「サムの息子」

去年のこの日はアメリカ・フロリダ州で銃乱射事件が発生し、50人が死亡すると言う全米史上最悪の規模でしたが、むざむざと銃犯罪の恐ろしさを見せつけるものだったけど、この日はまたかつてアメリカ中を震撼させたある連続殺人事件を起こした容疑者に対する判決が下った日でもあったのです。
その事件は、ニューヨークばかりで無差別連続殺人を起こし「サムの息子」と名乗って警察やマスコミ関係を挑発する手紙まで送りつけると言う狡猾かつ市民を恐怖に陥れた事件としてつとに有名です。
そんなわけで今から39年前の今日1978年6月12日は「サムの息子」ことデビッド・バーコウィッツ容疑者に懲役365年の判決が下った日です。

1976年から2年間、ニューヨークで若い女性やカップルばかりを狙った無差別殺人事件、6人が死亡し8人が重軽傷を負い、市民を震え上がらせた「サムの息子」ことデビッド・バーコウィッツ容疑者、なぜ彼はこれほどまでに無差別殺人を起こす凶悪犯罪者となったのか。
子供の頃から非行に走り窃盗や放火を繰り返して、犯罪を起こすことを躊躇しない人物となったのだが、これが後に無差別殺人へと駆り立てることになったのではないかと思う。

その犯行も単純と言うか残虐で、いきなり44口径のハンドガンやショットガンを女性やカップル目がけて発砲すると言うものだが、殺害または重傷を負わせてそのまま去って行くと言う殺し屋さながらの手口で、ただ殺害すると言うのも怖い。一方で金品などを奪わなかった。金品を奪えば強盗殺人になるからか。
突然現れて発砲する、通り魔的な犯行にも見えるし、無差別銃撃とも取れる。
無差別かつ残虐な犯行だけに、当然地元はいつ巻き込まれるか不安にさいなまれるようになったが、その不安をよそに容疑者は「サムの息子」と名乗って警察やマスコミに手紙を送りつけると言う宮崎勤や酒鬼薔薇聖斗を髣髴とさせる言動までする始末、凶悪事件を起こして警察やマスコミ各社に挑発の手紙を送りつけるのって、異常を通り越している。

1977年8月10日、ニューヨークに隣接する都市で逮捕され、殺人や放火などの罪で起訴されて、1978年6月12日に陪審で有罪が評決され、懲役365年の実刑判決を受けたのだった。市民を恐怖に陥れた無差別凶悪犯罪を起こした容疑者になぜ死刑じゃないかって? ニューヨーク州では死刑制度がないからである。死刑を容認している州であれば間違いなく死刑となっている。中国であれば死刑判決、すぐさま執行されてるだろう。

現在バーコウィッツはニューヨーク州の刑務所で服役中だが、その後犯罪加害者が自らの犯罪などを綴った本を出版・販売して利益を得ることを禁止する法律「サムの息子法」がニューヨーク州で制定されたけど(後に他の州でも制定された)、それは服役中だったバーコウィッツにある出版者が手記のオファーを出したところ世論の反発を受けたからである。日本でも一昨年「絶歌」と言う本が問題視されたが、その法の是非を問うものとなったことは承知の事実。確かに犯罪加害者が自らの犯罪歴を本にするのは遺族や世論にしてみれば「ふざけるな!!」「それで金儲けする気だろ!! 世間をバカにしている!!」って反発が起こるのは当然だが、それを犯罪被害者の補償に充てるのであればいいと言う目的であれば許されるのって、賛否ありそうです。
「出版の自由」「金儲けをする自由」も行き過ぎてはこう言うことになるってこと。

theme : 殺人事件
genre : ニュース

ラッキーゾーンって知ってますか?

昭和の野球史に欠かすことの出来ないキーワードの一つ・ラッキーゾーン、ホームランを出やすくする為外野の内側に柵を施し、その柵からフェンスの間に空間を設けたもので、それにまつわるドラマは数多くあります。
本日5月26日はラッキーゾーンの日、今から70年前の今日1947年5月26日に阪神甲子園球場に設置されたことを記念して作られました。ラッキーゾーン=甲子園。と言うイメージは昭和の野球ファンなら大体持ってますからねェ・・・。

戦後甲子園球場は米軍によって接収され、1947年に解放されたけど当初甲子園は野球だけでなく陸上競技にも使うことが盛り込まれた為、両翼110メートル、左右・中間が128メートルと言うだだっ広かったことで、日本一柵越えホームランが出にくい球場として有名でした。甲子園を本拠地とする阪神タイガースはチーム本塁打が少ないのは外野が広すぎるせいだ、外野の両翼だけでなく左右・中間の付近に金網を設けてホームランを出やすくすれば観客が沸くと言う意見を取り入れ、1947年5月26日にラッキーゾーンが設けられたのです。

