2009年を振り返る(9月~12月)

 いろいろあった2009年、残る9月から12月までを私なりに振り返りたいと思います。

 9月、民主党が先月の衆院選で大勝したことで、鳩山由紀夫氏が第93代内閣総理大臣に就任しました。自民党から民主党に政権交代し、新たな船出となったようですが・・・? 他にはイチローが9年連続200本安打を達成(改めてスゴイ)、ドイツで総選挙が行われ、11年ぶりの中道右派の勝利となり、メルケル首相も続投となりました(ヘルムート・コール元首相以来の中道右派政権となりますから「ドイツの威信」は2期目のメルケル政権にかかってます)「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井儀人さんが群馬県の荒船山で遺体で発見、ビートルズのリマスター盤発売(発売日には数百人もの行列が出来、何十年にも渡って根強い人気を誇る証拠ですね)、がありました。

 10月、8月に覚醒剤取締法違反で逮捕された酒井法子の初公判が行われ、初公判で夫・高相祐一被告との離婚及び芸能界からの引退を表明を宣言、前原誠司国交相の「羽田空港ハブ化」発言や、中川昭一氏が急死(衆院選で落選し今後に再起をかけた矢先に・・・?)、2016年のオリンピック開催地にはリオデジャネイロ(初の南米開催)、沢尻エリカ所属事務所から解雇通告(度重なる奇行のツケは重かった・・・。かつての横山やすしと同じ)、三遊亭円楽さんが死去、を挙げておきましょうか。

 11月、歌舞伎役者・市川海老蔵が小林麻央と婚約(海老蔵が小林に当てた「愛し続けます」のセリフが決定打)、鳩山総理の偽装献金疑惑(政治とカネの問題に厳しい姿勢を見せると主張しながらこれが出てはいけないんですけどね)、南アフリカワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフにおけるフランスのティエリ・アンリのハンド問題や、政権交代後初の日米首脳会談(オバマ大統領の天皇に対する「お辞儀」は不適切ではないと思うが)、2007年に千葉県市川市で起きたイギリス人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件で指名手配されていた市橋達也容疑者が逮捕(整形後の写真が決め手、福田和子同様最後は結局逮捕されるということを証明した)、酒井法子に執行猶予つき判決「ベルリンの壁」崩壊から20年「ムダ削減」を掲げて始まった「事業仕分け」始まる。もこの月でした。

 12月、普天間基地移設問題を協議を重ねながら結局「先送り」や政治献金問題の対応が支持率低下につながった鳩山総理、就任3ヶ月で早くも正念場を迎えてしまったような気がしますね。ブレまで露呈し、これではいけないと思います(鳩山総理の求心力すら問題視されることにも・・・?)。デンマーク・コペンハーゲンで行われた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)では温暖化防止を巡る各国の対立が浮き彫りとなり、ここにも「ねじれ」が出ていると思いました(それを作っているのが100パーセント中国、CO2排出世界1位でありながら途上国を装う態度にはホント憤りを覚える)。またこの月、今年の流行語大賞に「政権交代」や阪神・赤星選手が突然引退、松井秀喜がヤンキースからエンゼルスに移籍、タイガー・ウッズの不倫騒動、と政界だけでなくスポーツ界も大きく揺れるような事件もありました。

 2009年を振り返って、政権交代をはじめ「いろんなことがあったんだなァ・・・?」と思う出来事がいっぱいありました。来年2010年は一体どんな年になるんでしょうね?

 それでは皆さん、よいお年を!

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2009年を振り返る(5月~8月)

 前の記事では1月から4月までを取り上げましたが、次は5月から8月までを取り上げたいと思います。

 5月、やはり忌野清志郎さん死去と市民が裁判に身近となった裁判員制度始まる、でしょうか。政界では小沢氏が代表辞任で鳩山由紀夫氏が民主党の新代表に就任、社会面では昨年11月に著作権を巡る詐欺で逮捕された小室哲哉に執行猶予付きの判決、作曲家・三木たかしさん死去、芸能面ではダウンタウン・松本人志が婚約、海外ではスリランカ内戦がやっと終結。ですかね。

 6月、アメリカ大手自動車メーカー・GM(ゼネラル・モータース)が経営破綻、イランでは大統領選挙の結果を巡って大混乱「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソンが急死と海外においてニュースがありました。国内では足利事件の再審が決定、西川善文社長(当時)辞任で郵政民営化の意義揺らぐというものや、スポーツでは日本4大会連続ワールドカップ出場決定、レアル・マドリーがクリスティアーノ・ロナウド、カカを立て続けに獲得、プロレスラー・三沢光晴氏死去といったニュースがあったのもこの月でした。

