「耐える」を美徳とする時代はもう古い!

日本人って変に「耐える」という言葉を有難がるというか美徳とする意識が強いけど、正直我慢はいいことだけどだからと言ってそれを理由に無理強いなどをするのはハッキリ言って倫理観が疑われかねないと思うんだよ。

有名なアスリートが子供の頃にスポ根漫画さながらのスパルタ指導を受け、それに耐えるのは素晴らしいなんて持て囃すのは虐待と助長してるとしか思えないし、根性論というか古臭い精神論を良しとするようなもので時代遅れも甚だしいと思う。そんな前近代的っていうか昭和の匂いしかしない指導法では子供というか選手が育たないし、スポーツ倫理観が遅れてるとしか思えない。

毎年夏になると猛暑による熱中症で毎日のようにそれを訴えて救急搬送される人も出るけど、学校もまたしかりで炎天下の中で部活動や冷房もない体育館での部活動もさることながら、冷房設備がない教室では学習などを余儀なくされる生徒が熱中症で救急搬送されることも後を絶たないが、それに引き換え教員ときたら冷房のきいた職員室で業務してるんだから、生徒に無理強いさせる一方で自分たちはぬくぬく冷房って正直なんなのだと言いたくなります。
ついこの前練馬区のある高校で体育館で全校生徒を集めた課外学習を実施した際に、生徒数名が熱中症で救急搬送されたケースもあるが、この時体育館は空調設備もない冷房設備も不十分だったっていうから、こんな蒸し暑い場所に全校生徒を集めたんじゃ熱中症を訴える生徒が出るのも無理はないよ。学校は生徒に何を求めてんだ? 炎天下でも暑さに耐えろなんて無理強いしてるのかと思うし、そんな考えは昭和の匂いしかしない。虐待であり体罰以外の何物でもない。

また熱中症で倒れる高齢者のケースについては、高齢者の中には未だにエアコンを贅沢品を思い込んで使うなんてトンデモないという意識が無理に我慢してそれで熱中症で倒れて最悪死に至るケースにもなるわけだが、耐えることを美徳とする自分たちの価値観がかえって自分の首を絞める事になるんじゃないのか? もうそんな考えは通用しないと思う。時代の変化を直視してないもいいところだ。もう「おしん」的な価値観は時代遅れなんだよと言いたくなる。

今年話題になった「MeToo」運動も、ハリウッドにおけるセクハラを許すなと言う訴えに取れるけど、日本でそれが拡大しないのは理不尽なことでも耐えることが良しとされる風潮が強いせいもあるが、自分の尊厳と権利に関わることなのに声高に主張しないのは泣き寝入り以外の何物でもないし、いつまで経っても社会が変わらない。
長年耐えることが美徳とされてきた日本社会、これには自己主張を磨かなかったツケの弊害でもあるが、理不尽なことであってもそれに耐えるのが美徳なんてバカみたいを通り越してると思う。いつまでもそんな常識や価値観が通用すると思うな。

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genre : 心と身体

「最後まで現役」は美学か

先週月曜日(今月2日)に慢性閉塞性肺疾患で亡くなった落語家の桂歌丸師匠、歌丸師匠といえば日本テレビ系「笑点」を代表する人物だったこともあり「笑点」の象徴がいなくなったと寂しくなったけど、晩年は肺の病気もあってか体重が30キロ台に激減したり、酸素吸入器を装着するなど健康面で不安が目立ったけど、それでも最後まで現役の落語家を続けることを取った歌丸師匠には「さすが」「プロ意識が高い」と称賛する声もある一方で「無理して高台に立って見てて辛い」「療養すべきじゃないのか」という指摘もあり、賛否割れてるけど、私も酸素吸入器をつけてるのに舞台に立つ姿を見たらとてもじゃないけど辛かった。

病を患っているにも関わらずそれを隠して第一線に立つというのはプロ意識の高さっていうか、健在ぶりをアピールしたいかも知れないけど、無理して出るのは自分では立派かも知れないが見てるほうにとっては辛いってことでもある。

