デビュー戦でノーヒットノーラン

日本プロ野球において78人が達成したノーヒットノーラン、中でも初登板及び初勝利での記録は後にも先にもこの人しか達成していません。
その投手の名は近藤真一、かつて中日ドラゴンズで左の先発格として名を馳せたが、活躍した期間が少なくマニアックなファンでなければ覚えてない選手の一人だが、そんな彼を有名にし、また記憶に残る選手の一人になっているのは高卒ルーキーでありながら初登板でノーヒットノーランと言う離れ業というかセンセーショナル過ぎるデビューを飾ったことにあります。

今から30年前の今日1987年8月9日、ナゴヤ球場で行われた中日対巨人戦、この日中日の先発として初めて1軍のマウンドに立ったこの年のドラフト1位ルーキー・近藤、享栄高校時代はストレートとカーブを武器にエースとして活躍、高校生離れした風貌と貫禄も相まって注目を集めたことからこの年の大物ルーキーの一人でもありました。
いくら高卒ルーキーでもいきなりデビューさせないだろうと思いきや、この日の前日に中日は先発投手がいない状態となり(本来この日に先発予定の投手を前日の試合で使ったことも影響している)、困った池田英俊投手コーチだが、星野仙一監督が「あの高卒ルーキーがいるだろ」と近藤をこの日の先発に指名したが、当の近藤も先発あるかもと冗談半分で思ってたけどホントに先発を告げられたのだった。

午後6時20分に試合開始、近藤はいきなり巨人の1番打者・駒田徳広にストレートで挑むもそれを駒田が辛うじてファールにしたことで「緊張が取れた」と駒田を3球三振に打ち取ると、続く2番岡﨑郁、3番篠塚利夫を凡打に打ち取って上々な立ち上がりを見せると、その裏中日はこの年ロッテから移籍した落合博満が3ランホームランを放ちいきなり援護点を得ると、2回表も3者凡退に打ち取り、続く3回表に先頭打者を打ち取るも続く山倉和博にフォアボールを与えるが、後続を2者三振に打ち取って冷静なマウンドさばきを見せたのでした。
5回裏にまた落合がホームランを放つなど3点を追加し6-0、その時チームメイトだった石井昭男が「今日はヒットを打たれていない」とこの時点でノーヒットピッチングだったことを知ると、だったらノーヒットノーランを達成しようと近藤は意識するようになったのです。

7回表に先頭打者をエラーで出塁、初めてノーアウトからのランナーを背負うが、冷静に後続(3番篠塚・4番原辰徳・5番クロマティ)を打ち取ってノーヒットピッチングを続け、8回表もフォアボールを出しながら冷静なピッチングでヒットを与えませんでした。高卒ルーキーなのにここまで冷静なピッチングとマウンドさばき、誰しもがびっくりするだろう。
そして迎えた9回表、1番から始まる打線だけに最後の壁になるかと思いきや、1番と2番を冷静にサードゴロに打ち取ってあっさり2アウト、そして3番篠塚を迎えますが、首位打者獲得経験もある好打者だけにこれまでかと思ったが、近藤は篠塚をカウント2-1と追い込み、最後は落差の大きなカーブで篠塚を見逃し三振に打ち取り、この瞬間初登板でノーヒットノーランを達成したのです!!

プロ初勝利をノーヒットノーランで飾ったのは元広島・外木場義郎氏しかいないが、プロ初登板かつ初勝利をノーヒットノーランで飾ったのは後にも先にも近藤だけです。

センセーショナル過ぎるデビューで一躍有名となった近藤、この後も先発ローテに加わり3つの完封(3つの内2つは巨人から挙げた)を含む4勝をマーク、冷静なマウンドさばきと力のあるピッチングがファンのハートを掴み、このデビューの影響もあって同年NHK紅白歌合戦の審査員にも選出されるなど多方面で人気を博したのでした。
翌年は背番号を1に変え、前年の活躍もあり飛躍が期待されてオールスターまでに7勝をマークしたが、オールスター明けに肘を故障して戦線離脱、その後復活して1勝を挙げ8勝を記録しチームは優勝するものの、日本シリーズでは1試合に中継ぎとして投げただけでした。

