2度のクビを乗り越えた名選手・山本和範
プロ野球のペナントレースも終盤に入り佳境を迎えていますが、一方で来季の監督人事やかつて一時代を築いた名選手の引退の時期でもあります。そんな中、現役時代に2度のクビを味わいながらもそれにめげずにプロ野球の世界でがんばった選手がいます。そう、かつて近鉄・南海・ダイエーで主力選手として活躍した山本和範です。今から10年前の今日、1999年9月30日はその山本和範の現役引退試合が行われた日です。私は割と好きな名選手の一人もあります「ドラ」というあだ名でも知られてますからね。
山本は福岡県の戸畑商業高校から1977年にドラフト5位で近鉄バファローズに入団し、初めは投手でしたが後に外野手に転向しました。山本は2軍で3年連続3割という好成績を上げますが、1軍では全くいい成績は残せず(初めの近鉄在籍6年間ではわずか6安打だった)、1982年近鉄からクビを言い渡されたのでした。野球をやめて福岡に帰ろうと思ったとき、同僚だった久保康生(現・阪神1軍投手コーチ)から「野球を続けるべき」とアドバイスして、知り合いのバッティングセンターを紹介、山本はバッティングセンターでアルバイトをしながら、自分を拾ってくれる球団があることを信じて打撃練習に励みました。そんな山本の努力を認めていたのが、当時南海ホークスの新監督に就任したばかりの穴吹義雄でした。
山本が2軍で好成績を上げた当時、南海の2軍監督だった穴吹は山本の実力を高く買っていたのでした。1983年に南海に移籍した山本は準レギュラーに成長し、翌1984年にはライトのレギュラーを勝ち取り移籍して2年で主力選手になるなど頭角を現し(この年の7月14日のロッテ戦で《川崎》1試合3補殺のプロ野球タイ記録を達成した)(またこの軌跡は漫画「あぶさん」でもエピソードとして取り上げられた)、1986年には初めてオールスターに選出され、第1戦でMVPに輝きました(2安打を放った)。そしてこの年ゴールデングラブを獲得し、この年最下位に終わった南海で数少ない明るいニュースをもたらしました(後は南海のこの年のドラフト1位・西川佳明が西武・清原と激しい新人王争いを演じた)。
山本はその後もホークスで主力選手として活躍し、1988年に南海がダイエーに身売りし本拠地を福岡に移転すると、地元出身選手ということでチーム一の人気選手となりました。1994年には登録名を「カズ山本」に変更し(当時小学生だった子供が周りから「お前の父親はなぜドラってあだ名なんだ?」と聞かれて、ドラキュラのドラだと言えないからこの頃Jリーグで人気を博したキング・カズにちなんで登録名を変更した)「バントをしない2番打者」としてオリックス・イチローと激しい首位打者争いを繰り広げました。そして年俸も2億円になりました。これは南海にテスト入団した1983年当時に320万だったことを考えるとスゴイ数字かもしれませんね。
しかし翌1995年には故障の影響もあり満足な成績が残せず、また38歳という年齢に加え2億円の年俸がネックとなり球団から自由契約を言い渡されました。2度目のクビ、しかしそれでも野球を諦めない山本は14年前に自分をクビにした近鉄に入団テストを受け合格し近鉄に復帰しました。かつて自分のクビにした球団に復帰するというのは異例かもしれないが、やはり「いくら年俸が下がろうと野球を続けたい」と言う気持ちが山本には強かったんでしょう。こういうところは共感できますね「巨人のままで辞めたい」と言って引退した定岡正二や元木大介とはえらい違います。
近鉄に復帰し登録名も本名に戻し、復帰1年目にはオールスターに初めてファン選出で選ばれて(これまで4回選出されたが、いずれも監督推薦だった)、福岡ドームで行われた第1戦で決勝ホームランを放ちMVPに選ばれました。その後も近鉄で代打の切り札・指名打者として主力と活躍しました。
しかし1999年、山本はシーズンを通じて1軍に上がることはなく球団は引退を勧めましたが、それでも野球を続けたい山本はこれを拒否、そして1999年9月30日(福岡ドームでのダイエー戦)、山本は今シーズン初の1軍昇格試合でスタメンで出場しました。山本の退団を知っていたダイエーのファンからも山本コールが沸き起こり、山本がダイエーにいたときの応援かも流れました。そして第4打席に篠原貴行から決勝ホームランを放ちチームの勝利に貢献、試合後には本来ならダイエーの今季最終戦だけに優勝セレモニーが行われるところ、山本はファンの声援を受けグラウンドを一周しその後胴上げされ、この光景を見た山本は「プレイヤーとしてこれ以上の感動を与えることは無理」として、この日山本は現役引退を表明しました。
引退後山本は一時期の登録名だった「カズ山本」としてタレント活動を行い(吉本興業に所属・大阪事務所に属しているが福岡事務所のタレントと活動することが多い)、タレント活動のほかに地元のクラブチームの監督も務め、プロ野球マスターズリーグにも参加し福岡ドンタクズでプレーしています。
現役時代に2度の解雇を受けながらも「それでも野球がしたい」と言う熱意で23年もプレーした山本和範、彼ほど素晴らしい選手はいないのではないでしょうか?
