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タイとカンボジアって仲悪いの!?

 一つのある地域の領有を巡る対立と言えば日本と韓国の間で起こっている竹島問題がまず出てきますが、竹島以外にも領有権問題で対立しているところもあります。アジアだと竹島だけでなく、インドとパキスタンの間で対立しているカシミール問題もだし、日本と中国で対立している尖閣諸島問題もですが、それ以外でも領有権問題がアジアにあったんですねェ。

引用

カンボジア・タイ:国境の遺跡近くで銃撃戦 2人死亡13人負傷

【バンコク藤田悟】カンボジア・タイ国境にあるヒンズー寺院遺跡「プレアビヒア」近くで15日、両軍の銃撃戦が発生した。カンボジア兵士2人が死亡、6人が負傷し、タイ兵士7人が負傷した。両国は互いに相手側が最初に発砲したと非難し、両国関係は急速に険悪化している。

 銃撃戦が起きたのは寺院から約2・5キロ西の地点で、約1時間にわたって銃やロケット弾を撃ち合った。今月3日にも同じ地点で銃撃戦があり、兵士3人が負傷した。カンボジア軍によると、国境を侵犯したタイ兵士10人を拘束した。タイ側は否定している。

 タイ外務省は、バンコク駐在のカンボジア大使代理を呼び抗議した。ソムポン外相は「用のないタイ国民はカンボジアから出国するよう」呼びかけた。

 遺跡付近は4・6平方キロにわたり国境線が未画定で、両国が領有権を争っている。13日にカンボジア側がタイ兵士の「国境侵犯」を非難して撤退を要求したのに対し、タイ側が拒否し、約80人だった兵員を500人に増強。両軍が国境付近でにらみ合う状態となり、緊張が高まっていた。

 事態悪化の背景には、カンボジア側がタイの内政混乱に乗じて攻勢をかけ、優位に立とうとしたことがある。一方、タイ政府にとってカンボジアとの対立は国民の目を国内問題からそらす材料になることもあり、真っ向から対決姿勢を打ち出した。

毎日新聞 2008年10月16日 東京朝刊より

 どうやら、タイとカンボジアの国境線にあるヒンズー教の寺院遺跡「プレアビヒア」寺院付近の領有権を巡ってタイとカンボジアが対立し、カンボジア側がタイ軍が国境侵犯したと主張し、タイ側は「普通にパトロールしていた」と言っているけど、これで両国関係は悪くなったみたいですね。

 えーと、プレアビヒア寺院を詳しく説明するとこう出ます。

引用

◇プレアビヒア寺院
 アンコール王朝が9~11世紀に建設したヒンズー教の山岳寺院。カンボジア、タイ両国が領有権を争っていたが、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領との判断を下した。地形的にタイ側を通らないと登れないことや付近の国境に未画定部分があることが世界遺産登録の妨げとなっていたが、世界遺産委員会は今年7月、カンボジア単独での登録申請を承認して世界遺産登録を決めた。


■タイ・カンボジア国境を巡る最近の動き■

06年 1月    カンボジアがプレアビヒア寺院を世界遺産に登録申請

08年 6月    タイ政府が遺産登録を支持する声明をカンボジアと共同で発表

    7月 1日 国内の反発を受けタイ政府が声明を撤回

       7日 世界遺産委員会が同寺院の世界遺産登録を決定

      14日 タイのノパドン外相が混乱の責任を取って辞任

      15日 カンボジアがタイ軍兵士の「国境侵犯」を非難

   10月 3日 同寺院付近で両軍が銃撃戦、3人負傷

      13日 カンボジア側がタイ側に「撤退しなければ戦争に」と警告

毎日新聞 2008年10月15日 東京朝刊「カンボジア・タイ:遺跡周辺領有権争い、国境で緊張高まる」より抜粋

 竹島問題での日本と韓国同様、国際司法裁判所で判断を決めたいけどなかなか出来ないと言う点は似てますが、13日にカンボジア側がタイ側に対し「撤退しなければ紛争になる」と警告しているのって、いつまた紛争になってもおかしくない環境になってしまったんですね。竹島問題もいつ紛争になってしまうかと思うと恐ろしい・・・。