 7月、奄美大島での皆既日食でしょう、薄い雲の中から出た月の影からの太陽の光の一部分だけが輝く現象(ダイヤモンドリング)とともに出現した黒い太陽、見るもの全てに神秘の世界を見せてくれたものでした。都議会議員選挙で民主党圧勝したことで麻生内閣が大ピンチに陥り、ついに“解散”へと踏み切りました・・・。またこの月起こった中国の新彊ウイグル自治区での大規模暴動は、中国の独裁体質の負の部分を露呈しました。去年のチベットといい、少数民族に対する圧政を止める気はないんだろうか・・・? と思いますね。中国とやっていることは正直アパルトヘイトだ。

 8月、この月欠かせないのはやはり衆議院選挙でしょう。政権選択を掲げた今回の選挙、終わってみれば何と民主党の圧勝で終わり、自民党はかつてない大惨敗を喫しました。日本にも「Change!」の気運が訪れた瞬間かもしれません・・・。本来ならこの月は選挙一色だったはずですが、それを大きく追いやったのが押尾学と酒井法子でしょう。まず押尾学、合成麻薬MDMA使用の罪で逮捕されたものの、その後の調べに対してもMDMAは死亡した女性からもらったと主張し容疑を未だ否認する態度には正直憤りを覚えます。そんな押尾に対しては、梅宮辰夫さんではありませんが「あいつは稀代の悪です!」
 清純派のイメージを大きく壊した酒井法子、まず夫・高相祐一被告が逮捕された際、現場から息子とともに失踪し「悲劇のヒロイン」を演じたものの、家宅捜索で覚醒剤が見つかったことで逮捕、その後これまでのイメージを大きく覆す実態が暴かれたのでした(レイヴパーティーなど)。芸能人のこういう事件は社会、特に青少年に与える影響は計り知れないということを芸能界は認識するべきではないでしょうか!? 今年は相当芸能界の事件が多かっただけに・・・。そんな中、ドイツ・ベルリンで行われた世界陸上でジャマイカのウサイン・ボルトがまたも世界新記録を更新したというニュースもありました。年の北京オリンピックといい、今年の世界陸上・ベルリン大会といい、どこまで世界新記録をつくるんだろう? と興味津々です。

 次は9月から12月までを取り上げたいと思います。

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2009年を振り返る(1月~4月)

 この2009年も残りあとわずか、この1年もまたいろいろありました。そんな訳で私なりにこの2009年に振り返りたいと思います。

 まず1月、やはりアメリカで史上初の黒人大統領となったバラク・オバマ氏を欠かすことは出来ないでしょう。彼の掲げる「Change!」は世界中に今どう写ったのでしょうか? 他にはイスラエルが昨年末からのガザ地区における大規模な軍事作戦もあり、やり過ぎた軍事介入に国際社会からの批判が集中しました。

 2月はやはり中川昭一氏に注目が集まりました。ローマで行われたG7の記者会見における「もうろう会見」は日本中に失望を残し、その後もバチカンで一騒動を起こすなど日本の恥をさらしてしまった感じがしました。それにより麻生政権に対する風当たりは厳しくなったのも当然でしょう。他には芸人・劇団ひとりが大沢あかねと婚約のニュースと映画「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞受賞、元女子バレー日本代表・菅山かおるがビーチ転向。ですかね。

 3月、やはり日本中が盛り上がったWBCに尽きるでしょう。私もテレビの前で一生懸命“侍ジャパン”を応援しましたから文句なしです。政界では民主党・小沢一郎代表(当時)の公設秘書による政治献金規制法違反の事件や、千葉県知事に森田健作氏が就任。という話題があり、他には陣内智則と藤原紀香があっけない離婚、というネガティブなニュースもありました「永遠とともに」あれは何だったのか? とつくづく思いたくなりました。

 4月、北朝鮮がミサイル発射を行うという暴挙がありました。正直この国を暴走をいつまで静観するんでしょうか? 国際社会は一刻も早い制裁を望みたいです。タイで政府支持派とタクシン氏支持派が衝突するという人悶着、さらにSMAPの草なぎ剛が泥酔して全裸になって逮捕(後に不起訴処分)。というニュースなどがあった一方で、スポーツではイチローが張本勲氏の持つ通算安打記録を更新するという明るいニュース、さらに「美しい市議」こと青森県八戸市の藤川優里市議が「世界で最も美しい政治家」ナンバーワンに選ばれたニュースもありました。

 1月から4月までの出来事を私なりに大まかに取り上げました。次は5月から8月までを振り返ります。

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あわやテロ・・・! とんだ大騒動だったようですね・・・?

