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三原ポカリ事件

この事件はまだ日本のプロ野球が1リーグ制だった時代のものだが、当時は統一の契約様式や協約がなく一方的な引き抜きも少なからずあったわけで、この事件はまた球団間の関係がギクシャクしたものと言っていい事件です。そしてこの引き抜き行為が原因となったのか当事者同士の試合でとんでもない事件を引き起こしたのです。

今から72年前の今日1949年4月14日、後楽園球場で行われた巨人南海戦、南海はこの前年チームのエースだった別所昭(後に毅彦、別所といえば巨人のイメージが強いがプロ入り当初は南海の選手だった)を巨人に一方的に引き抜かれ(別所が待遇面に不満を抱き、そこに巨人がつけ込んで強引に引き抜いた、当然南海は巨人を相手取って連盟に提訴したものの、連盟からは別所に対して契約するような裁定を下された、南海は改めて別所と契約交渉するものの南海との契約交渉を断り続けて巨人に移籍した、これは「別所引き抜き事件」として球史に名を残している、巨人に対する怒りが高まっていたのだった。試合前に鶴岡一人(当時は山本姓)監督は「巨人の選手とは口を利くんじゃねェぞ!!」とナインに発破をかけたのは言うまでもないが。

試合は巨人が1点をリードした段階で9回まで進み、ノーアウト1塁の場面でバッターが1塁ゴロを打ち、ゲッツーと思いきや1塁ランナー・筒井敬三はセカンド・白石勝巳めがけてスライディング!! 白石は体勢を崩してゲッツーならず・・・!!
これにカチンときた白石、筒井と口論となったわけだが、巨人とすれば「守備妨害」、南海にすれば別所の件が背景となり、巨人の選手に対してラフプレーしても構わん。って魂胆もあったんでしょう。

そこに何と入ってきたのが巨人・三原脩監督、筒井と白石が口論していたところ何と三原監督が筒井の頭をひっぱたくという行為に出たのだった!!
三原にしてみれば「うちの選手に何すんだコラ!!」って魂胆で起こしたと思うが、監督がグラウンドの中で相手選手を殴るというのは今となっては考えられないものである。
この行為が原因で三原監督は無期限出場停止処分を受けたわけだが、巨人と南海の因縁がエスカレートしてこうなったと思うと、一人の選手の引き抜き行為の代理戦争的な様相となってしまったのは否めない。この事件は「三原ポカリ事件」として後世に伝えられている。
てかその発端となった別所を一方的に引き抜いた巨人のやり方は非難ものだし、後年の江川事件といい、ルールの抜け穴をついてやったとすれば完全なるルール無視である。

別所引き抜き事件からの三原ポカリ事件、巨人とホークスの因縁は2リーグ制となった翌1950年以降も続くこととなった。

theme : プロ野球
genre : スポーツ

「満塁弾デビュー」したが

今年も始まったプロ野球、ただ今年はCOVID-19禍により外国人選手の来日が不透明な状況で、チームによっては当面の間外国人選手がほぼいない状態での試合を余儀なくされるわけだが、今年新しく日本球界でプレーする外国人選手の中にはメジャーでかなりの実績を残した者もいます。ただそれらが活躍するかどうかは不透明。
遡れば、メジャーでバリバリ実績を残して日本球界に来たけど、活躍した一方で全然活躍せず高年俸に似合わない内容で1年、シーズン終了待たずに解雇・帰国した外国人選手もたくさんいます。1995年にダイエー(現ソフトバンク)でプレーしたケビン・ミッチェルという選手もその一人だと思います。
ナショナル・リーグ2冠王の実績を引っさげ、1995年にダイエーに鳴り物入りで入団、当時は王貞治監督就任初年度であり注目を集めていた時期で大型補強の目玉として見られていたミッチェル、デビュー戦でものすごいものを見せつけたが・・・!?

今から26年前の今日1995年4月1日、この日この年のパ・リーグ公式戦が開幕し、西武球場で西武と対戦したダイエー、4番レフトで先発出場したミッチェルは初回に味方が作った満塁のチャンスで初打席を迎え、西武先発・郭泰源から何とレフトスタンドに叩き込む一発を放ち、初打席で初安打がホームラン、それも満塁弾というド派手なものとなり、バリバリメジャーリーガーの底力を見せつけたのだった。試合はここから打撃戦となり、11-10でダイエーが勝利したけどミッチェルの満塁弾はこの試合の象徴というべきものだった。
満塁弾デビューという駒田徳広以来の快挙を見せたミッチェル、しかし・・・!!

