「ジャンプ」創刊50周年

現在も少年漫画のトップランナーを走る「週刊少年ジャンプ」、今年はその「ジャンプ」が創刊して50年という節目の年ですが、この50年間はにくの名作を輩出し一時期は653万部も記録したほど今も昔も少年たちを歓喜させていることは間違いないです。

今から50年前の今日1968年7月11日に隔週刊漫画雑誌として産声を上げた「ジャンプ」(今でこそ毎週月曜日発売だが、創刊当時は第2、第4木曜日発売で、現在の週刊発売となるのは翌1969年10月、2003年5月まで毎週火曜日発売だった)、競合誌である講談社の「少年マガジン」、小学館の「少年サンデー」に遅れること10年足らずだが、創刊当時は後発ゆえに大御所というか人気漫画家を確保できず、仕方なく若手漫画家を発掘・育成することで現在に至るまでこのスタイルは継続している(そして専属契約をも結ぶ)。

その連載作品の特徴は大体バトルアクションものを中心にギャグ・スポーツといったものが主だが、これには主な読者層である小学校高学年から中高生にウケやすいというものが理由で、「ジャンプ」の特徴として忘れてはいけないのが「アンケート至上主義」、読者アンケート結果を特に重視するせいかアンケート結果が振るわなければ人気を博した作品及び作者であっても打ち切られるというシビアなところもある(これを提案したのは「アストロ球団」で有名な中島徳博だが、その中島は「アストロ球団」以降ヒット作に恵まれず何度も打ち切りの憂き目を経験した)。

またアニメなどメディア・ミックスにも積極的で、人気を博せばすぐにアニメ化させるというのも「ジャンプ」の特色、ゲーム化された作品も当然多いこともまたしかり(「ファミコンジャンプ」など「ジャンプ」作品が一同に共演するクロスオーバー作品もある)。

人気を博す一方でPTAなど良識派からは批判を浴びることもある「ジャンプ」、良くも悪くも「ジャンプ」人気が高いことを裏付けます。

「努力・友情・勝利」がモットーの「ジャンプ」連載作品の大半は大体この要素に当てはまらねばいけないというのが常識です(とは言え40年以上も連載した「こち亀」〈こちら葛飾区亀有公園前派出所〉にはこの3つのワードが当てはまってるかと思うと疑問)。

昨年には翌年に創刊50週年となるのを記念してか、ある号の復刻版が刊行されたり、「週刊少年ジャンプ展」なるイベントを実施したりと今見てる世代やかつて見てた世代をターゲットにしたイベントも積極的に行ってます。
世代を超えて愛される「ジャンプ」、これからも少年漫画界をリードしていくのだろうか。ちなみに俳優でタレントの斉木しげる氏は創刊当時から「ジャンプ」を愛読してるとか。

「男一匹ガキ大将」に始まり「アストロ球団」「包丁人味平」「ドーベルマン刑事」「こち亀」「キン肉マン」「Dr.スランプ」「キャッツ・アイ」「キャプテン翼」「北斗の拳」「ドラゴンボール」「きまぐれオレンジ・ロード」「ハイスクール奇面組」「シティーハンター」「魁!!男塾」「聖闘士星矢」「ジョジョの奇妙な冒険」「ろくでなしBLUES」「SLAM DUNK」「幽☆遊☆白書」「るろうに剣心」「ナルト」「ワンピース」・・・数えたらキリがないです。

theme : 週刊少年ジャンプ全般
genre : アニメ・コミック

あの激突で人生が暗転した2人の選手

現在巨人の一軍打撃コーチを努めている吉村禎章、その吉村を語る上で欠かすことが出来ないものと言えばプレー中に別の選手と交錯して大ケガを負うというものだが、普通のケガじゃなく選手生命が危ぶまれるくらいのものな上に障害者認定を受けるほどのレベルだったというから、今考えてもプロ野球のプレーにおいて衝撃度が高かった事故といえます。
そんなわけで今から30年前の今日1988年7月6日は、吉村禎章がプレー中に激突して靭帯断裂という大事故に遭った日です。

吉村禎章、80年代の巨人において若手の和製大砲として頭角を現し、1988年シーズンも前半から活躍したのだった。
そして1988年7月6日、札幌円山球場で行われた中日戦、これは当時巨人が年に一回行っていたデーゲーム、北海道シリーズの最中でした。