 でもなぜヒンズー教の寺院を巡って対立しているんだろう?って疑問ですよ。タイもカンボジアも仏教国なのに・・・。なんでヒンズー教の寺院を巡って対立しているのかホント分からない。銃撃戦にまで発展し死傷者も出ているのに一向に事態が収まる気配はない。カンボジアからすれば、タイの最近の情勢不安につけ込んで優位に立とうとし、タイからすれば国内問題を棚に上げるのに格好の道具になっているから、両国とも対決を辞さない態度になってしまった。

 これで思ったのが、実はタイとカンボジアって仲悪いんだ。と思うのではないだろうか? 領有権問題と言うのはホント理屈の通らない感情的な対立であると言うことでしょう。

theme : 海外ニュース
genre : ニュース

グランド照らす太陽の~♪意気と力をこの胸に~♪

 ホークスが大阪から福岡に本拠地を移転して20年になる今年、今や南海ホークスは伝説の球団となっています。そんなわけで今から20年前の今日、1988年10月15日は、その南海ホークスが当時の本拠地、大阪球場での最後のホームゲームを行った日です。

 1988年は、南海ホークスにとって球団創立50年になる節目の年でした。しかしかねてからの球団身売りの噂がちらほらと聞こえ始め、選手たちに動揺が走るのでした。その頃の南海ホークスと言えば12球団一の貧乏球団で、一説には新人選手の契約金も一括で払うことが出来ないほどで、そんな資金難ぶりは親会社である南海電鉄からも不満が高まり、球団を売れとの声も多かったのでした。
 それでも、南海ホークスが存続できたのは川勝傳(かわかつ・でん)オーナーの存在でした。彼はたとえ資金難ゆえに球団を売れと言う声に対して「わしの目の黒い内は絶対に売らん!」との態度を変えませんでした。

 1988年のシーズンは開幕7連敗と大きく躓き、最悪のスタートとなり、さらに4月23日、頑なにまでチームを愛した川勝傳オーナーが亡くなり、その後任の吉村茂夫オーナー(当時の南海電鉄社長)が手がけたのが球団売却でした。同年8月に買収の動きが報道され、また同月福岡市で地元の政財界トップの会合が行われた時、当時小売業で飛ぶ鳥を落とす勢いだったダイエーが「南海ホークスを買収する話を進めている。本拠地を福岡にしたい」と話し、また9月21日には、吉村オーナーとダイエー・中内功社長が会談し合意に至りました。
 その内容とは(1)ホークスの名前を残す(2)選手の待遇改善(3)杉浦忠監督の留任というものでした。

 この噂は瞬く間に選手たちに広まり、また当時南海の監督だった杉浦忠も激しく動揺した。そんなシーズン終了待たずに球団身売りが決まり、当初動揺した選手たちも徐々に現実を受け止めました。
 そして1988年10月15日、本拠地大阪球場での最終戦、相手は近鉄バファローズ、球場にはホークス最後の雄姿を見ようと多くの人々が駆けつけ、スタンドは満員となりました。
 試合は接戦の末、6-4で近鉄を下し、本拠地最終試合を白星で飾りました。試合終了後のセレモニーで杉浦監督は「長嶋君ではありませんが、南海ホークスは不滅です。ありがとうございました。行ってまいります!」と力強く述べました。スタンドに集まった多くのファンはもう見ることのない南海ホークスの雄姿を涙ながらに見据えました。スコアボードには「さようなら南海ホークス、50年間ご声援ありがとう」と刻まれ、最後まで南海の最後の雄姿に涙しました。

 この年の南海ホークスは58勝71敗1引き分けで5位に終わったものの、主砲であり当時チームの顔と言うべき門田博光が44本塁打、125打点で二冠王に輝き、リーグMVPまで受賞するなど最後のスピーチをした杉浦同様南海の最後を締めくくるのに相応しい活躍を見せました。国民栄誉賞を取ってもおかしくなかったけど、当時は昭和天皇が重篤の為、日本各地の祭りなどを中止した「自粛」ムード真っ只中だったから、国民栄誉賞授与などとんでもないという風評があったんでしょうね。
 余談だが、相手の近鉄は優勝争い真っ只中であり、この敗戦が後に「10・19」の始まりと言う声も少なくない。

 あれから20年、南海ホークスは「伝説」のチームの一つとなっており、また当時の本拠地・大阪球場は難波再開発のあおりで取り壊され、その跡地は「なんばパークス」という多目的施設となり、その7階に「南海ホークスメモリアルギャラリー」という博物館があり、南海ホークスを後世に伝える為のものとなっております。また南海最後の監督であり福岡ダイエーホークス初代監督も務めた杉浦忠は2001年11月に亡くなり、今や南海ホークスは歴史の一部でしかないのでしょうかと思いますね。

theme : プロ野球
genre : スポーツ

波乱大陸!?