その後はケガとの闘いもあって勝ち星を上げることなく、1994年オフに現役を引退、プロ通算で上げた白星は12勝と寂しい限りではあったが、たった12勝しか挙げてないにも関わらずなぜ近藤の名は記憶に残っているのかというと、デビュー戦でノーヒットノーランと言う離れ業をしたことがファンの記憶に残る選手としてつとに知られています。後に近藤は「あれがなかったらもっと投げれた上に勝ち星も多かったんじゃと言われるけど、あれがあるから自分の名を覚えてもらっている」とコメントしている。
プロ通算8年にも関わらず活躍した期間は1年目と2年目だけという前半しか活躍できなかった近藤だが、この年の近藤の存在感は輝いていたと言っていいでしょう。現在は中日で投手コーチを務めている。また引退後一時期スカウトに転身して岩瀬仁紀を発掘したこともつとに有名です。

theme : 中日ドラゴンズ
genre : スポーツ

松山ホステス殺害事件とは

この事件は今もなお人々の記憶に残るものの一つとして有名なだが、なぜそこまで有名かというと事件を起こして逃亡し、当時あった強盗殺人罪の公的時効15年の寸前で逮捕されるという結末を迎えたのだから、その間の逃亡生活がクローズアップされたことにより人々の記憶に残ってます。この事件はまた「世界仰天ニュース」や2時間ドラマでも取り上げられたくらいですからね。
そんなわけで今から20年前の今日1997年7月29日は、1982年の松山ホステス殺害事件で全国指名手配された福田和子容疑者が逮捕された日です。

1982年8月19日、愛媛県松山市のとあるマンションでホステスが何者かによって殺害されたことで発生したこの事件、容疑者は被害者のホステスの元同僚だった福田和子、事件後福田は夫とともに家財道具を持ちだして逃走、遺体を松山市内の山中に遺棄したのだった。
その後福田に夫は自首を勧めるも拒否、夫はその後死体遺棄で逮捕されたが、愛媛県警松山東署は家財道具を持ち出す際多くの証言があったことから強盗殺人事件として捜査を始めた。それと同時に福田は松山市内から姿を消した。それは長い逃亡生活の始まりでもあった・・・。

松山を離れた直後に向かったのは石川県金沢市、それと同じくして偽名を用いた上に整形手術に及んだ。今なら誰も自分の顔は知られていないからそのうちに顔を変えれば警察の目をごまかせるとでも思ったのだろうか。その後同市内のスナックで働く一方で同市内の和菓子屋の店主と交際して内縁関係となり、和菓子屋の手伝いをすすんでかって出たこともあり周囲から親しまれたのだった。
しかし程なくして指名手配書が全国に貼られ、そこから福田に対する周囲の視線が変わるようになり、警察に通報し、知人の通夜の手伝い中に警察が駆けつけるも福田はそれを察知したのか自転車で逃亡、金沢から姿を消した。自転車で逃亡ってあり得ないが、自分はこの時点で全国指名手配されていることに気づいてなかったんだろうな。

金沢を離れ名古屋市に移り、別の名前を使いまた整形手術をした後同市内のラブホに勤務するもそこの同僚から福田和子であることが知られ自首を勧められるがこれを蹴って逃亡、名古屋から今度は福井市に潜伏しこれまた別の名前を使い整形手術してホステスとして働くもその後大阪市内に移り住んで警察の目を逃れたのだった。
一方松山東署は情報が集まらない上に公的時効が迫っていることに苛立ちを見せたのか、手配写真入りのテレカを市民に配布したり、当時としては異例の懸賞金100万円、肉声を公開。とかつてない規模の操作方法を取って全国に福田の包囲網をしいたのだった。当然マスコミも報道を過熱させた。公的時効寸前ということもありマスコミが取り上げないわけなどなかったといえます。マスコミによる一連の報道が全国の目に止まるのは時間の問題だった。

