オバマ大統領訪日日程が変更に・・・。

 来週12日から2日間予定されているアメリカ・オバマ大統領の訪日ですが、1日ずれ込むこととなったようです。

引用

米大統領、訪日13・14日に変更へ 基地乱射受け

 今月12、13日に予定されているオバマ米大統領の訪日日程について、米政府が13、14日に変更するよう日本政府に打診してきたことがわかった。日本政府はこれを受け入れる方向で調整に入っている。同政府関係者が7日明らかにした。

 米側は変更の理由について、テキサス州のフォートフッド陸軍基地内で起きた銃乱射事件の追悼式典にオバマ氏が出席することを挙げているという。同基地はイラクやアフガニスタンへの派兵の拠点で、アフガン増派の難題を抱えるオバマ氏としては出席を最優先すべきだと判断したと見られる。

 オバマ氏や鳩山由紀夫首相は、14日昼にシンガポールで始まるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席する。このため、同日早朝までに日本を出発しなければならず、実際に変更されれば首脳会談など一連の日程は13日に集中させることになると見られる。(今野忍)

 asahi.com(朝日新聞社) 2009年11月7日14時6分
 オバマ大統領の訪日が1日延期となり、日本政府がこれを理解して受け入れる考えで調整していますが、鳩山政権になって初めての日米首脳会談は予想外のハプニングに見舞われた感じがします。

 昨日テキサス州にあるフォートフッド陸軍基地で起こった銃乱射事件を受け、その追悼式典に出席することを重視したオバマ大統領、自国の大事件だけにやむを得ないとは思いますが、今後の調整において大きな変更をせざるを得なくなったかもしれないです・・・。

 日米首脳会談だけでなく14日にはアジア太平洋経済協力機構(APEC)の首脳会議に出席しなければならないだけに、鳩山総理もオバマ大統領も大変でしょう・・・。両者とも慌しいスケジュールを強いられた感じもあります。

theme : 政治・時事問題
genre : 政治・経済

整形資金はどこで手に入れた!?

 未だ逃走中の市橋達也容疑者、名古屋で整形手術を受けたことが昨日発覚し、千葉県警行徳署は市橋容疑者の整形後の写真を公開したようですが、謎ばかりが残ります。

引用

金はどうやって調達?市橋容疑者、整形費数十万円を現金で

 千葉県市川市で2007年、英国籍の英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=の遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で指名手配された市橋達也容疑者(30)が名古屋市内の病院を整形手術の予約と手術当日の2度訪れ、費用数十万円については現金で支払っていたことが6日、捜査関係者への取材で分かった。

 病院を訪れた市橋容疑者は、既に別の医療機関で複数回の整形手術を受けた後とみられ、顔の特徴が大きく変わっていた。こうした整形手術には高額の費用がかかるため、県警は金をどうやって調達したか関心を寄せており、逃走に協力した人物がいないかを含め捜査している。

 捜査関係者によると、市橋容疑者は10月下旬、手術の予約のため来院。24日に鼻をさらに高くする手術を受けて代金数十万円を現金で支払った。さらに31日には抜糸する予定だったが、訪れなかった。

 来院した際、市橋容疑者の顔は事件発生当初の手配写真に比べ、ややふっくらした印象で、一重まぶたが二重になり、鼻が高くなっていた。左ほおにあった二つのほくろはなくなり、下唇は薄くなっていた。

[ 2009年11月06日 13:15 ]「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より


 福岡で整形手術を受けようとしたものの拒否され、名古屋に移動して整形手術を複数回も受け別人の顔となった市橋容疑者、当然整形手術には多額の費用がかかりますが、何食わぬ顔で数十万もの費用を支払っていたことが明らかとなったようです。

 また謎が起こったとしか言えないですね、コレは・・・? 逃走直後あまり現金を持っていなかった市橋容疑者が、なぜ数十万もの現金を持っていたのか? またこれだけの現金をどこで手に入れたのか? 謎です。