 2010年の南アフリカ・ワールドカップのアフリカ予選ですが、2次予選でまさかの予選敗退を味わった強豪国もあるなど、アフリカはまさに波乱が起きやすい国であるとつくづく思いますね。

 ここで3次予選(つまり最終予選)に進出した国はと言うと(この予選は2010年のアフリカ・ネーションズカップ・アンゴラ大会への予選も兼ねる為南アフリカも出場、南アフリカは予選の結果に関わらずワールドカップには出場、またアンゴラは予選の結果に関わらずネーションズカップは出場、ワールドカップ予選の為に参加)。
  カメルーン(2次予選グループ1、1位)
 ナイジェリア(2次予選グループ4、1位)
 コートジボワール(2次予選グループ7、1位)
 ガーナ(2次予選グループ5、1位)
 エジプト(2次予選グループ12、1位)
 チュニジア(2次予選グループ9、2位)
 マリ(2次予選グループ10、1位)
 モロッコ(2次予選グループ8、1位)
 ギニア(2次予選グループ2、1位)
 アルジェリア(2次予選グループ6、1位)
 トーゴ(2次予選グループ11、2位)
 ザンビア(2次予選グループ11、1位)
 ブルキナファソ(2次予選グループ9、1位)
 ベナン(2次予選グループ3、1位)
 スーダン(2次予選グループ10、2位)
 ガボン(2次予選グループ5、2位)
 ケニア(2次予選グループ2、2位)
 モザンビーク(2次予選グループ7、2位)
 ルワンダ(2次予選グループ8、2位)
 マラウィ(2次予選グループ12、2位)

 となっておりますが、この顔ぶれを見て分かると思いますが、セネガルDRコンゴ(コンゴ民主共和国)アンゴラ南アフリカがなんと予選で敗退しました(南アフリカはネーションズカップ、アンゴラはワールドカップへの道は閉ざされた)。

 2002年の日韓共催ワールドカップで初出場ながらベスト8になるなどアフリカにおける新たなる強豪国の仲間入りを果たしたセネガルですが、最近ではあまりいい結果が残せず(今年1月下旬から2月初旬までガーナで開催されたネーションズカップでも1次リーグであっけなく敗退)、いつしかコートジボワールやマリなどにその座を明け渡した感じがします。
 2006年のドイツワールドカップのアフリカ予選では強豪ナイジェリアを抑えて出場し、アフリカ・サッカーらしからぬ強固な守備とチームワークで本大会でも1次リーグ敗退ながら健闘したアンゴラも、今予選では成長著しいベナンの後塵を喫しました。

 2次予選の最終結果を見て、ルワンダやマラウィといったアフリカ・サッカー界でもあまり聞かれない国が躍進し、その一方でセネガルやDRコンゴ、アンゴラといった強豪が敗退、とアフリカほどワールドカップ予選で波乱が起きやすい地域はないと思いますね。前大会でもカメルーンやナイジェリアが敗退したくらいですからやはりアフリカは波乱が起きやすい。
 3次予選の組み合わせはどうなるんでしょうね。2次予選を勝ち抜いた20カ国が4カ国ずつ5つのグループに分かれてのリーグ戦を闘い、それぞれのグループ首位しか本大会に出れないから、組み合わせ次第ではまたさらに波乱が起きると思います(前大会でカメルーンとコートジボワール、エジプトが同居するくらいですからね)。

 結果と言えば、それだけアフリカ・サッカー全体がレベルアップしている証拠なんですかね。

theme : アフリカ
genre : 海外情報

ウズベキスタン戦はどうなるのやら・・・?