引用

米機トイレに1時間こもる…テロかと大騒動

【ニューヨーク=吉形祐司】25日にテロ未遂が起きたオランダ・アムステルダム発の米デトロイト行きと同じノースウエスト航空253便で27日、乗客が1時間以上トイレに立てこもり、デトロイト到着後に警察が出動する騒ぎがあった。

 乗客は拘束されたが、体調が悪かっただけと判明し、捜査当局は「深刻な事態ではない」と発表した。

 米ABCテレビなどによると、この乗客はテロ未遂の容疑者と同じナイジェリア人のビジネスマン。機長が「非協力的な乗客がいる」と地上に緊急通報し、着陸後に警察官が機内に突入して拘束した。爆発物は見つからず、同テレビは「食中毒だった可能性がある」と伝えた。

 テロ未遂の容疑者も、犯行直前に長時間トイレに入るなど不審な挙動が確認されていた。その2日後ということもあり、米テレビは一時、大々的に報じた。

 (2009年12月28日10時22分 読売新聞)
 ついこの前爆破テロ未遂があったオランダ・アムステルダム発アメリカ・ミシガン州デトロイト行きのノースウエスト航空で、また同じような騒ぎが起こってしまいました。

 どうやら、乗客の一人がトイレに1時間も閉じこもって、これを不審に思った機長が「非協力な乗客がいる」と地上に通報し、着陸後通報を受けた警官隊が機内に突入し男性の身柄を拘束したものの爆発物に当たるものはなく、ただの腹痛だったことが分かりました。

 同じ便、なおかつ長時間トイレにこもっていたと言う点、さらにこの便でテロ未遂事件を起こした容疑者と同じナイジェリア人ということで大々的にマスコミは報じたものの、共通点があまりにも似ていることでまたテロ未遂か? と思ったのでしょう。

 この乗客、ただの腹痛で長時間トイレに入っていただけにこんな騒ぎになるなんて・・・!? と思ったのではないでしょうか。捜査当局は「深刻な事態ではない」としてますが、お騒がせであったことは変わりはないです。

 この騒動といいこの前のテロ未遂事件といい、アメリカにおいて普通に生活しているナイジェリア人が変な目で見られてしまいそうな気が・・・? それは考えすぎですかね。

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フジテレビ・中野美奈子アナが結婚報告

 フジテレビの中野美奈子アナウンサーが結婚するようですね。

引用

中野美奈子アナが「とくダネ!」で結婚報告!

 来年3月に知人の医師(34)と結婚することを発表したフジテレビの中野美奈子アナウンサー(30)が28日、司会を務める情報番組「とくダネ!」(午前8時)で、自らの結婚について語った。

 小倉智昭キャスター(62)がインタビュアー役となり、中野アナは、「イケメン」とされるお相手の男性を「佐藤浩市さん、名倉潤さん、森山直太朗さんを足して3で割ったような感じ」と話した。

 交際は1年ちょっと。プロポーズは今年の春ごろで「ストレートに。結婚していただけないですか? と言われました」と語った。

 また中野アナは結婚後も「仕事は続けていきます」と話した。

 2009.12.28 09:35 「サンケイスポーツ」より
 中野アナが司会を務める朝の情報番組「とくダネ!」において、来年3月に知人の医師と結婚することを発表した中野アナ、自身の結婚について番組内で心境をかたりました。

 相手の男性について中野アナは「佐藤浩市さん、名倉潤さん、森山直太朗さんを足して3で割ったような感じ」と語りましたが、佐藤浩市と名倉潤、森山直太朗を足して3で割った感じ、って何か今ひとつ想像できませんねェ・・・。

 交際して1年くらいですが、今年の春頃「『結婚していただけませんか?』 と言われてハイ、と答えました」と話しており、終始幸せいっぱいな中野アナ、よほどうれしいんでしょうね。冒頭で小倉智昭さんから話題を振られると「おめでとうはないんですか?」と答えましたからね。
 