この試合スタメン出場した吉村は3回裏に通算100号となるホームランを放ち記録を作ったが、8回表に中日・中尾孝義の放った打球が左中間に飛び、レフトを守っていた吉村が捕球体勢を取っていたその時!! この回からセンターの守備に入っていたこの年1軍に定着し俊足が売りだった栄村忠広と激突!! 吉村は左膝をモロに打ち、ケガしたことにより担架で北海道大学付属病院へと運ばれたのだった。試合は巨人が勝ったものの王貞治監督(当時)は「吉村のケガが心配だ」と表情を強張らせていた(一方の栄村は無傷だった)。
だがこの激突で吉村が負ったのは左膝の靭帯が4本中3本も断裂、神経まで損傷するというもので、前十字靭帯・内側側副靭帯・内側半月板損傷・腓骨神経麻痺という重傷といいますから、選手生命の危機にさらされたのです。

当時の日本の医療レベルでは当然手に負えるものではなく、アメリカに渡ってかつて村田兆治の肘を手術して復活させるきっかけを作ったフランク・ジョーブ博士の執刀を受けたのでした。この時ジョーブ博士は「野球選手でこれほどのケガは見たことがない」と言ったから、いかに吉村のケガが大きかったのかを物語ります。
吉村は手術とリハビリを重ねて翌1989年のシーズン終盤に見事にカムバックしたのだから、選手生命すら危ぶまれる大ケガを負いながら決死のリハビリと不屈の闘志で見事に復活したと言える。

劇的な復活を遂げた吉村とは逆に、吉村と激突した栄村はファンからの猛烈なバッシングに遭い(はた山ハッチ〈現・やくみつる〉からは映画「オーメン」に登場するダミアンと名付けられて、この激突事故と結びつけたネタにされる始末)、翌年からは一軍に呼ばれなくなり1991年にオリックス・ブルーウェーブに移籍するも1年で戦力外通告、吉村に大ケガを負わせた罪の意識から野球界というより公の場から姿を消したのだが、後年になってテレビなどの取材に応じるようになり「石橋貴明のスポーツ伝説・光と影」では自身に対するバッシング及び吉村をケガさせた自責の念に苛まれていた時に吉村から激励されたと告白している。

あの激突事故で野球人生が激変した吉村と栄村、吉村はあの事故で負ったケガを決死のリハビリを重ねて復活、あのケガがあったから成長できたと語ってるが、栄村に対して罪悪感を持たず前を向いてほしいとも訴えていた。

theme : プロ野球
genre : スポーツ

阿鼻叫喚の場と化した秋葉原

今から10年前の今日2008年6月8日は、あの秋葉原無差別殺傷事件が起こった日だけど、事件が起こった日は日曜日でなおかつ昼間という大勢の人でごった返して活気に満ち溢れた時間帯、その時に突然暴走した2トントラックが交差点に信号無視で突入、歩行者5人がはねられ間髪入れずに信号待ちをしていたタクシーと衝突、周囲が事故だと騒然になる中トラックから一人の男が降りて通行人や駆けつけた警察官をダガーナイフで斬りつけて逃走、奇声を上げながら周囲の通行人を襲撃して警察官と一悶着を起こすが、当時あったサトームセン本店前の路地で現行犯逮捕という結末となった。日曜日で勝つ歩行者天国だったことからその場で起こったテロのような事件に、あの場にいた人たちにとって地獄絵図のようなものでした。逃げ惑う人々、男に刃物で斬りつけられて負傷して流血までする事態を目の当たりにしたのだから、PTSDになっておかしくないものです。

この事件で7人が死亡、10人が負傷するという凄惨なものだが、平成21世紀に起こった無差別殺傷事件においては大阪府池田市で起こった附属池田小事件に次ぐ惨劇となったが、奇しくもこの事件が起こった日と同じ日に起こったというのは何ということだ・・・。とすら言いたくなります。

トラックで歩行者に突撃して3人を死亡、2人を負傷させた上にダガーナイフで7人を死亡、8人を負傷させると言うテロリストのような凶行を起こした男は当時25歳の派遣社員で、幼い頃からエリートになる為の教育を強制されたせいか、高校は進学校に入るも学業で低迷し親が望む大学の進学を諦めて自動車短大に進むもそこでも学業に意欲を持てなく成績は低迷、何とか卒業するも進んだ職場での人間関係に悩みあっさり辞職。派遣社員として職場を転々をしたが、その途中でインターネットの掲示板に出会い掲示板に思いの丈をぶつけたのだが、そこで何と凶悪事件を起こすとの書き込みをしたもんだから、結果この凶悪事件につながったのだから、何とも皮肉だ。
非正規雇用という境遇に置かれ自身を「負け組」というレッテルに位置づけられていることを痛感したからか、社会的に弱い立場に置かれたコンプレックスというか鬱憤がここで一気に爆発したと思えば、格差社会がもたらした副作用と言わざるを得ないです。
奇しくもネットの掲示板においては「神」「格差社会の英雄」「勝ち組への恨みを晴らした」なんて称賛の声もあるが、凶悪犯罪を起こした者をあれだけ持ち上げるのはバカなんじゃないかとすら思うし、安重根を神格化する韓国人と同レベルだよ。