そうとは知らずに福井市内のビジネスホテルに潜伏し、同市内のある居酒屋に頻繁に出入りしたものの、そこの常連客から福田和子だということがバレ、店に立ち寄った際に指紋がついた店側と常連客がビール瓶やマラカスを残したことから警察に連絡し、その後店の前で貼りこみをしていた警察によって福田はついに逮捕、1997年7月29日のことだった。
事件発生から15年が経過する寸前で逮捕、移送の際は新幹線を使うなど大掛かりなのものとなったが、時効寸前での逮捕もあって大々的に報じられた。

その後松山市に身柄を移され、殺人罪で1997年8月18日に起訴、公的時効寸前となる11時間前の起訴だった。
2003年11月に無期懲役判決を受けた福田だが、その2年後に収監先の和歌山刑務所でくも膜下出血により獄中でその生涯を閉じたのだった。

殺人事件を起こし、警察など捜査機関の追及から逃れる為に名前と顔を変えて逃亡し続けたことから「7つの顔を持つ女」と報じられた福田、それを追う警察の執念も相当だったが、いくら名前と顔を変えて正体を隠したところで周囲の目はごまかせない。当然マスコミも事件解決の為なら過剰ともいうべき報道に及んで全国に発信したが、当然全国の視聴者の目に届くんだから無駄な抵抗でしかないのだ。警察とマスコミが事件解決目的で共同で包囲網を敷いたといえばいいかも知れない。それと同じ事件が福田の逮捕からその10年後に千葉県船橋市で起こるけど。
それと当時あった公的時効も2010年をもって廃止されたが、この事件が教訓になったのだろうか。

theme : あまりに酷い事件
genre : ニュース

ファイナルファンタジーⅣ

私がファイナルファンタジーシリーズにのめり込むきっかけとなったのが、1991年7月19日にスーパーファミコンにてリリースされた「ファイナルファンタジーⅣ」、スーパーファミコンに移行したことでグラフィックが格段にアップしたり、またドラマ性を重視したシナリオ及び演出が高く評価され、後年のシリーズ作に影響をもたらしたと言えます。

1991年7月19日、スーパーファミコンにてリリースされた本作は、ゲーム開始時のプロローグムービーから始まるけど、そのプロローグムービーの迫力は当時今までのゲームになかった表現で、やはりスーパーファミコンに移植してそのグラフィック力と演出力が著しく向上したと言えるし、これがスーパーファミコンのFFと思いました。

ファミコン版とえらく向上した点として、今までターン制だった戦闘シーンでは時間の概念を持ち込んだATB(アクティブ・タイム・バトル)を導入し、コマンド選択中にも関わらず敵が攻撃してくると言う緊迫感ある演出が見られたし(コンフィグでこちらのコマンド選択中は全く攻撃してこない「ウェイト」にすることもできるが)、また突然攻撃してくる「不意打ち」、背後からつかれる「バックアタック」なる演出もまた緊迫感を高めてます(バックアタックだと前後衛が逆になる)。
戦闘においてドラクエ式のメッセージ表記が無くなったり、ヒット回数も廃止されるなど変更面は他にもあります。
また前作まであった「にげる」コマンドが無くなっているが(L・Rボタン同時押しで実行)、これまでの作品のように失敗する確率が高い上に、前作では「にげごし」状態となって受けるダメージが倍になると言う不条理もあったことも影響しているが「にげる」が簡単になった反面本作では逃亡に成功すると同時にかなりの確率でお金を落とすと言う見返りもあるが。

また本作からプレイ時間が導入され、プレイにどれだけ時間を費やしたかを確認したり、タイムアタックと言うやりこみ要素を誘うようにもなっており、またダンジョンの特定の場所ではセーブポイントなるものが導入され、ダンジョンの途中であってもセーブ出来て中断も出来ると言う一石二鳥な要素も本作から登場した。これには前作のラストダンジョンの長さかつ理不尽な難易度に多くのユーザーが不満を持ち、スタッフがこれを重く見て「セーブポイントは必要だ」として導入したと言う説もあるが。

