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あっさり失脚した東ドイツの独裁者

今年は東欧革命から30年という節目の年ですが、考えてみればあれがヨーロッパ近現代史におけるターニングポイントの一つなのは事実だけど、当時のこの国の状況というか進展もまた欠かせないものです。
それは東ドイツ(ドイツ民主共和国)で、分断国家故に社会主義のイデオロギーを拠にしてきたせいか、それに固執したせいで結果として国民に見放されたという末路を辿ったのは言うまでもないが、そのイデオロギーに固執し続けた独裁者が去ったことで一気に激変しました。
そんなわけで今から30年前の今日1989年10月18日は、東ドイツの独裁者エーリッヒ・ホーネッカー書記長が辞任、ていうか失脚した日です。

1980年代後半、ソ連ミハイル・ゴルバチョフ書記長ペレストロイカ(再構築)・グラスノスチ(情報公開)を相次いで行い行き詰まった共産主義対策を改革する動きを見せると、それに追随する国も出てきて、第2次大戦後共産主義体制を取ってきた東欧諸国でも改革の動きが出始めたのでした。
しかし東ドイツは社会主義のイデオロギーこそが国家の存在意義であり、民主化による改革により西ドイツとの違いを無くすことは国家の存在感が無くなると懸念を示し、周辺国や最大の後ろ盾であったソ連で改革の動きが出てもそれに見向きもせず、とりわけエーリッヒ・ホーネッカー書記長からしてガチガチのマルクス・レーニン主義者だったことから、ホーネッカーはシュタージ(秘密警察)による締め付けおよびソ連の雑誌を発禁処分とすることで権力を維持し続けたのです。

だが1989年5月にハンガリーがオーストリアとの国境を開放する動きが出てくると、東ドイツの国民の中からハンガリー~オーストリアを経由して西ドイツへと逃げ出す者も出てきて、東ドイツ政府は国民の西ドイツへの流入という危機を招いたわけだが、国境を解放したハンガリーに対して当然抗議するもハンガリーから「国民に逃げられるまでに国家の危機を招いといて何言ってんだ!!」と一蹴される始末、もはや東ドイツ政府っていうかホーネッカーは周囲から見放されつつあったのだが、そんな逆風にもどこ吹く風で権力に居座って楽観視したのだった。まるで今の南北朝鮮のようだ。やはり歪んだ理想主義者は現実を知らないお花畑脳ってこと。

そして同年10月6日に行われた東ドイツ建国40周年記念式典、来賓として出席したソ連のゴルバチョフ書記長は自身の掲げるペレストロイカを強調する演説を行うものの、ホーネッカーは自国の社会主義の発展を自画自賛するだけでした。ホーネッカーの演説を聞いたゴルバチョフ書記長は嘲笑と失笑が混ざった笑みを浮かべたけど、こいつ(ホーネッカー)は今自分が置かれている現状を分かっていないって本音が出たと思います。改革に後ろ向きで自分の実績ばかり持ち上げていい気になっているホーネッカーをSED(ドイツ社会主義統一党)幹部はもとより東ドイツ国民、そしてゴルバチョフ書記長はこの瞬間見限ったと思うと、自画自賛に自惚れ続けたホーネッカーはもはや見放されたと思うね。
現にこの式典では「ゴルビー!」とゴルバチョフ書記長を歓迎する声が上がった一方で「ホーネッカー! もううんざりだ!」とホーネッカーに反発する声まで出る始末だった。

そしてその3日後の1989年10月9日、ライプツィヒでの抗議デモが起こるとホーネッカーはこれを鎮圧しようとするも、SED幹部からは反対の声が挙がり、結果軍をけしかけることはなく流血の事態にはならなかったけど、それでも頑ななホーネッカーはもはやSED内で孤立してSED内からはホーネッカーを権力から降ろす動きが活発化して、1989年10月17日にSED政治局会議でホーネッカー書記長解任動議を可決、翌1989年10月18日にホーネッカーは辞任、即ち失脚したのです。