山本は福岡県の戸畑商業高校から1977年にドラフト5位で近鉄バファローズに入団し、初めは投手でしたが後に外野手に転向しました。山本は2軍で3年連続3割という好成績を上げますが、1軍では全くいい成績は残せず(初めの近鉄在籍6年間ではわずか6安打だった)、1982年近鉄からクビを言い渡されたのでした。野球をやめて福岡に帰ろうと思ったとき、同僚だった久保康生(現・阪神1軍投手コーチ)から「野球を続けるべき」とアドバイスして、知り合いのバッティングセンターを紹介、山本はバッティングセンターでアルバイトをしながら、自分を拾ってくれる球団があることを信じて打撃練習に励みました。そんな山本の努力を認めていたのが、当時南海ホークスの新監督に就任したばかりの穴吹義雄でした。
山本が2軍で好成績を上げた当時、南海の2軍監督だった穴吹は山本の実力を高く買っていたのでした。1983年に南海に移籍した山本は準レギュラーに成長し、翌1984年にはライトのレギュラーを勝ち取り移籍して2年で主力選手になるなど頭角を現し(この年の7月14日のロッテ戦で《川崎》1試合3補殺のプロ野球タイ記録を達成した)(またこの軌跡は漫画「あぶさん」でもエピソードとして取り上げられた)、1986年には初めてオールスターに選出され、第1戦でMVPに輝きました(2安打を放った)。そしてこの年ゴールデングラブを獲得し、この年最下位に終わった南海で数少ない明るいニュースをもたらしました(後は南海のこの年のドラフト1位・西川佳明が西武・清原と激しい新人王争いを演じた)。
山本はその後もホークスで主力選手として活躍し、1988年に南海がダイエーに身売りし本拠地を福岡に移転すると、地元出身選手ということでチーム一の人気選手となりました。1994年には登録名を「カズ山本」に変更し(当時小学生だった子供が周りから「お前の父親はなぜドラってあだ名なんだ?」と聞かれて、ドラキュラのドラだと言えないからこの頃Jリーグで人気を博したキング・カズにちなんで登録名を変更した)「バントをしない2番打者」としてオリックス・イチローと激しい首位打者争いを繰り広げました。そして年俸も2億円になりました。これは南海にテスト入団した1983年当時に320万だったことを考えるとスゴイ数字かもしれませんね。
しかし翌1995年には故障の影響もあり満足な成績が残せず、また38歳という年齢に加え2億円の年俸がネックとなり球団から自由契約を言い渡されました。2度目のクビ、しかしそれでも野球を諦めない山本は14年前に自分をクビにした近鉄に入団テストを受け合格し近鉄に復帰しました。かつて自分のクビにした球団に復帰するというのは異例かもしれないが、やはり「いくら年俸が下がろうと野球を続けたい」と言う気持ちが山本には強かったんでしょう。こういうところは共感できますね「巨人のままで辞めたい」と言って引退した定岡正二や元木大介とはえらい違います。
近鉄に復帰し登録名も本名に戻し、復帰1年目にはオールスターに初めてファン選出で選ばれて(これまで4回選出されたが、いずれも監督推薦だった)、福岡ドームで行われた第1戦で決勝ホームランを放ちMVPに選ばれました。その後も近鉄で代打の切り札・指名打者として主力と活躍しました。
しかし1999年、山本はシーズンを通じて1軍に上がることはなく球団は引退を勧めましたが、それでも野球を続けたい山本はこれを拒否、そして1999年9月30日(福岡ドームでのダイエー戦)、山本は今シーズン初の1軍昇格試合でスタメンで出場しました。山本の退団を知っていたダイエーのファンからも山本コールが沸き起こり、山本がダイエーにいたときの応援かも流れました。そして第4打席に篠原貴行から決勝ホームランを放ちチームの勝利に貢献、試合後には本来ならダイエーの今季最終戦だけに優勝セレモニーが行われるところ、山本はファンの声援を受けグラウンドを一周しその後胴上げされ、この光景を見た山本は「プレイヤーとしてこれ以上の感動を与えることは無理」として、この日山本は現役引退を表明しました。
引退後山本は一時期の登録名だった「カズ山本」としてタレント活動を行い(吉本興業に所属・大阪事務所に属しているが福岡事務所のタレントと活動することが多い)、タレント活動のほかに地元のクラブチームの監督も務め、プロ野球マスターズリーグにも参加し福岡ドンタクズでプレーしています。
現役時代に2度の解雇を受けながらも「それでも野球がしたい」と言う熱意で23年もプレーした山本和範、彼ほど素晴らしい選手はいないのではないでしょうか?