 正体を隠す為に整形、なおかつそれにかかった数十万円を現金で支払っていたことも発覚、一体これだけの費用をどこで手に入れたのか、おそらく逃走に協力した人物がいるかも知れないですね・・・。警察はそこも含めて捜査を続けていますが、一刻も早く解決してもらいたいです。

theme : 未解決事件・迷宮入り事件
genre :

陸軍基地内で銃乱射事件

 銃社会であるアメリカにおいて銃乱射事件は日常茶飯事かもしれませんが、まさかこんなところでも・・・?と思ってしまう事件が起こりました。

引用

米陸軍基地で銃乱射、12人死亡31人負傷…犯人は生存

【ロサンゼルス=飯田達人】米テキサス州中部のフォートフッド陸軍基地内で5日午後1時半(日本時間6日午前4時半)ごろ、兵士による乱射事件が発生。

 居合わせた兵士ら12人が死亡、31人が負傷した。

 基地当局者によると犯人も負傷し、治療を受けている。

 フォートフッド基地は米陸軍基地では世界最大規模で、乱射が起きたのは、イラクやアフガニスタンに派兵予定の兵士が身体検査などを受ける施設内だった。陸軍と連邦捜査局(FBI)が背景を調べている。

 AP通信などによると、乱射したのはマリク・ナダル・ハサン少佐(39)。犯行時は軍服姿で、軍用拳銃2丁を使ったとみられる。同少佐は精神科担当の軍医で、近くイラクかアフガニスタンに派遣される予定だった。精神的に不安定だったとの情報もある。同少佐以外にも兵士1人が拘束されているが、事件との関係は不明。

 フォートフッド基地(約880平方キロ)は陸軍第三軍団が司令部を置き、約3万5000人が駐留。同基地からはこれまでに1万人以上がイラクとアフガニスタンに派遣されている。ロイター通信によると、イラク戦争が始まった2003年以降、精神的ストレスなどから兵士75人が基地内や周辺で自殺しているという。

 オバマ大統領は5日、「国内の基地で戦火が交わされるとは衝撃的だ」と沈痛な表情で述べ、徹底調査を命じた。

 (2009年11月6日11時32分 読売新聞)
 南部のテキサス州中部にある陸軍基地・フォートフッド陸軍基地で起こった兵士による銃乱射事件、この事件で兵士12人が死亡、31人が負傷するなど大惨事となったようです。

 銃を乱射したのは、現職の軍少佐で精神科の軍医だったマリク・ナダル・ハサン少佐で、近い内イラクかアフガニスタンに派遣される予定でしたが、何が彼をこんな凶行に駆り立てたのか? 精神的に不安定だったとの情報もあったけど、謎ですね・・・。

 事件現場となったフォートフッド基地は、アメリカ陸軍の基地で最も大規模な基地であり最重要な施設でしたから、ある意味アメリカの軍事的な面で最も重要なところだったんでしょう。

 精神的に不安定、という指摘ですが、イラク戦争が起こった2003年以降、アメリカでは精神的なストレスを抱えて基地内な基地周辺で自殺する兵士が後を絶たない報告もあり、これはアメリカにおいて大きな問題ではないでしょうか? 兵士のメンタルケアが不十分だからこういった問題は起こると推測しますね。

「国内の基地で戦火が交わされるとは衝撃的だ」とオバマ大統領は声明を出し、米軍基地、それも国内の基地でこのような凄惨な事件が起こったことについて心を痛めているようですね・・・。陸軍とFBIが捜査に踏み切ってますが、まさか自国内の基地で銃乱射事件が起こるなんて、考えもしなかったでしょう。

 銃乱射事件はアメリカではよくあることだが、まさか軍の施設でも起こるなんて・・・、アメリカって何かおっかないですね。

theme : 海外ニュース
genre : ニュース

グルジアの外相がロシア市民権を放棄?