 フジテレビの看板女子アナの一人である中野アナが来年3月に結婚、と言うニュース。何であれ、中野アナ、この度は結婚おめでとうございます。とでも言いましょうか。

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簡単に出れるほど甘くないワールドカップ

 出場国も1次リーグの組み合わせも決まり、いよいよ本番モードが近づくサッカーワールドカップ・南アフリカ大会。この大会に出場する32カ国(開催国南アフリカをのぞく)はいずれも各地区の予選を勝ち抜いただけに、いずれも精鋭と言っていいでしょう。

 ただその一方で予選で涙を飲み、本大会に出場できなかった国も多くいるのも事実です。中でも強豪国・実力国でありながら予選で敗退した国もおり、なぜ彼らは南アフリカ大会に出れなかったのか? 組み合わせに恵まれなかった。主力のケガが相次いだことが響いた。度重なるゴタゴタでチームが迷走した。格下相手に取りこぼした試合が何試合かあった・・・。原因はそれぞれですが、勝負の世界は結果が全てですから、ああこう言っても何もないのが事実です。

 まずヨーロッパ、これまでのワールドカップ予選において強豪国が予選で敗退する。という波乱がつきものなくらい激戦区ですが、今大会もその例に漏れず多くの国が涙を飲みました。
 スウェーデンは、エースのズラタン・イブラヒモビッチをはじめマルクス・ロセンベリ、ヨハン・エルマンデル、キム・シュルストレームなどのタレントを揃える実力国でしたが、今大会予選ではデンマークやポルトガルと同組となり、そのデンマークに2敗したことが響いて無念の予選敗退となってしまいました。東ヨーロッパの強国クロアチアは、エースのエドゥアルドが序盤からケガで棒に振り、そのエドゥアルドが復帰したのと同時に今度は攻守の要であるモドリッチが故障で離脱、という主力のケガに祟られたことが予選敗退につながってしまいました・・・。
 同じく東ヨーロッパの強国チェコも予選で敗退という憂き目となった。理由は度重なる監督交代、パベル・ネドヴェド、ヤン・コラー、トーマス・ガラセクといった一時期の主力だった時代からの脱却を計ろうと世代交代を図ったもののうまくいかず、また一部の主力選手が規律違反を犯し代表から追放(トーマス・ウイファルシなど)、と混乱ばかりが目立ったことが最大の理由でしょう。
 2008年の欧州選手権でベスト4に輝くなど高い実力を誇るトルコも残念ながら予選で敗退した。エースのニハト、アタッカーのトゥンジャイ、司令塔のアルティントップなど魅力的な攻撃陣を誇り、予選グループではスペインに次ぐ対抗馬だったものの伏兵ボスニア・ヘルツェゴビナの前に散りました・・・。
 同じく2008年の欧州選手権ベスト4のロシアも、予選ではドイツに次いで2位となり、プレーオフではスロベニアと当たり前評判では有利だったものの、スロベニアの執念の前にまさかの予選敗退となってしまいました(トータルスコアは2-2だったが、アウェーゴールの差でスロベニアに軍配)本大会でダークホース的な存在になってもおかしくないだけに、まさかの敗退という憂き目を見てしまいました。
 無念といいますか運に見放されたというのが当てはまるのがアイルランドではないでしょうか? 予選グループではイタリアに次いで2位で終わり、フランスとのプレーオフに全てをかけましたが、プレーオフ2戦目でのあのハンドが起点となったゴールによって本大会出場を逃しました。無論納得がいくわけがなくアイルランドの協会はFIFAに抗議し再試合を要求するも受け入れられず、また政治レベルでの問題にまで発展するなど波紋が多くなってしまいました。
 他にもヨーロッパでは今大会予選で敗退した強豪国・実力国は多々いますが、全部を取り上げると収拾が付かなくなるので、後は割愛させていただきます。

 続いて南米、今大会はアルゼンチンが最終節で何とか本大会出場を決めるという波乱はありましたが、概ね予想通りなところもあります。それでも涙を飲んだ国もあり、最後まで出場を争いながら敗退となったエクアドルがその代表でしょうか、序盤で躓くものの持ち直し、出場圏内を維持するなど好調をキープしていたものの終盤の2連戦(ウルグアイ・チリ)で連敗し無念の敗退となってしまいました。ホームでブラジル、アルゼンチンを下すなど好調だっただけに、最後の最後で力尽きたと言う感じがします。コロンビアルイス・ベレアなどの強固な守備陣を誇った一方で、ウーゴ・ロタジェガ、ラファエル・ファルカオといったフォワード陣が軒並み期待外れに終わり、最終節を待たずして敗退となってしまいました。守備が良くても攻撃陣が貧打に泣いたのでは勝てるわけがありません。