頑ななまでにマルクス・レーニン主義に染まり、権力に固執して現実を直視しなかったが為に国民はもとより身内から嫌われ、結果として身内から「Nein(ナイン)」(ドイツ語で「いいえ」の意、はいは「Ja(ヤー)」)を突きつけられたホーネッカー、こう見ると歪んだ理想主義者というのはロクでもない思考というか価値観の持ち主でしかないけど、国民よりも自分自身、権力が大事と見て周りを見なかったせいで最終的に孤立して失脚したと思うと、理想主義、それも共産主義的な価値観に基づくものだと最終的に破滅しかもたらさないってことを証明したと思うが、こう見ると共産主義的なイデオロギーはロクな思想じゃないと思うし、今までの歴史を否定して勝手な価値観を作り上げてそれで正義は我にありだなんて屁理屈抜かすのってパヨクあるあるもいいところです。最終的に権力から引きずり降ろされて最後は惨めな末路をたどったエーリッヒ・ホーネッカー、歪んだイデオロギーに染まれば待っているものは❝破滅❞です。いわゆる左翼はこれを見ていかに左翼的というか共産主義的な思想が間違っているのかを理解すべきだな!!

theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

❝やらせ❞発覚「アフタヌーンショー」

「消えた天才」「クレイジージャーニー」(いずれもTBS系)で発覚した❝やらせ❞、いずれも視聴率欲しさにありもしない演出を行ったと思えばそれまでだが、視聴率や関心欲しさにこのような不正に走るのはテレビ局はもとより番組制作会社の良識が疑われかねないものだけど、過去にもやらせがバレて世論からバッシングに遭い、結果として番組そのものが打ち切られたケースは多々あるけど、これがニュースや情報番組の場合もっと問題になりかねないのです。
この番組は平日のお昼というか午後に放送された初めてのワイドショーとしてテレビ史にその名が残っているけど、お昼初のワイドショーというよりこの番組はある事件により世間から大バッシングに遭い、結果番組そのものが打ち切られたことで「やらせ番組」というレッテルを貼られました。その番組の名はアフタヌーンショー」(テレビ朝日系)。
そんなわけで今から34年前の今日1985年10月8日は「アフタヌーンショー」で放送された暴行事件がやらせだったことが発覚した日です。

1985年8月20日に放送された「アフタヌーンショー」の中で取り上げられた「激写! 中学女番長!! セックスリンチ全告白」なるドキュメントテーマで、同月3日に東京都福生市内の多摩川河川敷で暴走族のメンバーがバーベキューパーティーをしていたところ、参加していた女番長2人が女子中学生5人に対してリンチするという暴力行為を流したけど、その後リンチに加担した者たちを暴行及び暴力行為教唆容疑で警視庁は逮捕したわけだが、1985年10月8日になって逮捕された少年たちが「番組スタッフから『リンチする様子を撮りたい』と持ちかけられた」と供述したもんだから、番組によるやらせが発覚したのです。

一体なぜ「アフタヌーンショー」のスタッフはこんなあり得ない行為を公共の電波で流したのか?
問題のテーマが放送される前に同番組のディレクターが少年犯罪というか非行少年を題材にした企画を考えた際に、知り合いの暴走族のリーダーに対して「何か面白いことを撮りたい」と持ちかけて、福生市の多摩川河川敷に元暴走族のメンバーを集めてバーベキューパーティーを開いて、その中で仲間内でリンチするという日教組活動家による非日教組教員をリンチするような凄惨な行為に及んだわけで、結果「激写! 中学女番長!! セッククスリンチ全告白」なるタイトルで放送したもんだから、結果として逮捕された者の証言でやらせが発覚、ディレクターの指示のもとでリンチが行われていたことから、このディレクターは暴力行為教唆容疑で逮捕されたけど、視聴率主義というか視聴者をあっと言わせたいシーン欲しさにこのような行為に及んだこのディレクターの罪は相当なものである(その後懲戒解雇になった)。
その後テレビ朝日はやらせだったことを認めて同月14日の放送で当時のテレビ朝日の社長自ら謝罪するという異例の事態にまで及んだんだから、いかにこのやらせ事件が世間に多大な衝撃を与えたってのを痛感します。しいてはテレビ朝日そのものの社会的信用にもかかわる大事だからねェ・・・!?