今年亡くなった元プロ野球選手で野球評論家だった衣笠祥雄氏の例を見ても分かるが、亡くなる寸前までプロ野球解説を務めてたけど、その試合ではかすれ超えで表情がどこか固くて声が聞き取れないことでファンや視聴者から心配されたケースもあったように、健康不安が強調されるような姿はかえって見てるほうに不安を与えかねないのだ。
衣笠氏同様今年亡くなった西城秀樹氏も、最後まで現役歌手を貫いたけど、脳梗塞を2度も発症しながらリハビリを重ねてステージに立ってファンに健在ぶりをアピールしてたが、見てる人やファンを裏切りたくないというプロ意識の高さというか、最初の脳梗塞を発症した際には言語障害も発症したこともあり引退も考えてたと言うけど、夫人からのアドバイスで活動しながら回復に励む道を選んだというエピソードもあった。

衣笠祥雄氏にせよ西城秀樹氏にせよ、そして桂歌丸師匠にせよ、最後まで「第一線で現役」のまま亡くなるというのはある種の「美学」でもあるけど、病を患って弱々しい姿を見せてまで第一線で活躍というのは見てる側を心配させかねないが、本人が現役にこだわりを持ってやる以上、自ら「引き際」を作ることはプライドが許さないのかなと思う。

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genre : 心と身体

ホント、日大って・・・!!

あれから2ヶ月を迎える日大アメフト部の悪質タックル問題、未だ記者会見すらせずふてぶてしい態度を取りまくる日大の田中英寿理事長以下首脳陣の姿勢には呆れるを通り越したくなるし、100パーセント大人としての言動じゃないと言いたくもなるけど、今度は悪質タックルに関与した選手とその父親、アメフト部員全員に日大関係者が口止めを強要したことも発覚したんだから、組織ぐるみで問題を隠蔽するだけじゃなく問題を隠蔽するよう学生らに強要すると言う手口は悪質極まりないとしか言い様がなく、どこまで「臭いものに蓋」をするつもりだと言いたくもなります。

問題の悪質タックルをした選手と父親に対して「日大をあげて潰すぞ!」なんて恫喝した関係者は、ハッキリ言って大学の職員の対応じゃない、まるでヤクザかサラ金の取り立てのようなガラの悪さで人間性が疑われそうです。強要罪を適用していいくらいだし、犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪にも思いっきり抵触していることに気が付かないのだろうか? だったら相当無神経だよね。

それにしても、アメフトの試合における悪質タックルがここまで大ごとになろうとは考えもしなかったし、アメフト関係者にすれば不祥事で世間の関心が一気に集まるのは心外でしかないでしょう。
組織ぐるみで学生らに圧力をかけ、問題をもみ消そうとする日大首脳陣、女子社員が長時間労働のせいで精神的に追い詰められて自殺すると言う最悪の事件を起こした電通や、粉飾決算に手を染めた上に監査法人と揉めて企業ブランドを一気に失墜させた東芝とどっこいどっこい、いやそれ以上に組織として腐りきってるところを世間にえらく曝け出したとしか言えないが、ここまで大ごとになり日大の名に相当な傷っていうか泥を塗りまくって罪の意識がないのかと思うし、あの広報担当の「落ちません」何て開き直りに等しいこの発言、とんだ大ボラだよね、今となっちゃ・・・。

内田正人前アメフト部監督や井上奨前アメフト部コーチが氷山の一角に見えてきたとしか思えない。
問題発覚にはすぐに臭いものに蓋でやり過ごすのって日本社会のどうしようもなさ過ぎる欠点の一つだが、日大も所詮極めて利己主義者の集まりだったと評したくもなります。利己主義者の集まりな上に権力者が絶対でそれに異を唱えることは許さない空気を良しとするような組織は体をなしていない上に腐りきってます!! まるで独裁国家。日大には理性も倫理も問題解決能力もないってことだ。ああ情けない。

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genre : ニュース

「勝利至上主義」という「病」

今や重箱の隅に置かれた感じの日大アメフト部の悪質タックル問題、その背景にあるのが「勝利至上主義」というか「権威主義的な価値観」にあるとかねてから言ってるけど、日大アメフト部に限らず小学生の年代から勝利至上主義を掲げ、勝利至上主義に走りがちなところがあるけど、学生スポーツの主要大会は全部予選の時点でトーナメント方式、指導者は選手たちに「負けたら全て失う」と煽って選手を追い込んで結果を出すことで、指導者が自分の評価を上げるということになるが、その指導方法は理にかなってるかと思うと微妙、指導者ライセンスも必要なく例え問題ある指導でも「教育」って言葉で片付けるんだから、何かズレてんだよね・・・。
負けたら終わりのトーナメント方式だから、自分たちはなぜ勝った? 負けた? と考える機会もないけど、これでは精神的な成長も見込めない。

