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井上尚弥、アジア人初の4団体制覇

アルゼンチンを久々の決勝に導いたリオネル・メッシもすごいが、この人もすごい。

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尚弥 オールKOでアジア初の4団体王者!「何しに日本へ?」ガード崩さぬバトラー11回粉砕

 井上尚弥(29=大橋)がアジア初の4団体統一王者となった。逃げに徹したポール・バトラー(34=英国)を最後は倒して11回1分9秒KO勝ち。WBA、IBF、WBC王座の防衛に成功するとともにWBO王座を獲得し、史上9人目、バンタム級(53・5キロ以下)で初となる4団体王座統一を果たした。数々の快挙を成し遂げた階級に別れを告げ、23年は1階級上のスーパーバンタム級(55・3キロ以下)で4階級制覇を狙う。

 ノーガードで手をダラリと下げ、顔を突き出した。ピタリと動きを止め、反応を待ってみた。両手を広げ、背中に回して挑発した。それでもバトラーはガードを固めたまま手を出さない。「誘い出す意味もあったが、倒されなければいいのかと思う部分もあった。何しに日本へ来てるんだと、勝つ気はあるのかと」。強引に仕留めに出た11回。井上は左ボディーから左右の連打を見舞い、最後は右フック。WBO王者を前のめりに倒し、テンカウントを聞かせた。

 「久々に11ラウンド戦って疲れたけど、今ここにベルトが4本あるので気持ちいい」。バトラー対策として、スーパーフライ級時代に腰を痛めてから控えていた10ラウンドのスパーリングを解禁した成果を披露した。「判定だったらやりきれなかった。11回にギアを上げて倒しきれたのは収穫になった」。1試合ずつベルトを獲得しての4団体王座統一は史上3人目だが、王座決定戦を含まず全て前王者からベルトを奪ったのは世界初。全てKO勝ちも初の快挙となった。

 4団体統一戦は「バンタム級での最終章」であり、「通過点」でもあった。9月、自身初の米ロサンゼルス合宿でWBAスーパーバンタム級1位ホバニシアン(アルメニア)らと2週間のスパー。帰国した井上を見た大橋ジムの大橋秀行会長を「6月(のドネア戦)であんなに強かったのに、こんなに変わるのか」と驚かせた。1、2階級上の強豪がゴロゴロいる環境。これまで出す必要がなかった力を思う存分ぶつけ、バンタム級の先を見据えた成長を実感した。

 減量が厳しく対戦相手にも恵まれなかったスーパーフライ級と違い、バンタム級では3階級制覇、ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)優勝、日本人初のパウンド・フォー・パウンド1位を達成。あのマニー・パッキャオ(フィリピン)もできなかったアジア人初の4団体統一で締めくくり、「もう思い残すことはない。スーパーバンタム級への転向を考えている」と言い切った。23年の照準は井岡一翔(志成)に続く日本人2人目の4階級制覇。「スーパーバンタム級は強豪がひしめいている。そこのトップ戦線に入っていきたい」。ボクシング史に名を刻んだモンスターの前には、次に開くべき新たな歴史の扉が待っている。

 [ 2022年12月14日 05:00「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より
アジア人初の4団体(WBA・WBC・IBF・WBO)制覇がかかる井上尚弥、相手はWBOバンタム級チャンピオンポール・バトラー(イギリス)、WBO王者相手にどう挑むのか見ものでした。

1ラウンド目から果敢に攻め、終了間際にフックをヒットさせると、その後はジャブで牽制しつつボディブローをヒットさせたり、ガードを崩すなど余裕っぷりを見せるなど試合を優位に進めた井上、やっぱ強靭過ぎます。
これについて井上は「誘い出す意味もあったが、倒されなければいいのかと思う部分もあった。何しに日本へ来てるんだと、勝つ気はあるのかと」と振り返ったが、心理をついた戦術と見ていいんでしょうか?