この事件のせいで秋葉原の歩行者天国は当面の中止(2011年1月から再開された)、またネット上における犯罪予告対策も強化されたり、この事件を想起する内容のドラマが自粛になったり、秋葉原で行われる予定のイベントも自粛、監視カメラが増加、犯罪にレンタカーが使われたことから、貸出要件の厳格化が進むなど影響は多岐に及んだ。

逮捕から3ヶ月が経ち、精神鑑定の末刑事責任能力があると判断され、裁判において「史上稀に見る凶悪犯罪で社会に与えた衝撃も大きく人間性の欠片もない」と検察に指摘されて死刑を求刑、2011年3月24日に求刑通り死刑判決を受け、控訴審や上告審を経て2015年に死刑確定と言う結果になった。

格差社会がもたらしたともされる秋葉原無差別殺傷事件、自身が負け組になったことから社会に対する恨みを晴らそうと凶悪事件を起こしてまで世間に自分の姿をアピールしようというのは実に身勝手で、誰でも良かった的な動機で大勢の人たちを襲撃して死亡させるというのは被害者及び遺族にすれば溜まったもんじゃないが、ヨーロッパにおける移民問題もそうだけど、自分が弱い立場に置かれている現状への怒りと不満をこんな形でぶつけるのはかえってロクでもない。貧困や格差は犯罪の温床になるのはどの国の社会にも言える話だけど、日本でもこのようなことが起こったというのは世も末になったものだとすら思う。そんな社会にした責任は誰にあるのだろうかとすら言いたくもなるが。

theme : あまりに酷い事件
genre : ニュース

パキスタンも核実験

現在核問題で国際社会から非難を浴びてる国は言わずもがな北朝鮮イランだが、前者は核施設を爆破したもののアメリカと核廃棄に向けた交渉について対立しており、後者はアメリカが核合意から離脱したことで対立がエスカレートする様相となってるが、北朝鮮にせよイランにせよ核を巡る駆け引きは複雑怪奇です。
そんな中過去に核実験を強行して国際社会から大バッシングを浴びた国があることも事実、これには長年の対立がエスカレートしたことも要因に挙げられます。当事国はパキスタン。
そんなわけで 今から20年前の今日1998年5月28日は、パキスタンが核実験を強行した日です。

1947年にインドから分離独立して以降、何度もインドと対立してきたパキスタン、中でもカシミール地方を巡る問題はその象徴でその帰属を巡って3度も紛争に発展したけど、そんな中でインドが1974年に核実験を行って核保有を宣言したことでパキスタンもそれに対抗して核開発して保有しようとする風潮が高まり核開発を秘密裏に強行。1996年に地下核実験用の採掘作業の様子が海外で報じられるものの、同年のCTBT(包括的核実験禁止条約)にインドと同様不参加するなど、国際社会との対立も表面化したのだった。

そして1998年5月11日と13日にインドが核実験を強行すると、パキスタンもそれに危機感を抱いたのか、同年5月28日にバローチスタン州で核実験を強行、アブドゥル・カーン博士をはじめとする科学者らが実行し、当時のナワズ・シャリフ首相はテレビを通じて実験成功と伝えたのだった。
更にその翌々日も核実験を強行し、それがプルトニウム型であったことから同じくプルトニウム型核兵器を保有しようとした北朝鮮の代理核実験ではとの噂も流れた。実際パキスタンは北朝鮮からミサイルを購入してたって言うし。こう見ると北朝鮮は改めてならず者である。

北朝鮮の影もちらつかせることとなったパキスタンの核実験、ただ国際社会の強い反発を無視して核実験を強行したことでインド共々経済制裁を受けることとなったが、アメリカは2001年に「9.11」が起こったことにより印パ両国に対する制裁を解除したのだった。
核保有までに至ってしまった印パ対立、もしまた印パ対立が複雑化してまた戦争にでもなれば最悪のシナリオも考えられます。

theme : 国際問題
genre : 政治・経済

パレスチナ問題の本格的な始まり

ちょうど70年前の今日1948年5月14日、イスラエルという国が建国されたが、長く国を持たず苦難の歴史を辿ってきたユダヤ人にとって自分たちの国をパレスチナの地に作るというのは永年の悲願で、イスラエル建国によりそれが叶ったわけだけど、ユダヤ人の離散後にこの地で長く暮らしてきたアラブ人にとっては突然よそ者が来て勝手に国を作ったもんだから、当然諍いとなるのは当然のことだが、即ちイスラエル建国=パレスチナ問題の始まりと言うべきか。