 昨日日本代表がUAE(アラブ首長国連邦)代表と親善試合を行いましたが、結果はあまりいいものではなかったですね・・。

引用

岡ちゃん教訓生かせずドロー/親善試合

<国際親善試合:日本1-1UAE>◇9日◇東北電ス

 リードして失点する悪いパターンをまたも繰り返した。試合直後の岡田武史監督(52)は「サッカーは何が起こるか分からない。そういう点では1失点はやむを得ない」と、失点に焦点を当てなかった。

 しかし、その後の会見では反省すべきポイントをスラスラと説明。チーム内での約束事が実践できなかった点を指摘した。「中村憲が入ってからテンポ良く飛び出して攻撃していた。その右サイドから崩していたが、ただ、あの時はハセ(長谷部が相手のカウンターを)がつぶしきれなかったこともあるが、ハセじゃなく、(長谷部と相手の)中間にもう1人いるのがチームの約束事だった」。

 後半32分、UAEのカウンターにDFラインがずるずる後退。最後は中沢、高木がかわされゴール右に決められた。MFが攻撃参加する際のカバリングが遅れた。得点5分後の失点は、9月のバーレーン戦と同じ失敗だ。後半40分で3-0とリードしながら、42、43分と立て続けに失点を重ねた教訓が生かされなかった。

 守りきれないもろさを露呈したが、岡田監督は落ち着いた様子で言葉を続けた。「ただし、2日間でハードに追い込んでいた。体力的にきつかったので、大目にみないといけない」。選手のコンディションを加味し、具体的、総合的に分析した。

 バーレーン戦では薄氷を踏む思いに「これがサッカー」と短くつぶやいた。監督が試合直後に修正点を報道陣に説明できる分だけ、その反省材料は明確になっている。【井上真】

 [2008年10月10日7時55分 紙面から] nikkansports.comより
 後半27分に途中出場の香川真司(セレッソ大阪所属)がごっつぁんゴールを決めて先制するもその5分後にUAEのカウンター攻撃にDFラインが翻弄されあっさり同点に追いつかれて結果は引き分け、得点を決めてわずか5分で追いつかれる。9月のバーレーン戦での失敗がここでも出たのだからこの欠点は直すべきだと思いますよ。

 さて今月15日には南アフリカ・ワールドカップアジア最終予選であり、ホームでウズベキスタンを迎えます。ここで勝たなければ岡田監督への風当たりは厳しくなるでしょう。もう一つ、相変わらず決定力不足が課題のFW陣ですが、このウズベキスタン戦で結果を出さないと岡田監督同様激しい批判を受けるのは目に見えてますし、本選出場が危うくなります。先月行われた南米予選ではブラジルもアルゼンチンも格下相手に引き分け(ブラジルはボリビアに0-0、アルゼンチンはペルーに1-1で引き分けた)でしたが、メディアから批判を浴びる結果となったように、勝たなければメディアからの批判も激しくなります。

 最後に頑張ろう!日本代表。ウズベキスタン戦は勝利あるのみ!

theme : サッカー日本代表
genre : スポーツ

原点に戻るべきか?

 1998年の日韓首脳会談において宣言された日韓宣言から10年を迎えてますが、その間にも日本と韓国でいろいろあったからなかなか日韓関係が良くならないことについて金大中・元韓国大統領が苦言を言ったようですね・・・。

引用

98年日韓宣言:10年迎え 「原点に戻り日韓協調を」金大中氏が要請

【ソウル堀山明子】98年の日韓首脳会談で当時の小渕恵三首相が植民地支配に「痛切な反省とおわび」を述べ、金大中(キムデジュン)大統領が日本文化を開放する方針を表明した「日韓パートナーシップ宣言」から8日で10年を迎えた。金元大統領は同日開かれた記念シンポジウムで演説し「日本の歴史歪曲(わいきょく)が再び逆行する兆しが見える」と憂慮を表明した。麻生太郎首相へは「小渕首相の精神を実践してこそ、日本はアジアで信頼される」と“注文”をつけ、10年前の原点に戻って日韓協調関係を再構築するよう呼びかけた。

 記念シンポジウムは、高麗大学日本研究センターの主催。98年宣言は、65年締結の日韓条約で盛られなかった日本の植民地支配に対する謝罪を補い、未来志向の関係に転換する契機となった。だが、日本の歴史教科書指導要領解説書の竹島問題記述を巡って日韓関係が冷え込み、日韓政府レベルでの10周年行事はなかった。

 李明博(イミョンバク)政権は「日韓関係の悪化に加え、路線が違う政権の実績を記念する雰囲気はない」(外交通商省関係者)と冷ややかだ。日本側も重家俊範・駐韓日本大使がシンポに参加して祝辞を述べたが、共催ではなく後援レベルにとどめるなど、微妙に距離を置いた。