引用

グルジア外相、ロシアの市民権は放棄したと明かす

[トビリシ 4日 ロイター] 旧ソ連の外交官だったグルジアのワシャゼ外相が4日、ロシアの市民権を放棄し、パスポートをロシア政府に返していたことを明かした。
 ロシアでは、同外相の市民権を「反ロシア」感情をあおっていることを理由に取り消そうとする提案が下院で出され、否決されていた。
 これについて、ロシアとグルジアの両国の市民権を持っていたワシャゼ外相は、「ロシアの下院での動きは、少し遅すぎた」とコメント。ロシアの市民権を放棄する旨を記した書簡に、パスポートを添えて、すでにロシアのメドベージェフ大統領に送ったと説明した。
 グルジア外務省のウェブサイトによると、同外相はモスクワ国際関係大学を卒業し、1980年から1988年までソ連の外務省に勤務していた。

 最終更新:11月5日16時55分「ロイター」より
 旧ソ連で1980年代に外交官として働いていたグルジアのワシャゼ外相、ロシアとグルジアの国籍を持っていましたが、このたびロシアの市民権を得るパスポートをロシア政府に返却していたことが明らかとなったようです。ワシャゼ外相のこの行為は「私はロシア人ではない、グルジア人だ」ということでしょうか?

 これに対しロシア側はワシャゼ外相がパスポートを返却しロシアの市民権を放棄したについて「反ロシア感情を煽る」と見なしてロシア市民権取り消しをしたものの、否決されたことで「ロシアの下院での動きは、少し遅すぎた」と声明を出し、パスポート返却及びロシア市民権を放棄することを盛り込んだ書簡をメドベージェフ大統領に送ったとしたようです。

 ロシア市民権を捨てるということは、ロシアに対する抗議の表れではないでしょうかね? もう我々はロシアの支配下ではない! というグルジアの主張が盛り込まれているかもしれないし、サアカシュビリ大統領の反ロシア政策がここにも出ているかも知れませんね。

theme : 国際ニュース
genre : ニュース

ヤンキースが世界一! そして松井はワールドシリーズMVPに!

 ヤンキースフィリーズの決戦となった今年のワールドシリーズは、ヤンキースが世界一に輝きました。

引用

人生最良の日!松井秀、悲願達成にMVP!

【ヤンキース7−3フィリーズ】どんな記録より、欲しかったものを手に入れた。ヤンキースが頂点に立った。松井秀の思いは7年目で結実した。持ち前の勝負強さで何度もチームを救い、その末にゴールにたどり着いた。その活躍で、日本選手初のシリーズMVP(最優秀選手)にも選出された。

 ワールドシリーズで決勝本塁打に代打本塁打と見せていた勝負強さが、優勝にあと1勝としたこの日は一層際立った。二回、先制の2点本塁打を右翼に打ち込んだ。カウント2―0と追い込まれ、粘った8球目だった。2死満塁の三回には中前打を放って2打点を加えた。五回にも右中間二塁打で2打点。ヤンキースタジアムには早くも「MVP」の大歓声が沸き起こった。

 松井秀の野球観は一点に集約される。自らの打撃が、いかにチームの勝利につながるか。より高い水準の打撃技術を探求しながら「この球をこう打ちたいという技術的なことはあるにはあるけど、形じゃない。どんなに格好悪くても、ボテボテでも試合を決める一打ならいい」と言う。

 「心はプレーに出る」。ひざに不安を抱えながら中軸の責任を果たし続けた今季、松井秀はそう口にした。常に勝利を求められるヤンキースを選び、海を渡った。名門の生存競争は厳しい。実績ある選手も貢献できなくなればあっさり見限られる。左手首、両ひざの手術を経験し、35歳になった松井秀が中軸を打ち続けられたのは、一貫した姿勢をプレーで実践してきたからこそだ。

 挑んでは、はね返された頂点にようやく立った。勝利を最優先にするチームと、勝利につながる一打を追い求めてきた日本のスラッガーが出会って7年。9年ぶりに“世界一”に返り咲いたヤンキースのメンバーに、松井秀が名を連ねたのは必然だろう。 (共同)