程なくして突然試合を欠場、理由は古傷の膝のケガが再発してのことだが、病院で診てもらった際に「異常なし」と言われたことに対し何と「経営しているアパートと美容院が気になって」という理由でフロントと喧嘩するという愚行に及んだのだった。 膝のケガの治療という名目でアメリカに帰国したミッチェル、無論無断でだが。
突然帰国したミッチェルの行動に上位を走っていたチームは迷走、気がつけばBクラスへと低迷する有様。
後半戦に突入した8月にしれっと再び来日したミッチェル、そこで「チームがまさかこの状態になっているとは思わなかった」とファンから総スカンを喰らいかねない他人事のようなコメントを出し、しばらくしてまたヒザのケガを訴えて帰国という行動に出たが、もはやフロントもトラブルばかり起こすミッチェルに見切りをつけて解雇したが、当然である。転んでもただでは起きないミッチェル、一方的な解雇に反発して何と訴訟沙汰まで起こし、また日本をバカにするような発言までしたんだから、明らかに問題児と言っていいしいわゆる「ダメ助っ人」というレッテルを張りたくもなる。これについて同姓の作家マーガレット・ミッチェルの名作「風と共に去りぬ」ならぬ「カネと共に去りぬ」と揶揄されたのは言うまでもない。

デビュー戦が物凄かったのにトラブルばかり起こしてチームを引っ掻き回したミッチェル、最終的にこの年のダイエーは54勝72敗2分の5位でシーズンを終えたが、ミッチェルに振り回されたことが要因の一つかも知れない(ミッチェルに振り回されたこともだが、打高投低なチーム状態が改善されなかったり、工藤公康と共に西武から加入した石毛宏典が期待外れに終わったり、チームの顔でもあった主軸の一人・カズ山本【山本和範】が故障で離脱したことも要因)。王監督のダイエー初年度はほろ苦すぎると言っていい。

ここまでトラブルばかり起こしたミッチェル、実はメジャー屈指のトラブルメーカーで奇行や犯罪歴が目立つというものだったが、こう見るとメジャーでの実績ばかり見て身辺調査すらしなかったダイエーフロントの責任も大きい。獲得に至る時点でメジャー関係者から「あいつ(ミッチェル)はかなりの問題児だからやめとけ!」って警鐘を出さなかったんだろうか? トラブルメーカーなのを知って獲得したフロントは明らかに今となっちゃとんでもない凡ミスをしでかしたと思います。新たに外国人を獲得する際には実績だけを見てはダメという教訓はジョー・ペヒトーンやマイク・グリーンウェルを見れば分かることなんだけどねェ・・・!?

theme : プロ野球
genre : スポーツ

破壊された大仏

今もテロと暴力の連鎖が続くアフガニスタン、その煽りでアフガニスタンで医療活動に従事し、現地から高い評価を得ていた日本人医師・中村哲氏が犠牲となった事件は記憶に新しいけど、そのアフガニスタンで今もゴキブリの如くしぶとく行き続けて暗躍しているイスラム原理主義組織・タリバン、混迷するアフガニスタン情勢を象徴するものだけど、そのタリバンが起こした蛮行といえばバーミヤン渓谷にある古代遺跡を破壊したことでしょう。世界遺産を破壊するという最悪の蛮行だけに、当然タリバンh国際社会から非難を浴びたのは言うまでもありません。
そんなわけで今から20年前の今日2001年3月12日は、バーミヤンの大仏がタリバンによって破壊されたことがユネスコによって確認された日です。

アフガニスタン中部にあるバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群、古代から仏教の影響を受けて大仏が建立し、その後インドやペルシャ(イラン)の影響を受けた壁画も出来たり、630年には唐の仏僧・玄奘がここを訪れた際にその大仏の高貴さに惚れて、僧院に多数の修行僧が住むようになり、仏教遺跡として存在感を示したのだった。
19世紀に入りアフガニスタンに外国人が来るようになると、バーミヤン遺跡の大仏や仏教美術が残っていたことから歴史的価値が高いと見なされ、一気にアフガニスタンを代表する国際的な文化遺産へと上り詰めるのだった。
ここまでは平穏だったバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群だったが、1970年代末から一気に危機にさらされるのだった。