 前回波乱続出だったアフリカ、今大会敗退した実力国といえば2006年、2008年のアフリカ・ネーションズカップで優勝を果たしたエジプトがまず出るでしょう。アルジェリアと最後まで出場を争い、最終節の直接対決で勝利して勝ち点などで並び、最後のプレーオフに望みをつなぐもアルジェリアの前に敗退となってしまいました・・・。ただ直接対決の前に両国のサポーターが衝突し、政治レベルでもお互い大使を召還して抗議するなど傷をつけたことは否めません・・・。
 最後に格下にまさかに敗北を喫し、出場を争うライバルに本大会出場をさらわれた不運に泣いたチュニジア、最後まで何があるか分からないということを認識する結果かもしれません。
 他ですが、トーゴ絶対的エースアデバヨール頼みなところは相変わらずで、セイドゥ・ケイタ、フレデリック・カヌーテ、ママドゥ・ディアッラなどのタレントを誇るマリも、チームとして機能しなかったことが挙げられます。いくら実力者・タレントを多数擁しながらチームとして機能しなければ勝てないのがサッカーだと思いますね。

 アジア、今予選は毎回1カ国は出場している中東勢が何と全滅という内容でした。その中で代表なのは長くアジアの雄として君臨したサウジアラビア、攻撃ユニットが魅力のタレント軍団イラン、2007年のアジアカップ王者イラク、そしてまたもプレーオフで涙を飲んだバーレーン。などでしょう。

 北中米カリブ海は前大会出場国のコスタリカトリニダード・トバゴでしょう。コスタリカはウルグアイとの出場をかけたプレーオフで残念ながら敗れ、トリニダード・トバゴは、今予選ではエースのケンウィン・ジョーンズのワンマンチームという印象は拭えず、最下位で今大会予選を終えました。かつてのドワイト・ヨークのような精神的支柱がいなかったことも理由でしょうか?

 こうざっと、今大会予選で敗退した強豪国・実力国について触れましたが、いくら強豪国といっても簡単に出れないのがワールドカップです。今大会予選で敗退した国の中で前大会出場国は12カ国と言いますから、この4年の間に、各大陸では勢力図が移り変わっていると言う認識もあるでしょう。この前まで弱小国、中堅の域を出れなかった国がレベルアップしているくらいですからねェ・・・、ヨーロッパのボスニア・ヘルツェゴビナ、アジアのバーレーン、アフリカのガボン、そして今大会唯一初出場であるスロバキアといった国の躍進もそれを証明しているかもしれません。

 世界のサッカーファンにとって最大のイベント、ワールドカップ、その大会に出れるのはわずか32カ国ですから、その道は厳しいものであるということでしょう。

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チャベス大統領「エンジェル・フォール」呼称に難癖をつける

 竹島や日本海表記に対していちいち文句ばかり言う韓国化してますね。この国の大統領は。

引用

ベネズエラ:また、チャベス大統領 「エンジェル・フォール」改名を

【メキシコ市・庭田学】南米ベネズエラの急進左派チャベス大統領が、世界最大の落差(979メートル)で知られる同国の滝「エンジェル・フォール」の名称を変えるべきだと主張している。AP通信が伝えた。米国人冒険家の名前に由来することに反発したもので、地元先住民に倣って「ケレパクパイ・メルー」(「最も深い滝」の意味)と呼ぶべきだと主張した。

 ギアナ高地の世界自然遺産カナイマ国立公園にあるエンジェル・フォールは、同国の観光の目玉。1933年、ジミー・エンジェル氏(1899~1956年)が上空から「発見」したため、同氏の名前が付けられた。これに対し、チャベス大統領は今月20日、「(エンジェル氏は)飛行機から最初に滝を見た人物とは言えるだろうが、多くの先住民はその前から滝を見ていた」と反論した。

 チャベス大統領は99年の就任後、正式国名を「ベネズエラ共和国」から「ベネズエラ・ボリバル共和国」に変更している。
 毎日新聞 2009年12月26日 東京朝刊
 ベネズエラを代表する大自然、ギアナ高地にあるカナイマ国立公園にあり、落差979メートルもの落差を誇るなどベネズエラを代表する滝「エンジェル・フォール」ですが、この名称に対し同国のウゴ・チャベス大統領が、その名称を変えるべきだと主張したようです。

