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平成最初の内閣・宇野内閣

戦後の日本の内閣において最も最低だった内閣は? といえば村山(富市)内閣・鳩山(由紀夫)内閣・菅(直人)内閣の真っ先に上がるけど、いずれも非自民党内閣だったことでいかに国政政党としての体をなしていないのに政府与党だったからダメダメに終わったのも無理はないが、自民党内閣においてもこれは真っ先に歴代最低の内閣かも知れません。それは平成最初の内閣総理大臣に就任した宇野宗佑内閣で、内閣発足から69日で崩壊した短命も短命政権なことから(歴代最少は羽田孜内閣の64日)、最も最低というか❝論外❞レベルと言っていいでしょう。
そんなわけで今から34年前の今日1989年6月3日は、宇野内閣が発足した日です。

言動が昭和から平成に変わった1989年、前年のリクルート事件もあり竹下登内閣は世間からの逆風に遭っただけでなく、同年4月には国民からの反発を無視して消費税を導入したことから竹下内閣は総辞職へと追い込まれたのだが、竹下派でなおかつリクルート事件と関わりがない宇野宗佑外相が急遽自民党総裁に抜擢されてかつ第75代の総理大臣になるわけだが、これには自民党の「リクルート事件と関わっていない宇野を起用すれば世論は納得する」という目論見だったかも知れません。
だがその宇野総理に就任早々女性スキャンダルが起こり、リクルート事件とは違った形で世間からの逆風に遭うのだった。国民からすればリクルート事件に消費税導入、さらに新たに発足した内閣にいきなりスキャンダルと来たもんだから、当然自民党はもとより政府そのものへの不信感の火に油を注ぐ結果となった。宇野総理自身女性スキャンダルに対してノーコメントを貫いたこともさらに批判を浴びる始末だが、コレって「記憶にございません」ですか? また国内のマスコミもあまり報じず、海外メディアに報じられて知るという有様、正直言ってジャニー喜多川による性加害行為と同じだわ。てか日本のマスコミは当時政治家の女性スキャンダルを取り上げないという不問率があったが、やってることは報道規制もいいところ。当時からマスコミはまともじゃなかったってことだよね。

当然宇野総理の支持率はガタ落ちとなり、同年7月23日に行われた第15回参議院選挙で自民党は惨敗、その責任を取る形で宇野総理は辞職、就任してたった69日での退陣となったが、リクルート事件や消費税で批判を浴びてそれを払拭する形で発足した内閣がスキャンダルを起こしてそれで国政選挙で惨敗という有様となった自民党、これが自民党一強状態の終わりの始まりと言っていいかも知れません。
いいところなしの宇野内閣だったが、内閣発足翌日に起こった天安門事件を受け第三次円借款を凍結したり(一方で対中国制裁を取った西側諸国とは違い中国を孤立させてはいけないと甘い姿勢を取ったが、これが後に大きなしくじりとなる)、同年6月24日に死去した歌手の美空ひばりに国民栄誉賞を授与したり、と内閣在職中にこれだけのことがあったのだが、短命政権だったせいで評価のしようがないのは当然かも知れませんね(在職期間が1年もないようでは問題外)。こうなるとあの美空ひばりに国民栄誉賞を受賞したのは批判をかわす為だったのでは? って言われたかも知れないが。

theme : 自民党の腐敗
genre : 政治・経済

ファイナルファイト2

「ダブルドラゴン」からベルトスクロールアクションゲームの座を奪ったゲームといえば「ファイナルファイト」、ゲーセンで人気を博してその後家庭用ゲーム機に移植されたのは有名だが、その続編が出たのを知っているだろうか?
それは「ファイナルファイト2」で、これはアーケードが元になっているのではなく始めっから家庭用ゲームとしてリリースされました。あの「ファイナルファイト」の続編が出て、かつ家庭用での発売ということからファンの期待も当然高いものでした。前作があれだけヒットすれば続編に期待が集まるのも当然の流れだが。
そんなわけで今から30年前の今日1993年5月22日は、スーパーファミコン用ソフト「ファイナルファイト2」が発売された日です。

1993年5月22日にカプコンからスーパーファミコン用ソフトとして発売された「ファイナルファイト2」、前作で犯罪組織・マッドギアを壊滅させたコーディー、ガイ、ハガーだが、そのマッドギアは壊滅しておらず、その残党が新たにマッドギアを作ってガイの婚約者・源柳斎レナとレナの父親にしてガイの支障でもある源柳斎を誘拐、その2人をハガー、レナの妹である源柳斎マキとハガーのもとに居候していたカルロス宮本の3人が救い出すというストーリーだが、前作との違いとして2人プレイが可能となったり、ゲームの舞台が世界各地だったり、ゲームオーバーになった際コンティニューすると場所によってはステージの途中から始まったり、エリア間の移動が導入されたりと難易度が前作と比べて低くなったせいか初心者でもやりやすいものとなっている。
これは前作をプレイしたファンというかユーザーが「2人プレイ出来るようにして」「エリア間の移動が入れて」という意見をカプコンに送ったのでは?