それは1979年にソ連がアフガニスタンに軍事侵攻、これを機にアフガニスタン国内は軍事衝突の絶えない状況に陥り、ソ連撤退後もそれは続いて(内戦激化の余波でバーミヤン渓谷周辺に多数の地雷が埋められたことも影響している)最終的にイスラム原理主義組織・タリバンがアフガニスタン国内を掌握したことで、偶像崇拝をタブーとするイスラムの教えを傘にタリバンはバーミヤンの大仏を破壊しようと企てたのだった。

そして2001年3月2日、国際社会からの反発を無視してバーミヤンの大仏を破壊したタリバン、この際タリバンは「アラーは偉大なり」と唱え、イスラムの正当性を発信したのだった。
そして2001年3月12日、ユネスコはバーミヤンの大仏がタリバンによって破壊されたことを報じたのだった。
ハッキリ言ってタリバンのしたことは許されるなんてもんじゃない、イスラム教を利用したナショナリズムを理由に仏教遺跡を破壊するという暴挙、イスラム教もキリスト教やユダヤ教と同じ一神教ゆえに異なる宗教を否定して排除しようとする排他的な考えがあるといえばそれまでだが、宗教を利用した過激思想もいいところだ。

バーミヤンの大仏破壊は国際社会に衝撃を与え、また政情不安なアフガニスタンだけにバーミヤン渓谷の古代遺跡群は危機にさらされている世界遺産として示されることとなった。タリバンの行為を批判する一方で、国際社会が今までアフガニスタン情勢に無関心だったことがこの悲劇につながったという見解もあり、バーミヤンの大仏破壊がもたらした再び世界がアフガニスタンへと目を向けるきっかけとなったのは言うまでもない。バーミヤンの大仏が破壊された同年9月11日にアメリカで同時多発テロがあり、その首謀者であるウサマ・ビン・ラディンをアフガニスタンのタリバン政権が匿っているとして翌月アメリカはアフガニスタン攻撃に踏み切って、タリバン政権を圧倒的な武力で打倒したことも覚えておこう。

theme : テロ
genre : ニュース

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」

モハメド・アリ、今もなお伝説のボクサーとして有名ですが、そんな彼のファイトスタイルといえば「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というフットワークとピンポイントで鋭いジャブを放つアウトボクシングスタイルで、この試合でアリが見せたシーンは、従来のヘビー級ボクシングのイメージをガラリと変えたものです。
そんなわけで今から57年前の今日1964年2月25日はWBA・WBC世界ヘビー級タイトルマッチが行われた日です。アリの相手は当時最強のハードパンチャーとして君臨していたソニー・リストンです。

1960年にプロに転向したアリ(当時はカシアス・クレイ)は、当初ライトヘビー級でどんどん勝利を収め、次なる高みとしてヘビー級に挑んだのだった。

そのアリが選んだ相手は当時の絶対王者にしてハードパンチャーであったソニー・リストン、上り調子のアリでも相手がリストンでは敵いっこないという下馬評が高く、絶対不利な状況になりますが、アリはそんな逆境の中でも「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と声高に言い、一方でリストンを「ノロマ」と挑発するなど強気でした。
1964年2月25日にマイアミにて行われたWBA・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ、ゴングが鳴るや否やアリはリストンが繰り出すパンチを華麗なフットワークでかわし、逆に隙をついてリストンにパンチを食らわせてその後も試合を優位に進めたのだった。

そして6ラウンド目にアリの一方的な試合運びに戦意を消失したに等しかったリストンが棄権を申し出て、この瞬間アリは世界ヘビー級チャンピオンへとなったのです。

長年ヘビー級王者だったリストンを圧倒的なファイトで下したアリ、とんでもない番狂わせとなっただけでなくアリの華麗なフットワークと的確なパンチを見て、これまで大男同士の力任せな殴り合いでしかなかったヘビー級ボクシングをガラリを変えたきっかけとなったのだから、この試合はボクシング界を大きく変えたと言っても過言ではない。試合後アリは興奮状態で「I must be ❝The Greatest❞!」と叫んだ。
ちなみにこれは「カシアス・クレイ」として最後の試合であり、この試合後にモハメド・アリと改名したのは言うまでもありません。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」この言葉が生まれた試合としても有名だが、アリ伝説の始まりでもあった。