 理由として、1933年にアメリカ人探検家ジミー・エンジェル氏がここを探検した際上空から「発見」した為この名が付きましたが、これに対してチャベス大統領が「(エンジェル氏は)飛行機から最初に滝を見た人物とは言えるだろうが、多くの先住民はその前から滝を見ていた」として、この地に昔からいた先住民に倣い「ケレパクパイ・メルー」(「最も深い滝」の意味)と呼ぶよう主張しました。

 チャベス大統領のこの主張、ハッキリ言って竹島呼称や日本海呼称に対してすぐに文句を言う韓国と同じレベルとしか言えませんね。
 最初にこの滝を発見した探検家の名より先住民の言葉をつけるべきだ。と言う点、チャベス大統領からすればこの滝を最初に見つけた探検家の名を付けるのは白人による侵略を正当化するものでしかないとしてるんでしょうかね? 先住民の価値観を尊重するのは勝手ですが、国際的に認められている名称だけにこの抗議は「何言ってんだ!?」と思われるだけだと思うんですけどねェ・・・。

 とにかく、チャベス大統領はベネズエラにおいて欧米的な名を消したいだけなんでしょう、1999年の大統領就任後すぐ正式国名を「ベネズエラ共和国」から「ベネズエラ・ボリバル共和国」に変えたのもそうですが、そうとしか思えません。

「お前たち白人が一方的につけた名前など認めない!」「先住民の価値を無視した横暴な行為だ」と、改称に関して難癖つけたのもこういう理由でしょうか。ホント、日本に対して難癖ばかりつけてくる韓国のやり方と全く同じですね。チャベス大統領のこの言動は。

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小林麻央、イブの結納を記念してグラビア披露

引用

小林麻央 イブ結納記念?姉妹でミニスカ姿披露

 フリーキャスターの小林麻央(27)が24日発売の「週刊文春 新年特大号」で姉の小林麻耶(30)とのツーショットグラビアを披露する。

 ミニスカートの美脚ショットや和服姿を掲載。姉妹のツーショットは07年に別の雑誌で1カット掲載されているが、さまざまなシーンのグラビアは今回が初めて。

 くしくも歌舞伎俳優の市川海老蔵(32)と都内で結納を交わす日の発売。撮影時にはすでに海老蔵との婚約を発表しており、海老蔵についてのトークも展開。「子供のころから、私が先にいく予感はしてたんだよね」という麻央の本音や、「麻央ちゃんが幸せなら私も幸せ」という麻耶の心境が語られている。姉妹で現在も風呂に一緒に入っており、海老蔵はそんな2人の仲の良さも理解しているという。

[ 2009年12月24日 ]「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より


 歌舞伎役者・市川海老蔵と婚約を発表し、今日24日のクリスマスイブに結納を交わすことが決まっているフリーキャスターの小林麻央、そんな彼女がイブの結納を記念してか、今日24日発売の「週刊文春」において姉・小林麻耶とツーショットグラビアを披露するようです。

 今年6月末から交際を始めわずか半年でのスピード婚となりましたが、これについて「子供のころから、私が先にいく予感はしてたんだよね」と心境を語っており、姉・麻耶も麻央ちゃんが幸せなら私も幸せ」とフォローしたようです。

 決定打はやはり海老蔵の「愛し続けます」というセリフですね。結納を記念して姉妹でグラビアを披露しますが、いい記念になると思いますね。

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genre : アイドル・芸能

「ルービン・ブラザーズ」って何!? 相変わらずだねェ、この人は・・・?

 総理辞任後なりをひそめていた麻生太郎元総理、相変わらずなところを見せたようです。

引用

「ルービン・ブラザーズ」?麻生節、相変わらず

 自民党の麻生前首相は23日、奈良県十津川村で開かれた党主催の集会に出席し、約30人の党員と2時間意見交換した。

 8月の衆院選以降、麻生氏が地方の党行事に姿を見せるのは初めて。

 麻生氏は冒頭、「政権交代を余儀なくされ、力不足を誠に恥じている」と衆院選敗北を謝罪。党員からは「(麻生総裁時代は)富裕層にはいい政治だった。なぜ国民が政権を変えたかったか、よく分析して」などの厳しい意見も出たが、うなずきながら耳を傾けた。