このやらせ事件の余波は止まらず、福生市議会ではテレビ朝日に対して抗議文書を送る決議を可決したり(福生市としてはこのせいで市のイメージが傷つけられたもんだから、テレビ朝日に対して抗議文を送りたくなるのも当然でしょう)、テレビ朝日内では社長及び取締役に対する減給処分を決めたり、同月18日に「アフタヌーンショー」は打ち切りという形で放送終了という結末となったが、視聴率というか世論の関心欲しさにこんな行為を番組スタッフがグルになってやらせるというのは極めて悪質なもので、世間に❝やらせ❞という言葉を認知させたことは間違いない。
この事件のせいでテレビ朝日は一時期放送免許更新が危ぶまれたことも事実。

視聴率欲しさに事実関係に勝手な行為またはなかったことにしてそれを事実であるかのように報じるのは、テレビ局や制作会社の信用にえらくかかわるという懸念もあります。ドキュメントバラエティほどこの傾向は強いが(「ガチンコ!」【TBS系】など)、報道及び情報番組においてそんなことをするようでは報道の自由というか表現の自由を悪用した行為であり、視聴者や世論をだまくらかす許されない行為であります。視聴率の為なら何をやっても許されるという考えはあってはならない。この「アフタヌーンショー」やらせリンチ事件はテレビの歴史における重大不祥事の一つと見ていいでしょう。

theme : テレビ・マスコミ・報道の問題
genre : ニュース

清原和博、デッドボールに怒ってバットを投げて・・・!!

覚醒剤で逮捕されて裁判で執行猶予判決を受けたことから、現在リハビリ中の身であるプロ野球界のレジェンド・清原和博、その清原が現役時代に受けたデッドボール数は196と歴代一位だが、これには「執拗な内角攻めによるもの」「避けるのが下手」という意見もあるが、デッドボールを受けてピッチャーを睨むこともしばしばあったのも事実、その中でもこの事件は清原を語る上で欠かせない出来事だと思います。
そんなわけで今から30年前の今日1989年9月23日は、清原和博がデッドボールに怒って乱闘騒ぎを起こした日です。

1989年9月23日、秋晴れの中西武球場で行われた西武ロッテ戦、西武は近鉄やオリックスと優勝争いしており下位のロッテに取りこぼしが許されない中での試合は序盤から西武が清原和博の満塁ホームランを含め3回を終わって7-0と大量リードしていたのだが・・・!?
4回裏2アウト1、2塁の場面で打席に立った清原、ロッテのピッチャーは平沼定晴、強気なピッチングの持ち主でこの試合では前の打席に清原に満塁弾を浴びており、同じ轍は踏むまいと内角攻めに転じたが、平沼の投げたボールは清原の左肘を直撃!! かねてから内角攻めに遭いこのシーズンはこの試合の前まで15個もデッドボールを受けていたことから、執拗な内角攻めへのストレスが溜まったのかとんでもない行動に出るのだった!!

何と清原はバットを平沼目がけて投げつけ、そのバットが平沼の左太ももを直撃!! 当然平沼は黙っているわけがなく怒って清原目がけて突進してきたその時だった!!
清原が平沼目がけて突進して何と!! 飛び蹴りを平沼に浴びせるという行為に及び、平沼をふっ飛ばしたもんだから両軍入り乱れての乱闘へと発展。清原は我に返ったのかホームへと走る!! その途中でロッテナインの反撃を喰らい返り討ちになったのは言うまでもない。
平沼は前述の通り強気なピッチングが売りだが、もし相手が牛島和彦だったらこのような展開にはならなかったと思う。清原が牛島からぶつけられて「どこ投げとんや!」と言っても「俺を誰だと思ってんじゃ! 浪商の牛島や!」って言い返されて引き下がって1塁に行ってたと思う。

清原はこの行為で即退場、即日制裁金30万円に加えて2日間の出場停止が課せられたのだった。
この事件の2年前に、巨人のウォーレン・クロマティがデッドボールに腹を立てて相手ピッチャー(宮下昌己)を殴ったことで7日間の出場停止処分を受けたことを引き合いに出して「甘い」と言う指摘もあったが。まして相手選手にバットを投げるという前代未聞の行為もしでかしたんじゃねェ・・・。