そして11ラウンド目に入り、ここで仕留めると言わんばかりに左右の連打を繰り出してそこから右フック!! バトラーをリングに沈めるとそのまま10カウント、この瞬間WBOチャンピオン及び4団体制覇を達成したわけだが、4団体ともに前王者からベルトをKO勝ちで奪取するなど、決めるべくして決めたと言っていいでしょう。

あのマニー・パッキャオもなし得なかったアジア人で4団体制覇を成し遂げた井上、もうバンタム級に敵なしも同然である以上今度はスーパーバンタム級に挑むわけだが「もう思い残すことはない。スーパーバンタム級への転向を考えている」と公言しているように、挑むのは時間の問題か。

4団体のバンタム級チャンピオンになったことで2022年を終えることになる井上、来年はスーパーバンタム級に舞台を移してそこから新たな伝説を築いてほしいです。

theme : ボクシング
genre : スポーツ

最後の「燃える闘魂」

今月1日に急逝したアントニオ猪木、プロレスファンもといスポーツファンはイザ知らず、プロレスにそんな興味がない人でもその名は聞いたことがあるように、幾多の伝説を作ってきたプロレスラーとして有名なのはもはや説明不要だ。

少年時代にブラジルに移住し、コーヒー農園での過酷な農業に耐える中で当時の人気プロレスラー・力道山にスカウトされてプロレス人生をスタートするわけだが、同時期にプロレス入りしていたジャイアント馬場との出会いもここからでした。
力道山からのパワハラでは留まらないレベルの仕打ちにも耐え、そこからプロレスラーとして頭角を表すも馬場と仲違いして日本プロレスを追放、新日本プロレスを旗揚げして馬場を見返してやると意気込み、猪木の反骨人生はここから始まったともいえる。1976年にはあのモハメド・アリとの異種格闘技戦を行うという当時では考えられないことをやったんだから、周りから「無理だ」「出来っこない」なんて言われようがそれを実現する猪木は、ある意味チャレンジャー的な考えの持ち主と言えばそれまでだけど、こういうチャレンジ精神は今も必要かも知れない。

アリに限らず、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン・ハルク・ホーガンとも名勝負を繰り広げたのは有名だが、プロレスに限らず政治やビジネスの世界にも進出したんだから、これもチャレンジ精神か。
政治家としてはイラクのクウェート侵攻によって人質となった日本人の救出に貢献し、師匠・力道山への恩返しという意味で北朝鮮でプロレスの試合をやるという奇想天外なことをやったんだから、これまたスゴい。

1998年に引退するわけだが、引退時のスピーチ「危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ」は印象に強く残る。てか引退するアスリートの最後の言葉はいっぱいあれど、猪木のこのセリフは後世に伝えたいものの一つだと思います。

その後政界に復帰するも難病により引退、全身性アミロイドーシスという病気によりやせこけた姿になるもそれを公に見せたことは正直痛々しかったが、最後までありのままの姿を見せるという猪木らしいものにも映った。

79歳で人生の幕を閉じたアントニオ猪木、最後まで「燃える闘魂」を貫いた生涯だったと思います。改めてご冥福をお祈りします。

theme : 徒然なるままに
genre : ブログ

酔っぱらい客に❝キレた❞マイク・タイソン

何かとお騒がせを提供しているボクシング界のレジェンドが今度は・・・!?

引用

タイソン氏 航空機内で酔っ払い客を殴打「オレと勝負しよう」に堪忍袋の緒が切れた

 ボクシングの元統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン氏(55=米国)が20日夜、航空機内で男性乗客を殴打するトラブルを起こした。

 現地報道によると、米サンフランシスコからフロリダへ向かう機内でタイソン氏は、すぐ後ろに座った男性客から話しかけられたり、写真を撮られたりしていた。最初は紳士的に対応していたが、酒に酔っていた男性の行動は次第にエスカレート。ペットボトルを投げつけられたり、「オレと勝負しよう」と絡んできたため、堪忍袋の緒が切れた。

 振り向き、座席の上に膝立ちとなり、男性を数発殴打。他の乗客が止めに入り収まったが、男性は右頭部から出血するケガを負った。タイソン氏の広報担当は「攻撃的な乗客から嫌がらせを受けた。タイソンの忍耐力も限界に達していた」と声明を出した。