演出面では主人公だけにスポットを当てず、他の登場キャラ、とりわけ仲間キャラにもスポットを当てるようになったのも本作で、プレイヤー視点でストーリーを鑑賞すると言う劇場型要素も強まった。シナリオ展開でキャラの入れ替わりが激しいことも本作の象徴と言える。ただキャラクター育成と言う面ではドラマ性を重視した為に自由度が低く、レベル上げや装備品を購入ないしは宝箱から入手しかないと言うところもあるが・・・。キャラのジョブが固定されている為それに見合った育成しか出来ないと言う点もあるけど。

音楽面でも深い残響音が印象に残るほど安定した仕上がりにもなっているが、いずれも良作揃いであることは確か。

スーファミと言うハードを活かした演出と音楽、シナリオのグレードアップ、後年のシリーズにも影響を与えるなどクオリティも文句無しな本作、また本作からゲームタイトルのロゴが一新され長く使われるようになった。

また本作はその後出たRPG初心者向けの「イージータイプ」が出たり、プレイステーション、ワンダースワン、ゲームボーイアドバンス、ニンテンドーDSなどでリメイクされたり、リメイクに関しては最も多くリメイクされたFF作品ではないかと思います。プレイステーション版ではダッシュと言う概念が導入されたり(CGムービーも導入された)、ゲームボーイアドバンス版では最終メンバーが変更できたり、隠しダンジョンが追加されて自由度が高くなったり、DS版ではフル3Dリメイクしただけでなく、とあるイベントシーンではボイス付きになったり、難易度が高くなったり(モンスターが従来より強くなっている)、離脱したキャラのアビリティを引き継ぐデカントアビリティなるシステムが導入されたり、多彩に富んでいます。
あまりの人気ぶりからかリメイクが多数されたり、その続編となる「ジ・アフター 月の帰還」がリリースされたりと、未だ高い人気を誇る本作、それだけ「Ⅳ」がFFシリーズにおいて最も人気の高い作品の一つだと思います。

私も結構やったほうですが、ラスボスの強さはハンパなかったなァ・・・。おそらく本作のラスボスはFF史上最強のラスボスだと思う。

theme : FINAL FANTASY シリーズ
genre : ゲーム

月風魔伝

ファミコンにおいて純和風な雰囲気を出しているゲームと言えばナムコからリリースされた「源平討魔伝」(以下「源平」)が有名だけど、ここで取り上げる作品もまた純和風な雰囲気を出しているけど「源平」の影響こそ受けたものの「源平」とは異なる要素が強く、差別化に成功した作品としてお馴染みです。
その名は「月風魔伝」、ファミコン時代のコナミにおける名作の一つで、シリーズ化されてはいないものの後年コナミのゲームにゲストキャラとして登場したり音楽が使われたりもしています。
そんなわけで今から30年前の今日1987年7月7日は、コナミから「月風魔伝」が発売された日です。

「月風魔伝」、1987年7月7日にコナミよりファミコンゲームとして発売された本作は、未来の日本を舞台とし地獄から蘇った龍骨鬼を倒すべく、主人公・月風魔が龍骨鬼に倒された兄2人の無念及び奪われた波動剣を取り戻す為に戦いを挑むと言うものだが、アクションゲームであるものの本作は敵を倒してレベルアップすると言うロールプレイングゲームの設定を取り入れると言うアクションRPGゲームでもあります。

アクション面がこれまで従来の2Dアクション及び(フィールドマップ上にある鳥居に入る)、3D迷路(フィールドマップ上にある洞窟に入る)の2つあり、バラエティに富んでますが、ラスボスである龍骨鬼を倒す為には3本の波動剣を取り戻すと言うもので、3D面の最深部にある洞窟ステージ及びそこで待ち受けるボスを倒さねばならないと言うものだけど、ボスを倒して波動剣を取り戻した際の演出はかっこいいです。
和を全面に出したグラフィックは質が高いし、また本作の音楽もまた良作揃いと言っていいです。おどろおどろしい地獄の雰囲気や画面全体を使ったプロローグも高い演出感が出ています。