[ 2009年11月05日 14:10 ]「スポーツニッポン」ウェブサイト「スポニチ Sponichi Annexニュース」より

 ヤンキース在籍7年目にして悲願の世界一をつかみ、またシリーズ通じて決勝ホームランの上に代打ホームランを放つなど大活躍し、世界一を決めたこの試合でも先制ホームラン、2本の2点タイムリーを放つなど大車輪の活躍を見せたことで、シリーズMVPに輝いた松井秀喜。日本人初のワールドシリーズMVPという快挙を果たしたことで、喜びもひとしおでしょう。

 ヤンキースに入団して7年目で世界一を勝ち取り、またチームにとっては9年ぶりの世界一に導いた原動力として、松井のヤンキースにおける地位は高くなったといっていいでしょう。勝利が求められる名門球団で主軸を張れたのも、いかにチームの為のバッティングを探求する一貫したプレースタイルを実践したからでだと思いますね。

 今年はイチローの9年連続200本安打や通算安打記録更新というスゴイ話題がありましたが、松井のワールドシリーズにおける大活躍と世界一に貢献、なおかつシリーズMVPという結果はそれに引けを取らないくらいの喜ばしいニュースかもしれませんね。

 シリーズMVPおめでとう、松井秀喜。

theme : MLB
genre : スポーツ

あの容疑者が偽名を使って整形して逃走中、第2の福田和子か!?

 この事件、容疑者は未だ見つかっていないようです・・・。

引用

市橋容疑者:福岡でも整形依頼 先月中旬 断られ名古屋へ

 千葉県市川市で07年3月、英国人女性のリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が殺害され遺体で見つかった事件で、死体遺棄容疑で指名手配中の市橋達也容疑者(30)とみられる男が10月中旬ごろにも福岡市内の医療機関を訪れ、偽名で整形手術を申し込んでいたことが捜査関係者への取材で分かった。しかし予約を入れていなかったため、断られていたという。

 捜査関係者によると、男は10月24日に名古屋市内で整形手術を受けたが、その約1週間前に福岡市内の医療機関を訪れていた。名古屋の整形時と同じ偽名を名乗っていたという。断られたために名古屋に移動して整形したとみられる。

 公開されている市橋容疑者の指名手配写真は一重まぶただが、整形後の男は二重まぶたになっているなど市橋容疑者とは別人のように見えるという。しかし顔の一部の特徴や体形などから、捜査本部は市橋容疑者本人との見方を強めている。近く整形後の写真を公開し、情報提供を呼びかける方針。【神足俊輔、中川聡子、山本太一】

 毎日新聞 2009年11月5日 11時36分
 一昨年千葉県市川市で起きたイギリス人女性リンゼイ・アン・ホーカーさんが殺害された事件、死体遺棄で指名手配されている市橋達也容疑者、それらしき人物が整形手術を申し込んでいたことが明るみとなっていたようです。

 聞くところによれば、先月24日に名古屋市内で整形手術を受けたものの、その1週間前に福岡市内の医療施設で偽名を使って整形手術を受けようとしたところ拒否され、名古屋に移動して偽名を使って整形したと推測しているようですが、偽名を使って整形、これは明らかに自分の正体を隠す為ではないだろうか? この手口は1982年に愛媛県松山市で起きたホステス殺害事件の容疑者・福田和子と同じかもしれないですね・・・。

 千葉県警が公開している市橋容疑者の写真は一重まぶただが、整形後の写真では二重まぶた、左頬に2つあったほくろは消えているなど別人の写真となっていますが体形や顔の一部の特徴などで、近い内警察は整形後の画像を公開し、情報提供を要求するようです。

 福岡で整形依頼するも拒否され今度は名古屋で偽名を使って整形、正体を隠す為に偽名を使って整形を繰り返して逃走、明らかにこのプロットは福田和子と全く同じです。市橋容疑者は第2の福田和子かも知れませんね。

 リンゼイさんの家族も未だ逃走中の市橋容疑者に対しては憤りを露にしているし、整形して潜伏している事実には「誰がかくまっているのか」とコメントしてますからね。この事件、一刻も早く解決してもらいたいです。いくら偽名を使って整形して正体を隠しても、いずれ捕まるときは捕まるってことです。指名手配されている逃走中の容疑者が正体を隠す為に整形を利用、なんて整形のイメージを悪化させるような気もします・・・。

theme : 未解決事件・迷宮入り事件
genre :