だがベルトスクロールアクションゲームにありがちな前作の焼き直し感もあったり(一部の敵キャラが容姿は違えども前作と変わらなかったり)、世界を舞台にしているのに敵キャラが同じだったり、、前作と比べてプレイヤー側の単発攻撃力が低下してたり、前作と比べて道中に置かれているドラム缶や木箱が少なかったり、全体的に爽快感が少なくこれがファンの不興を買うことにもなった。
コレって2作目はコケる。を地で行った感じもするけど。

前作が大好評だったことで期待されてリリースされた本作だが、前作と変わらないゲーム感、爽快感や迫力が前作よりも低い。という理由で賛否割れるものとなった「ファイナルファイト2」だが、当時のスーパーファミコンにおいて家庭用オリジナルのベルトスクロールアクションゲームとしてはいい方だと思う。
まず前作では出来なかった2人プレイの実装、難易度の低下、アクションゲーム初心者にもやりやすいって点は評価すべきです。

theme : レトロゲーム
genre : ゲーム

連続テレビ小説史上最高傑作

今月3日から新たにスタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」だけど、植物学者・牧野富太郎をモデルとしたものといいますから、見方によっては「大河ドラマじゃね?」って思うでしょう。
これまで数々の名作を輩出してきた連続テレビ小説だけど、この作品は連続テレビ小説史上最高の傑作の一つとして有名です。その名は「おしん」、今から40年前の1983年(昭和58年)に放送され、平均視聴率が52.6パーセントで、最高視聴率は62.9パーセントといいますから、現代ではほぼありえない数字です。それだけ放送当時は高い人気を博したし、NHKのみならず日本のテレビ史においても欠かすことのない作品の一つです。
そんなわけで今から40年前の今日1983年4月4日は、その「おしん」が放送を開始した日です。この日から翌1984年(昭和59年)の3月31日まで放送されました。

今から40年前の1983年4月4日に始まった「おしん」、山形の貧しい農家に生まれた主人公・しんの半生を描いたもので、その過酷な生き様が全国の視聴者を釘付けにしたのは言うまでもないが、その人気ぶりは国内に留まらず海外、特にアジアやラテンアメリカ、アフリカといった発展途上国においても反響を呼びました(ただヨーロッパでは放送された国が少ない【その理由として苦労する女児を題材にした話を美化することに抵抗感が強いことにある上に、男女平等及び子供の権利への意識が進んでいる為にそういう作品は受け入れられない土壌にあることも挙げられる、即ち文化や価値観の違い】)。ただ令和の今だったらば、つい最近「はだしのゲン」が「(一部の表現が)今の時代に合わない」と広島市の平和教育の題材から省かれたように、受け入れられない懸念もあるが・・・。

また放送当時総理大臣だった中曽根康弘が「おしん・康弘・隆の里(第59大横綱・苦難を乗り越えて横綱になったことで『おしん横綱』と呼ばれた、後に親方として稀勢の里などを育てる)」と表現したくらい本作の人気は高く、また当時のNHK大河ドラマだった「徳川家康」を指して「おしん・家康・隆の里」とも評されました。
またドラマを現実の区別がつかない一部の視聴者がおしんの少女時代を演じた小林綾子やその母親役の泉ピン子に白米や多額の現金を贈った一方で、作中でおしんに辛く当たった俳優や女優に対しては痛烈な批判が出たエピソードもあります。ちなみに嫁姑問題の舞台となった佐賀県では「県のイメージを損ねる」を放送局に苦情が殺到したというエピソードもあった。今だったらSNSが❝炎上❞するようなレベルか。それだけ高い人気の裏返しと言っていい。