その後本家甲子園では形を変えながら存在し、またラッキーゾーン内にブルペンを設置するなどホームランを演出する目的だけではありませんでした。
1973年8月30日には当時の阪神のエース・江夏豊が中日相手に延長11回までノーヒットピッチングを続け、その裏自らのバットでホームランを放ち試合を決着づけたが、そのホームランはライト側ラッキーゾーンギリギリだったし、1984年のセンバツ高校野球ではワンバウンドした打球がレフト側ラッキーゾーンに飛び込み、それを審判がホームランと認定するハプニングもありました。
1988年5月28日の阪神対大洋戦では、当時西武から移籍したばかりの金森栄治が外野に飛んだ打球をキャッチしようとラッキーゾーンによじ登って取ろうとしたが、打球は無情にもスタンド入りしただけでなくよじ登った金森はラッキーゾーン内側に落ちてしまうと言う珍プレーまで出た。

甲子園だけでなく、西宮球場、藤井寺球場などでもラッキーゾーンが設置されたけど、ラッキーゾーンと言えば甲子園だけではないのです。
西宮球場に設置されたラッキーゾーンにまつわるエピソードと言えば、1981年9月16日に阪急ブレーブスの山森雅文がレフト側ラッキーゾーンに入るホームラン性の打球に対し金網部分を軽々と登ってキャッチし、これがアメリカの野球殿堂に載ると言うシーンが有名です。

しかしその後は選手の体力向上、バット及びボールの品質改良によりホームランが出やすくなり、柵越えしやすくなった風潮及び、オリンピックにおいて野球が競技種目として追加されたことで国際基準に準ずる広い球場の新設が求められるようになり、ラッキーゾーンなど必要ないと言う風潮が高まって、1991年末に甲子園で撤去されたのを皮切りに、全国の球場からラッキーゾーンは撤去されたのでした。
日本らしいホームランを演出してきたラッキーゾーンも、時代の流れには勝てなかったってことか。今も残っているのは鳥取県の倉吉市営野球場だけ。

いつしかラッキーゾーンは昭和の「遺産」として風化されつつあったが、2013年に宮城球場(現コボパーク宮城)がホームランが増やす為に外野スタンドがフィールド内に設置されたり、2015年には福岡ドームでホームランテラスなる外野スタンドがフィールド内に設置され、これに伴いフェンスの高さも引き下げられ、福岡ドーム=ホームランが出にくい。と言う印象が低下したのでした。どっちみちフェンスが高かろうがホークスはここでホームランを量産していたけど。
双方ともラッキーゾーンではないと主張しているが、昭和から見ている野球ファンにすればラッキーゾーンだと思っている。

theme : 野球全般
genre : スポーツ

フェンスにラバーを義務化、選手の生死に関わる負傷ではタイムが義務化するきっかけ

全国の野球場においてフェンスには衝撃防止の為のラバー(緩衝材)が設置されてますが、そのきっかけとなった事件をご存知だろうか、それは当時の野球場のフェンスと言えばコンクリートが剥き出しだったことから起こった事件で、選手が生死に関わる負傷を負った際、審判はタイムを宣告しなければいけないと言う義務も課せられると言うルール改正にもつながりました。

今から40年前の今日1977年4月29日、川崎球場で行われた大洋ホエールズ阪神タイガースとの試合、9回表まで7-6と阪神が1点をリードして迎えたその裏、1アウト1塁で大洋の清水透がレフトに大飛球を放ち、それを阪神のレフト・佐野仙好が背走し続けコンクリートフェンスに激突しながらキャッチしてアウトとしたのだったが・・・!!
コンクリート剥き出しのフェンスに頭からモロに強打、佐野はボールを取ったままピクリともせずただならぬ雰囲気が球場を覆った。フェンスに頭から強打したことで佐野は頭蓋骨陥没骨折と言う重傷を負ったのだった・・・。

レフト線審は佐野の捕球を確認してアウトを宣告するも、佐野は動かず、阪神ナインが佐野のところに駆け寄るもタイムはかからず、1塁走者はタップアップして悠々ホームイン、7-7の同点、捕球したにも関わらず他の野手に送球しなかったことで失策と見なされた(その後訂正されたが)。佐野はその後グラウンド内に乗り入れた救急車によって直ちに病院へと搬送された。

阪神側は突発事故が起こったことでタイムが宣告されてもおかしくないからこの点は無効だと抗議したものの審判団は受け入れられず、試合は7-7の引き分けと言う結果に終わった。