 民主党政権に対しては、「国家社会主義的にだれか一人がやれと言えばそう(なり)、ダメと言えばダメ。自由民主党の自由がなくなったのが民主党かね」と鋭く皮肉った。

 一方で、世界的な金融危機の震源となった米大手証券会社「リーマン・ブラザーズ」を「ルービン・ブラザーズ」と言い間違えるなど、相変わらずの麻生節だった。

(2009年12月23日20時13分 読売新聞)
 奈良県十津川村で開かれた自民党主催の集会に出席した麻生元総理、約30人の党員と意見交換するなど党の今後について語りましたが、そこでも相変わらずの「麻生節」を見せてしまいました。

 去年の世界的金融危機の震源となったアメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズを何と!?「ルービン・ブラザーズ」と言い間違え、失笑を買ったようです。

 これまで未曾有を「みぞうゆう」と言ったり、イギリスの今の首相を「トニー・ブラウン」(正しくはゴードン・ブラウン)と答えるなど、言い間違いで国民の失笑を買った麻生元総理、総理辞任後あまり公の場に出てませんでしたが、健在振りをこんなところで見せたようですね・・・。良くない意味で。ましてリーマン・ブラザーズすら正しく言えないなんて恥ずかしいし情けないです・・・。去年あれだけメディアで取り上げられたのに・・・。

 衆院選での惨敗について「政権交代を余儀なくされ、力不足を誠に恥じている」と謝罪しましたが、正直言って麻生元総理の求心力と手腕、言動があまりにも国民からすれば首を傾げたくなるものだったけどね。それが結局自民党の敗北につながったのではないでしょうか!?

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genre : 政治・経済

東ヨーロッパ民主化革命で最も生々しい革命

 ヨーロッパ東南部に位置する国・ルーマニア、伝説のオリンピック選手ナディア・コマネチ「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとされたヴラド・ツェペシュ公、また「吸血鬼ドラキュラ」におけるドラキュラ城のモデルとなったブラン城(ルーマニア南部・トランシルバニア地方ブラショフにある城)などのイメージが日本人にはありますが、20年前の東ヨーロッパ民主化革命において、この国で起こった革命は生々しいものでした。そんなわけで今から20年前の今日1989年12月22日は、そのルーマニアで共産党政権が倒れた日であります。

 ヨーロッパ東南部にあるルーマニア、第2次大戦後他の東ヨーロッパ諸国同様共産党政権が誕生し東側陣営に加わったものの、他の東ヨーロッパ諸国とは違いソ連と一定の距離を置く独自の外交政策を展開したのでした。そんな中1965年にニコラエ・チャウシェスクが共産党書記長に就任し、1967年国家評議会議長、さらに大統領制がしかれるようになった1974年に初代大統領となったのでした。
 チャウシェスクは東ヨーロッパの中でもソ連と距離を置く外交政策を取り(前任からの踏襲)、1968年にチェコスロバキアで起こった「プラハの春」では自国の軍をプラハに派遣せず、またこの時のソ連の行動を批判したことで西側諸国から評価されたのでした。また1984年のロサンゼルス・オリンピックでは前回のモスクワにおいて西側諸国のボイコットに抗議してソ連など東側諸国がボイコットしたのに対しルーマニアは参加するなどソ連を距離を置く姿勢を取ったのでした。

 だが国民からはじめ支持されたものの、チャウシェスクは家族とともに国民の感覚からかけ離れた生活を送るようになり、膨れ上がる対外債務や国民の生活が厳しくなるなど、ルーマニア国内の経済が悪化しているにも関わらず贅沢の限りを尽くし、首都ブカレストに「国民の館」と銘打った巨大な宮殿を建立したり(同じように国内経済が悪化しているのに関わらず自分の宮殿を立てたザイール《現コンゴ》のモブツ・セコとも重なる)大ドナウ運河を建設するなどし、チャウシェスクの家族・親族らが党や国家の要職を占めるようになり、国民を無視した政治姿勢を取るチャウシェスクに対し国民は失望し、支持を失い始めるのでした。

 国民からの不満に対しチャウシェスクはセクリタテアと呼ばれる秘密警察を導入し、徹底した監視と密告により国民を支配したのでした。

 1980年代に入ると、ルーマニア国内での経済状況は悪化するようになり国民からの不満はさらに高まったものの、チャウシェスクは軍備強化のため夫婦に子供を5人以上つくるよう義務化したり、少数派民族に対する弾圧を強めるなど恐怖支配を強め、国民をますます支配する姿勢を取ったのでした。
 1985年にソ連でミハイル・ゴルバチョフが書記長に就任し、ペレストロイカの気運が東ヨーロッパに波及するようになったもののチャウシェスクは自身の体制維持に固執し民主化運動への妥協はしないと強硬な姿勢を取り、1989年に民主化気運が東ヨーロッパ全土で高まると、ワルシャワ条約機構による軍事介入を主張したのでした。