国内はイザ知らず国外でも高い人気を博した「おしん」、高視聴率及び反響の高さ、放送終了後も根強い人気を誇るだけに「連続テレビ小説史上最高傑作」とも言われてますが、おそらくそれに匹敵する、いやさそれを超えるだけのドラマは出てこないかも知れない。

theme : NHK 連続テレビ小説
genre : テレビ・ラジオ

湯口事件

「巨人軍は紳士たれ」と正力松太郎氏はこう標榜したけど、巨人の歴史において「紳士」とは程遠い不祥事がたくさんあったのもまた事実、最近では坂本勇人の中絶強要スキャンダルだが。
中でもこの事件は「空白の一日」(江川事件)や野球賭博関与事件に匹敵、いやそれ以上に世間からかなり批判を浴びたことで有名です。その名は「湯口事件」、1973年に当時巨人に在籍していた若手投手・湯口敏彦が急死したことからこう名付けられました。
今から50年前の今日1973年(昭和48年)3月22日は、巨人の投手だった湯口敏彦が急死した日です。

1965年から1973年までセ・リーグ制覇は元より日本一を果たすなどV9時代を築いた巨人、そんな中1970年のドラフトで岐阜短期大学付属高校の湯口敏彦投手を1位で指名したわけだが、巨人としてはこれからのエースピッチャーを育てたいことで指名したのです。
1年目の1971年は二軍で5勝を挙げたものの、制球難なところがあり奪三振こそ多い一方で四死球も多く不安定なところがありました。迎えた2年目の1972年も成績は振るわずこのままかと思ったが、イースタン・リーグ終盤で結果を残して秋の教育リーグでも結果を残すなど、来シーズンに期待を抱かせるものとなったのです。
しかし・・・!!

同年の11月23日に行われたファン感謝デーの紅白戦に出場した湯口だったが、その前日の慰労会でかなり酒を飲んだ成果体調が良くないままで登板して炎上したことから、川上哲治監督から「お前は2年間も二軍で無駄飯を食ってたのか!!」と厳しく叱責されただけでなく、中尾碩志二軍監督からも厳しく叱責されたことでその日寮に戻らないという行為を起こしたことで、中尾から今度は鉄拳制裁を受けることとなり、これが精神を病むきっかけとなったのです。
てかファン感謝デーに若手を登板させといてこういう高圧的な姿勢に出た川上と中尾の姿勢は公開パワハラでしかなく、今だったら確実に世間から炎上しておかしくないものです。今のスポーツ指導者にこれらは反面教師の一つと捉えていいと思う。てかパワハラに限らずハラスメント=一発アウトに当たる許されない行為。って認識をいつになったら持つんだか。

川上と中尾によるパワハラのせいでうつ病になった湯口、都内の病院に入院して回復を待ったものの精神状態は破綻してしまい、その後は話しかけられても反応しなかったり、突然奇声を発したり暴れたりと末期状態になったのか、1973年3月22日、湯口は入院していた病院のベッドの上で変死体で見つかったのです。次世代のエースとなるべき若者がこのような変わり果てた姿で最後を迎える。何という残酷な末路だ。

巨人及び病院側は「心臓麻痺」と死因を発表したが、マスコミからは「湯口は心臓麻痺で死んだなんていうけど疑わしい」と懐疑的な見方を持たれたことで一気に事態は急変する。
さらに川上が「巨人こそ被害を受けましたよ、大金を費やして年月をかけて愛情を注いだ選手ですから、せめてもの救いは女性を乗せての交通事故じゃなかったこと」と当事者意識ゼロ丸出しなコメントをしたことで、巨人は世間から激しいバッシングを受けたのです。
そりゃそうだ。自分のパワハラのせいで精神を病んで早死してしまった選手に対してこのようなコメント、いじめを知らんふりする学校みたいで悪質だ。何が年月をかけて愛情を注いだ選手だと言いたくなるし、人として最低極まりないです。川上のこの姿勢は。無論中尾もだが。今だったらマスコミどころかSNSで炎上しているし、社会的に追放されておかしくないわ。
「川上と中尾は球界から出て行け!!」「プロ野球界の恥、巨人」「(川上に対して)何が『打撃の神様』だよ!? お前なんか悪魔だ!!」なんて言われそう。てかNPB(日本野球機構)やコミッショナーはこの問題を見ていなかったんだろうか? そこら辺は疑問。
これを受け「週刊ポスト」が湯口の死は事件だという記事を大々的に載せ、ほとんどのメディアがこれに追随したのはいうまでもない(「ポスト」に関してはこの記事の影響で部数が伸びたという噂も)

この事件の余波はそれだけに留まらなかった。同年のドラフト会議で7人を指名するも何と4人から拒否されるということとなり、湯口事件がもたらした巨人に対するイメージ低下の影響が出た感じがする。
「あんな事件を起こすような球団には行きたくない」「巨人には何の魅力も感じなくなった」って当時思ったアマ選手もたくさんいたんじゃ?