試合後平沼は「駐車場で待ち伏せる」と飛び蹴りに対する報復を示唆したもののチームメイトに止められたが、この事件の余波で平沼の自宅には事件からしばらく無言電話が殺到するわ嫌がらせが起こるわで散々だった上、後年自身の息子に「情けないぞ」と注意したところ、息子から「清原に負けたくせに!」と反論される始末、いかにこの事件の影響が強かったことを物語る。

この試合の翌日、清原は辻発彦に付き添われる形でロッテのロッカールームに行って平沼に謝罪しようとしたのだが、ロッテナインからの冷たい視線とベテラン陣(村田兆治・袴田英利など)から「この若造が!!」と凄まれてしまい、結局謝罪は出来ないままだった。
この事件により平沼は清原に対してインコース攻めを躊躇うようにもなったが、その清原から「もっと内角を投げて欲しい」とアドバイスを受け、わだかまりは解けたのでした。

自身の愚行で新人時代から続いていた連続試合出場記録を止めてしまった清原、当時清原は衣笠祥雄氏から贈られたペンダントを自身のロッカーに飾っていたものの、そのペンダントを外したという。

theme : プロ野球
genre : スポーツ

カップ麺のパイオニア

日本国内はイザ知らず国外でも高い知名度を誇り幅広い人気を持つカップヌードル、日本の食の歴史を変えたモノとしても有名なのは言うまでもなく、またチキンラーメンや「どん兵衛」「UFO」と並んで日清食品を代表する商品としても当然有名で、ヌードルだけでなくライスなども手掛けるなど商品展開は多岐にわたります。これが出来たエピソードはNHKの連続テレビ小説の題材にも使われるなど「まんぷく」、日本の食文化に革命をもたらしたことは間違いない。
そんなわけで今から48年前の今日1971年9月18日は、日清食品からカップヌードルが発売された日です。

1966年、日清食品の創業者で当時社長であった安藤百福はチキンラーメンのヒットに伴い海外進出を目指してアメリカに売り込んだものの、当時のアメリカでは箸や丼で食べるという意識はなく、食文化の違いを痛感したけど、あるアメリカ人のバイヤーがチキンラーメンを砕いて紙コップに入れてお湯を注いでフォークで食べたことから、安藤はこれをヒントに箸や丼で食べるという意識のない欧米人にもウケるよう容器入りのインスタントラーメンの開発を初めたのです。

具材にはフリーズドライ方式を取り入れ(乾物は元に戻るのに3分以上かかるということで断念した)、ネギやエビ(60種ものエビを施策した結果、プーバランというインド洋で獲れるものを採用した)、卵、肉の塊(豚ミンチに大豆などを合わせて作った)という組み合わせを採用した。また肉に関しては消費者から多くの疑問が出たことは有名。

1971年9月18日、日清食品から発売されたカップヌードル、当時は粉末スープを入れて3分待つと言うスタイルが定番だったインスタントラーメンと違い、お湯をかけて3分待つという方式は関西以外では珍しく(チキンラーメンは当時関西でしか発売されていなかった為)、驚きを持って迎え入れられたが、インスタントラーメンが当時25~35円だったのに対してカップヌードルは100円で販売したことで、売上は芳しくなかった。
そりゃ普通のインスタントラーメンの倍以上の価格では消費者の購買意欲はそそらないことで、売上が振るわないという現実も突きつけられたが、それでも安藤は値下げすべきという意見に反対して100円での販売にこだわり続けたのだった。

そこで安藤はターゲットを一般消費者ではなく警察や消防、タクシー会社といった夜勤がつきものの職場に目をつけたが、最初に多く地区の顧客となったのは自衛隊でした。
販売から2ヶ月後の1971年11月21日に、東京・銀座の歩行者天国で大規模なキャンペーンを展開して4時間で2万食も売り上げるという結果となり、さらに翌年1972年にあさま山荘事件が勃発すると、機動隊員たちがカップヌードルを食べる姿を全国の視聴者が見たことで非常食としての役割もあることから(警察が用意した弁当はあまりの寒さに凍ってしまい、変わりにお湯をかけて3分待つだけで食べられるカップヌードルはうってつけだった)、あさま山荘事件事件がカップヌードルの知名度を高めたのは偶然の産物ではないでしょうか。そりゃ日本中を釘付けにした事件だけに、多くの視聴者の目に届いたんだからね。