 同1989年12月16日、ルーマニア西部のティミショアラで起こった民衆によるデモが勃発し、これに対し治安部隊がデモ隊目掛けて発砲して多数の死傷者を出したことで、国内で反チャウシェスクの動きが一気にエスカレートするのでした(デモの背景は、ティミショアラ在住のハンガリー人牧師に対し共産党政権が国外退去命令を出したことがきっかけ)
 12月21日、チャウシェスクは共産党本部のバルコニーで官製集会を行い、最後の演説をしたものの国民の大半はもはやチャウシェスクに「NO」を突きつけていたのでした。他方集会に参加した学生の多くが反チャウシェスク集会を開いたものの、治安部隊がこれに発砲し多数の死傷者を出すことになってしまい、チャウシェスクに対する不満は頂点に達したのでした。

 そして今から20年前の今日1989年12月22日、革命勢力の攻勢によりチャウシェスク大統領は失脚し共産党政権は倒れたのでした(この時当時国旗の中央にあった紋章がくり抜かれた旗が目立つようになった)。しかしこの革命、続きがあったのです。

 反体制派勢力は共産党下の反チャウシェスク派と組んで救国戦線評議会を結成し、政治犯を釈放してテレビ局やラジオ局を占拠し「自由ルーマニア放送」を設立したのでした。事の成り行きにチャウシェスクは非常事態宣言を出し事態に対応しようとしましたが、このとき軍は革命勢力に参加しており、チャウシェスク派気が付けば孤立していたのでした。民衆の圧倒的な抵抗に対しチャウシェスクはエレナ夫人もろとも建物の屋上からヘリで脱出しましたが、この逃亡劇、自由ルーマニア放送が全世界に流したのでした。
 23日には救国戦線評議会とチャウシェスク派の治安部隊の対立は凄惨を極めるようになり、ブカレストなどで多数の死傷者を出した中、救国戦線評議会はチャウシェスク大統領夫妻を逮捕し、その様子を放送したのでした。市街戦は続き、チャウシェスク派の要人は次々と逮捕されたのでした。

 そして12月25日、救国戦線評議会による軍事法廷はチャウシェスク夫妻を大量虐殺・不正蓄財の罪で起訴し、死刑を求刑したのでした。そして即日銃殺刑となり夫婦もろとも処刑されました。この様子は全世界に報じられ、日本でもこのニュースを一斉に報道し、特にフジテレビは深夜にも関わらずこの様子を報道特番として放送した。救国戦線評議会はまた処刑から遺体の様子を全世界に公開したのでした。

 その後のルーマニアでは、チャウシェスク時代の負の遺産による打撃が原因か、経済停滞を招き失業率が増加するなど国民生活は当時より変わらず、革命から10年経った1999年に行われた世論調査では「チャウシェスク時代のほうが良かった」と答えたのが60パーセントを占め、各地の工場や炭鉱ではストライキが多発しデモも起こり、その中で「チャウシェスク、私たちはあなたが恋しい」というプラカードを掲げる人もいたくらいでした。国民に嫌われた独裁者が最低限の生活を保障していたことで逆に再評価されるというのは何という皮肉でしょうか。1000人以上の犠牲者を出した革命児の加害者の追及を巡る問題など、革命はまだ終わっていないとの声も多く、未だルーマニアにおいて問題となっているようです・・・。

 国民を虐げ自分は贅沢の限りを尽くすなど圧政をしいたニコラエ・チャウシェスク、国民によって処刑されるという結末は「悪名高い独裁者は哀れな最期が似合う」ということを証明したのではないでしょうか?(いずれ北朝鮮の金正日、ジンバブエのロバート・ムガベ、ミャンマーのタン・シュエなどもああなって欲しいが)

 ポーランドや東ドイツ、チェコスロバキアとは打って変わって、多数の犠牲者を出すなど生々しい民主革命だったルーマニア民主化革命。多数の犠牲を出しながら勝ち取ったあの革命を今、ルーマニアの人たちはどう見ているのでしょうか?

theme : 歴史
genre : 政治・経済

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