 98年宣言後、段階的に行われた日本文化開放策は、第4次実施(04年1月)までで映画や音楽CD、ゲームが開放されたが、テレビの地上波放送での日本のドラマやアニメ、日本語歌謡が放映できないなど一部制限は残る。盧武鉉(ノムヒョン)前政権は全面開放に意欲を示したが、05年の島根県竹島条例制定で日韓関係が悪化し、全面開放は先送りされた。

毎日新聞 2008年10月9日 東京朝刊より

 今から10年前に日韓首脳会談において当時の小渕恵三内閣総理大臣が過去の植民地支配に対する「痛切な反省とおわび」を述べたことで、韓国政府が日本文化の開放する方針を表明し、これから日本と韓国はいい方向に行くのかと思ったら、歴史教科書問題や先の竹島問題などで大きく日韓関係は悪くなりました。

 金大中氏は演説の中で「歴史歪曲が逆行する」と歴史認識問題にも触れており、また麻生総理には「小渕首相の精神を実践してこそ日本はアジアで信頼される」と述べたことには、10年前に当時の小渕総理がやったことを忘れるなとの注文なんでしょうか?まァポーランドやイスラエルの首相がドイツに対して「ヴィリー・ブラントの精神を実践してこそドイツは欧州で信頼される」と言うようなものですが、ポーランドやイスラエルがドイツにこう苦言を言ったことはまずないけどね。

 韓国も韓国で相変わらず「反日」政策で日本が何回も韓国に謝罪をしているのに理解しようともせず過去ばかり見ているからこうなんじゃないのかともつくづくは思うけど・・・。ユダヤの教育者たちはホロコーストを利用して反ドイツ思想を子供たちに教えるだろうか?

 今日本と韓国の関係はあまりいいとは言えません。それの改善策としては10年前の日韓宣言を持ち出したのにはこれ以上日韓関係を悪化させないためにも韓国がつけた「注文」なのかもしれませんね・・・。また日本ですが、かと言ってドイツみたいに一貫した謝罪をしても謝罪を受ける側が受け入れないことには本当の和解とは言えません。
 補足としては、この日韓宣言と韓国に対する謝罪に対し、ベナン出身のゾマホン・ルフィンがすごく「素晴らしい」と絶賛していたことでしょう。

theme : 韓国について
genre : 政治・経済

ヴィリー・ブラントを知っていますか?

 日本の戦後補償問題を巡る点について、対比として挙げられるのがドイツですが、そのドイツが戦後補償問題に対し積極的に行うきっかけと作った人物がヴィリー・ブラント旧西ドイツ首相です。今から16年前の今日(1992年10月8日)はそのブラントが亡くなった日です。

 ヴィリー・ブラントは1913年12月18日に、ドイツ北東部のリューベックで生まれました。本名はヘルベルト・エルンスト・カール・フラームでいい、ヴィリー・ブラントと言う名は後に名乗った名前です。また私生児でありました。育ての親である母方の祖父がSPD(ドイツ社会民主党)員だった影響で10代前半には同党の地元機関紙に投稿し1930年にSPDに入党し、地元の実業学校に通い2年後にアビトゥーア(中欧圏における中等教育修了資格ないし高等教育進学資格。ドイツでは中等教育終了資格を意味する《日本では高校卒業資格に当る》)に合格、その間も地元機関紙に繰り返し寄稿し、当時の編集長に影響を受けるも、少年時代からブラントは急進左派に属していた為、SPDと決別しSAP(ドイツ社会主義労働者党)に入党、これによりSPDからの奨学金が打ち切られた為、ブラントは地元の造船所で働くこととなった。

 だが1933年にヒトラー率いるナチスが政権を握ると、SAP活動が禁止されブラントは地下で反ナチス活動を行うのだった。翌年ノルウェーに渡り党組織の債権に従事しジャーナリストとして活動する一方で政治学を学ぶのだった。当時の偽名だったヴィリー・ブラントと言う名を後に彼は正式な名前とし政治家としての名乗りに利用した。1938年にナチスにより国籍を剥奪され、第2次大戦中の1940年にナチスがノルウェーに侵攻、占領するとブラントは逮捕され捕虜となるが正体がばれずあっさりと釈放され、スウェーデンに亡命、ここで亡命したSAPとSPDの再接近に務め、同じく亡命していたユダヤ系オーストリア人ブルーノ・クライスキーと知り合い、彼は後にブラントと同時期にオーストリア首相となり、終生の友人のなるのだった。