この影響から全国各地から販売希望が殺到して一気に全国販売へと繋がり、日清食品の知名度も大いに上がりました。

さてカップヌードルといえば多様な商品展開もさることながら(現在のレギュラー商品はスタンダードと言える醤油・塩ベースのシーフード・カレー味のカレー・トマトベースのチリトマトなどであり、また通常より量が多いビッグやキングサイズ、量が少ないミニサイズ、健康志向の高まりから発売されたライトがある)、一度見たら印象に残るCM(ただ現在放送されている「アオハル」シリーズは賛否割れているが)前述の非常食としての役割も強く、また海外展開もスムーズに進むなど、今や日本の食文化になくてはならない存在にまでなったけど、カップ麺のパイオニアとしてこれからも幅広い人気を維持するでしょう。私もたまに食べてます。

theme : カップめん
genre : グルメ

嘆きの壁事件

今の続く中東の混迷、とりわけパレスチナを巡るユダヤアラブの対立は終りが見えないけど、これが始まったのは20世紀前半からで、1948年にユダヤ人国家・イスラエルが建国されてから対立に拍車が掛かることとなったが、イスラエル建国以前もユダヤとアラブの対立はありました。
中でも1929年に起こった嘆きの壁事件は、ユダヤとアラブの対立の始まりとも言えます。
そんなわけで今から90年前の今日1929年8月24日は、嘆きの壁事件最悪の事件であるヘブロン事件が起こった日です。

20世紀初頭までオスマン・トルコの支配下にあったパレスチナ、しかし第1次世界大戦中にイギリスによる悪名高き「三枚舌外交」(バルフォア宣言・フサイン=マクマホン協定・サイクス・ピコ協定)によりヨーロッパ各地で迫害されていたユダヤ人が次々とパレスチナに移住。イギリスの富豪・ロスチャイルド家の援助もありユダヤ人たちはこの地で入植を拡大しつつあったが、ここに当時からいたアラブ人たちからは「よそ者が我々の土地に土足で踏み込んでやりたい放題している」と危機感を募らせた上に、入植したユダヤ人達によって不当な扱いを受けるようになったことも相まってユダヤ人に対する反発は強まったのでした。
そりゃ自分たちの土地に勝手によそ者が入り込んで突然土地を奪われるんじゃ理不尽極まりないし、ユダヤのしたことってタチの悪過ぎる地上げ屋みたいに映ります。それにユダヤ人は選民思想を持っており、自分たちこそ特別な人間であると勝手に思い込んでいる節があるからか、かつてここがユダヤの王国だったのを根拠に「元々は我々ユダヤの土地だから、我々が住んで何が悪いんだバカ」って魂胆? ユダヤ人にすれば。

そんな中1929年8月15日にユダヤ教の断食の儀式で、大勢のユダヤ人が嘆きの壁に集まってシオニスト運動の旗を掲げて賛美歌を歌ったことから、アラブ人の怒りを買いエルサレムの旧市街を攻撃してユダヤ人を襲撃するようになり、アラブによる暴動はパレスチナ各地に拡大し、同月24日ヘブロンで起こったものはもっとヒドく、ユダヤ人65人が死亡するという嘆きの壁事件最大の死傷者を出したのです。これはヘブロン事件と呼ばれる。
ユダヤ人が嘆きの壁の大勢詰めかけたことで、アラブ人にすれば「ユダヤ人がエルサレムを乗っ取ろうとアルアクサ・モスク(岩のドーム)を占拠しようとしている」と思い込んだ為か(アルアクサ・モスク乗っ取りを目論んでいると煽ったのは当時のイスラム法学者アミン・フサイニーだが)、ここまでの大規模な事件に発展したかも知れないけど、ユダヤにとってもアラブにとってもエルサレムは「聖地」だからか、お互い譲れないのも無理はない。
最初この地にユダヤの王国があり、その後この地でキリストが誕生してキリスト教が誕生、それに大きく遅れてムハンマドがこの地で昇天したことでイスラム教の聖地となったことで、3つの宗教が入り混じってこうなったエルサレム。ユダヤにとってはこの地に最初にいたのは我々で、後からやってきていきなり聖地と思い込んだイスラムはよそ者と主張すれば、ユダヤがいなくなって無人となったこの地にその後我々が住み着いたんだから、ここはアラブの土地だとアラブが主張してゴッチャになってます。セルビアとアルバニアで揉めているコソボやインドとパキスタンで揉めているカシミールより複雑だ。
今アラブがそれをやればイスラエルが容赦ない軍事的報復に訴えそうだが。