第1次大戦中、パレスチナはオスマン帝国の領土に過ぎなかったがイギリスによる三枚舌外交(バルフォア宣言・サイクス・ピコ協定・フサイン・マクマホン協定)により中東地域が分割され、パレスチナの地にユダヤ人が入植したわけだが、アラブ人と対立するのは目に見えていたわけで、混乱となった。
さらに第2次大戦中にナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)もあり、国際世論は一気にユダヤ人に同情的になるわけだが、当時シオニストのリーダー的存在だったダヴィド・ベングリオンがユダヤ国家を作ると言ったイギリスの姿勢を批判したことも影響している(イギリスはユダヤ移民制限を設けたから)

しかしパレスチナの地にアラブ人が住んでいたもののそれをお構いなしにユダヤ国家を作るという強引な手段には批判もあったが、欧米世論ではほとんどユダヤに同情的だったこともそれをお後押しした(当時は有色人種を低く見ていた)。収拾のつかない事態となったことでイギリスは国際連合にパレスチナ問題を丸投げし、ユダヤ人国家とアラブ人国家をパレスチナに作る分割案と連邦制国家のどっちにするか賛否を取ったところ、分割案が多数を占めたことでイギリスは委任統治から撤退、1948年5月14日にイスラエルが建国、ベングリオンが初代首相となり高らかに建国を宣言したわけだが、ここは我々の地だとアピールしたベングリオンではあったが、即ちアラブにケンカを売ることでもあった。
その前にデイル・ヤシーン事件などユダヤ人とアラブ人の諍いもあったが。

当然アラブにしてみれば勝手によそ者が国を作ったもんだから建国を認めず、総動員してイスラエルにケンカをふっかけるわけだが(第1次中東戦争)、15万もの兵を持つアラブ連合に対しイスラエルは3万と多勢に無勢の様相だったけど、戦争中イスラエル軍は国防軍を発足させて軍を一体化、軍備を強化してアラブ連合を圧倒、まとまりを欠いたアラブ連合の隙もついてイスラエルが勝利するわけだが、イスラエルはこの勝利でパレスチナの大半を獲得するわけだが、首都と見なしたエルサレムは西側を取ったものの東側はヨルダンが取り、中間は国連管轄の非武装中立地帯と見なした。この戦争で大勢のパレスチナ難民が発生するわけだが。

今年はイスラエル建国70年、この節目に長年イスラエルを擁護してきたアメリカが大使館をエルサレムに移転すると言う姿勢は、アメリカ・イスラエルとアラブの対立を余計高めそうな気もします。建国以来常に緊張状態が続くイスラエル、三枚舌外交のツケは相当なものだが。でもイギリスはユダヤ人国家建立に貢献したという理由で批判的に見ていない。一方でナチスのホロコーストを知りながらユダヤ移民を制限した責任はどう見てんだか。

theme : 国際問題
genre : 政治・経済

拾得物の日

今日4月25日は「拾得物の日」という記念日ですが、そのきっかけとなったのは今から38年前の今日1980年4月25日に起こった一億円拾得事件で、一般市民が1億円もの大金を拾ったことで起こった騒動としてつとに有名です。

1980年4月25日に、トラック運転手だった男性が銀座の道路脇で現金約1億円が入った風呂敷を拾い、すぐさま警察に届けたわけだが、これが事件の始まりでした。
銀座の一等地で1億円もの大金を拾い、連日マスコミの取材に追われたことで時の人となった一方で男性は脅迫や嫌がらせを受けたり、務めていた会社を辞めざるを得ない状況になるなど、これまで普通だった人生が一転したと思うが、マスコミの過剰な報道の犠牲者とも言えよう。ある事件や騒動をきっかけに人生が激変、残酷っちゃ残酷だよね。無論それを煽るマスコミに原因はあるが。

その後落とし主は現れず、当時の遺失物法により届出期間を経て全額の所有権を取ったわけだが、その当時も嫌がらせや脅迫を受けていたことから身の安全目的で受け取る際には防弾チョッキを着ていたって言うから怖いよね・・・。
男性はトラック運転手として再就職するも、その1億円でマンションを購入したことをテレビで公表し、またこの事件から9年後に「竹やぶから1億円」事件が起こった際には「拾得物評論家」として登場したんだから、1億円を拾った人といえばこの人。というイメージがついて回ったと思います。ただ男性は2000年に亡くなったけど。

それと、なぜ当時銀座のど真ん中に正真正銘の総額1億円が風呂敷包みでボンと置かれてたのか? 企業の裏金説・正解の裏金説・相場資金説など悪い噂もあった為、落とし主として警察に名乗り出た際に資金の出処を言わなければいけなかったがために名乗り出れなかった説が強いが、町のど真ん中に大金入りの風呂敷包みを置くなんてマンガみたいな話だよね・・・。当時の1億円って今の価値にしたらどれくらいなのか?

この事件がきっかけで制定された「拾得物の日」、皆さん、拾ったものはすぐに警察に届けましょう!!

theme : 雑記
genre : ブログ

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