 終戦後の1945年にはノルウェー紙の記者としてドイツに帰国、ニュルンベルク裁判を取材し、翌1946年には故郷リューベックに戻りSPDの再建に従事し1948年にはナチスによって剥奪されていたドイツ国籍を回復するのだった。
 1949年、ベルリン選挙区から出馬し政界に進出、翌1950年には西ベルリン市議会議員に当選し、1955年には西ベルリン市議会議長、1957年には西ベルリン市長となるなどブラントはめきめきと出世します。しかし翌1958年にはベルリン危機が発生、1961年には東ドイツ政府が「ベルリンの壁」を建設し、西ベルリン市長としてその対応に追われ、同年当時のアメリカのケネディ大統領が西ベルリンを訪問しブラントと会見、その際ブラントは「私はベルリン人だ」と述べる演説を行い、ブラントの人気は瞬く間に跳ね上がりSPDは躍進するのでした。

 SPD内でのブラントの支持と人気は高まり、1961年に行われた選挙でブラントはSPDの連邦首相となりました。だがその選挙期間中にCDU(キリスト教民主同盟)の候補で当時現職のコンラート・アデナウアーから私生児であることと亡命経歴を攻撃されるなど逆風も味わいましたが、この選挙でSPDは躍進したものの他党との連立に失敗し政権奪取には失敗、1962年にSPD副党首、1964年には同党党首に就任。翌1965年の連邦議会選挙でCDUに敗北するが、翌1966年にCDU出身のルートヴィヒ・エアフルトの連立政権が失敗に終わるとSPDとCDUの連立に成功し、大連立政権を樹立し、ゲオルク・キージンガー内閣の元ブラントは外相兼副首相に就任、これに伴い西ベルリン市長を辞任しました。

 1969年の連邦議会選挙でSPDは勝利し、SPDと自由民主党の連立政権を樹立し、ブラントは西ドイツ初のSPD出身首相となりました。
 ブラントが最初に着手したのは東ドイツやソ連などの東側諸国との国交回復を推進する「東方外交」でした。その象徴となったのが、翌1970年にポーランドを訪問し、ワルシャワのユダヤ人ゲットー跡地で跪き、ナチスによるユダヤ人虐殺に対して謝罪の意を示したのでした。これにより西ドイツはポーランドと国交を回復し、同年には東ドイツのヴィリー・シュトフ首相と会談し、初の東西ドイツ首脳会談を実現させ、この功績が認められ翌1971年にノーベル平和賞を受賞しました。翌年には東ドイツと東西ドイツ基本条約を結び、お互いを国家として承認し、今日ではブラントの東方外交が東欧革命とドイツ再統一の基礎になったと評価する声があるが、当時は保守派から非難も受けました。また1973年にはドイツの首相としてユダヤ人国家イスラエルを訪問するなど積極的に戦後補償問題に取り組みました。
 しかし内政では「より一層の民主化」のもと行政・教育改革を行ったものの当時起きたオイルショックの影響もあり実現したものはあまりありませんでした。そんなブラントに見切りをつけSPDからCDUに鞍替えする党員も続出し、国内は混乱しました。

 さらに1974年、個人秘書だったギュンター・ギヨームがなんと東ドイツの国家保安省(シュタージ)のスパイだったことが発覚し(ギヨーム事件)、ギヨームが逮捕されたのに伴い、ブラントはその責任を取って首相職を辞任、財務省だったヘルムート・シュミットにその座を譲るのでした。
 そんなブラントですが、在職中にも良くない噂が絶えず、野党やマスコミに攻撃され健康状態が悪化するほどの精神状態となったが、ギヨーム事件の責任を取って辞任したことでブラントへの攻撃は収まったと言われているが何とも皮肉であろう。

 首相職を辞任したブラントはその後もSPD党首として政界に残り(1987年に健康上の理由で退任)、その後もミハイル・ゴルバチョフやエーリッヒ・ホーネッカーなど東側の首脳と会談し緊張緩和などに貢献、1990年に起きた湾岸危機には単身イラクに乗り込み、サダム・フセインと直談判し人質となっていた在留ドイツ人の解放、帰国に貢献するなど国際的な活躍を見せました。

 しかし1991年にブラントは腸にポリープが見つかり除去手術をするがガンが多くの多臓器に転移しており、翌1992年に手術した時にはもはや手遅れ隣予断を許さない状況となっていたのでした。ブラントは残された時間を家族と過ごす為退院しウンケルの自宅に隠棲しましたが、1992年10月8日、ヴィリー・ブラントは78年の生涯を閉じました。
 その後ドイツ政府はブラントの国葬を行いました。現在ベルリンにあるSPD本部ビルはブラントの功績を称え"Willy-Brandt-Haus"と名づけ、またドイツの各都市にはブラントの名を冠した通りも多くあり、海外にもある。