一人の若手選手を死に追いやったこの事件、巨人のイメージ低下も去ることながら川上哲治は人としての評価をえらく下げることになったのも言うまでもない。人間味にどこか欠ける川上のこと、そこら辺が同年代の鶴岡一人や西本幸雄と異なるんだよね。鶴岡や西本がとことん厳しくも選手たちから慕われる指導者な一方なのを考えたらば。

V9という栄光の影で起こったスキャンダル、この事件のせいで翌1974年は中日に優勝をさらわれてV10ならず、そして長嶋茂雄の引退もあってか巨人の一時代の終わりを告げた感じもします。てかこの湯口事件は黒い霧事件や空白の一日と並ぶ「昭和プロ野球3大重大事件」の一つにしていいでしょう。

theme : ムカッ!ときたニュース
genre : ニュース

チベット民族蜂起記念日

本日3月10日はチベット民族蜂起記念日なる日ですが、なぜこの日がその記念日となったかというと、1959年のこの日にチベット自治区のラサで反中国、反共産主義の為の民衆暴動が起こったことで毎年この日は世界各地の亡命チベット人のコミュニティや欧米諸国、日本、そしてダライ・ラマ14世が亡命したインドにおいて記念行事が行われており、中国による一方的なチベット支配への抗議を訴えるものであります。

この日はだいたい中国によるチベット支配への抗議が高まっておかしくないが、2008年のこの日、チベット独立を訴えるデモがきっかけでチベット騒乱に発展したわけだが、中国共産党はこれを力で抑圧、中国は全世界から顰蹙を買ったわけだが、奇しくもこの年は北京夏季オリンピックが開かれたわけで、聖火リレーにおいて「フリーチベット!」という叫びとともに妨害を絡めた抗議活動が欧米で相次いだのは言うまでもない。

そこまでして中国はなぜチベットを自分たちの支配下に置きたいのか?
第2次大戦後に起こった国共内戦に勝利した中国共産党はチベットを併合しようとしてチベットに侵攻、多くのチベット人を虐殺するなど残虐非道の限りを尽くし、ダライ・ラマ14世はインドに亡命するハメになったわけで、そこから中国共産党はチベットを支配して抑圧的な政策を取り、国際社会から顰蹙を買っているのは知っての通り。
漢民族による支配と同化政策を推進し、元からいたチベット人の権利を蔑ろにしてそれが国際社会から顰蹙を買っているのにどこ吹く風の中国、やっていることはかつて南アフリカで行われていたアパルトヘイト(人種隔離政策)と変わらない。南アフリカは一時期アパルトヘイトなんて政策を取ったせいで国際的に孤立したのに、なぜ中国は国際的に孤立しなかったのかは謎だ。

最近ではウイグルばかりに目が行きがちな中国による人権侵害行為、チベットもまた今も中国による人権侵害に苦しめられていると思うと、この日は中国の横暴に抗議する機運が高まっておかしくないと思うんだが。

theme : 「ならず者国家」中国
genre : 政治・経済

令和5年の天皇誕生日

本日2月23日は天皇誕生日、元号が令和になって4回目となるわけですが、今回は初めて現在の天皇陛下になってから初の一般参賀となるわけで、格別な想いで見る国民も少なからずいるでしょう。

こういう日だからこそ日本人は愛国心を持つべきであり、いつまでも愛国心=タブー。なんて空気を有難がっていてはいけません。日本がどういう国か、そしてどういう成り立ちで生まれたのか、そして天皇陛下という存在がいかに日本の象徴であるべきなのか。こういうのをテレビや動画などで発信すべきではないでしょうかね。

「寒さの中にも、日ごとに春に向かっているのを感じます。皆さん一人一人にとって、穏やかな春となるよう願っています」と抽選で選ばれた参賀者に向けて挨拶した天皇陛下、これは一般国民に向けてのメッセージと見ていいでしょう。国民に寄り添う気持ちを上皇陛下から引き継いだことは正しいことだし、かつ日本国内はイザ知らず、国外に向けても気配りを見せるその姿勢はいかに世界から共感されていることを裏付けます。

こういう日は改めて日本人は愛国心を持たねばいけないと思います。いつまでもGHQの洗脳を有難がってんじゃねェ!!

theme : 天皇陛下・皇室
genre : 政治・経済

第三世界の結集

第2次大戦後、世界はアメリカなどの資本主義陣営(西側)とソ連(現ロシア)などの共産主義陣営(東側)の対立から東西冷戦が勃発したけど、他方でそのどちらにも属さない陣営、即ち第三世界の国々があったのも事実、これらは第2次大戦後に植民地支配から独立を果たしたアジアやアフリカ諸国、第2次大戦前から独立国であったものの開発などで大きく遅れを取った中南米諸国からなるものです。