あれから30年、ここにも今のイラン世論が2分されているようです

 未だ続くアメリカとイランの対立のきっかけとなったアメリカ大使館占拠事件、あれから30年目を迎えました。

引用

イラン米大使館占拠30年 改革派と警官隊衝突 「国民の支持」誇示、一変

【カイロ=村上大介】イラン革命の指導者ホメイニ師を支持する急進派の学生が在テヘラン米大使館を占拠した事件から30年となった4日、保守派主導の現体制に反発する改革派の市民のデモが発生し、警官隊と衝突した。イランの革命体制は例年、大規模な反米集会を組織し、「国民の支持」を誇示してきたが、今年は厳重な警備にもかかわらず、国内で広がる不満の声を押さえ切れない姿が浮き彫りとなった。

 現地からの情報によると、首都テヘラン中心部にある旧米大使館周辺では、体制を支持する市民数千人が集まり、「アメリカに死を」などと叫び、米国旗を焼いて気勢を上げた。

 しかし、そこから約1キロ離れた別の広場では、改革派支持の市民ら数百人が「独裁者に死を」などと体制批判のスローガンを連呼し、警官隊と衝突。警官隊は棍棒(こんぼう)で殴ったり、催涙ガスを発射したりしてデモを制圧し、数十人を拘束したもようだ。

 フランス通信(AFP)によると、数百人規模の改革派支持者のグループが市内各所で警備をかいくぐって集まり、警官隊がそれを追う光景が繰り広げられた。抗議に参加した市民の総数は数千人にのぼったという。

 強硬保守派のアフマディネジャド大統領が再選された今年6月の大統領選では、敗れた改革派のムサビ元首相らが「選挙不正」を訴え、抗議する市民と治安部隊の衝突で革命後最大規模の騒乱へと発展。当局は、4日の「反米集会」が「反体制デモ」へと転化することを警戒して、大規模な警官隊を市内に配置し、改革派デモの阻止に当たらせていた。

 米大使館占拠事件をめぐっては、1980年代に革命指導者ホメイニ師の後継者と目されながら失脚したモンタゼリ師が4日、「大使館占拠は正しいやり方ではなかった」と、事件の評価を見直す声明を出した。

 一方、イランとの対話を呼び掛けているオバマ米大統領は4日、事件30周年を機に声明を出し、「イラン政府は過去に焦点を合わせるのか、国民のために、より大きな機会と繁栄と正義への扉を開くのか、決断するときがきた」と呼び掛けた。しかし、イランの最高指導者、ハメネイ師はこれに先立つ3日、「笑みを浮かべて来る者は背中にナイフを隠している」と述べ、改めて対米関係改善に消極的な姿勢を表明している。

 最終更新:11月5日9時15分「産経新聞」
 アヤトラ・ルトラ・ホメイニを支持する革命派の学生たちによって起こった在テヘランアメリカ大使館占拠事件、あれから30年を迎えたイランですが、保守派支持者による反米集会だけでなく、今年6月に行われた大統領選挙の結果を不服とする改革派支持者らによる抗議集会も発生するなど、大統領選挙における結果の是非を巡り、イラン世論は未だに2分されているようです。

 これまで革命体制は毎年、大規模な反米集会を組織しそれによってイラン国内における「国民の支持」を誇示してきましたが、大統領選挙の結果を巡って異を唱えている改革派のホセイン・ムサビ元首相以下改革派支持者の不満は未だ解消されていないままこの日を迎えたことで、国内で拡大する不満を抑え切れていない姿を露呈したかもしれません。

