元収容所長に下された判決は
あの特別法廷で動きがあったようです。
カンボジアで1975年から79年まで起こったポル・ポト派(クメール・ルージュ)による大量虐殺、その大量虐殺を裁く特別法廷で26日行われた当時政治犯収容所で所長だったカン・ケ・イウの公判が行われ、多くのカンボジア国民を拷問、虐殺したいわゆる「人道に対する罪」に問われているカン・ケ・イウ被告、下された判決は禁固35年というものでしたが、当時ポル・ポト派による虐殺の犠牲となった遺族からは「(最高刑の)終身刑を望んでいた。彼の犯罪は出所を許されるものではない」と不満もあったみたいです。
遺族からすればあれだけひどいことをカンボジア国民にしておきながらなぜ終身刑ではないのか? 疑問もあるでしょう。それと最高刑が終身刑って、カンボジアは死刑を廃止しているんでしょうかね? 最高刑が終身刑というけど、ポル・ポト派関係者に対しては死刑を適用していいのでは?(イスラエルは死刑廃止国だが、被告がナチス戦犯の場合、死刑を適用している)
裁判でカン・ケ・イウ被告は「命令に従っただけだ」と主張し、拷問や虐殺はポル・ポトの命令で行ったとしたものの、拷問や虐殺に関与したことについては「子供や女性まで拷問し、許される行為ではなかった」と責任を認めたことで、遺族が主張する禁固40年の判決から5年軽減したと言えますが、反省したところで死んだ人たちは戻ってこないし、いくらポル・ポトの命令だったとは言え、拷問や虐殺を行ったことは事実なのです!
初めて下ったポル・ポト派幹部に対する判決、カン・ケ・イウだけでなくヌオン・チア元人民代表議会議長ら虐殺に関与したポル・ポト派残党の訴追に国内や国際社会の関心が集まるでしょう。
ただ残念なことに、今のカンボジア政府がこの法廷に消極的で、フン・セン首相など政権内にポル・ポト派関係者がいる為、そうなるといつかは自分が裁かれると思っているからか、なかなか遅々として進まなかったのでしょう。この国際法廷が。そうなればカンボジア政府は国際社会から批判されるだけですけどね。
またこの裁判は大勢の国民が傍聴しており、公判の模様はテレビやラジオで多くの人が視聴したくらい関心が高かったカン・ケ・イウの裁判、あのポル・ポト派による拷問・虐殺・恐怖政治から30年、カンボジアは未来に向かって進んでますが、あの暗黒の歴史にケリをつける意味でこの裁判は重要だと思います。
いくらフン・セン首相が消極的でも国際社会がそれを許さないし、ポル・ポトがカンボジアで起こしたあの惨劇を後世にどう伝えるのか、ポル・ポトがいかに悪魔のような人物だったのか、カンボジア政府にはその努力が求められます。
何年何十年経とうが「人道に対する罪」には時効がないし、いくら逃亡しようがムダなのです。一昨年ボスニアでイスラム教徒系住民を大量虐殺したとして、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に訴追され逮捕されたラドバン・カラジッチや、去年あのルワンダ虐殺の際、大量虐殺に関わったとしてウガンダで拘束されたイデルフォンス・ニゼイマナの例を見たら分かるでしょう。
この裁判に関してはこちらも参照してください。 → 元収容所長に禁固40年を求刑引用
カンボジア:ポル・ポト大虐殺特別法廷 元収容所長禁固35年 元最高幹部審理焦点に
【プノンペン西尾英之】カンボジアの旧ポル・ポト政権(1975~79年)時代の大量虐殺を裁く特別法廷は26日、人道に対する罪などに問われた元政治犯収容所所長カン・ケ・イウ被告(67)に禁固35年(求刑・禁固40年)の判決を言い渡した。元ポト派への初の法的な裁きで、今後の焦点は、拘束されているヌオン・チア元人民代表議会議長(84)ら国民や国際社会の関心が高い他の4人の元最高幹部に移る。
4人は9月ごろに起訴され、審理は来年から始まる見込み。判決は数年はかかるとみられ、いずれもイウ被告より高齢で、時間との闘いとなる。
国民のほぼ4分の1にあたる約170万人を死亡させたとされるポト政権の崩壊から30年余。特別法廷は06年にカンボジア政府と国連により設置された。
イウ被告が所長を務めたトゥールスレン政治犯収容所では、約2万人が拷問の末に殺害されたとみられる。被告は「命令に従っただけだ」と主張する一方で、「子供や女性まで拷問し、許される行為ではなかった」と責任を認めた。被告が軍に違法に拘束された分の5年が軽減された。
裁判は2審制で、検察、弁護側双方が30日以内に控訴できる。判決が確定すれば、未決拘置期間などを刑期に算入して収監は今後19年間になる。年齢的に被告が受刑後に出所できる可能性が出てきたことについて、傍聴した生存者の一人、ブー・メインさん(69)は「(最高刑の)終身刑を望んでいた。彼の犯罪は出所を許されるものではない」と断罪した。