学校側もその部が活躍すれば学校のPRになるんだから、部活動を「課外活動」として責任をその部任せにしがちなことで、問題が発覚したら大学側は関与できないという構造となってるんだから、部活動そのものが一種の自治的な領域になってることは否めない。まして大学の運動部は自分たちで人事権を持つ上にOB会の支援もあってこうなってるんだから、常識が世間とえらく乖離しがちになるのも無理はないです。

ライセンス制度もない、各部が独立性を持って活動していることや競技ごとにルールが異なるという制度が日本の学生スポーツの常識だけど、アメリカではNCAA(全米大学体育協会)なる機構があって、競技関係なく統一ルールで運営していることと指導者はライセンスを義務化という措置を取っている上に、人事権は大学に一任してることもあってか、アメリカの大学スポーツは健全と言えるんだよね。

勝てばそれでいい、負ければすべてを失う。という考えを有難がるせいで勝利至上主義を良しとするようになった日本の体育会、一つの競技に打ち込むことが好まれて他の競技を経験するという意識が低いこともまたスポーツバカを作る要因になるけど、これは自分に向く、これは向かない。という判断力が身につかないことにもなるんだよ。ただでさえ考えが単純過ぎると指摘される日本人、スポーツにおいてもそうなのかとすら言いたくなります。
一つの競技にだけ打ち込むより他の競技もさせたほうがいいし、指導する側も精神論や根性論に偏った見方も改めるべきだし、無理な練習はさせないということも必要、もう一つ補欠制度もムダ、補欠制度なんてあるもんだから日本はスポーツにおいて人材をムダにしているとしか思えない。

勝つことしか考えない姿勢では、団体スポーツにおいていい結果など残せないってことを日本のスポーツ界は考えるべきでは? 旧態依然な考えではいつまで経っても進歩しません。勝つことだけに固執して周囲が見えず、結果世間からバッシングを浴びた亀田一家の教訓もあるけどね。

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genre : 心と身体

目黒の虐待事件で思うこと

東京・目黒区で起こった5歳の女児が両親から虐待を受けて死亡、その両親が逮捕されたニュースはショッキングというか実に痛ましいというか改めて悲惨かつ凄惨なものだったけど、この事件の背景にあるものとして、父親の方は傷害容疑で2回も書類送検されたにも関わらず児童相談所が適切な措置を取らなかったことで尊い命が奪われたってことを考えたら、この事件は改めて児童相談所って何の為にあるのかとすら思うんだよね。目黒区の児童相談所はなぜ過去に住んでいた香川県の相談所から情報を得なかったのかとすら思うし、児童相談所の連携不足も問題だと思う。指導措置もあっさり解除なんて凶悪犯罪者を仮釈放するようなものであり得ない。

このネット時代において情報を共有することは大事なことなのに、それをしないのは問題だけど、児童相談所の職員不足や虐待児童の受け入れ場所が少ないことも正直問題だ。アメリカみたいに児童保護局なる施設を作らねばいけないし、当然児童相談所の職員も増やさなければまた同じ悲劇を繰り返すだけです。
それと児童相談所の権限を強くするとか、法改正しなければいけないです。
児童相談所と警察・自治体の連携が必要だとか言うけれど、それが全く進んでないなら法改正しろって声が出るのも当然だと思うんだよ。変な縄張り意識を持ってよそからの干渉を良しとしないような考えもお役所仕事的な考えも捨ててしまえ。

児童相談所の権限を強めてすぐにでも通報も可能にしなければいけませんし、自治体や警察はイザ知らず、弁護士や家庭裁判所に相談してもいいくらいです。家庭裁判所に関しては昨年国会で児童虐待に対して家庭裁判所の関与強化を柱とした改正案が閣議決定されたんだから、児童相談所で対処できなければ家庭裁判所が動くべきだと思います。場合によっちゃ親権の停止や剥奪という強制措置にも踏み切れますし、いいことだと思うよ。
学校におけるいじめの問題にも適用すべきだが、警察がすすんで関与することは大事だと思います。