それを提唱したのがマハトマ・ガンジーと並んでインドを独立に導いたジャワハルラール・ネルーで、今から70年前の今日1953年2月16日にインドの連邦議会にて「東西のどちらにも属さない」第三世界の結集を呼びかけたことにあります。

東西冷戦時代にインドのネルーが提唱した第三世界の結集、その呼びかけもあってインドは第三世界のリーダーとなるわけで、1955年にインドネシアのスカルノ大統領、エジプトのガマル・アブドゥル=ナセル首相と共にバンドン会議(アジア・アフリカ会議)を開催して反帝国主義・反植民地主義を掲げたわけだが、アメリカにもソ連にも与しないという姿勢、いうなればどっちつかずなものだろうか。
東西両陣営の真っ只中にあったヨーロッパにおいてはスウェーデンやスイスなどはどちらにも属さない姿勢を取った国もあり、一概に第三世界はアジアやアフリカ諸国などからなるとも言えないけどね。

ただそれも後年インドが中国と対立してアジアの結束は揺らぎ、さらにアメリカとソ連が自分たちの陣営に加えようと躍起となってアジアのみならずアフリカは東西両陣営の勢力争い的な場と課しちゃったが、ネルーの「どっちにもつかない」主張はもろくも崩れたのでした。
それとかつて植民地支配されたことで、経済発展や工業力で大きく遅れを取り、また欧米型の民主主義が根付かず国作りというか制度を作ることのノウハウもなかったことから、西側諸国からの援助に依存する国も多々あったことも事実(現在でもそんな状況に陥っている国もある)。結局自分たちで国作りや体制を作るという意識が乏しく、また資源があってもその恩恵を受けない、経済では欧米の援助に依存しているからか欧米の影響を受けやすいことで経済発展が進まずで、その為か第三世界=貧しい国ばかり。という印象を与えることになったが。

東西冷戦がソ連の崩壊により完全に終結してからは、第三世界という概念はほぼ消えたようになり、発展途上国・後発開発途上国などの表現に変わったけど、現に東西冷戦後にインドやブラジルなどが経済的に成長したことから、第三世界の定義が経済的に貧しくGNP(国民総生産)も低い。では通用しなくなっているのも事実。

現在ではロシアによるウクライナ侵攻もあり、アメリカなどからなる民主主義国家とロシアと中国の覇権主義国家の対立となっているわけだが、欧米とロシア(中国も)の対立が再燃して新しい冷戦(その延長で第3次世界大戦勃発か)になる懸念もあるこの頃、再びかつての第三世界の国々はどんな姿勢を取るのだろうか。アメリカなどについていくか中国とロシアについていくか、再び欧米とロシア(中国)の勢力図争いに巻き込まれそうでならない。インドについては中国と対立している一方でロシアと友好関係にあるわけで、どっちに属しているんだと言う疑問はある。どちらにも属さないと強調したネルーの姿勢とは相容れなくなったんでしょうかね?

theme : 国際政治
genre : 政治・経済

共和国記念日(インド)

今から73年前の今日1950年1月26日は、インドで憲法が発布されて共和国となったことを記念した日で、インドにおいて祝日となっているわけですが、8月15日の独立記念日、10月2日のマハトマ・ガンジー生誕記念日と並びインドにおいて特別な祝日です。この日はインドにおいて共和国記念日という名前がついています。

1947年にガンジー主導の「非暴力・不服従」運動の成果もありイギリスから独立したインド、その後ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立という凄惨な様相もあったけど(このせいでガンジーはヒンズー原理主義者の凶弾に倒れた)、1950年1月26日にラジェンドラ・プラサード大統領が新しい憲法を発布して完全に独立宣言をしたことでこの日が共和国記念日となったインド、毎年この日は首都ニューデリーで陸軍のパレードが行われ、インドの国力と威信を内外に知らしめる特別なイベントだけど、最近では海外の首脳も主賓として呼ばれることもあり、それに招待されることは最高の栄誉でもあります(日本は2014年に当時の安倍晋三総理が日本の総理大臣として初めて主賓に呼ばれた)

「インド独立の父」がガンジーとジャワハルラール・ネルーだとすれば「インド近代化の父」はプラサードかも知れないけど、そのプラサードはガンジーやネルーと比べて知名度が低いのは否めない。

theme : インド
genre : 海外情報

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