 タイソン氏は2005年に引退したが、パンチ力は依然としてヘビー級。20年に行われた元4階級王者ロイ・ジョーンズ氏(53)とのエキシビションマッチでは割れた腹筋と衰えないパワーを見せつけた。そのパンチ力は、小型バイクが時速15キロで激突するほどの衝撃力と公表されたこともある。

 男性の友人が撮影したとみられる動画がYouTube上に投稿されると、たちまち500万回に迫る再生を記録。コメントも2万件近く殺到したが、その多くが「有名人でもプライバシーは守られるべき」「チャンプへ敬意を払え」とタイソン氏擁護だった。

 3月の米アカデミー賞授賞式では、俳優ウィル・スミス(53)がコメディアンのクリス・ロック(57)のジョークに腹を立てビンタ。暴行ではと騒然となったが、ロックが被害届を出さなかったため、警察は捜査をしなかった。

 今回、男性はサンフランシスコ警察に通報。ただ、事件の詳細に口を閉ざし、捜査の協力を拒んだという。同署は「動画は確認した。調査権を持つ保安官事務所に転送した」と声明を発表した。タイソン氏の立件はあるのか。弁護士の嵩原安三郎氏は「日本ならば」と前置きした上で不起訴と予測。「(男性に)危険を招来する落ち度がある場合、示談で済むでしょう」と話した。

 [ 2022年4月23日 05:30「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より
あのマイク・タイソンが航空機内で男性の乗客を殴打するというトラブルを起こしたことが発覚したけど、既に引退したとはいえボクサーが一般人を殴っちゃさすがにマズいんじゃないのと思います。

なぜタイソンは他人を殴打するという行為をやらかしてしまったのか? それにはその男性とのやり取りでのトラブルが引き金となったみたいです。
サンフランシスコからフロリダへ向かう航空機内で、タイソンが座っている座席の後ろに座っていたその男性から記念撮影を求められたり話しかけられたりされて、最初は紳士的に対応したものの、その男性は酒に酔っていた状態だったことで相手があのタイソンにも関わらず、ペットボトルを投げつけたり「オレと勝負しよう」などと無鉄砲極まりないことを言っちゃったもんだから、これにはさすがのタイソンもキレて、振り向きざまにその男性を数発殴るということに発展したわけだが、相手からの過剰な挑発に我慢の限界を迎えてやったとすれば、その行為は賛否割れそうだ。
ボクサーが一般人を殴るなんて良くないってタイソンに否定的な意見があれば、相手があのマイク・タイソンと知りながらあんな行為に及んだ方が悪い、即ちタイソンは悪くないというタイソンを擁護する意見もあるように。

てかこの男性も相手にも非がある。酒に酔っているとはいえあのマイク・タイソン相手にあんな挑発行為をやるなんて普通なんてもんじゃないし、航空機側もこの男性を注意しなかったから調子に乗ったとしか思えない。それと航空機内はペットボトルの持ち込みが禁止されているのにそれを見逃していたとすれば問題です。
それに警察の捜査に協力しないという姿勢だから、正直その姿勢には呆れます。

酔っぱらい客の行き過ぎた挑発に堪忍袋の緒が切れて殴打に及んだマイク・タイソン、暴力に訴えたタイソンの行為は許されることじゃないが、相手がタイソンと知りながら行き過ぎた挑発行為に及んだ方も許されることじゃない。

theme : 痛いニュース
genre : ニュース

風間ルミ、急逝

女子プロレス界のレジェンドが・・・!!

引用

女子プロレスラー風間ルミさん死去、55歳 8月末に子宮内膜症の痛み告白

女子プロレスラーの風間ルミ(本名・斉藤ルミエ)さんが21日、死去した。55歳だった。死因は不明。8月30日には自身の公式ツイッターで子宮内膜症の痛みについて告白し、公式ブログでも「ずっと来ていなかった子宮内膜症の痛みが出始めて。薬を上手に飲まないと、何も出来ない状態」とも説明。9月3日のブログでは「今日にはお仕事復帰できるかな?と思っていたんだけど、やっぱり甘かったです。やはり、食べれていないのが1番厄介」などと食欲が出ていない現状も明かしていた。

