボツワナと名づけられました。
しかし周囲は人種差別政策をとる南アフリカ(当時はナミビアも含まれていた)、南ローデシア(後のジンバブエ)に囲まれて、いきなり難しい舵取りを迫られていたのでした。対立すればライフラインを寸断されるし、輸出入もそれらの国相手しか出来ず頭が痛かったものの、カーマは細心の注意を払いながら政権を運営したのでした。独立当初世界でも最貧国の一つに挙げられており、もっぱらイギリスからの援助に頼るといったのものでした。
そんなボツワナに転機が訪れたのは、独立の翌年、1967年にオラパと言うところでダイヤモンド鉱脈が発見されると、大手宝石商「デビアス」と契約を結ぶと一変し、経済基盤は一気に豊かになったのでした。
1970年代にも別の場所で鉱脈が発見され、ダイヤモンド産出量で世界1位となるなど、一気に経済成長を果たし、30年間での年平均経済成長率は7パーセントと、他のアフリカ諸国が羨むハイペースぶりを見せたのです。独立当初南アフリカとは犬猿の仲だったが、アパルトヘイト撤廃に伴い、両国の関係は改善されている。
ボツワナ政府はダイヤで得た利益をインフラ、教育、医療など国の根幹事業に回し、貧困のない社会を築き上げるなど、国の発展に費やしたのでした。またダイヤを雇用に当てるなど、なお更です。
これは素晴らしいことです。資源で得た利益を国のために使い、貧困をなくす努力をしているんだから、中所得国にランク付けされるのも当然だと言えます。大体他のアフリカ諸国は、資源はあれどそれで得た利益を貧困に苦しむ国民に回さず、自分たちの私服を肥やす道具としか見なさない政府のせいで、貧困が拡大しているのだと推測します。ましてこれが紛争など諍いの道具となれば、なお更である。本来資源と言うものはその国の発展を呼ぶものでなければならない。資源を有効に使うボツワナを他のアフリカ諸国は見習うべきではある。
またボツワナは独立後も安定した政権運営を誇り、複数政党制に基づく民主主義が徹底してますから、これも他のアフリカ諸国にありがちなクーデターや腐敗・汚職もほとんどなく、クリーンで、こう言うところが進んでいると思います。
ただそれでもダイヤ頼みの経済政策は問題で、それを見たのか製造業の法人税を南部アフリカ地域最低水準に引き下げて外国企業の誘致を進めるなど、別の経済対策を持ち出しておりますが、これは石油頼みの中東諸国と同じに見えますね。
高い経済成長、汚職も腐敗もない政府と、いいところばかりあるボツワナ、他に誇れるものと言えば、ゾウやキリン、ライオンなどの野生動物が多く暮らす自然であり、とりわけオカバンゴ・デルタ地帯では有名で、雨季に出来たオカバンゴ川の恩恵を得て、乾季には多くの動物たちが集まる。と言う動物好きにはたまらない風景が出来上がります。現にこれが多くの観光客を読んでるけど。
資源を有効に使い経済成長を果たし、クリーンな政治体制と先進国に引けをとらない社会、とボツワナはアフリカの中でも「模範生」と呼ぶべき国だと思います。他のアフリカ諸国に言いたいことは、ホンットに経済成長したり、クリーンな政治体制を作りたいのであれば、ボツワナを見習うべきではないでしょうか。
アフリカ南部にある内陸国・ボツワナ共和国、ここにはかつてサン族(コイサンマン)が住んでいたが、15世紀から19世紀にかけて進出したツワナ人がサン族を追いやってこの国における多数派民族となったものの、1830年にズールー人の侵攻を受け、さらに1835年に南アフリカに進出したオランダ系移民(アフリカーナー)がこの地に到達すると、各地で白人移民との諍いが絶えなくなり、ツワナ族の王はイギリスに助けを求めたのだったが・・・。
しかし、南部アフリカ進出を目論むイギリスは、当時南アフリカの実権を握っていたセシル・ローズによって、1885年に保護領ベチュアナランドと改称されたのでした。保護領とは名ばかりで植民地となってしまったのです。保護してやると言って実際は植民地としてこの地を乗っ取るつもりだったイギリス、ツワナ人の期待はもろくも崩れたと言えます。
1910年に南アフリカ連邦が出来ると、ベチュアナランドは南アフリカの一領土となりますが、イギリスによる植民地支配は変わらず、再三保護領の権利移譲を訴えるもイギリスは知らんふりをしたのです。それだけでなく、イギリスはベチュアナランドの植民地支配にはあまり関心がなかったと言いますから、イギリスの植民地政策がいかに冷淡なのかを物語りますね。
