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あの監督に選手たちの不満が爆発!?なようです。

 2010年のサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会出場を目指しているフランスですが、今のフランス代表にはやはりあの監督を支持する選手はあまりいない現状であることがモロ分かりますね。

引用

元フランス代表GKクペ「ドメネク監督は独裁者」

 リヨンで七度の優勝を経験し、現在はアトレティコ・マドリーに所属する元フランス代表GKのグレゴリー・クペがレイモン・ドメネク・フランス代表監督を公然と批判。「選手たちは意見が言えない。僕はやめたから話せるんだ。独裁政権そのものだったよ」とフランスフットボール誌に話した。
「フランスサッカー連盟(FFF )、そのスタッフ、関係者たちはみんな鏡で自分たちの姿をじっくり見たほうがいい。ドメネクは人をもてあそび、平気で約束を破る。ものすごい才能が無駄にされていくのを見るのは本当に悲しいね」

 ドメネク監督については、元フランス代表でW杯優勝も経験したエマニュエル・プティ氏を筆頭に、EURO2008敗退後に解任を求める声が高まっていた。7月にダヴィド・トレゼゲが代表を引退したのは、監督との関係が悪化したためと思われている。

 ただ、ドメネク監督はそうした批判も意に介せず、自分のやり方は変えないとしばしば話しており、今月始めのW杯予選前には、「今の世の中は……みんな血の匂いに飛びつくんだ。この時代にギロチンがないのはありがたいね。君らのなかには、私は断頭台に送りたいと思っている者が大勢いるだろうからね。いっそ私が誰かを殺したほうがいいのかもしれない」と話していた。

「FOOTBALL WEEKLY」2008年09月30日08時49分 より
 かつてレ・ブルー(フランス代表の愛称)でもプレーしたゴールキーパーの一人、グレゴリー・クペ(アトレティコ・マドリード所属)が現フランス代表監督レイモン・ドメネクを公然と批判しているけど、内容はドメネクの考えとやり方を批判しているようですね。
 あ、それとドメネクに関してはこちらを参照してください。

「ドメネクは人をもてあそび、平気で約束を破る」とドメネクの人間性にまで言及しているようですね。
 クペの言い分も分かると思いますよ。そもそも「独裁者」呼ばわりしていることについては周囲の意見に耳を貸さず自分のことしか考えてなく、平然と周囲を無視してことをするからクペからすればドメネクが独裁者に見えたのでしょうね。また国内の有能な若手選手を起用しないで自分の気分次第で選ぶやり方も選手たちから嫌われているのではないだろうか。

 ドメネクもドメネクで自分の采配は変えないとメディアに話しており、予選前には「私を断頭台に送りたい者が大勢いる」と皮肉交じりのコメントを言うなど、自分の今置かれている立場が全然分かっていないようですね。

 それにフランス・サッカー協会もこれ以上ドメネクに任せていいのだろうかとつくづく考えてしまいますね。ユーロ2008で惨敗した時点でなぜ解任しなかったのかも首を傾げたくなりますよ。
 選手たちだけでなく、フランスの国民一般からもドメネクを支持する人はあまりいないのではないでしょうかね。フランス・サッカー界は今岐路に立たされているのではないだろうか。

theme : 欧州サッカー全般
genre : スポーツ

カムバック!

 今や外国人演歌歌手といえば言うまでもなくジェロですが、かつてその先駆者!?と言うべき人が再デビューするようですね。

引用

世界初のインド人演歌歌手11月に再デビュー

 昭和50年に「世界初のインド人演歌歌手」としてデビューした歌手、チャダ(56)が27日、11月に再デビューすることになり、東京・代々木公園野外ステージでお披露目ライブを行った。当時のヒット曲「面影の女(ひと)」と再デビュー曲「踊るマハチャダ」の2曲を披露した。貿易会社社長の座を捨て演歌一筋でいくといい「(黒人演歌歌手の)ジェロがブレークして、やはりもう一度私も演歌を歌いたいと思った」。
「『ZAKZAK』2008年9月29日付記事」より