 旧アメリカ大使館(現在は革命防衛隊の基地となっており、壁面には反米スローガンが掲げられている)の周辺では、保守派支持者らが「アメリカに死を!」「イスラエルに死を!」をシュプレヒコールを上げ、アメリカ国旗を燃やしたりするなどして、改めて“反米”を掲げていました。
 そこから離れた広場では改革派支持者らが「独裁者に死を!」と、体制に反対するシュプレヒコールを上げハメネイ師及びアフマディネジャド大統領を名指しで非難するなど、躊躇に現れているようです。改革派支持者からすればハメネイ師及びアフマディネジャド大統領の存在は、イランの国際的なイメージをさらに悪化させる元凶でしかないのでしょう。

 反米集会以外認めないイラン当局は、4日の「反米集会」が「反体制集会」に発展させないよう、警備を強化したことで、反体制集会に参加した支持者ら数十人が逮捕されたようですが、かえって改革派の不満を増大させることでしかないとは思いますが・・・?

 またアメリカのオバマ大統領は大使館占拠事件から30年になるのに触れ「イラン政府は過去に焦点を合わせるのか、国民のために、より大きな機会と繁栄と正義への扉を開くのか、決断するときがきた」とイラン政府に対しこう警告しました。かねてから問題となっている核問題にも触れているかも知れないが、対話の重要さを説いたようです。でもアメリカ政府内にはイランとの対話に消極的な議員もいるし、簡単ではないでしょう。
 これに対しイランでは、ハメネイ師がオバマ大統領の発言に「笑みを浮かべて来る者は背中にナイフを隠している」と反論し、対米関係改善には難色を示しているようです。ハメネイ師からすれば「アメリカは口で甘い言葉をかけるが、実際は軍事力で応えてくる」「イランを乗っ取ろうとするアメリカの企みだ」と言いたいのでしょう。

 あれから30年、これから先イランとアメリカの関係はどういったものになるんでしょうね?

theme : 国際政治
genre : 政治・経済

イランとアメリカの対立はここから始まった

 核問題を巡って北朝鮮同様国際社会と対立を続けるイラン、アメリカのオバマ政権がIAEA(国際原子力機関)と連携し、イランに対してウラン濃縮即時停止要求を後回しにする一方で、イランを交渉の場に連れ戻していたことも明らかとなり、周囲からは「イランの思う壺ではないか」という懸念もあるなど、依然不透明と言えますね。
 イランもまた「アメリカの表面的な融和姿勢にはだまされない」ハメネイ師が批判するなど、いつまた緊張状態となってもおかしくはない感じはします。

 核問題を巡って対立するイランとアメリカ、今から30年前の今日は、テヘランのアメリカ大使館占拠事件が起こった日です。考えてみれば、イランとアメリカの対立は全てここから始まったと言っていいでしょう。

 第2次大戦後イランは、当時イランを統治していたパフラヴィー朝の国王、モハンマド・レザー・パフラヴィー(レザー・シャー)のもと近代化を進め、アメリカやイギリスなどと接近し親欧米路線を取り、政策の先頭に立ちました。
 改革の元に女性にも平等な権利をとヒジャブ着用を撤廃し「宗教は近代化の足かせとなる」としてイラン社会において世俗化を勧めました(また選挙権をムスリムだけでなくバハーイー教徒にも適用するなどしたものの、アヤトラ・ルトラ・ホメイニなどイスラム法学者の反発を招いて中止に追い込まれた)。

 レザー・シャーは、あらゆる改革を起こして経済成長を掲げ(白色革命)アメリカやイギリスなどと親密な関係を築く一方で、ホメイニなど自分のやり方に反発するイスラム法学者をはじめとする人々をを取り締まろうと、1960年代に秘密警察を導入し弾圧を加えるなど、権威主義をしきました(その後ホメイニはフランスに亡命した)。
 しかし1970年代に起こったオイルショックの影響で経済が破綻状態となり貧富の差が拡大し、これにより国民の不満が増大したことでレザー・シャーは求心力を失い、イスラム法学者のみならず全ての国民が王制打倒を訴える反体制デモが国内で頻繁に起こりこれをいいことにパリに亡命していたホメイニは反体制を煽ったのでした。