そんなボツワナに独立の気運を持ち込んだのが、ングワト人のセレツェ・カーマで、南アフリカやイギリスで教育を受け、イギリス人女性と結婚する際に当時、イギリスやアパルトヘイト政策を行っていた南アフリカなどから反発を受け、王位を破棄するよう握力をかけたものの、イギリスに対するングワト人の態度を硬化させる要因となったのです。1956年に王位を破棄したことで解決はしたが。
王位を破棄したことで帰国し、ングワト議会の副議長に就任、ベチュアナランド民主党(後にボツワナ民主党)を発足、各部族の首長による政治体制打破・憲法制定・白人入植者追放を掲げていたこの党を変革させ、大勢の支持を集めたのでした。南アフリカに併合させることを危惧した民衆の支持を集め、ここから独立に向けて急行するのでした。
今から45年前の今日1966年9月30日、ベチュアナランドはボツワナ共和国としてイギリスから独立したのでした。国名の由来はツワナ人の国と言うことでボツワナと名づけられました。
しかし周囲は人種差別政策をとる南アフリカ(当時はナミビアも含まれていた)、南ローデシア(後のジンバブエ)に囲まれて、いきなり難しい舵取りを迫られていたのでした。対立すればライフラインを寸断されるし、輸出入もそれらの国相手しか出来ず頭が痛かったものの、カーマは細心の注意を払いながら政権を運営したのでした。独立当初世界でも最貧国の一つに挙げられており、もっぱらイギリスからの援助に頼るといったのものでした。
そんなボツワナに転機が訪れたのは、独立の翌年、1967年にオラパと言うところでダイヤモンド鉱脈が発見されると、大手宝石商「デビアス」と契約を結ぶと一変し、経済基盤は一気に豊かになったのでした。
1970年代にも別の場所で鉱脈が発見され、ダイヤモンド産出量で世界1位となるなど、一気に経済成長を果たし、30年間での年平均経済成長率は7パーセントと、他のアフリカ諸国が羨むハイペースぶりを見せたのです。独立当初南アフリカとは犬猿の仲だったが、アパルトヘイト撤廃に伴い、両国の関係は改善されている。
ボツワナ政府はダイヤで得た利益をインフラ、教育、医療など国の根幹事業に回し、貧困のない社会を築き上げるなど、国の発展に費やしたのでした。またダイヤを雇用に当てるなど、なお更です。
これは素晴らしいことです。資源で得た利益を国のために使い、貧困をなくす努力をしているんだから、中所得国にランク付けされるのも当然だと言えます。大体他のアフリカ諸国は、資源はあれどそれで得た利益を貧困に苦しむ国民に回さず、自分たちの私服を肥やす道具としか見なさない政府のせいで、貧困が拡大しているのだと推測します。ましてこれが紛争など諍いの道具となれば、なお更である。本来資源と言うものはその国の発展を呼ぶものでなければならない。資源を有効に使うボツワナを他のアフリカ諸国は見習うべきではある。
またボツワナは独立後も安定した政権運営を誇り、複数政党制に基づく民主主義が徹底してますから、これも他のアフリカ諸国にありがちなクーデターや腐敗・汚職もほとんどなく、クリーンで、こう言うところが進んでいると思います。
ただそれでもダイヤ頼みの経済政策は問題で、それを見たのか製造業の法人税を南部アフリカ地域最低水準に引き下げて外国企業の誘致を進めるなど、別の経済対策を持ち出しておりますが、これは石油頼みの中東諸国と同じに見えますね。
高い経済成長、汚職も腐敗もない政府と、いいところばかりあるボツワナ、他に誇れるものと言えば、ゾウやキリン、ライオンなどの野生動物が多く暮らす自然であり、とりわけオカバンゴ・デルタ地帯では有名で、雨季に出来たオカバンゴ川の恩恵を得て、乾季には多くの動物たちが集まる。と言う動物好きにはたまらない風景が出来上がります。現にこれが多くの観光客を読んでるけど。
資源を有効に使い経済成長を果たし、クリーンな政治体制と先進国に引けをとらない社会、とボツワナはアフリカの中でも「模範生」と呼ぶべき国だと思います。他のアフリカ諸国に言いたいことは、ホンットに経済成長したり、クリーンな政治体制を作りたいのであれば、ボツワナを見習うべきではないでしょうか。