ただ途中から始める際にパスワードを取らねばいけないが、そのパスワードの取得方法もゲームオーバーにならなければ出来ないし、アクション面に突入した際にその前に装備したアイテムが外れてまた装備し直すと言う二度手間にはテンポ的に問題でした。

本作は「源平」の影響を受けたせいでグラフィックといいゲーム性といい似ているところから当時は「模倣だ」と指摘されたものの「源平」とは違った要素を取り入れて差別化したことから「源平」とは違うゲーム性を打ち出したことで完成度が高い作品となった。当時はそこまで権利関係に対して神経質じゃない時代だったからそこまで問題にもならなかったのかも・・・?
その後「コナミワイワイワールド」「ポップンミュージック」などに登場したり、コナミのゲームを扱ったサウンドトラックにも収録されたり、またWiIIのバーチャルコンソールでも復刻されたりなど、シリーズ化されていないにも関わらず人気がある月風魔伝、当時それだけ人気を博したんでしょう。私もプレイした経験はあるけど、音楽といいゲーム性といいカッコ良かったし、同じホラー系アクションゲームでもヨーロッパ色が強い「悪魔城ドラキュラ」とは全く異なるホラー系アクションだったと思います。

theme : レトロゲーム
genre : ゲーム

オホーツクに消ゆ

堀井雄二がシナリオを手がけたアドベンチャーゲームと言えば「ポートピア連続殺人事件」ですが、この作品もまた有名です。その名は「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」、パソコンとファミコンの両方でリリースされたけど、本項で取り上げるのはファミコン版です。どちらかと言えばファミコン版のほうが有名ですけどね。パソコン版とファミコン版ではグラフィックもストーリー展開も異なると言う違いもある。
そんなわけで今から30年前の今日1987年6月27日は、アスキーから「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」がファミコンソフトとして発売された日です。

ストーリーは東京の晴海埠頭で見つかった男性の遺体から始まり、主人公の刑事が部下とともに捜査したところ、遺体の身元が北海道出身であることが分かり、主人公は北海道へと赴いて事件の真相を探ろうとするが、相次いで殺人が起こり、遺体の身元及び周辺の関係から事件は複雑なものとへとなっていく。と言うものだが、北海道を舞台とした作品だけに北海道の観光名所(札幌すすきの・摩周湖・知床五湖・網走刑務所など)や建物などが登場したり、観光気分にさせてくれるような内容でもあるけど、捜査中にトランプをしなければ新たな動きが出ないと言う遊び心もあったりします。

なぜ北海道が舞台かと言うと、当時堀井らがカニを食べたくてゲーム開発の情報を聞きつけて会社の予算で北海道に行こうとしたことにあります。また当時はゲーム開発の際ロケハンすると言う意識は皆無だった為、それをやりかたったと堀井は後年こうコメントしているが。
それが本作誕生秘話だとすれば、きっかけはカニだったってことですね。カニ=北海道。と言うイメージだったんでしょうか。北陸及び山陰地方から「ちょっと待て!」ってツッコまれそうだけども(ともにカニが有名)。

秀逸なストーリー性、かつ北海道を舞台としたことで名所などがしっかり再現されてたり、2時間サスペンスドラマに負けない内容でもある本作、特定の地域を舞台としたアドベンチャーゲームって名所などの紹介にもなってPR効果も若干あるからいいと思います。

theme : レトロゲーム
genre : ゲーム

新弟子リンチ死事件

これは大相撲の歴史における最大の汚点の一つとして有名な事件で、衝撃度も大きいものだが、角界におけるある常識に対する批判が集中したこともまたそれを物語っているし、また相撲界の体質そのものを変えねばならないと感じた事件でもありました。

2007年6月26日、愛知県犬山市にある時津風部屋の宿舎で新弟子として入門した当時17歳の少年が稽古中に心肺停止の状態で病院に搬送されたものの、すぐに死亡が確認されたと言う最悪の展開となったことに始まった時津風部屋力士暴行死事件、またの名を新弟子リンチ死事件。遺体の残された外傷及び当時の時津風親方(双津竜順一)の発言を不審に思った少年の両親が地元の救急病院に相談し、遺体を新潟大学医学部で調べたところ暴行の事実が発覚したのです!!