 日本の戦後補償問題を巡ってはよくドイツを引き合いに出す政治家や知識人もいるが、そのドイツにおいてその基礎を作ったヴィリー・ブラント。彼の行動はドイツとポーランドの和解だけでなく、ドイツが国際社会において信用を取り戻す為、ナチス犯罪に真っ向から向き合い謝罪をすることでドイツの国際的な評価を取り戻すための行動でした。そんな彼の功績は未だに高い評価を受けているのではないだろうか?

theme : ドイツ
genre : 海外情報

こんなことがあっていいものか?

 韓国である女優が自殺したみたいですけど、その理由がネット上での誹謗中傷だから何とも言えませんし、悪質極まりないと思いますよ。

引用

韓国女優の自殺、ネット中傷苦か…書き込み規制も検討

 【ソウル=前田泰広】人気女優の崔真実(チェジンシル)さん(39)の自殺が、韓国社会に衝撃を与えている。

 崔さんは、インターネットで広まった金銭問題のうわさを苦にしていたとされ、政府と与党ハンナラ党は、悪質な書き込みを規制する法律制定の検討を始めた。

 崔さんは2日朝、自宅浴室で首をつって死亡した状態で発見された。警察当局は自殺したとみている。

 崔さんを巡っては、インターネットの書き込みを通じて、「高利貸し業に関与し、9月に自殺した男性タレントに多額の金を貸し付けていた」とのうわさが広まっていた。警察の調べでは、崔さんは家族や仕事仲間にうわさを否定し、「なぜ私が高利貸し業者にならなければならないの」とこぼしていたという。

 韓国芸能界では2007年1月に女性歌手、同年2月に女性タレントが相次いで自殺。2人とも、インターネットを通じて広がった整形手術を巡るうわさや演技力不足を指摘する中傷に悩まされていたとされる。

 政府とハンナラ党は、崔さんの自殺を契機に「サイバー侮辱罪」を盛り込んだ新法制定や、利用者の実名確認を強化するための法律改正の検討を始めた。悪質な書き込みをネット上から排除するためだという。これに対し、野党・民主党は「表現の自由に足かせをはめる」として、規制強化に警戒感を示している。
(2008年10月5日23時12分 読売新聞)
 いくら韓国がインターネット大国だからと言っても、ネットだから何をやってもいいなんて言う認識だからなんでしょうか?とつくづく思いますね。

 それ以前にも韓国ではネット上における悪質な書き込みによって、標的となった女優が精神的に苦しんで結局自殺、という事件が起こっているんだから社会問題になってもおかしくはないですよ。

 これに対し韓国政府は「サイバー侮辱罪」を盛り込んだ新しい法律の施行と利用者の実名確認などネット上における悪質な行為を取り締まろうとしているけど、逆に野党は「表現の自由に足かせをはめる」と反対しているけど、いくら言論や表現の自由とはいえ、限度というものがあります。また、韓国国民の国民性からしてもあの国民性じゃなァ・・・、簡単には変わらないと思いますよ。名誉毀損罪で起訴しようにも身元が分からなければ起訴しようにもできませんからねェ・・・。

 それと、インターネットは特定の相手を誹謗中傷する道具ではありません!

theme : あまりに酷い事件
genre : ニュース

「サンデー・マガジン」コラボTシャツ購入!by「B・B」

 今日私はユニクロでユニクロとサンデー・マガジンがコラボしたTシャツを購入しました。

 少年サンデーと少年マガジンがユニクロと協力してサンデー、マガジンが生んだ名作をプリントしたTシャツを手がけたけど、サンデー、マガジンが両誌とも2009年に創刊50周年を迎えるのに当ってユニクロと両誌とのコラボを手がけ販売しているとのことです。

 まァ私はどちらかと言うとサンデー派でありまして、どの漫画がプリントされたTシャツを買おうかとして選んだのが、石渡治の不朽の名作「B・B」がプリントされたTシャツがあったから、私は迷わず買いました。
 一時期私が持っていた漫画であり、その内容と作風にすごい衝撃!?を受け、それがきっかけで私の好きな漫画十傑に入る名作だと思いますね。

theme : Tシャツ
genre : ファッション・ブランド

アメリカとパキスタンの今後の関係は・・・!?