この事態を受けNPBは翌月12日の実行委員会にて、セ・パ12球団の全本拠地球場のフェンスにラバーをつけることを義務化するよう指示し、12球団全部これに賛同したことで全本拠地球場にラバーがつけられ、その後全国の主要野球場においてフェンスにはラバーをつけることが義務化されました(これに伴い、1988年からフェンスにラバーがついていない球場ではプロ野球の試合を認めないと言うルールも出来た)。選手の安全を考えたら衝撃防止策は必要ですからね。
また選手の生死に関わる負傷が生じた場合、審判はタイムを宣告しなければいけないと言う条文がその後日本野球規則委員会にてつけられたのだから、佐野の負傷事故がもたらしたもの、それは選手の安全を考える。ということだ。確かに試合中に選手が生死に関わるまたは重傷レベルのケガを負った場合、その処置をしなければいけない為タイムをかけねばいけませんからね。後年の吉村禎章、西岡剛のケースにも当てはまるが。

佐野はこの年外野手に転向し「ここが俺の死に場所」と覚悟を持って臨んだが、ホントの死に場所になってしまってはあまりにも気の毒だ。その後頭蓋骨陥没骨折から復活し、勝負強いバッティングを武器に阪神の主力の一人へと成長したのでした(1981年には勝利打点王に輝いた)。現在は編成担当としてチームを裏から支えている。

theme : プロ野球
genre : スポーツ

「始まり」は新宿中央公園

ハードボイルドかつ渋いイメージの強い世界観でお馴染みのアドベンチャーゲーム「探偵 神宮寺三郎」シリーズ、今年はその生誕30年と言う記念すべき年だが、その最初の作品が「新宿中央公園殺人事件」、初期の作品と言うこともあり渋いと言うにはどこか欠けるものだが、初期のアドベンチャーゲームに“ありがち”な要素もあった作品と言える。今ではメーカーと言うか版権元が変わっているが当時はデータイーストと言うメーカーからリリースされ、同メーカーを代表するシリーズにもなりました(他には「ヘラクレスの栄光」もあるが)。
そんなわけで、今から30年前の今日1987年4月24日は、ファミコン・ディスクシステムにて「神宮寺三郎」シリーズ第1作「新宿中央公園殺人事件」が発売された日です。神宮寺三郎はここから始まったと言いましょうか。

1987年4月24日、ファミコン・ディスクシステムでリリースされた「新宿中央公園殺人事件」、神宮寺三郎シリーズの始まりと言うべき作品で、特徴としてがコマンド選択方式と言うアドベンチャーゲームのベタなものだが、本シリーズでお馴染みの「たばこすう」はここからあったけど、本作で神宮寺本人は全く顔が出てこなく(ゲームタイトル画面及びデモ画面に出てくる程度)、その為か「じんぐうじはたばこにひをつけた」となっているのも初期の作品と言うべきか。神宮寺はヘビースモーカーと言う特徴もここからついている。

ストーリーは新宿中央公園にてホステスの死体が見つかったところから始まり、探偵・神宮寺が知り合いの刑事から犯人探しを依頼され事件を解決していくと言うものだが、被害者のホステスのマスター、クラブ常連の資産家、ヤクザの親分など登場人物も多岐に渡る。
ただ本作は初期作ゆえに難しい部分もあり、コマンドを間違えるとゲームオーバーと言うのはその特徴(刑事にアリバイを聞くと怒って捜査を取り下げてしまう・ヤクザの事務所に行く際に子分に挨拶をしなければ袋叩きに遭うなど)。ハードボイルドを謳いながらそれを間逆な部分もあるって今となってはいかがなものか。

また本作には時間と言う概念があり、期日までに事件を解決できなければゲームオーバー、曜日に注意しなければ詰むと言う要素もありコマンドの「そうさやめる」を選ぶと途中から始めることが出来る一方で、ゲーム再開時に1日経過すると言うリアリティ要素もあるなど、中断の際には注意深く行く必要もある。
ストーリー上事件の手がかりについて「公園内の派出所の警官に聞く」と言うものも、本作の新宿中央公園内はフィールドマップのようになっており、その北西にあると公園内の人に聞くとそう言われるが、北西の端の何もない場所で「あたりをみまわす」と言うコマンドを選ぶと見つかると言う半ばノーヒント。また特定の曜日でないと第一発見者の警官に会うことが出来ない為、これも難しさに拍車をかけている。

本作は一部から「ムズゲー」とも言われているが、中でも事件の真相についてはツッコミどころ満載である。
真犯人の最後のセリフは「やはり完全犯罪なんてできないものですね」だが、計画的犯行と言いながらあっさりバレてもおかしくないことをして完全犯罪って本末転倒である。
ホテルの一室で殺害したあと、屋上からハンググライダーを用いて新宿中央公園に遺体を破棄する。ってあり得ない。