ポル・ポト政権は都市住民を敵視し、大量殺害や強制労働で世界を震撼(しんかん)させた。特別法廷は、この国の負の歴史を清算して国民和解を図ることが目的だ。だが、国内では既にポト派時代を思い起こさせる殺伐とした雰囲気は消え、国民の関心は未来に向かっている。
カンボジア現政権は必ずしも裁判に積極的ではない。フン・セン首相を含め政権内にも元ポト派関係者が存在するからでもある。それでも昨年2月に開始されたイウ被告の裁判には全国から3万人以上が傍聴に訪れた。判決公判の模様はテレビやラジオで数百万人が視聴したとされる。
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◇ポル・ポト派と特別法廷を巡る動き
53年 ポル・ポト派が反政府闘争開始
75年 4月 ポト派全土制圧。虐殺開始
76年 1月 民主カンボジア政府樹立。ポト首相誕生
78年12月 ベトナム軍がカンボジアに侵攻
79年 1月 プノンペン陥落でポト政権崩壊。ポト元首相タイ国境へ
82年 ポト派が3派連合結成。反ベトナム闘争開始
89年 ベトナム軍がカンボジアから撤退
91年10月 紛争当事者がパリ和平協定に調印
93年 9月 シアヌーク国王のカンボジア王国発足
98年 4月 ポト元首相死亡
99年 3月 ポト派幹部タ・モク元参謀総長逮捕でポト派消滅
03年 3月 カンボジア政府と国連が特別法廷設置で基本合意
06年 7月 大虐殺を裁く司法官(多国籍)が就任(その後にポト派元幹部5人を相次ぎ拘束)
09年 2月 政治犯収容所の元所長、カン・ケ・イウ被告の初公判
毎日新聞 2010年7月27日 東京朝刊
カンボジアで1975年から79年まで起こったポル・ポト派(クメール・ルージュ)による大量虐殺、その大量虐殺を裁く特別法廷で26日行われた当時政治犯収容所で所長だったカン・ケ・イウの公判が行われ、多くのカンボジア国民を拷問、虐殺したいわゆる「人道に対する罪」に問われているカン・ケ・イウ被告、下された判決は禁固35年というものでしたが、当時ポル・ポト派による虐殺の犠牲となった遺族からは「(最高刑の)終身刑を望んでいた。彼の犯罪は出所を許されるものではない」と不満もあったみたいです。
遺族からすればあれだけひどいことをカンボジア国民にしておきながらなぜ終身刑ではないのか? 疑問もあるでしょう。それと最高刑が終身刑って、カンボジアは死刑を廃止しているんでしょうかね? 最高刑が終身刑というけど、ポル・ポト派関係者に対しては死刑を適用していいのでは?(イスラエルは死刑廃止国だが、被告がナチス戦犯の場合、死刑を適用している)
裁判でカン・ケ・イウ被告は「命令に従っただけだ」と主張し、拷問や虐殺はポル・ポトの命令で行ったとしたものの、拷問や虐殺に関与したことについては「子供や女性まで拷問し、許される行為ではなかった」と責任を認めたことで、遺族が主張する禁固40年の判決から5年軽減したと言えますが、反省したところで死んだ人たちは戻ってこないし、いくらポル・ポトの命令だったとは言え、拷問や虐殺を行ったことは事実なのです!
初めて下ったポル・ポト派幹部に対する判決、カン・ケ・イウだけでなくヌオン・チア元人民代表議会議長ら虐殺に関与したポル・ポト派残党の訴追に国内や国際社会の関心が集まるでしょう。
ただ残念なことに、今のカンボジア政府がこの法廷に消極的で、フン・セン首相など政権内にポル・ポト派関係者がいる為、そうなるといつかは自分が裁かれると思っているからか、なかなか遅々として進まなかったのでしょう。この国際法廷が。そうなればカンボジア政府は国際社会から批判されるだけですけどね。
またこの裁判は大勢の国民が傍聴しており、公判の模様はテレビやラジオで多くの人が視聴したくらい関心が高かったカン・ケ・イウの裁判、あのポル・ポト派による拷問・虐殺・恐怖政治から30年、カンボジアは未来に向かって進んでますが、あの暗黒の歴史にケリをつける意味でこの裁判は重要だと思います。
いくらフン・セン首相が消極的でも国際社会がそれを許さないし、ポル・ポトがカンボジアで起こしたあの惨劇を後世にどう伝えるのか、ポル・ポトがいかに悪魔のような人物だったのか、カンボジア政府にはその努力が求められます。
何年何十年経とうが「人道に対する罪」には時効がないし、いくら逃亡しようがムダなのです。一昨年ボスニアでイスラム教徒系住民を大量虐殺したとして、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に訴追され逮捕されたラドバン・カラジッチや、去年あのルワンダ虐殺の際、大量虐殺に関わったとしてウガンダで拘束されたイデルフォンス・ニゼイマナの例を見たら分かるでしょう。