風間さんは高校生だった85年にシュートボクシングでキックボクサーとしてデビュー。86年にジャパン女子プロレスに入団し、神取忍らと同期だった。ジャパン女子解散後の92年7月には神取らとLLPWを設立し、社長兼レスラーとして活動。全日本女子プロレスとの対抗戦では北斗晶との髪切りマッチで敗退し、丸刈り頭になった。

02年に社長を退任し、神取に団体を託した。03年には同団体のスーパーバイザーに就任。その後もタレント活動と並行し、天龍源一郎率いるWAR最終興行などリングにも登場した。また06年に神取が参議院議員に繰り上げ当選した際には公設秘書に就任。飲食店の経営、食育アドバイザー、講演活動などするなどリング内外で幅広い活動をしていた。

[2021年9月22日14時52分「nikkansports.com」]より
あの神取忍と共にLLPWを旗揚げし、女子プロレス界を長年牽引してきた女子プロレスラー・風間ルミが21日に亡くなったって言うけど、先月30日に子宮内膜症の痛みを自身の公式ブログにて訴えてきたが、これが悪化したんだろうかと思います。死因は不明と報じられてるけど。

神取忍と共にLLPWを立ち上げ、同団体の社長を務めながら現役レスラーとして活動、あの北斗晶に髪切りマッチを挑んで負けて丸刈りになったり、2002年に社長職を降りてもタレント活動しながらプロレスに関わってきたから、ある意味女子プロレス界のレジェンドです。
それと神取との関係といえば、神取が参議院選挙に出た際にはスタッフとして活動し、後に神取が参議院議員に繰上当選した際に公設秘書も努めたり、あの伝説のヤラセ番組「ガチンコ!」では「女子プロ学院」の講師も努めたのは有名です。

子宮内膜症を発症してその後死に至る。実は内膜症ではなくガンだったんじゃと勘ぐりたくなります。それと子宮内膜症の痛みを告白する前に定期的検診を受けたんでしょうか・・・? こう見るとCOVID-19禍でなかなか病院に行けない状況なのが辛い。

55歳で帰らぬ人となった風間ルミ、ご冥福をお祈りします。

theme : 訃報
genre : ニュース

「平成の三四郎」古賀稔彦逝く

パワハラ疑惑で大いに揺れている柔道界から、突然の訃報です・・・。

引用

「平成の三四郎」古賀稔彦氏死去 バルセロナ五輪金

92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が24日、死去した。53歳だった。

関係者によると、昨年からがんの闘病中で24日朝に亡くなった。

福岡県久留米市生まれ。福岡・宮ノ陣小1年で柔道を始めた。名門・講道学舎へ入門し、東京・弦巻中-世田谷学園高と進み、86年に日体大入学。卒業後、同大学院に進学した。

弦巻中3年時に全国中学大会で優勝し、世田谷学園高ではインターハイ個人戦2連覇。高校3年の17歳の時に、史上最年少の日本代表(フィンランドオープン)に選ばれた。

代名詞ともいえる鮮やかな背負い投げは、弦巻中2年から。兄元博さんのアドバイスがきっかけだった。日体大の卒業論文(90年)のテーマは「背負い投げの魅力を探る」だった。

五輪には88年ソウル大会に71キロ級で初出場するも3回戦で敗退。92年のバルセロナ五輪で悲願の金メダルを獲得した。

その金メダルへの過程が壮絶だった。24歳、71キロ級代表の古賀は、78キロ級代表の吉田秀彦とのけいこ中に左ひざを負傷。靱帯(じんたい)損傷で全治1カ月の大けがだった。

講道学舎の先輩後輩だった2人は、選手村でも同部屋。そんなアクシデントを乗り越え、奇跡の金メダルを獲得した。

歩くことさえ満足にできなかった左ひざのけが。だが、畳の上では、一度も足を引きずらなかった。前日、先に後輩の吉田が金メダルを獲得していた。

そのことを聞かれ「けがをしたのは吉田との練習だったので、あいつは責任を感じていた。早くけがが治るようにいつも祈っていたという後輩の気持ちを聞いて、今回は本当にいい優勝をしたなと思います」と言った。まさに、奇跡の金メダルリレーだった。

96年アトランタ五輪では78キロ級銀メダル。00年に現役引退し、その後は指導者に。全柔連のコーチなどを務めた。自らの道場「古賀塾」でも指導していた。

指導者としても、手腕を発揮。04年アテネ五輪女子63キロ級で、指導した谷本歩実が金メダルを獲得した。谷本は、古賀に抱きついて喜んだ。

07年からは、環太平洋大の体育学部体育学科教授で、女子柔道部総監督を務めていた。

[2021年3月24日10時27分「nikkansports.com」]より
日本柔道界のレジェンドの一人・古賀稔彦氏が24日に亡くなったっていうけど、53歳で死去って早すぎます・・・。

古賀氏のハイライトは何と言っても1992年のバルセロナオリンピックで金メダルを取ったことだが、本番前に吉田秀彦との稽古中に左膝靭帯を損傷するという危機にさらされながら痛みに耐えて金メダルを取り(71キロ級)、また吉田(78キロ級で)も金メダルを取ったから、これについて「けがをしたのは吉田との練習だったので、あいつは責任を感じていた。早くけがが治るようにいつも祈っていたという後輩の気持ちを聞いて、今回は本当にいい優勝をしたなと思います」って立てるなど選手として以前に人としても素晴らしいです。
ケガを押してまで試合に出て金メダル、あの山下泰裕を彷彿させます。

指導者に転身後は2004年のアテネオリンピックで指導した谷本歩実が金メダルを取るなど、指導者としても実績を積み重ねてきただけに、突然の訃報にはただ驚きしかありません。人格者でもあっただけに残念だ・・・。

オリンピックを前に天国へと旅立った「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏、ご冥福をお祈りします。

theme : 訃報
genre : ニュース

井上尚弥、WBSSを制す

相手が相手だけに壮絶な打ち合いとなりました。

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尚弥、WBSS制覇で世界最強!血まみれ死闘「ドネアが二重に見えた」/BOX

 プロボクシング・WBA、IBF世界バンタム級王座統一兼ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)同級決勝(7日、さいたまスーパーアリーナ)壮絶な打ち合いを制した! WBA、IBF世界王者の井上尚弥(26)=大橋=がWBA世界スーパー王者のノニト・ドネア(36)=フィリピン=に3-0で判定勝ちして優勝。キャリア20年の5階級制覇王者を下し、同級の頂点に立った。井上尚は右目上から流血するなど苦しめられたが、11回に左ボディーでダウンを奪い、3年半ぶりに最終12回までもつれた死闘を制した。米興行大手トップランク社は試合後、“モンスター”との契約を発表。ボクシングの本場でスターへと駆け上がる。

 アリーナを埋めた2万2000人の大観衆が興奮した壮絶な打ち合い。ハイライトは逆襲の左ボディーだった。「ナオヤ・コール」が響く11回の1分過ぎ。ドネアはリング中央からロープ際へ歩を進め、前かがみになってダウン。尚弥が優勝を確実にした一撃だった。

 「ドネア選手、めちゃくちゃ強かったです…。世代交代という言葉を使って挑みましたが、期待通りのファイトは正直、できなかった。もっと練習して強い井上尚弥を見せたいです」

 歓喜の勝利ではなく、安堵(あんど)の判定勝ちに表情を緩めた。12回までフルに戦ったのは、2016年5月のWBO世界スーパーフライ級のV2戦以来9試合、3年半ぶり。終了後にはプロ転向前から憧れの存在だったドネアと抱き合い、健闘をたたえ合った。

 2回残り40秒で最も警戒していたドネアの左フックを浴び、右目上を切って出血した。ボクシング人生で初めて経験するカット。その後は「ドネアが二重に見えた。あれから目がぼやけた」と3回終了後に目の異常を訴え、ハンディを背負って戦い続けた。右の鼻からも出血。手数の少ないドネアから、的確な連打で追いこまれた。

 だが、ドネアより10歳下の若さが11回に爆発。残り2回で猛烈に打ち出し“モンスター”の強さを発揮した。

 試合後のリング上では優勝者に授与される伝説のヘビー級王者の名を冠した「ムハマド・アリ・トロフィー」を抱え、軽量のバンタム級では破格の総額100万ドル(約1億800万円)超とされる優勝賞金を手にした。階級最強を決めるトーナメントを制してWBAを統一したが、うれしさに浸る間もなく新たな目標を口にした。

 「この戦いの前に弟が負けている。自分は拓真の敵を取りたい。ウバーリと統一戦をやりたいです」

 自身の直前のリングで、WBC世界バンタム級暫定王者の拓真(23)が正規王者のノルディーヌ・ウバーリ(33)=フランス=に判定負けした。3歳上の兄は弟の悔しさを晴らそうと雪辱に燃える。

 試合後には米国の超一流プロモート会社、トップランク社が尚弥との複数年契約締結を発表。今後、米国で2試合開催すると明らかにした。

 「どんな景色が待っているのか楽しみ。来年の厳しい戦いに向けて、少し休んでから練習に精進したい」と尚弥。本格的に米国進出を果たし、世界の“NAOYA”として羽ばたく。

 2019.11.8 05:05 「サンケイスポーツ」より
WBA及びIBF世界バンタム級王座統一及びWBSS(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)バンタム級決勝戦に臨んだWBA・IBF統一王者井上尚弥、相手はWBA世界スーパー王者のノニト・ドネア、キャリア20年の上に5階級を制覇したかなりの実力者相手にどこまで戦えるのか見ものでした。

試合は2ラウンド目でドネアの左フックを喰らい出血するという予想だにしないものだったが、相手は5階級制覇の実績を持つだけに、かなりの手強さがあったと思います。ボクシング人生において初のカットを経験した井上、3ラウンド目終了後に目の異常を訴えるも戦い続け、必死で喰らいつく姿勢を見せたが、的確にパンチを放つドネア相手に攻略の糸口が見つからず試合はドネア優位で進むのだが・・・!!

終盤になり井上は積極的なファイトを展開、11ラウンド目でドネアの左ボディに強烈なブローを噛ましてダウン!! ここで井上の真骨頂である一撃が出て一気に井上優位となるも・・・!! さすがは5階級王者、簡単にKOとはならず12ラウンドを戦いお互い五角のファイトを繰り広げました、見てて見応えがあると言いますか・・・!!

判定の結果ダウンを奪ったことがプラスとなって勝利した井上「ドネア選手、めちゃくちゃ強かったです…。世代交代という言葉を使って挑みましたが、期待通りのファイトは正直、できなかった。もっと練習して強い井上尚弥を見せたいです」とKO勝ちできなかったことを悔やんだけど、相手は5階級王者、相当な実力者相手にここまでの試合を見せるのは素晴らしいことです。

WBSSを制してチャンピオンロードまっしぐらの井上、次に目指すはアメリカ進出だが、WBSS制覇はそのスタートとなることを願いたいです。

theme : ボクシング
genre : スポーツ

井岡一翔、復活の4階級制覇!!

一度は❝終わった❞とも言われたが、見事な復活劇です。
去年の大晦日での屈辱がバネになってそれを晴らした瞬間と言えます。

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井岡、日本男子初4階級制覇!具志堅超え世界戦最多15勝/BOX

 プロボクシング・ダブル世界戦(19日、千葉・幕張メッセイベントホール)WBO世界スーパーフライ級王座決定戦で同級2位の井岡一翔(30)=Reason大貴=が同級1位のアストン・パリクテ(28)=フィリピン=を10回1分46秒TKOで破り、日本男子初の4階級制覇を達成した。世界戦の勝利数も具志堅用高を抜き、日本選手最多の15となった。WBA世界ライトフライ級スーパー王者の京口紘人(25)=ワタナベ=は、挑戦者で同級10位のタナワット・ナコーン(26)=タイ=に3-0の判定勝ち。初防衛に成功した。

 泣いた。クールな井岡が男泣きした。2度目の挑戦で成し遂げた4階級制覇。高ぶる感情を抑えることができなかった。

 「去年の大みそかに悔しい思いをした。それからは、このベルトを取ることだけを考えて生きてきた」

 リーチで6・3センチも上回るパリクテと、7回にはひるまず打ち合った。そして10回1分過ぎ。強烈な右ストレートから一気の連打。レフェリーが試合を止めるまで、パンチを出し続けた。

 昨年大みそかはマカオでドニー・ニエテスに判定負けし、再起を期して半年。ニエテスと同じフィリピン出身で、KO率75%を誇るパリクテのパワーを鉄壁の防御で封じた。

 初めて世界王者になった2011年から8年をかけて4階級制覇を遂げた。17年大みそかに引退を発表し、昨年9月に現役復帰。拠点を海外に移すなど曲折の末の戴冠だった。JBC(日本ボクシングコミッション)の規則に抵触するタトゥーを左腕にいれたのは、「日本だけにいる世界王者にはなりたくない」という決意の証しだったのかもしれない。

 そのタトゥーをスプレーで消して上がった2年2カ月ぶりの国内リング。世界戦で15勝目を挙げ、具志堅用高を超えて日本最多の勲章も手に入れた。

 再婚予定の30代の一般女性との間には間もなく第1子が誕生する。17年に結婚した歌手、谷村奈南とはスピード離婚。「入籍はもうすぐします。この試合までは…と思っていた」と私生活でも新たな幸せを得た。

 「これからも海外で強い相手とやっていきたい」。平成生まれで日本初の世界王者となり、平成最後の世界戦で敗れ、令和最初の世界王者になった。頑固なまでに己の道を進む井岡が、目標に掲げる“唯一無二”にまた一歩近づいた。

 2019.6.20 05:03 「サンケイスポーツ」より
日本人初となる4階級制覇をかけて臨んだ井岡一翔、幕張メッセで19日に行われたWBO世界スーパーフライ級王座決定戦で同級1位のアストン・パリクテに挑んだけど、実に内容のある試合でした。

序盤はお互い互角も中盤に入って井岡がパリクテの隙をついてジャブやボディを放てば、パリクテも負けじとパンチの応酬で、互角な内容が続いたけど、8ラウンド目から疲れが出てきたパリクテの隙をついてワンツー! そこから試合を優位に進めて迎えた10ラウンド目、強烈なラッシュでパリクテを圧倒してダウンを奪うとレフェリーがストップをかけた!! この瞬間TKO勝ちを収めた井岡、そして日本人初の4階級制覇という偉業まで果たしたのです。

「去年の大みそかに悔しい思いをした。それからは、このベルトを取ることだけを考えて生きてきた」と感情を顕にした井岡、去年の大晦日に判定負けして以降、チャンピオンに返り咲きたいという強い気持ちでこの日を迎え、そしてチャンピオンに返り咲いたのだから、感極まるのも当然かも知れない。

2017年に突然引退し、昨年現役復帰したのも驚きだが、JBC(日本ボクシングコミッション)の規則に反するタトゥーを入れるという行為、日本国内だけに留まりたくないという現れに取れるけど、世界を股をかけて戦うって意識の表れに取れます。

最初はあまりパンチを打たずいつもの井岡かと思いきや、中盤からパンチの応酬を展開するという展開、そして相手にじわじわとダメージを与えてひるんだその隙に怒涛のラッシュ!! 実にかっこいいです。
「これからも海外で強い相手とやっていきたい」令和初の世界チャンピオンとなった井岡、ボクシング人生第2章の始まりを告げるゴングは高らかに鳴ったと思います。次の目標はスーパーフライ級チャンピオンの防衛かそれとも次の階級に進んでそのチャンピオンを目指すのか、どっちだろう。

theme : ボクシング
genre : スポーツ

❝霊長類最強女子❞が引退

来年の東京オリンピックに出るかどうか進退が注目されたけども・・・。選んだ決断は・・・!?

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沙保里 引退、36歳“霊長類最強女子”東京五輪前に決断 10日会見

 レスリング女子で五輪3連覇を達成した吉田沙保里(36=至学館大職)が8日、自身のツイッターで現役引退を発表した。五輪と世界選手権を合わせて世界大会16連覇を飾り、国民栄誉賞も受賞したが、銀メダルに終わった16年リオデジャネイロ五輪以降は試合から遠ざかっていた。1年半後の20年東京五輪に挑戦するかの決断を迫られる中、退く決意を固めた「霊長類最強女子」は、10日に都内で会見する。

 吉田はこの日、都内の日本レスリング協会を訪問して引退を報告した。対応した職員によると、笑いながら「引退することにしました!」と話し、重圧から解放されたようだったという。ツイッターでは五輪や世界選手権のメダル17個を並べた写真を添えて「33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断いたしました」と報告。「第二の人生も明るく楽しく笑顔で頑張りたい」とも話し、今後も女子日本代表のコーチは続ける意向だ。

 日本選手団主将を務め、「レスリング人生の集大成」と臨んだリオ五輪53キロ級決勝で涙の敗戦。14年3月に亡くなった父・栄勝さんとの約束だった五輪4連覇を逃した。栄勝さんからは「ボロボロになるまで続けるな。王者のまま引退しろ」との教えを受けており、リオで負けたまま即座に引退を決断することはなかった。

 女子代表や至学館大でコーチとして後進の指導にあたったが、活動の中心はテレビやイベント出演。豊富な練習量で自身を鍛えることが難しくなっていた。東京五輪出場を明言せず、代表選考がスタートした昨年12月の全日本選手権も欠場。メダルを獲れば五輪代表に決まる今年9月の世界選手権(カザフスタン)代表に選ばれるには、6月の全日本選抜がラストチャンスで、進退の結論を迫られていた。

 3歳でレスリングを始め、栄勝さんが自宅につくった道場で武器の高速タックルを磨いた。女子レスリングが五輪種目に採用された04年アテネ大会からは3連覇。外国勢に研究されるとタックルのパターンを増やし、個人戦では01年からリオ五輪の準決勝まで驚異の206連勝。「霊長類最強の男」アレクサンドル・カレリン(ロシア)を超える16大会連続世界一で「霊長類最強女子」と呼ばれ、12年には女子スポーツ界では3例目となる国民栄誉賞を受賞した。

 明るく、サービス精神旺盛なキャラクターで積極的にメディアに登場し、国民的人気者となった。認知度が高まった女子レスリングは競技人口が増え、17年にはインターハイの正式種目入り。栄勝さんが開いたジュニア教室や吉田の母校・至学館大からは“後継者”も続々と現れている。マイナーだった競技の普及や隆盛に計り知れない功績を残し、東京を前にマットを去る。

 [ 2019年1月9日 05:30「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より
オリンピック3連覇という偉業を成し遂げ、2001年からリオデジャネイロオリンピック準決勝まで206連勝とこれまた偉業を果たすなど(16大会連続世界一も)、ついた異名が「霊長類最強女子」として有名なレスリングの吉田沙保里が8日に突然の引退表明といいますから、思わず「ええっ!!」って感じました。

考えてみれば、女子レスリング界に多大な貢献をした吉田(伊調馨もだが)、女子レスリングがオリンピックの正式種目となった2004年のアテネ大会で金メダルをとったのを皮切りにオリンピック3連覇、2012年にはオリンピックで3連覇という偉業が日本中に感動を与えたことで国民栄誉賞受賞。と栄光を欲しいままにして来たものの2016年のリオデジャネイロオリンピックでまさかの銀メダル、それ以降は試合から遠ざかり、進退が注目されてたけど選んだ決断は引退と言いますから、引退を選んだ背景には自分は表舞台から身を引いて後進の指導に努めたいということでしょう。

マイナーだったレスリングの普及と知名度アップに貢献し、また明るいキャラクターでテレビに度々出演するなど、競技外でもテレビを沸かせた吉田ですが「第二の人生も明るく楽しく笑顔で頑張りたい」と言ってるように、これからもレスリング界の為に頑張りたいってことでしょうね。それといつまでも自分が第一線にいては今後のレスリング界の為にならないってこともか。最近の日本サッカー界における小笠原満男・中澤佑二・楢崎正剛と重なる部分もあります。

感動をありがとうございました。それとお疲れ様でした。吉田沙保里。オリンピック3連覇で国民栄誉賞、素晴らしい功績ぢゃ!!

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