 昭和50年(1975年)に「世界初のインド人演歌歌手」としてデビューしたチャダ(本名=サラブジット・シング・チャダ)さんですが、その後シングル4枚、LPを2枚を発売しましたが、就労ビザの関係で芸能界を引退、帰国しその後母国インドで貿易会社を経営し、年商10億円を超す企業にまで成長し、順風満帆でしたけど、当時を知るファンから「あのチャダさんでしょ?」と言われるほど未だに知名度を持っています。
 そんなチャダさんが今年ブレイクしたジェロに触発されたのか、演歌再デビューするようです。どうなんでしょうね。

 そう言えば最近ボビー・オロゴンフィフィローラ・チャンパンツェッタ・ジローラモ以外でテレビに出ている外国人タレントって少ないですね。かつて一世を風靡したケント・デリカット、チャック・ウィルソン、オスマン・サンコン、セイン・カミュなどは今何をしてるんでしょうね?

theme : 芸能界のニュース
genre : アイドル・芸能

どっちなんだね!?

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)同様核問題で国際社会から反発を浴びているイランですが、またと言いますか問題発言で今度は国内で賛否両論になっているようですね。

引用

イラン:「イスラエル国民は敵視せず」…大統領顧問

 【テヘラン春日孝之】イランのアフマディネジャド大統領のメディア担当顧問、メフディ・カルホール氏(59)が毎日新聞と会見し、「(敵対する)シオニスト政権(イスラエル)の存在は認めないが、その国民とは何の問題もない」と主張した。イランでは7月、モシャイ副大統領が「イスラエル国民は友人」と発言して以来、賛否を巡り保守派を二分する論争になっていた。

 「反イスラエル」は79年のイスラム革命以来の国是。カルホール氏は「革命当時イランは二つの政権を認めなかった。アパルトヘイト(人種隔離)政策の南アフリカと、シオニスト政権だ。だが、南アはアパルトヘイトを撤廃し、今やイランの友好国だ」と説明。「今もファシストのシオニスト政権は認めない」と指摘した。ただ、イスラエル国民については「圧制下に暮らしており、体制の考えと同じではない。敵視はしない」と述べた。

 だが、最高指導者ハメネイ師は今月19日、保守系の宗教指導層の意向に沿う形で「(イスラエル国民は)友人ではない」との見解を表明。モシャイ副大統領は同日、同師に「(裁断に)従います」との書簡を送っている。「毎日新聞」より


「イスラエル国民は友人」ってとてもあれだけイスラエルを敵視している国の人間とは思えませんね。

 1979年にアヤトラ・ルトラ・ホメイニ師指導の元イスラム革命が起こり、テヘランのアメリカ大使館占拠事件でアメリカと断交して以来、アメリカとイスラエルを敵視することで自国民のアイデンティティを保ってきたイランなんですが、特定アジアにおける反日思想以上だと思いますね。アメリカに関しては先のイスラム革命もそうですし、パレスチナ問題ではイスラエルを支援しているからでしょうね。イスラエルに関しては1948年のイスラエル建国から他のほとんどのアラブ諸国同様建国を認めず敵視しているんだからでしょうね。

 大統領顧問メフディ・カルホール氏が「(敵対する)シオニスト政権(イスラエル)の存在は認めないが、その国民とは何の問題もない」と発言したのは、政治と一般国民は別だ。と言う意図はあるとは思うけど、国民の理解はなかなか得られないと思いますね。その発言に反対する国民からすれば「シオニストの肩を持ちやがって!」と思うんでしょうね。

 これまでイランが起こした問題発言といえばマフムード・アフマディネジャド大統領がほとんどなんですけどね。
 これまでアフマディネジャド大統領は「イスラエルは地図から消されるべきだ」だの「ホロコースト(第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺)は作り話」だのの問題発言で国際社会の反発を浴びたイランですが、今度の「イスラエル国民は友人」発言はイラン国内で論争になると思いますね。アメリカからしても「あれだけイスラエルを敵視してきたのにこの発言は虫が良しぎる」と言う態度かもしれませんね。
 正直、あれだけイスラエルを敵視してきたイランですが、この「イスラエル国民は友人」発言で、どっちなんだ!?と思ってしまいますね。

theme : 国際ニュース
genre : ニュース

嫌いな男・江頭2:50

 マガジンハウスから観光されている雑誌「an an」において今年も「好きな男・嫌いな男ランキング」が発表された。好きな男1位はダントツでと言うべきか15年連続でSMAP・木村拓哉だった。