即死ゲームオーバー、詰みやすさもあるなど初期作品にありがちだった本作、ハードボイルドと言いながら事件の真相は拍子抜けするようなものって2時間ドラマじゃまずあり得ないでしょうね。企画段階でボツになるのがオチ。

theme : レトロゲーム
genre : ゲーム

「おまえら、なめてんじゃねえぞ」

1980年代にブームとなった「ツッパリ」、漫画「ビーバップハイスクール」の影響もあり当時のティーンエージャーからは高い人気を博しました。当然当時ブームとなっていたファミコンにもそれは及びゲームとなった作品をご存知だろうか、その名は「熱血硬派くにおくん」今は亡きテクノスジャパンから発売されたゲームで、元々ゲームセンターで人気を博したゲームが家庭用に移植された作品です。
そんなわけで今から30年前の今日1987年4月17日は、ファミコンにて「熱血硬派くにおくん」が発売された日です。

「熱血硬派くにおくん」、80年代のツッパリブームに乗っかる形で登場したこのゲームは、弱い者いじめが大嫌いな正義感の強い不良「くにお」が何者かによってさらわれた親友「ひろし」を助けるべく立ち上がると言うアクションゲームで、他校の番長・暴走族・スケバン(当時は「スケバン刑事」が人気を博していた)・さらにはヤクザと戦うと言うスケールのでかいものだが、後年の「ファイナルファイト」シリーズや同メーカーからリリースされた「ダブルドラゴン」シリーズのように、画面上に出てくる敵を倒して進むと言うベルトスクロールアクションゲームのはしりと言えます。

ただアーケード版とは異なり、ボス戦ではタイマンとなったり(アーケード版では雑魚がいくらか出てくる)、ステージ中でミスると画面が真っ暗になって罵倒されると言う演出もあり、またくにおがボスを倒した際に啖呵を切ると言う演出も追加され、ファミコンなりの改編もいくらか見られます。2面ではアーケード版になかったバイクチェイスステージが設けられている。
本作でのくにおの啖呵は決まって「おまえら、なめてんじゃねえぞ」である。

よくある「アーケード版との差別化」を図ってリリースされたファミコン版、ロム容量の関係もあり当時はそれが普通だったと言えますが、後年アーケード版をそのまま復刻したものも出るなど、当時を知るユーザーにとっては人気が高いと言えます。

他校の番長から、暴走族、スケバン、さらにはヤクザと戦うと言うのは奇想天外な内容だが、3面のボス・スケバンの「みすず」はものすごい強さを誇り多くのユーザーを苦しめたり(捕まるとビンタのラッシュを食らって相当な量のライフが削られる)、4面・即ち最終ステージのボス「さぶ」は銃で攻撃し、それに当たるとライフの残量関係なく即死と言うこれまた鬼畜レベルの強さを誇るなど、当時のゲームによくある「高難度」を踏襲したもの言える。
不良同士のケンカにスケバンやヤクザが加わる内容って、北野映画でもやってないぞとツッコみたくもなる。

ゲーセンで人気を博し家庭用でも人気を博した本作、この成功でテクノスジャパンは「くにおくんシリーズ」を軸に一時期人気メーカーとなったのは間違いない。ただテクノスジャパンはそれに依存し過ぎた上にゲーム機の進化に目を向けなかったことで1996年に倒産の憂き目を見たけどね(他には当時バブル期だったことで調子に乗って自社ビルを建設し、その建築費と維持費もまた経営悪化を招いた)。テクノスジャパンの倒産後その権利はミリオンと言うメーカーが買い取ったことで、その後も新作や復刻版がリリースされていることだけは承知の事実。

theme : レトロゲーム
genre : ゲーム

熊本地震から1年

熊本地震が発生してからちょうど今日で1年を迎えるこの頃、最大震度7を観測した「前震」からですが、その後また震度7を観測すると言う「本震」まで起こり、異例中の異例とも言うべき震災だったけど、あれから1年、熊本では震災関連死が170人、避難を余儀なくされたのは18万人、そして仮設住宅で暮らす人達は4万5000人に上ると言う現在、震度7を2度観測した爪痕の深さを物語ります・・・。

東日本大震災を経験した私は当然地震の怖さを身にしみて分かってますし、他人事で見てはいけないのは当然ですからね。

震度7を2回観測するのって考えただけでおぞましいし、ましてや地震とはこれまで無縁だった九州でそれが起こるのは地殻変動に異常が起きているのだろうかと思うね。

被害状況だけを淡々と報じて肝心なことを伝えないメディアについては、もう少し客観性を持つべきなんじゃねェのかと思うし、非常事態に関わる報道のあり方を言うのを改めて学ぶべきだと思います。ただ報じればいいってわけじゃないんだよ。

あれから1年を迎えた熊本、まだ爪痕が生々しく残ってますが、一日でも早い復興が待たれます。これは東日本大震災で甚大過ぎる被害を受けた東北沿岸地域にも当てはまる話だけども。

theme : 徒然なるままに…
genre : ブログ

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