 アメリカの掲げる「テロとの戦い」が続く一方で、テロリスト掃討が逆に一般市民に犠牲が出ている点で逆にこれが二国間関係に響くのも事実だなと思いますね。

引用

パキスタンとの関係悪化憂慮=越境攻撃は慎重に-米超党派報告書

【ワシントン3日時事】超党派の米外交専門家グループは3日までに、対パキスタン政策に関する報告書を作成した。報告書はアフガニスタン駐留米軍が武装勢力掃討目的で繰り返し実施しているパキスタン部族地域への越境攻撃について、同国との関係悪化を招く恐れがあるとの憂慮を表明、越境攻撃は慎重な判断に基づいて行うべきだと提言した。
 米軍による越境攻撃をめぐっては、パキスタンのザルダリ大統領が「主権侵害」と批判しているが、米国内でもその影響を懸念する声が強まってきた。
 報告書は越境攻撃について、テロリスト掃討で一定の成果を上げているとしながらも「民間人に死傷者が出ているほか、主権侵害との批判もあり、パキスタン国民を憤慨させている」と強調。さらに「米・パキスタン首脳間の信頼が失われるなど米国の長期的な目的にマイナスに作用している」と指摘した。
(2008/10/03-14:42)「時事ドットコム」より
 タリバンの残党やアルカイダなどイスラム過激派の暗躍が続くアフガニスタンにおいて、アフガニスタンに駐留するアメリカ軍がパキスタンに逃亡した武装勢力掃討を目的とした作戦を行っていますが、逆にパキスタン政府が「主権侵害」だと抗議している点でアメリカ政府内からも懸念しているんですね。

 多分アメリカ政府はやり過ぎればパキスタンとの関係に影響するし、ムシャラフ前大統領の対テロ戦争における対米協力を現職のザルダリ大統領が一転して「反米」に傾く危険性を示しての懸念ではないでしょうかと思いますね。

 一般市民に死傷者も出ていることでパキスタン政府が「パキスタンに対する主権侵害だ」と強調していることで、アメリカにとってもマイナスになると強調したのでしょうね。やり過ぎればアメリカはパキスタンとの関係を損ね、対テロ戦争に大きな影響が出るからではないだろうかと思います。
 パキスタン国内に逃亡した武装勢力の掃討を目的としたアメリカの作戦が原因で、今後のアメリカとパキスタンの関係にどう影響があるのだろうか?

theme : 国際ニュース
genre : ニュース

アメリカ人には受け入れられない「巨人の星」

 今や日本を代表する文化の一つである「マンガ」は、アメリカやヨーロッパ、さらにはアジアにも広まり、一種の日本文化であると言うことが証明され、多くのファンもいる以上、これだけ好かれているものはない。
 ただし、国によっては問題になることもあり、作風が現地の人たちに馴染めないものもあり、必ずしも好かれていると言うことはないのである。

 例えば「ドラえもん」はアジアや中年米諸国では人気である一方、欧米のほとんどの国ではあまり知られていない。なぜ普及しないかと言うと、のび太が常にドラえもんに頼りすぎて自分の手で何かしないからそういう作風が欧米人に受け入れなれない要因かもしれない。その反面欧米では「ドラゴンボール」などは人気である。

「ドラえもん」以外でもアメリカでは絶対受け入れられない日本のマンガはまだあるとは思いますよ。
 アメリカでは野球は国民的なスポーツであるが、殊更アメリカで日本の野球マンガはほとんど広まっていません。理由としては分からないが、日本とアメリカで野球に関するイメージと違いが出ると思いますね。
 特に受け入れられないのは「巨人の星」だと思います。
 理由として、
 1.大リーグボール養成ギプスや火の玉ノックに代表される練習方法がアメリカ人からすれば「ナンセンスだ」と見なされる。
 2.根性論を重視したやり方が批判の対象となる。
 3.大リーグボールがアメリカ人からすれば奇怪なものに見えてしまう。

 と言うのが大方出るが、スポーツにおいて合理的な練習法を好むアメリカ人からすれば、しごきや体罰まがいの指導・練習法は「あんなのは練習じゃない。虐待だ」と非難されるのが当たり前だと思いますね。近年日本でもうさぎ跳びに代表される根性論はもはや「時代遅れ」以外の何者でもありませんからね。

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