イスラエル建国以前から起こっていたユダヤとアラブの対立、エルサレムの歴史は複雑怪奇過ぎてこれが今も終わらない対立を招いていることは確かです。それを大きく助長するきっかけとなったアーサー・バルフォア(バルフォア宣言で世界史にその名を残すイギリスの政治家)の大罪は相当なものだな。

theme : 中東問題
genre : 政治・経済

「連帯」誕生のきっかけ

東欧革命から30年を迎える今年、民主化運動につながるきっかけの一つとしてポーランド「連帯」なる組織が発足されたことにあるけど、共産主義下だったポーランドにおいて自由な組合活動が認められなかった中、政府による弾圧を乗り越えて合法組織となったことからポーランドにおける民主化運動は進んだのです。
そんなわけで今から39年前の今日1980年8月14日は、ポーランドのグダニスク造船所でレフ・ワレサ率いる労働者がストライキを起こした日です。これは「連帯」発足につながる重大な出来事です。

第2次大戦後、ソ連によって共産主義体制となったポーランド、当初はスターリン主義的な政策を取ったものの(初代第一書記ボレスワフ・ビェルト)、スターリン批判を境にポーランド国内で労働者の抗議が頻発、時同じくして共産党第一書記に就任したヴワディスワフ・ゴムウカはビェルトのやり方とは違って自由化を進めたものの、保守的な政策に転じた上に1968年に隣国・チェコスロバキアで起こったプラハの春でソ連と共謀したことで国民の支持を失い、また賃金問題や食糧不足問題、労働者のストライキや暴動で経済が冷え込んだことからゴムウカは失脚、その後アメリカや西ドイツから借金をしてまで経済を立て直したもののすぐにインフレを起こして経済はまた冷え込み、共産党政権は余計国民からの厳しい批判にさらされるのでした。

そんな中グダニスクにあるレーニン造船所(グダニスク造船所)の技師だったレフ・ワレサが独立した労働組合を作るべきだと訴え、1980年8月14日、ワレサ率いる労働者たちはグダニスクにあるレーニン造船所でストライキを起こし、組合の自由と言論の自由を訴えたのです。同年9月17日にグダニスクで自由労働組合の全国代表者会議を開き「連帯」が発足しました。

しかし共産党政権にとって政府批判を掲げる組織の存在は好ましいものではなく、直ちに戒厳令を強いて「連帯」を非合法化してワレサなどを逮捕、抑圧的な政策に走るのだったが、当時ローマ法王でポーランド出身のヨハネ・パウロ2世が母国ポーランドを訪問したことで活動は活発化するのでした。
ワレサらの行動に加えてヨハネ・パウロ2世が訪問したことに刺激を受けたポーランド国民にとって、これは民主化に大きく動くきっかけだったと言えます。その始まりの場所であるグダニスク造船所は現在ありませんが、ポーランドの歴史において無くてはならない1ページとしていいでしょう。またヨハネ・パウロ2世訪問で当時共産党政権から抑圧されていたカトリック教会にとっても自信をつけることにもなった。
造船所のストライキから始まった民主化運動、これにはポーランドが嫌々共産主義にされたストレスが一気に爆発するきっかけを作ったと思うと、始まりは労働者の抗議って取れます。共産党政権が崩壊する発端として。

theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

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