 それはさておき、一方の嫌いな男ランキングでは一位は3年連続で江頭2:50だった。理由はと言うと「下品」「生理的に嫌だ」「何だか汚い」とボロクソな言われようです。
 まァ江頭の場合はたまに出ればもの凄い問題行動を起こすからかえってそれが嫌われる印象なんでしょうね。いつも上半身裸で黒いスパッツだし、これも嫌われる印象が強いと思いますね。かつてはトルコで全裸パフォーマンスをして現地の国営放送で取り上げられるなどの大問題を起こすなど、芸能界屈指の「トラブルメーカー」だから嫌われてるのでしょうね。

 2位にみのもんたさんが入っていることについては、和田アキ子さんや明石家さんまさんのように好き嫌いがはっきり分かれると言うのが分かりますね。
 ちなみのこれが今年の「嫌いな男トップ10」ランキングです。

 1位 江頭2:50
 2位 みのもんた
 3位 島田紳助
 4位 小島よしお
 5位 山里亮太(南海キャンディーズ)
 6位 品川祐(品川庄司)
 7位 石田純一
 8位 梨元勝
 9位 山崎那正
10位 松村邦洋


 山里亮太の場合は南海キャンディーズに関しては「しずちゃんは好きだけど山里は嫌だ」とはっきり分かれているのがお分かりですね。江頭もこのままでは将来出川哲朗みたいに殿堂入りも近いかもしれませんね。

theme : 芸能界のニュース
genre : アイドル・芸能

調査はうまくいくんでしょうか?

 このニュース、私は何となくでもないが関心はありますね。

引用

D.フォッシーのゴリラ、詳細調査へ

 ルワンダでマウンテンゴリラ72頭の骨が最新科学を駆使して詳細に調査されることになった。類人猿はもとより人類の健康や進化の解明にも役立つとして、期待が集まっている。

 調査対象となる骨は、かつて霊長類学者ダイアン・フォッシーが長期にわたって行ったマウンテンゴリラの調査で知られるルワンダ国内の地域から集められたものだ。3カ所の埋葬地から掘り出した骨と、死後に野生動物専門家や獣医が保存していた骨が調査されることになる。

 これらの骨の大部分は、かつてフォッシーや別の研究者がフィールドワークの中で記録をとっていたゴリラのものと確認されている。フォッシーが20年近くにわたって詳細な観察記録を付けていたゴリラの骨格や歯、ツメなどを綿密に調べることで、環境の変化や病気が骨格の成長に与える影響が明らかにされる。

 調査を主導するのはルワンダの野生動物保護関係者、人類学者、獣医、法医学者など。プロジェクトリーダーの1人であるニューヨーク大学大学院の歯学部教授ティム・ブロミッジ氏によると、「このプロジェクトのために収集されたマウンテンゴリラの骨の数は、1カ所に集められたものとしては世界で最多になる」という。

 調査チームはこの先、骨の分析を開始し、フォッシーや彼女の生前の同僚たちが作成した観察記録との照合を行う予定だ。

 現在、地球上に現存するマウンテンゴリラはわずか700頭にすぎない。絶滅の危機に瀕する彼らは、ウガンダのブウィンディ国立公園と、ルワンダ、ウガンダ、コンゴ民主共和国にまたがるヴィルンガ火山群に生息している。

 フォッシーは1967年、ヴィルンガ火山群のルワンダ国内地区にカリソケ研究センターを設立し、以来18年にわたって同センターでゴリラの研究に従事した。彼女はゴリラたちに自分の存在を慣れされた上で研究に着手したため、ゴリラのすぐそばに座ってその生態を詳細に記録することに成功した。

 ゴリラの多くは、彼女が厳しく密猟者を排除しようとしたにもかかわらず、その犠牲となって命を落とした。彼女自身もまた、1985年に同センターの宿泊施設で殺害されている。

 今回、骨格の復元に尽力した同センターのケイティ・フォーセット現所長は、「この調査で、先駆者ダイアン・フォッシーが自らを犠牲にしてまで推し進めたマウンテンゴリラの生態調査の貴重な価値が明らかになるだろう」と述べている。この分析から、例えば気候変動がゴリラに与える影響などが明らかにされるのではないかと期待されている。

 また、ニューヨーク大学のブロミッジ氏は、「ゴリラが周期的にかかる病気で、雨季と雨季の間の環境的変動に密接に関わっているものがあり、その痕跡が骨に残されている可能性もある。この付近では、世界的な気候変動の影響で雨季が長引くようになりつつあることが指摘されているため、この点は重要な調査ポイントになる」と語っている。

 さらに、現場での保護活動に重要な示唆を与える発見もあるかもしれない。例えば、死んだゴリラの群れの骨格から栄養不足の兆候が明らかになれば、今後、保護関係者らが特定の生息地で栄養に富んだ植物の繁殖を促進するための手掛かりになる。

 マウンテンゴリラは遺伝的にわれわれ人類に最も近い動物の1つに数えられる。彼らを理解することは、われわれの太古の祖先を理解することにもつながるという。骨や歯の組織をフォッシーらの記録と照らし合わせることで、若いゴリラの発達におけるゆらぎと社会的な群れの力学との関係性もつかめる可能性がある。これは、初期の人類種の社会的行動を再現することにも役立つかもしれないという。

Photograph by Robert Campbell NGS 「ナショナル・ジオグラフィックニュース」より

 アフリカ中央部の山岳地帯にしか生息していない霊長類のひとつ、マウンテンゴリラの調査が再開されましたが、うまくいくんでしょうかね。

 今現在、マウンテンゴリラの生息数はなんと700頭というのだから、まさに絶滅危惧種のひとつです。私からすれば下北半島の北限のサルよりも貴重な動物なんですけどね。
 なぜ生息数が少ないかと言うと、森林開発やブッシュミートによって著しく生息数が減り、また生息しているウガンダルワンダコンゴ民主共和国における内戦や政情不安、難民流入もまた拍車をかけました。マウンテンゴリラに限らず他のゴリラも絶滅危惧種なんですけどね。

 ゴリラの研究を行っていたダイアン・フォッシーという学者がルワンダにおいて長期にわたりゴリラの研究と調査を行い、ゴリラの骨格や爪などを調べて環境の変化がゴリラに与える影響を調べてたんでしょうね。

 ルワンダの動物学者などをはじめ、アメリカ人学者ティム・ブロミッジという人がフォッシー女史のかつての同僚たちが作った観察記録を照らし合わせてゴリラの研究をするんでしょうね。

 フォッシー女史は1967年にヴィルンガ火山群のルワンダ地区にカリソケ研究センターを設立し、以後18年にわたってゴリラの研究をしましたが、彼女はゴリラを狙う密猟者を排除しようとしたものの、1985年に何者かによって殺害され、またゴリラも多くが密猟者によって命を落としたように、ゴリラを取り巻く環境はいいと言えませんね。密猟、森林開発、ブッシュミートの問題など。
 骨格の復元に尽力した同センターの現所長の方が、この調査においてフォッシー女史が自ら犠牲にしてまで推し進めたマウンテンゴリラの調査が価値が明らかになると調査再開を喜んでいるようですね。

 ゴリラは人間の次に頭のいい動物、きちんと保護しなければならないと思います。

theme : アフリカ
genre : 海外情報

世紀のドリームマッチ!?

 昨日放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした」の特番で、名コーナー「食わず嫌い王決定戦」でなんとオグシオ(小椋久美子・潮田玲子)対北京オリンピック男子100メートル、200メートル、400メートルリレー金メダリストであるウサイン・ボルトという「夢の対決」でしたね。

 ボルトはジャマイカ人だけあってレゲエの話をしましたが、憲武さんがかつてジャマイカに行った際「ギャランドゥ」をレゲエアレンジしたエピソードをちゃっかり話してました。
 さて貴明さんはかつて初恋の相手がバドミントン部員だったことを告白、それを聞いた憲武さんは「初めて聞いたよ」とこぼしました。食べ方が可愛いとオグシオにメロメロ、さらにオグシオが北京で靴下や下着を手洗いしていたエピソードを話すと、貴明さんが「手伝いたかったね」となんか下心むき出しでしゃべるもんだから、小椋がすかさず「変なイメージつくからやめて」と返す。

 さらに小椋がかなり酒を飲むと言うことで、貴明さん妙にハイテンション!ちなみに潮田はあまり飲まないほうだとか。相変わらず貴明さんは若い女の子の前では変にメロメロになりやすいですね
 一方ボルト、15歳で自分は足が速いと気付いたと告白、スポーツでは陸上以外にバスケットボール・バドミントン・サッカーが好きだとか。また取った金メダルで車、家、バカンスと貴明さんまた妙に変なことを言いますね。金メダル取ったら家プレゼントなんて韓国じゃあるまいし。

 さて実食、1回目はオグシオはポークリブを選択、理由は「消去法」ってなんでしょうね。一方ボルトは潮田側のウニの軍艦巻きを選択、理由は「美味しそうに見えないから」ってどうなんでしょうね。両者食べましたが両者「美味しい」とハズレ、2回目、オグシオが選んだのはマンゴー、理由が「子供の時にいっぱい食べて吐いたから」って、いっぱい食べて吐いたからといって嫌いになる訳はないと思いますが、ボルトが選んだのは小椋側のトムヤムクン「そんな酒を飲む人が辛いものを平気で食べれるわけがない」って、そうとも限らないですよ。これもハズレでいよいよ3回目、オグシオはサーモンステーキを選択、理由はボルトの肉好きにつけ込んで「肉が好きそうだから逆に魚が苦手」、ボルトは小椋側の「アンチョビのパスタ」理由はなんと。勝負は時の運と言うけど勘は通用するだろうか、いよいよ決着、両者なんと「参りました」で両者正解、引き分け!

 小椋のアンチョビのパスタが苦手な理由は「ヨーロッパ遠征の際初めて食べたけど、生臭くて食べれたものではない」とコメント、生臭いから苦手って、慣れればどうってことはないですけどね。
 ボルトのサーモンステーキが苦手だったのは意外でした。理由が「全般的に魚は苦手、魚の骨が喉に刺さった苦い思い出がある」とコメント、ジャマイカは島国だから魚を結構食べるのかなと思ってましたがそうでもなかったんですね。その時憲武さんが「そういう時はご飯を丸飲みするといいよ」ってそれは日本人の考えですよ。
 こういう対決が出来るのも「おかげでした」のスタッフの力なんじゃないかと思いますね。面白かったです。

theme : フジテレビ
genre : テレビ・ラジオ

王監督、お疲れ様でした。

 昨日ヤフードームで行われたソフトバンク-オリックスの試合は1対4でソフトバンクが負けましたが、前日に勇退表明をした王貞治監督がファンの前で最後のあいさつをし、選手全員から胴上げされ、まさに「有終の美」を飾りました。

引用

ありがとう王監督 胴上げで別れ…ナイン号泣
 【ソフトバンク1―4オリックス】さようなら王監督。ヤフードームが涙に包まれた――。前日に今季限りでの退任を表明したソフトバンク・王貞治監督(68)が24日、ヤフードームでのラストゲームとなるオリックス戦に臨んだ。本拠地で最後のユニホーム姿をひと目見ようとスタンドは超満員。14年間を過ごした“第2の故郷”福岡で最後の采配。試合には敗れたが、王監督は退任セレモニーでファンに感謝の言葉を述べ、涙に暮れるナイン全員と握手をかわした。

 グラウンドに広がった輪の中心に消えた王監督の体が、ふわりと浮いた。3万5526人の万雷の拍手のなか、背番号89の体が4度、舞った。阪神を撃破し、03年10月27日に日本一に輝いて以来、チームでは1794日ぶりの胴上げを終えると王監督は午後10時17分、14年の感謝の思いを込め、グラウンドへ深々と一礼した。

 「95年以来14年間ユニホームを着させていただきました。大変、幸せでした。残念ながら体調が十分でなく、チームの士気にも影響が出てしまい本来の戦いができなかった。二重の苦しい思いをしてまいりました。これはすべて監督の責任。強く強くそう感じております」。謝罪の言葉はスタンドからの「そんなことないぞ!」「ありがとう!」の絶叫にかき消された。

 本拠地・福岡でのラストゲーム。前日の衝撃的な退任発表から一夜明けても、指揮官の携帯電話は鳴りっぱなしだった。勇退を惜しむ声、感謝の言葉…。「それはもう大変だよ。多すぎて返事も返せないんだ」。それでも苦笑するその顔は、重圧から解放されてどこか晴れ晴れとしていた。  試合前の練習ではいつも通りに振る舞った。「野球」を意味する背番号89のユニホームに身を包み、自らバットを手に入団2年目の捕手・高谷に熱心な打撃指導を行った。試合では6回、ベンチを飛び出して抗議。4点を追う最終回の攻撃では、矢継ぎ早に代打を送った。勇退は表明しても、座右の銘である気力、そして情熱はまるで衰えていなかった。

 ダイエー監督に就任し、本拠地で初采配をふるった95年4月8日のオリックス戦から1849試合目。最後は同球場通算374敗目の黒星で終わり、CS出場の可能性も消えてしまった。だが試合後は「残り試合はあるけど、彼らは来年に向けてスタートを切ってもらわないとね。少しでもこんな男がいたと、覚えておいてくれればいい」としてセレモニーでは1、2軍のコーチ、選手全員と1人1人と握手。普段は「忠臣蔵を見ていても同じ場面で泣く」と笑う68歳指揮官は、この夜は最後まで笑顔だった。

 「最初に踏み入れた時には、でっかいところだと思った。14年も生活するとは思わなかった」。当時“福岡ドーム”の名称だった本拠地は世界のホームラン王を驚かせた。松中、小久保、城島ら大砲を育て上げたグラウンドとの別れを惜しむかのように、何度も立ち止まり、ゆっくりと両手を振って一周した。残りは8試合。もう少しだけ、王監督と一緒に過ごす夢の時間は残っている。

[ 2008年09月25日 ]
「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より 
 前身のダイエーから14年指揮を執り、その間いろいろありましたねェ。
 王監督が就任した当時のダイエーは前身・南海時代からBクラスが指定席の下位チームであり、まさに「ぬるま湯」体質が染み付いており、打線は強いが投手は弱いと典型的な「打高投低」のチームでした。

 そんな王監督も、始めなかなか結果は出ませんでした。一時期は一部の心無いファンから生卵を投げつけられたり「王ヤメロ」などと言われたこともあり、かつてない屈辱も味わいました。王監督自身「オレはこんな仕打ちを受けるために博多に来たんじゃない!」と激怒し屈辱をかみ締めました。
 でもそんな批判にもめげずにチームを強くし、5年目の1999年に悲願の優勝、日本一に輝いてから常勝チームになり、在任期間で3度のリーグ優勝、2度の日本一に導きました(2000年はONシリーズ)。

 球団名がダイエーからソフトバンクに変わっても指揮を執り、2006年にはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表監督として世界一に導きましたが、シーズン途中で胃がんの治療のため途中休養したものの復帰、その頃から私は「世界の王も病気には勝てないのか」と思い、そろそろ勇退かとも思いました。

 そして2008年シーズン、中盤までAクラスを維持していたものの中盤で失速すると、かねてから健康面での理由も含めシーズン終了後に監督を辞任することを表明しました。
「50年、いい野球人生でした。50年間ひとつの道にこれだけどっぷりつかって、心をときめかせて68歳までやれたことは、とても幸せでした」

 この会見は、かつて王自身が現役引退時の「王貞治としてのバッティングが出来なくなった」とは違いますけどね。
 王監督、ホントお疲れ様でした。後任は誰になるんだろう?

theme : 福岡ソフトバンクホークス
genre : スポーツ

教育大国の「裏の顔」

 教育に力を入れていて、一時期はユネスコの定義における高等教育機関の進学率が世界第1位になるなど(これまでの1位は韓国)学力において世界一を誇っているフィンランドですが、こんな痛ましい事件が起こってしまいましたね。

引用

フィンランド:乱射学生「人生は戦争」 ネットに書き込み

【ベルリン小谷守彦】フィンランド西部カウハヨキの職業訓練学校で23日起きた銃乱射事件で、10人を殺害後に自殺した男子学生(22)はインターネットの掲示板に「人生のすべては戦争だ」などと書き込んでいたことが分かった。男は事件前、自ら銃を撃つ映像を投稿した動画共有サイト「ユーチューブ」でも「次に死ぬのはおまえだ」と犯行をほのめかしていた。

 フィンランドは国民皆兵制度の背景もあって、国民の3割が銃を所持する「銃大国」。銃規制の緩さは欧州内で突出しており、近隣国からの批判を受けてきた。バンハネン首相は23日、地元テレビで「民間人の拳銃所持の是非を論じなければならない」と述べ、規制強化の意向を示した。「毎日新聞」より

 教育に力を入れているフィンランドって、ヨーロッパでも屈指の銃大国だったんですねェ・・・。近隣国からの批判と言うことは他の北欧諸国では銃規制は厳しいんですかね。ニュースで見ましたがフィンランドでは一人当たりの銃所持率がなんと世界第3位と言うのだから驚きです(1位は言うまでもなくアメリカ)。

 近年フィンランドでは銃による犯罪が多発し、近隣諸国から銃規制が緩いと批判を浴びてますが、これに対してフィンランド政府は銃規制を厳しくする意向を示したけど、フィンランドもアメリカみたいに銃規制に反対する団体がいたらなんか嫌ですね。
 銃犯罪が日常茶飯事な国と言えば言うまでもなくアメリカだったけど、フィンランドもそうなってしまっている感じがしてなんかなァ・・・。と思います。無論日本では一般市民が銃を持つことは銃刀法で禁止されてるけど、去年の長崎で起こった事件はどうなんでしょうね。

 教育に力を入れる一方で、銃による犯罪が多発しているフィンランドですが、やはり子供のうちから銃の危険性なども教育するべきだとはと思いますね。

theme : 北欧
genre : 海外情報

どうなる?南アフリカ

 南アフリカ共和国で現職のターボ・ムベキ大統領が任期を残して辞任し、新しい大統領のもと始動したけど、問題山積みで前途多難な船出になることは必死です。

引用

南アフリカ、ズマ新体制始動へ…国政不安定の恐れも
 
【ヨハネスブルク=角谷志保美】南アフリカのターボ・ムベキ大統領(66)は21日、任期を約半年残し、辞任を正式に表明した。

 辞任を要求した与党「アフリカ民族会議(ANC)」は今後、ムベキ氏と激しく対立してきた次期大統領最有力候補のジェイコブ・ズマ党議長(66)の下で新体制確立に動き出す。

 同議長は来年の総選挙後の大統領就任が確実視されているが、指導力は未知数で、今後、国政が不安定化する恐れもある。

 ムベキ氏は21日夜、テレビ演説で「忠実な党員として党幹部会の判断を尊重し、辞任を決断した」と述べた。

 ムベキ氏は1999年に大統領に就任し、経済成長路線を推進したが、黒人貧困層に支持される大衆路線のズマ氏を2005年に汚職疑惑で副大統領職から解任すると、党内の路線対立が顕著化。昨年末の党大会の議長選でムベキ氏は敗れ、ANCはズマ派執行部となった。

 その後、ズマ氏は収賄罪で起訴されたが、裁判所は今月12日、「政治的意図があった」と指摘、起訴を無効と判断した。これを契機に党幹部会は20日、ムベキ氏に辞任を迫った。

 党執行部は、来年の総選挙を前にズマ氏の汚職問題が長引くことを恐れ、ズマ氏訴追に積極的とされるムベキ氏を早期に権力の座から排除しようと判断し、辞任要求に動いたとされる。

(2008年9月22日23時40分 読売新聞)

 新しく大統領に就任した「アフリカ民族会議」(以下ANC)の議長・ジェイコブ・ズマ氏ですが、この方の経歴は1959年にANCの活動を起こしましたが、当時の南アフリカ政府によって1963年逮捕されロベン島に収監され、1975年に釈放されると国外を拠点にして活動、1977年にはANC全国委員会に所属し、その10年後の1987年にはまた南アフリカ政府によってモザンビークでの活動を禁止され、ザンビアに活動の場を移し1990年に南アフリカ東部のナタール州(現・クワズール・ナタール州)のANC議長に就任、その後南アフリカ政府がアパルトヘイト(人種隔離政策)を廃止すると、別の組織との対話をはじめ、その後ANC副議長、1999年にはムベキ大統領下で副大統領を務めポスト・ムベキの筆頭となるなど高い評価を得たものの、2005年に汚職疑惑により副大統領を罷免され、下院議員まで辞めさせられるなど辛酸をなめましたが、2007年12月のANC議長選挙で現職のムベキを抑え当選し政界復帰、と波乱万丈な人生を送ってますね。

 おそらく、ズマ氏の汚職問題長期化を恐れ、ズマ氏の訴追に積極的なムベキ氏を降ろそうとしたANC内部のゴタゴタが最大の原因ではないかとも思いますね。

 とにかく、前途多難な船出となっている南アフリカですが、最大の課題は汚職もそうですけど、2010年に開催予定のFIFA・サッカーワールドカップ南アフリカ大会を開催できるのかの焦点である治安問題への対策が最重要課題ではないでしょうかね。今や「世界最悪の犯罪都市(首都)」と呼ばれているヨハネスブルクをはじめ、首都プレトリアなどの大都市などでは凶悪犯罪が毎日にように多発し、殺人事件に関しては日本の110倍と言われているほど高い犯罪率であり、強盗やレイプも多いなど今や南アフリカは世界屈指の犯罪大国となっているなど問題は山積みです。政治腐敗・治安対策などこれらの問題を解決しない限り南アフリカの今後はどうなるんでしょうねェ・・・。

theme : アフリカ
genre : 海外情報

さようなら「お父さんのためのワイドショー講座」

 9月20日、TBS系で18年にわたって放送した「ブロードキャスター」が終了しましたね。その中でも山瀬まみさんのコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」は私はとりわけ好きでした。これを見て一週間を振り返るという感覚で楽しみにしていたのだから、それがなくなると言うのは一つの時代の終わりと言ってもいいだろう。

 考えてみればこの18年間、このコーナーで取り上げたニュースや出来事は幅広いものだった。ワイドショーにありがちな芸能記事はもとより、政界の動き、阪神大震災やオウム事件、多発する少年犯罪、北朝鮮による拉致被害者関連などの事件、サッチー(野村沙知代)、羽賀研二、ホリエモン(堀江隆文)などワイドショーを騒がせた人物、さらにほのぼのとした動物の話題など多種多彩に飛んだ内容で巷では「これを見ないと一週間が終わらない」と言う声もあるなどまさに世のお父さん方の人気コーナーだったことは間違いないです。

 この18年間に世の中も様変わりしたと言うべきか、移ろいやすいと言うべきか、今年は一つも芸能関連記事がトップ10に入ってませんでしたからね。まぁ今年は北京オリンピックに押されてたからでしょう。18年間いろいろな話題を取り上げてくれた「お父さんのためのワイドショー講座」はホントためになりました。

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