theme : ボクシング
genre : スポーツ

NAACP設立

昨年アメリカ・ミネソタ州で起こった白人警官による黒人男性殺害事件を端に発したBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動、アメリカのみならず全世界で黒人差別もとい人種差別を許すなという抗議デモが多発したのは記憶に新しいが、未だ人種差別が蔓延ることを発信したともいえます。
そのアメリカにおいて反人種差別を掲げる団体は数あれど、最も歴史があるのがNAACP(全米黒人地位向上協会)で、今から102年前の今日1909年2月12日に発足しました。

エイブラハム・リンカーン第16代大統領による奴隷解放宣言が出たものの、当時のアメリカにおいて黒人の地位は低く選挙権すら与えられないなど、インドにおける下位カーストのような扱いを受けたのでした。
そんな中1908年にイリノイ州・スプリングフィールドにて人種暴動が起こり、黒人差別問題がアメリカにおいて放っておけない問題となったことから、1909年2月12日に黒人問題を討議する会議を持つことを決め、後にNAACPとなるわけだが、創設メンバーのほとんどは白人で、当の黒人はたった2人しか当てられませんでした(その中の1人に社会学者であり公民権運動家だったウィリアム・デュボイスがいた)。

黒人の地位向上を掲げる団体ができたことで人種差別撤廃の動きが広まりつつあったけど、1919年のパリ講和会議で日本が国際連盟の規約に「人種平等の原則」(人種的差別撤廃提案)を入れる提案をしたことで黒人からは期待を持たれたのだが、当時のウッドロウ・ウィルソン大統領は全会一致でないことを理由にこれを却下したことで期待は失望、そして怒りへと変わって全米各地で抗議の声が高まったのです。全会一致でないことを理由に却下しただけでなく、当時の欧米社会がナチス顔負けの白人優越っていうか白人至上主義が平然とまかり通ったことから、日本の提案はバカバカしいと見て批判的な態度に出たことも影響している。
アメリカにおいて白人ファースト的な社会の弊害が後に黄禍論排日移民法制定、第2次世界大戦時の日系人の強制収容へとつながったのは言うまでもないが、これについてある黒人運動家は「日系ってだけで敵視され強制収容されたのに、同じ敵国であるドイツやイタリアをルーツを持つ者が収容されないのは人種差別であり人種偏見以外の何物でもない、ましてアメリカ市民権を得ている日系人が収容されるということは我々にも同じことが起こりかねない」と指摘している。これは即ち白人優位というイカレた思想を有難がる当時のアメリカ社会への批判を綴っているといえます。当時のアメリカが日系人に対してやったことは、ユダヤ人というだけで強制収容所送りにして殺害するナチスドイツと同じ論理だとも言ってるんでしょうかね?

戦後になって黒人は解放された日系人を歓迎してアメリカ社会へと復帰させる足がかりを作ったが、その黒人は1950年代に入り公民権運動を活発化させたのは言うまでもない。

黒人差別をなくそうという目的で立ち上げたNAACP、全米黒人地位向上協会という名前だけでなく全国有色人種向上協会という名前もあり、あらゆる人種差別を許さないという目的も含まれてます。この団体の存在意義は。

theme : 人権
genre : 政治・経済

文化財防火デー

本日1月26日は文化財防火デーなる記念日ですが、それが出来た理由は今から72年前の1949年1月26日に法隆寺の金堂で火災が発生し、堂内の壁画の大半が焼失するという事態となったが、その壁画は飛鳥時代の芸術を伝える目的だったことで歴史的な芸術が突然無くなったことで当時の日本国民に衝撃を与え、また外国人特派員からも嘆きの声が出たのだった。

さらにこの年は松山城や松前城で一部が火災により焼失する事件も起こり、立て続けに国宝が火災に遭ったことから文化財を火災や地震などの災害から守る為の法律が必要だと言う意見が高まって1950年に文化財保護法が成立するようになったのは承知の事実だが、その後現在の文化庁に当たる文化財保護委員会が1955年に文化財防火デーを制定したのです。

これもあり毎年この日に文化庁・消防庁・教育委員会などが連携して日本各地の文化財で防火訓練が行われるけど、これに伴い火災報知器やスプリンクラー設置も義務付けられるなど文化財保護に積極的になったのは言うまでもない。
それとこの日は文化財を火災から守ろうってことで防火訓練もさることながら、文化財に親しんでもらおうという啓蒙活動というか教育も必要ではないでしょうかね? 最近文化財に対する不届きな行為も目立つが、こういう不謹慎で無神経な行為をする人の気が知れないし、文化財に対する敬意というものが感じられないようではそれでも日本人かと言いたくなります。日本の文化を愛でれないようでは国際人になれません。自国の文化財を想い守るという意識は必要なことです。

theme : 日本文化
genre : 学問・文化・芸術

星雲仮面マシンマン

1980年代の特撮ヒーローにおいてこの作品はどこか特殊なものかも知れないが、アクションとコメディを両立させた娯楽要素が強い作品として有名です。
その作品の名は「星雲仮面マシンマン」、1984年に日本テレビ系で放送された東映製作の特撮ヒーローものです。今から37年前の今日1984年1月13日は「星雲仮面マシンマン」が放送を開始した日です(同年9月28日まで放送・全36話)。

1983年にスーパー戦隊シリーズや前年始まった「宇宙刑事ギャバン」の後継作「宇宙刑事シャリバン」のヒットもあり、安定していた人気作を揃えていた東映、そんな中スポンサーであるバンダイから「東映は実写ヒーロー物をどれだけ作れるのか」と言う意見が来て、当時東映のプロデューサーだった吉川進「もう1本作れる」と返答、これにより日本テレビで放送が決まりこれまで東映特撮に携わってきた石ノ森章太郎を原作とする新たなヒーローものの製作に取り掛かったのです。

そうして生まれた「星雲仮面マシンマン」、脚本にはこれまで東映特撮に長く携わってきた上原正三と高久進を(後年東映特撮に長く関わることとなる杉村升は本作が脚本家デビューとなった)、音楽は「ルパン三世」で有名な大野雄二が担当し(ジャズピアニストでもあった大野だけに、本作の音楽はジャズ調なものも目立つ)、監督は宇宙刑事シリーズを担当し頭角を現していた小笠原猛などを起用するなど、かなり力を入れてました。

ストーリーはアイビー星人のニックが大学の卒業論文で他の惑星のレポートを書く為に地球にやってきたわけだが、地球では子供が嫌いな悪の天才科学者・プロフェッサーKがテンタクルという組織を率いて様々な悪事を働いていた。そんな中ニックは偶然知り合った女性カメラマン・葉山真紀がテンタクルに襲われていたところを助けたことから地球に留まり、高瀬健と名乗って星雲仮面マシンマンとして正義と子供たちの見方としてテンタクルと戦う。という従来の特撮ヒーローのようなフォーマットだが、本作は従来のヒーロー物と違う部分がある。
それは「悪人を改心させる」というもので、時代劇における悪人を懲らしめて改心させるという要素を導入した。これには特撮=暴力シーンが多い・悪い奴はやっつけても構わないという考えを助長する。という良識派からの批判も少なからずあったから、悪人をやっつけずに改心させるという時代劇のようなものを取り入れてはどうかってスタッフから提案があったんじゃと思います。その為本作においてマシンマンからカタルシスウェーブを受けた人間がこれまでの悪事を反省したり(その後「警察に自首します」と言うのもお決まり)、マシンマンがカタルシスウェーブを浴びた人間を説教したり諭したりするシーンは本作の大きな特徴である。また敵組織のテンタクル(後にオクトパス)については、従来のヒーロー物の敵組織のような破壊や殺戮・世界征服といった動機はなく、首領が子供嫌いってだけで子供をいじめて子供たちを悲しませたり苦しめるというしょーもない低レベルな嫌がらせのような作戦ばかり目立つが(その割には陰湿な作戦も目立つ)、こんな敵組織はあまりないでしょうね。
さらに本作はスーパー戦隊シリーズや宇宙刑事と違い、製作費が抑えられたせいか低予算での製作となっている(戦闘アンドロイド【従来の特撮ヒーローものにおける怪人】は腕の部分だけ変えて後は使い回しているのも特徴、話が進むにつれて顔の部分が変わっている)