児童相談所の権限強化、被害児童の受け入れ施設を充実化、警察や自治体との連携強化、弁護士や家庭裁判所に相談することも義務化、そうでもしなければ子供を虐待から救えないし、加害者である親に対して罰則も強化することも必要だ。欧米諸国ではこれらのインフラ整備が進んでいるけど、それに引き換え日本、児童虐待に対する対策が進んでいるようで全く進んでいないようじゃ人権意識が遅れてると指摘されるだけです。こうなったのも人間教育、ていうか人権意識を磨くことを軽視したツケでしかない。
平たく言えば、これからの世代を大事にするという意識を改めて日本社会は持つべきだと思いますし、子供の権利を尊重する。それもまた成熟した大人の社会なんだけどねェ・・・!! 加害側の両親に対してはこう吐き捨てたくなった「てめェら人間じゃねェ!! ゴキブリだ!!」と。

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スポーツにおいて未だに前近代的な価値観が残る不幸

日大の悪質タックル問題は、日本のスポーツ倫理観が改めて問われかねない事態を起こしたと私はつくづく思う。
それは、指導者が絶対的で選手はそれにただ従うと言う縦社会的かつ体育会系的な価値観が残っていることもそうだし、たとえ非常識なことであっても指導者の言うことは絶対なんて理屈、まるで独裁国家の考えで健全なんて言えないレベルだが、これには自分たちの常識は外の非常識。ってことなんだよね。

今春に起こったレスリングの伊調馨に対するパワハラ問題もそうだけど、鬼コーチと共に勝利を目指すことしか考えないスポ根漫画的な考えが今の時代にまだ残っていることもそうだが、平成も30年、来年には新しい元号になるし、とっくに21世紀なのにいつまでそんな前近代的な考えが残ってるのかと言いたくなるが、指導者側がいつまでも昭和の考えを有難がって変化しないから日本のスポーツ倫理観は他国、特に欧米と比べてえらく遅れているんじゃないのかと言いたくもなります。
指導者が絶対の縦社会で、かつ体罰やパワハラを必要悪とするような考えは昭和っていうより戦前戦中の考えで、即ち軍隊的でしかない。技術的なことは教えず精神論に偏った指導に走り、体罰やパワハラ、連帯責任は当然なんて今の時代じゃ完全にありえないのに、何でそんな考えが平成でかつ21世紀のこの時代に残っているなんてハッキリ言って時代に逆行しているとしか見えないです。体罰やパワハラ、指導者絶対主義なんて考えは今の時代には100パーセント合わないって現実を教える側は見てないんでしょうか? 日大も当然含めるが。

立場を利用して力で押さえつけるような指導も今や指導者として失格とみなされる言動だが、選手にあった指導ができず自分の理論と理屈だけで選手に上から目線で接すれば選手との間に壁ができるし、その選手は指導者の顔色を見てしまう傾向に陥りがちになるが、これでは選手が育たないです。
「人を見て法を説け」って格言もあるように、人によって指導方法が異なるように、その人に合った教えをしないことには何もならないと思います。

戦前戦中の軍事教練的指導法に根付いた教えを受けた世代がそれを鵜呑みにして、次の世代がそれを受け継ぐこともまた前近代的な価値観が残る弊害だが、これでは日本はスポーツ倫理観において「後進国」ってレッテルを貼られるだけです。これじゃ海外において外国人の指導者を招聘する際に日本人はまず敬遠されてしまうよ。
スポーツに限った話ではないけれど、精神論偏重及び指導者絶対的かつ体罰やパワハラを良しとするような環境では健全なんて言い難い。いい加減スポ根及び軍隊的な価値観など21世紀の時代においては時代遅れで前近代的だってことに社会全体が感じなければ変わらないと思う。そんな考えはいい加減産廃処理場に持って行け!!

その点で野村克也氏は立派だよね。名将ではあったが考えが軍隊的かつ精神論偏重主義者だった鶴岡一人氏を見て、それを反面教師にしたのか理論に基づいた指導法こそが指導者のあり方として正しいと感じて、その結果監督として大成功したんだから。

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