 1978年にはホメイニを中傷する記事を巡ってイラン各地で暴動が起こり、これに対しレザー・シャーは情勢の鎮静化を図ったものの事態は一向に静まる気配はなく革命の気運は高まり、翌1979年1月、レザー・シャーは国外退去しエジプトに亡命、これによりパフラヴィー朝は崩壊したのでした。
 さらに2月、ホメイニが亡命先のパリから帰国すると革命熱は高まり(ホメイニはイスラム革命評議会を発足させた)、レザー・シャーが立てた政権を辞任に追いやり、反体制勢力が政権を握ったのでした。
 4月にホメイニは国民投票を実施し、イスラム共和国を宣言し「法学者の統治」に基づいた国家体制構築を掲げたのでした。

 反欧米・イスラム至上主義を掲げるイスラム共和国発足により、イランはこれまで親密だった欧米との関係は悪化し、特にパフラヴィー朝を支援していたアメリカとは関係が悪化したのでした。これにはホメイニが「アメリカは大悪魔」と言ったことも大いに関係ある。
 一方エジプトに亡命した元国王レザー・シャーは「がんの治療の為」とアメリカ入国を希望し、アメリカ政府が「人道的な支援」として亡命を受け入れたのでした。

 しかし、これはイスラム法学校の学生など革命を支持する勢力の怒りの火に油を注ぐこととなったのでした・・・。

 今から30年前の今日1979年11月4日、首都テヘランにあるアメリカ大使館占拠事件が起こりました。元国王の亡命を認めたアメリカ政府に対する不満が爆発し、テヘランにあったアメリカ大使館を襲撃してアメリカ人外交官や警備のため駐留していた軍関係者とその家族を人質に取って占拠し、アメリカに対し元国王の身柄をイランに引き渡すよう要求したのでした。

 大使館を占拠した学生たちは、外交官や関係者などを軟禁状態とし行動の自由を奪ったのでした。大使館を占拠しやりたい方題する学生たちとそれを認めるイラン政府に対し諸外国は大使館や領事館へのこのような行為はウィーン条約に反するものだと批判したのでした。

 アメリカは当然黙っているわけがなく、当時のジミー・カーター大統領は、翌1980年に4月24日から25日にかけて全ての人質を解放しようと「イーグルクロー作戦」と銘打って軍を動員して人質解放を目論んだものの、これに失敗しかえってイランを硬化させたのでした・・・。

 アメリカは軍事介入による人質解放を諦め、元国王をアメリカから退去させイスラム諸国に対しイランを説得しようと試みるも、1980年7月に元国王モハンマド・レザー・シャーが亡命先のカイロで死去し、イランにおいて大使館占拠の理由が学生の間で薄まったのでした。

 イーグルクロー作戦に失敗したことで求心力を低下させたカーター大統領は、1980年の大統領選挙で共和党のロナルド・レーガンに敗れ、その後仲介国との人質返還でイランと合意し、翌1981年1月20日、レーガンが大統領に就任しカーターが退任する日に人質は解放され、実に大使館占拠から444日が経っていたのでした。またカーター政権中の1980年4月7日、アメリカはイランと国交を断絶し、経済制裁も課したのでした。

 その後アメリカはイランを「ならず者国家」と制定し、ブッシュ前政権時にはイラクや北朝鮮同様「悪の枢軸」と名指しで非難するなど、仮想敵国と見なし現在に至っています(核問題の他には人権問題など)。イランもまた「アメリカは大悪魔」との立場を崩しておらず、対立を続けており1989年にホメイニが死去してもイランにおいて相変わらずイスラム法学会の影響力は強く、また現在のマフムード・アフマディネジャド大統領も「アメリカ=悪」と見なし反米思想を掲げるなどしています・・・。また事件の現場だったアメリカ大使館は現在、革命体制を維持する部隊「革命防衛隊」の基地となっており、壁面には反米を掲げるスローガンが書かれているなど、イランのアメリカに対する反発は未だ根強いものとなっています。

 あの大使館占拠事件は、今日まで続いている欧米とイランの対立の発端と言えますね。

theme : 歴史
genre : 政治・経済

プロフィール

Author:アジシオ次郎
FC2ブログへようこそ!

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード