河田町からお台場へ

今や没落感が見えているフジテレビ、かつてはドラマといいバラエティといい一世を風靡したものが多く視聴率3冠の時代もあったくらいだが、今となってはそれは微塵も感じられない。
今年で新宿区河田町から港区台場、いわゆる「お台場」に本社を移転して20年が経ちますが、初めて見た当時はテレビ局の社屋はここまで特徴的なものだったのかと思いました。
そんなわけで今から20年前の今日1997年3月10日は、フジテレビが新宿区河田町からお台場に本社を移転した日です。

1980年代に「楽しくなければテレビじゃない」と言うキャッチフレーズを掲げ「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」「THE MANZAI」などのバラエティ番組や、バブル期には「同・級・生」「東京ラブストーリー」などのトレンディドラマが軒並み好視聴率をマークするなどヒット作に恵まれたフジテレビ、しかし当時本社があった新宿区河田町では都心回帰構想によりタワーマンション建設が計画されており、折しも臨海副都心開発の話が東京都内で巻き起こり、またフジテレビ内では1984年からお台場移転案が出てきて、当時の鈴木俊一都知事が当時フジテレビの会長だった鹿内春雄に臨海副都心開発の目玉としてフジテレビをお台場に移転することを持ちかけたのでした。そして鹿内は都心を見渡せると言う立地性を評価して移転に乗り気になったのです。
ただ当時フジテレビ内では批判もあったが(レインボーブリッジやゆりかもめ線なんてなかった時代)、河田町に留まるより未発達の地である場所に移転してそこの目玉となろうと鹿内の主張に徐々に賛同していったのだった(ただ鹿内は1988年に亡くなっている)

元々都有地だった場所を間借りしてたが、安価でかつ将来的に値が上がりそうな場所に移転すればいいと言うのは今となっては先見の明があったのか・・・(移転プロジェクトメンバーには日枝久氏もいた)。

1997年3月10日、長年いた河田町からお台場に本社を移転したフジテレビ、新社屋は建築家の丹下健三氏が手がけ、ビルの外観サイズはワイドクリアビジョンの16:9をイメージしたもので、新社屋に費やした額は数千億円にも上ると言われている。

お台場の名所となった新生フジテレビだが、当初こそヒット作に恵まれて好視聴率をマークしたが、2010年代に入ると視聴率不振及び韓国びいきの内容に対する批判も相まって迷走してますが、今のフジテレビにつける薬ってなんでしょうかね?
ちなみに河田町にあった旧本社は解体されたが、本社近くにある別棟は報道系及び緊急時に使用できるシステム施設として継続している。

theme : フジテレビ
genre : テレビ・ラジオ

雑誌の日

本日3月4日は「雑誌の日」、「ざっ(3)し(4)」の語呂合わせが元になってできた日ですが、その由来は今から9年前の2008年に雑誌のオンライン書店を運営している富士山マガジンサービスが日本記念日協会に申請して、同年3月4日に制定されたことで雑誌の日が生まれましたが、ざっ(3)とし(4)の語呂合わせで雑誌の日、分かりやすいっちゃ分かりやすい。

そんな雑誌の日ですが、近年ではネット及び電子書籍の普及に伴い紙媒体全体が売上不振にあり、当然雑誌もその煽りを受けているわけですが、私はネットで見る情報もいいけどやはりホントの雑誌を見るのも有意義なことだと思います。

今私がよく見ている雑誌はと言うと「週刊プレイボーイ」(集英社)「週刊文春」(文藝春秋)「ザ・テレビジョン」(角川マーケティング)ですが、週刊誌はやはりテレビや新聞では見ない情報やコラムなど多岐にわたっており、情報源としていいものだし、ブログのネタとしても使えますからね。参考にもなります。
紙媒体不振が叫ばれる昨今、改めて雑誌に目を通してみるのもいいことです。

theme : 雑誌
genre : 本・雑誌

公共の電波で万引きを「告白」して大問題

今から13年前に日本テレビ系で放送された深夜バラエティ番組「カミングダウト」、これは出演者同士で衝撃の告白のウソを見破ろうとする心理戦的な内容で人気を博したが、その中で何と!! 「集団強盗して店を潰したことがある」と言う信じられない告白をしたことで各方面から批判の声が殺到し、最終的に番組が打ち切られると言う顛末となった事件をご存知だろうか。問題の告白をしたのは当時若手アイドルだったあびる優、このせいで芸能界から一時期干される状態となったのは言うまでもない。
そんなわけで今から12年前の今日2005年2月15日は、日本テレビ系「カミングダウト」であびる優が集団強盗事件を告白すると言うトンデモ事件を起こした日です。

「カミングダウト」、開始当初は特番だったが、好評につき2004年10月からレギュラー化したことにより全国放送となって人気を博したものの、2005年2月15日に放送された回にゲスト出演した当時ホリプロの若手アイドル・あびる優が何と!! 「私、あびる優は集団強盗して店を潰したことがある」と告白して共演者そして視聴者をざわつかせたのだった。
あびるは「まァちょっと拝借程度に」と言うと「拝借程度に!?」とまた共演者は驚いたものの、あびるは「返すつもりで」と何喰わぬ顔で返答、共演者から「いくつぐらいの時にしたの?」と言う質問が出たがこれについてあびるは「ちょっと前ですね」とこれまた何喰わぬ顔で返答、スタジオはまたざわついて「問題ですよ!」と驚きを隠せませんでした。

「ダンボールで運び出していた」と答えたあびる、大胆不敵にも程があると言うか・・・。
さらに信じられないことに「1人じゃなく、5、6人でやっていた、でまあ配布、あとはみんなに」と集団でやってたことも告白しただけでなく「それを半年続けていた」とこれまた信じられない告白をしたけど、やってることは常習性の強い集団窃盗もいいところで明らかに犯罪だ。
「見つかったことはあるけど、なにせダンボールで盗ってて『倉庫に運ぶ』と業者のふりをしてごまかした」とも告白したあびる、集団窃盗もそうだしウソの供述をしたから偽証罪に問われてもおかしくない。

「その店は成り立ってたの?」と言う質問には「潰れちゃった」と何の躊躇もなく返答したあびる「それが原因か分からないけど」と言うと共演者全員から「それが原因ですよ!」と言うしかなかった。現実万引き被害は相当なもの。

その後ダウトタイムなるホントかウソかの瞬間を迎えたが、共演者がドッキリだと思い込んでウソと見なす「ダウト」カードを提示するも、何とあびるは「トゥルー」と言うホントを意味するカードを「ごめんなさい」と言って提示したのだった!! 冒頭の「集団強盗して店を潰した」告白にドン引いていた共演者や視聴者は改めて唖然とした。
「お店の人、本当にごめんなさい」と頭を下げたあびる、その後「万引きは犯罪です、絶対に止めましょう」と言うナレーションが入ったが、公共の電波で公然と窃盗行為を自慢気に話したあびるの行為は許されるものではない。

翌週の「カミングダウト」でお詫びテロップを流したものの、公共の電波で犯罪を平気で話しただけに視聴者からの抗議は止まず、この事件の余波で「カミングダウト」は同年3月を持って終了へと追い込まれたのだった。

集団強盗を公然と告白したあびるに対し世間は黙っているわけがなく、あびるが所属していたホリプロは事件を重く見て無期限の芸能活動自粛処分としたが、無期限自粛よりも解雇のほうが正しいと思う。今思えば。
また総務省でもこの問題を取り上げ、日本テレビに対して抗議文を送ると言う事態も起こった。

無期限自粛処分を受けたあびるだが、その2ヶ月後しれっと芸能界復帰したんだから、正直「何なの!?」です。
公共の電波で平然と犯罪を告白すると言う言語道断な行為を起こしておいて、何ですぐに復帰できるのか、これは芸能界の自浄能力をも疑いたくなった。ただでさえ芸能界は不祥事に対して厳罰を与えると言う意識が薄いことが世論から批判されてるだけに。ましてやこの言動のせいで一つの番組が打ち切られると言う顛末になったことを考えたらば、あびるのしたことは犯罪だ。刑事上の責任も重いが民事・行政上の責任だって重い。

自らの過ちのせいで世間的な評価をガタ落ちさせ、かつ一つの番組を打ち切りへと追い込んだあびるの行為は断じて許されないが、それでいて芸能界追放と言うペナルティを下さなかったことは未だ疑問である。
あびるについてもう一つ「しくじり先生」に出たら? って言いたくもなる「集団窃盗を告白して世間に嫌われちゃった先生」として。

theme : 懐かしいテレビ番組
genre : テレビ・ラジオ

FF史上“最高”傑作

この作品は私が最もやり込んだゲームの一つで、当時はこの話題で持ちきりでした。おそらくファイナルファンタジーシリーズで最も最高作と呼ぶべきもので、未だ人気がある作品であることには間違いない。その後スピンオフ作品や続編が作られていることも事実。またこれまで任天堂系ハードでリリースされていたが、本作はプレイステーション(以下PS)でリリースされ、ソニーの据置ハードがゲーム界のトップランナーに躍り出るきっかけとなったのも知られています。
そんなわけで今から20年前の今日1997年1月31日は、PSにて「ファイナルファンタジーⅦ」が発売された日です。

1997年1月31日、PS用ソフトとしてリリースされた「ファイナルファンタジーⅦ」、本作はシリーズの転換点となる作品となっただけでなく当時コンピューターゲーム業界ではPS・セガサターン・NINTENDO64の次世代機がしのぎを削っており、本作は当初64にて発売する予定だったが、製作費と容量の関係から頓挫、またファイナルファンタジーシリーズの製作元であるスクウェアと任天堂とでゲーム観を巡って対立し、ロムカセットではなくCD-ROMを採用しているハードに移転、PSにてリリースしたことでスクウェアと任天堂の関係は決裂し(2002年に両者は和解したが)、また本作からこれまで任天堂系ハードでリリースされていた作品がPSに進出するきっかけにもなったのです。
さらにコンビニエンスストアでの発売もまた話題を集め、これまでは発売日に並んで購入するか予約して購入すると言うのが定例だったが、コンビニにて予約することで特典をつけると言う措置も話題に拍車を集めたのでした。これも本作が最初。また本作欲しさにまだPSを手に入れていなかったユーザーが駆け込み購入したことで、小売店では品切れ状態が相次いだことも忘れてはいけない。かく言う私も本作をプレイしたいが為に駆け込み購入したのだが・・・。

これまで中世ヨーロッパを模した世界観も本作では機械文明などを含む現代的要素が高く、城に当たるものはないことも特徴。
戦闘シーンでは従来のATB(アクティブ・タイム・バトル)を引き継いだが、敵から受けたダメージが蓄積された際に発生する「リミットブレイク」、敵からのダメージを軽減するバリアゲージも登場するなど多彩になった。
キャラクターの武器が固有化されたり、防具は腕輪のみと言うシンプルなものになったり、アクセサリも一人一つと言う形式になるなどシステム面でもジョブが廃止されたり従来と違うケースとなった。

ストーリーもそうだがミニゲームも多彩でこれも従来と異なる点です。さらにPSに移転したことで重要なシーンではムービーを導入すると言う要素も導入されたが、次世代機だからこそ出来たものである。

キャラクター面では主人公クラウド・ストライフの自身の弱さを乗り越えて向き合う描写がユーザー間で賛否を呼び、そのキャラがFF史上高い人気を誇る主人公にもなっている。ちなみに私の好きなキャラはユフィ・キサラギです。

国内で300万本、国外に目を向ければ1000万本も売り上げると言う快挙を果たした本作「今までで一番感動したゲーム」と言うアンケートでは上位にランクインするほど発売から20年が経つ今でもその人気は衰えていない。私も結構やり込んだし、全てにおいて良い評価を挙げたいが、エンディングの最後のシーンだけはどうも・・・。

theme : FINAL FANTASY シリーズ
genre : ゲーム

「JFK」の「K」

阪神タイガースの歴史において最強の中継ぎ投手と言えば、昭和においては福間納氏が上がるが、こと平成においては久保田智之の名が挙がるでしょう。シーズン最多登板を記録するなどいかにどんな場面でも投げていたイメージもあるけど、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児とのトリオは3人の頭文字を取って「JFK」なる名称で他球団を震え上がらせたものです。
そんなわけで今から36年前の今日1981年1月30日は、久保田智之が誕生した日です。

1981年1月30日、埼玉県吉見町で生を受けた久保田智之、小学3年生から野球を始めその頃はキャッチャーだったが、滑川高校時代当初はキャッチャーだったものの、監督に投手をやりたいと直訴「エースと違う投げ方をしたら使ってもいい」と言われ、トルネード投法を真似た投球をしてそこから投手人生が始まったのです。
高校3年の時に夏の全国高校野球選手権に出場(滑川高はこの大会が初出場の上、記念大会と言うことで埼玉から2校出場した為滑川高は西埼玉代表)、初戦で7回から登板しそこでトルネード投法を見せるとそこから注目を集めるようになりました。

その後常磐大学に進学し、そこから投手一本で行くと3年時に東海大学との練習試合で好投したことからプロから注目されるようになり、2002年のドラフト会議で阪神に5位指名されたのでした。
しかし入団直後の新人合同自主トレで体重過多が発覚し、罰金を取られると言う不手際もしたが、この時久保田は「活躍して倍以上に返す」と雪辱を誓ったのだった。

入団1年目からすぐ1軍入りし、先発と中継ぎの両方をこなして結果26試合に登板して5勝をマークして優勝に貢献したが、久保田自身はケガの為に日本シリーズ登板はなりませんでした。
2年目の2004年は当初先発だったものの結果を出せずすぐに中継ぎに回り、同年アテネオリンピック出場の為離脱したウィリアムスに代わってクローザーを務めたことでここから抑え投手に回ったのだった。

3年目の2005年、ウィリアムスや藤川と共にJFKなるリリーフトリオを結成し久保田は抑えとして試合を締めくくる大事な役割を担いました。同年9月7日の中日戦では9回裏大ピンチの場面でマウンドにいたが、岡田彰布監督から「無茶苦茶放ったれ!!」と発破をかけられ連続三振でピンチを切り抜けその後チームは延長戦で勝ち越して勝利、そこからチームは優勝に驀進し9月29日の甲子園球場での巨人戦では胴上げ投手にもなったが、一方で安定感に欠ける場面も目立ったのだった(現に胴上げ投手となった巨人戦では連打の上に暴投で1点を献上している)。
その後もJFKの一角として試合を締めくくる役割を果たし、5年目の2007年には先発陣の不振から終盤で投入されるケースが多く、終わってみれば90試合に登板しNPB記録を更新、46ホールド、55ホールドポイントとそれぞれNPB記録を更新するなどチームに欠かせない存在になったのでした(同年最優秀中継ぎ投手に選出された)。また同年には母校・常磐大学から特別表彰された。

2008年は2年連続最優秀中継ぎ投手になるも成績は前年より低下、2009年は長年の登板過多により故障、シーズンを棒に振る結果となった。
2010年にチーム最多の71試合に登板して安定感を見せたことから復活したものの、翌年からは成績が低下、さらに最盛期には157キロあった球速も130キロ台にまで低下、2014年は1軍登板がなく故障続きだったことからこのままではチームに迷惑がかかると言うことで現役引退を表明、球団に残って昨年までバッティングピッチャーを務め、今年からは関東地区スカウトに転身して現在に至ります。

岡田政権の象徴である「JFK」の一人として躍動した久保田智之、久保田を彷彿させる中継ぎ投手が阪神からまた出てほしいものだ。

theme : 阪神タイガース
genre : スポーツ

ファミコン版「火の鳥」

手塚治虫の代表作の一つ「火の鳥」、その中の一章であり1986年にはアニメ映画にもなった「鳳凰編」、それに合わせてファミコン版ゲームソフトがリリースされたのをご存知だろうか。その名は「火の鳥 鳳凰編 我王の冒険」、本来の鳳凰編は主人公の一人・我王が不幸な境遇と世間の理不尽に対する怒りを仏像に彫り込むなどの物語を軸とするものだが、ゲーム版ではそれが大幅に改変されており、いわゆるキャラゲーにありがちな「あるある」だが、それでも良作として高い評価を得ています。
そんなわけで今から30年前の今日1987年1月4日は、コナミより「火の鳥 鳳凰編 我王の冒険」がリリースされた日です。

1987年1月4日、コナミよりリリースされた「火の鳥 鳳凰編 我王の冒険」は横スクロールのアクションゲームで主人公・我王を操作して「大和」「来世」「太古」からなる3つの世界の16ステージをワープを駆使しながら進んで、それぞれの時代に散らばった火の鳥の彫刻を探すと言うものだが、武器は飛び道具でメイン武器のノミと足場を作ったり敵キャラの動きを止めたりする鬼瓦と芸当があるが(置いた鬼瓦はしゃがみジャンプ3回で壊せる)、それぞれの時代を行き来して彫刻を探すと言う原作設定を無視した作りは「火の鳥」を知らないスタッフのユーザーへの配慮と言うべきなのか。

大和は8ステージあるが、大和の7ステージ目をクリアして行けると言うわけではなくある面のあるワープゾーンからしか行けないと言うものだし、また火山が舞台で揺れるステージであり高難度的な要素もあるけど、16ステージをクリアして火の鳥の彫刻の欠片を埋めて完成した時の演出、いわゆるエンディング画面は完成した火の鳥が旅立つと言うものもそうだし、映画版の主題歌が流れると言うものでなかなかの見ものである。
ステージ音楽もまた良作揃い。
原作設定を無視しているとは言え、クソゲーとならなかったのは音楽の良さとエンディングの演出にあると思います。

私は当時知ってたけどプレイしたわけではなく、後年になって初めてプレイしたわけだが、大和8にたどり着くのに苦労したけど大和8の難易度は相当でしたね。クリアした時の感動が結構なものでした。

theme : レトロゲーム
genre : ゲーム

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アジシオ次郎

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