その実態は、稽古の厳しさ及び人間関係の問題で脱走したところ時津風親方がビール瓶で殴打したり、他の力士に対し「かわいがり」を指示して限度を超えたぶつかり稽古をしたり、倒れた少年の体を蹴ったり金属バットで殴ると言う集団リンチまがいの行為をしたって言いますから、常識を逸しているとしか言い様がありません。
相撲用語でしつけや心身鍛錬目的での厳しい稽古を意味するかわいがり、だがこの事件でネガティブなイメージを与え、後年いじめやパワーハラスメントの代名詞としても用いられるようになったのです。これは高校野球などにおいて上級生が下級生に対する理不尽なしごきやハラスメントもまたしかりだが。

この事件を日本相撲協会はと言うと、当時の北の湖理事長が「部屋の問題」一点張りで全容を全く見ておらず日和見的な姿勢を取ったんだから、開いた口が塞がらないと言うか・・・。

その後相撲協会は時津風親方を永久追放、その後裁判で有罪判決を受け(暴行に加担した兄弟子数名も裁判で有罪判決を受け、解雇となった)、部屋持ちの親方として初の解雇と言う展開となり当時部屋の最高位だった前頭7枚目の時津海が急遽引退して時津風を襲名して部屋を引き継ぐと言うことにもなった。
また現役で通用するのに部屋の不祥事で親方が追放され、部屋を引き継ぐ為やむなく引退って可哀想でならないが。これはまだ現役に未練があるのに監督に就任する為に引退させられた高橋由伸と同じに見えてくる。

「遺体はこちら(時津風部屋)の方で荼毘にふすから」と時津風親方は遺族からの要求を拒否したが、典型的な「臭いものには蓋」でしかない。

力士への稽古指導が刑事事件にまで発展、これまで相撲界の常識だったかわいがりへの風当たりが厳しくなったこともあるが、相撲界のイメージを毀損させたことには変わりないし、ただでさえ当時は相撲離れが進んでいただけにそれを助長しかねない事態なことは間違いない。親とすれば預けたくもないでしょう。
伝統的に閉鎖的な社会及び体育会系的な価値観が強い相撲界、こんな前近代的かつ根性論しか感じない世界だったのかと言いたくなる。
「こんな危ない世界に我が子を預けられるか!!」って当時ほとんどの親は思ったでしょう。瓶で殴打するなど暴力も厭わないパワハラがまかり通る、まるでヤクザか豊田真由子と同じもいいところだ。

スポーツ界において度が過ぎたリンチ行為により刑事事件にまで発展、1982年に当時阪神の島野育夫・柴田猛両コーチが審判の判定に激怒し殴る蹴るの暴行をしでかして警察沙汰に発展した上に無期限出場停止処分を受けたケースがそうだけど(後に解除)、この事件はそれ以上に悪質性が強いと言うか社会に与えた衝撃が強い気がしてなりません。
それと相撲協会、身内だけで不祥事に対して毅然かつ厳しい姿勢が取れるとは思えず、これは外部から委員を招聘すべきだし、しいてはプロ野球界におけるコミッショナーのような最高責任者を外部から招聘したほうがいいともこの時思いました(外部委員については後年導入しているが)。

相撲界最悪レベルのスキャンダルの一つである時津風部屋新弟子リンチ死事件、相撲界の常識がいかに普通の社会と異なるものであることもそうだし、相撲界の信用に関わる大ごとにもなったんだから決してこの事件は忘れてはならないです。

theme : 許されない出来事
genre : ニュース

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アジシオ次郎

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