同年のスーパー戦隊シリーズ(超電子バイオマン)や宇宙刑事(シャイダー)の影に隠れがちなところもある「星雲仮面マシンマン」、ただ石ノ森章太郎原作だったりスーパー戦隊にも宇宙刑事にもない要素を入れて差別化を図る狙いもあったりで(他にはプロフェッサーK役に天本英世氏)、東映特撮に足跡を残したことは評価すべきか。あとは大野サウンドを強調している主題歌や作中の音楽も評価すべき点に入れておく。
ただ本作で主演(高瀬健【ニック】役)だった佐久田脩氏は昨年12月に膵臓がんにより急逝した為(享年62歳)、ご冥福をお祈りします。

theme : 特撮
genre : サブカル

スクーンの石を取り戻した・・・!?

エスニックジョークのネタにもなっているイングランドスコットランドの仲の悪さ、中でもスコットランドのイングランドに対する敵対意識の強さは歴史的は背景からして有名だが、その発端というか決定的となったのがスコットランドの象徴と呼ぶべきスクーンの石なる石がイングランドにブン取られたことから、スコットランドが今日までイングランドに敵対心をむき出しにするきっかけとなったけど、過去にそのスクーンの石をスコットランドに取り返した? 出来事があったのです。今から70年前の今日1950年12月25日は、ロンドンのウェストミンスター寺院にあったスクーンの石がスコットランド民族主義者によって盗まれた日です。

スクーンの石、スコットランドの王がこの石の上で戴冠式を行うことからスコットランドにとって「運命の石」と呼ぶべき特別な存在なわけだが、1296年にイングランドの王エドワード1世によってブン取られ、ウェストミンスター寺院に置かれることとなり、これによりイングランドの王はこの石を尻に敷いて即位するというのが慣例となっているわけだが、イングランドの優位性を誇示するというか、スコットランドの象徴であるスクーンの石に尻をつくというスコットランドの尊厳を踏みにじるかのようなものです。イングランドにしてみれば「我々こそがブリテン島の支配者なり、スコットランドなどイングランドの属国になればいい」という理屈か?
自国のシンボルがブン取られ、イングランドに攻められて属国化させたスコットランドにすれば、自分たちのプライドを傷つけられたを通り越したくなる❝屈辱❞でしかなく、これがイングランドとスコットランドの対立の始まりと言っていい。

自国のシンボルをイングランドにブン取られて黙っているわけがなく、いつか俺達の手で取り返して俺達の場所へと取り戻してやるという想いだけは何百年経っても変わらず、そして1950年12月25日、ウェストミンスター寺院にあったスクーンの石をスコットランド人学生らが持ち去ったけど、運ぶ途中で落としてしまい石は真っ二つ、自分たちのシンボルを取り返すどころか壊して取り返しのつかない事態を招いたが、難なくグラスゴーへと運んだけど、イングランドとスコットランドの警察が躍起になってスクーンの石を捜索、持ち去った連中はあえなく警察へとその石を返還して事なきを得たものの、石は無事に修復されイングランドへと再び渡ったのでした。この際スコットランドでは「スクーンの石を取り返した連中は犯罪者じゃない、英雄だ!!」「何でまたイングランドに渡さなきゃいけないんだ!?」ってイングランドにまた渡ることへの反対意見は起こらなかったんでしょうか?

そして再び年月が流れ、1996年にイギリスでトニー・ブレア(労働党)政権が発足するとブレア首相はスクーンの石をスコットランドへと返還することを決めたわけだが、エドワード1世によってブン取られてから700年経ってやっとスコットランドへとスクーンの石は帰ってきたのだった。

スコットランド王室というか象徴であるスクーンの石、これがイングランドとスコットランドの対立のきっかけとなったのはイギリスの歴史においてイングランドがスコットランドに侵攻、干渉してきたことにあるけど、イングランドのあくなき征服欲がもたらしたと思えば、イギリスは自国内で抗争してきた歴史がこうなったといえます。結果イングランド主導で歴史が動いているわけなのも皮肉だ。スクーンの石強奪はイングランドに踏み台にされて抑圧されたスコットランドの悲惨な歴史の一つだ。それを取り返す為に起こした人たちの評価ってどうなんだかねェ・・・!?

theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

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